来客
※会話ミスを修正しました。(2021年10月13日)
1910(明治43)年7月17日日曜日午前10時30分、有栖川宮家葉山別邸。
「先だっては、中央情報院の新人が、妃殿下に大変なご無礼を致しまして、誠に申し訳ございませんでした……」
人払いをした応接間で、私の異母弟・輝仁さまの輔導主任であり、日本の非公式諜報機関・中央情報院の総裁でもある金子堅太郎さんが、床についてしまいそうな勢いで、私に向かって頭を下げた。
「金子さん、事が起こった翌日にも、謝罪していただいたではないですか。また謝らなくてもいいのですよ。私、気にしていません」
水色の無地の和服を着た私は、顔に苦笑いを浮かべながら金子さんに答えた。
「それより、石原さんは五体満足で生きていますよね?私、それが心配で……」
「生きております。本人は、“死ぬよりひどい目に遭っている”などと、弱音を吐いておりますが」
(よかった、生きてはいるのね……)
金子さんの答えを聞いて、私は胸を撫で下ろした。恐らく、石原さんは、盛岡町の私の屋敷の別館で、大山さんによる折檻だか特訓だか教育だかを受けているのだと思う。先月、彼を連行して東京に戻る大山さんに、“絶対死なせないようにしなさい”と厳命したから、彼が死ぬことはないと思うけれど……少し、自信が無くなってきた。
「まぁまぁ、章子さん、それは大山閣下にお任せしよう」
眉を曇らせた私を、瑠璃色の和服を着た栽仁殿下が横からなだめる。今日は日曜日だから、横須賀港の“日進”に戻らなければいけない夕方までは、この別邸にいてくれる日だ。
「それより、満宮さまの報告を聞かないと」
その言葉で、金子さんの隣に座っていた輝仁さまに、私と栽仁殿下と金子さんの視線が集中した。
「ほら……満宮さま。いい加減、ご機嫌を直してください」
「でも、俺、悔しいんだもん、金子閣下……」
金子さんに答える輝仁さまは顔をしかめている。両目が腫れぼったいのは、長い時間泣いていたからかもしれない。
「まず、最終試験の結果と卒業席次から聞こうか。どうだったの?」
なるべく穏やかな声で弟に尋ねると、
「最後の試験は、学年で2位だったんだ。それで、卒業席次は4番になった」
と彼は答えた。
「すごいじゃない」
私は素直に弟を褒めた。試験の順位が2番目というのは、今までに輝仁さまが取った成績の中で一番いい。落第スレスレだった初等科時代と比べたら、天と地ほどの差がある。
ところが、
「ダメなんだよ、それじゃあ!」
輝仁さまは右手でテーブルを叩いた。
「ダメ?」
首を傾げた私に、
「航空士官学校の進学枠は3つだろ?」
輝仁さまは涙で濡れた眼を向けた。
「俺より卒業席次が上だった3人、全員が航空士官学校への進学を希望したんだ。だから、卒業席次の1番から3番で、進学枠が全部埋まっちゃったんだ……」
「うわぁ……」
「それは……」
呆然とする私と栽仁殿下の前で、
「悔しいよ。あと一つ、順位が上げられれば、航空士官学校に行けたんだから」
輝仁さまはうつむいて、絞り出すように言う。「……でも、仕方ないかもしれない。卒業席次は、入学から卒業までの全部の成績が加味されるから、補欠合格で入学した俺が4位になれたのは奇跡に近い、幼年学校の校長先生にはそう言われたよ。でもさぁ……航空士官学校に行けなきゃ、そんな奇跡、俺にとっては意味がないんだよ!」
またテーブルを叩いた輝仁さまの横から、
「今年の、幼年学校から航空士官学校への進学希望者は、3枠に対して48人だったそうで……」
と、彼の輔導主任でもある金子さんが付け加えた。
「そんなに?!」
「すごいですね。16倍の倍率ですか」
私と栽仁殿下は驚きの声をほぼ同時に上げた。私が受験した医術開業試験だって、倍率に直したら10倍にもならない。輝仁さまは、厳しい試練を耐え抜いてきたのである。だが、彼はその戦いに、最終的には敗れてしまった。
「……で、輝仁さま、これからどうするの?」
しかし、ここからが肝心だ。私が出来る限り真面目な表情を作って弟に問いかけると、
「決まってるだろ!」
彼は私を睨みつけるように見つめた。
「進学先は技術士官学校にするけど、卒業したら、航空士官学校の編入試験を受ける。それで絶対に、航空士官になってやる!」
「……それでこそ、私の弟だわ」
私は微笑して頷いた。万が一、輝仁さまが、“皇族の特権を使って、航空士官学校に何とか入学させてもらう”などと言い始めたら、殴り飛ばすところだった。
「進学先を技術士官学校にしたのは、何か理由があるのですか?」
栽仁殿下が尋ねると、
「航空以外の士官学校で、一番航空に関係のある勉強ができそうだから」
輝仁さまはすぐに回答した。
「設計の勉強をするから、当然、飛行器の設計の勉強ができる。飛行器に乗るなら、その設計を知っておくのは大事だと思いました。それに将来、飛行器にはいろいろな武器を搭載することも考えなければいけないし、他の兵器と連携して攻撃をすることも考えないといけない。技術士官学校に行けば、あらゆる兵器の特長や弱点が勉強できる……そう芳之兄さまに教わったから」
「なるほど。流石二荒さんだね。とても理に適っている」
私は軽く頷いた。北白川宮芳之王殿下は、去年の自分の20歳の誕生日を機に臣籍降下して、二荒芳之伯爵になっている。彼は学習院中等科を卒業した後、小さいころからの夢だった技術将校になるべく、1908(明治41)年9月に技術士官学校に入学した。“史実”では、二荒さんは腎臓の病気で1909(明治42)年に亡くなったそうだけれど、この時の流れでは元気で、技術士官学校でも好成績を収めている。
「技術士官学校の3年間、絶対無駄にしない。いろんな知識を吸い取れるだけ吸い取って、航空士官学校に編入したら、その知識をきっちり活用する。それで、1人前の航空士官になるよ」
「分かった、輝仁さま。頑張って。あなたが望む結果が出せるように、私、応援しているからね」
私がこう言うと、輝仁さまは顔に決意をみなぎらせながら、黙って頷いたのだった。
「そうだ。俺、自分のことばっかり喋っちゃったけど、章姉上、体調はどう?」
午前11時前。自分の夢のことをずっとしゃべり続けていた輝仁さまは、出されていたお茶を一口飲むと、私に向かってこう尋ねた。
「ああ……」
(別にそのまま、しゃべり続けていてくれてもよかったけれどなぁ)
そう思う。情熱を持って夢を追い続ける弟の話は、聞いていてとても楽しいのだ。けれど、尋ねられてしまったからには、弟の質問に答えないといけない。
「今は落ち着いているよ。先月の中旬は、悪阻で食べるのも大変だった。下旬からは食欲も戻って来たから、半日だけ仕事をしていたの。今はもう、当直以外の仕事は全部やっているわ」
弟の目をしっかり見て答えると、
「そうなんだ、よかったぁ」
彼は明らかに安心した表情になった。
「節義姉上が希宮さまを身ごもってた時の悪阻、とても辛そうだったからさ。章姉上、まだ体調が良くないんじゃないかって心配してたんだ」
「悪阻の重さは人によって違うからね。本当にひどいと、経口補水液も飲めなくて、点滴をして水分を補充しないといけない。私は一番辛い時でも水分が取れたから、助かったよ」
「でも、章子さんはとても辛そうだったよ」
私の隣から、栽仁殿下がこう付け加え、私を心配そうに見つめた。「そんな時に、お客様のおもてなしの指揮を取ろうとしたから、本当に心配だった」
「ああ、兄上たちが来た時のことか。でも、あの時は、栽仁殿下が助けてくれたじゃない……」
私が言ったのは、先月11日の土曜日、金子さんが私に1度目の謝罪をしてくれた翌日のことである。午後3時過ぎ、玄関が騒がしくなり、何だろうと思っていたら、兄、そして私の義父である威仁親王殿下が、突然寝室の障子を開けて現れたのだ。しかも彼らの後ろには、伊藤さんや山縣さんなど、梨花会の面々も勢ぞろいしていた。訪問する旨の事前連絡は、こちらにはもちろんなかった。大山さんがいれば何とかなったのだけれど、彼は石原さんを“教育”するために盛岡町の屋敷にいた。高貴なお客様たちが、連絡なしで多数やって来てしまったので、東條さんも千夏さんもパニック状態になり、お客様たちをもてなすことが出来ないでいた。
(まずい。こうなったら、私が職員さんたちの指揮を執るしか……)
そう思いながら、ふらつく身体で無理やり布団から立ち上がったその時、
――ダメだよ。章子さんは、のんびり身体を休めていないと。
ちょうど“日進”から別邸に戻ってきた栽仁殿下が私を止めた。そして、彼は職員さんたちを指揮して、不意のお客様たちを完璧におもてなししてくれたのだ。お客様たちが帰った後、彼の手並みの鮮やかさを賞賛したら、
――普段、小隊を指揮しているのと似ていたから、何とか出来たよ。
と言って、微笑していたけれど……。
「兄上たちの後、お母様と節義姉上と慰子妃殿下もここに来たんでしょ。大変じゃなかった?」
心配そうな表情になった弟が、私と栽仁殿下に尋ねる。
「事前に連絡があったから、そっちは大丈夫だったよ。お母様は今、葉山の御用邸にいらっしゃるから、2週間に1回ぐらいここにいらっしゃるけれど、その時はちゃんと連絡をくれるから、こっちも慌てることもない」
私は弟に答えると微笑する。お母様は例年より少し早め、先月の下旬から葉山で避暑に入って、今月の末に帰京する予定だ。そんなスケジュールになったのは、“史実”では来月、関東を中心にして大水害に見舞われるからである。“史実”では生じていない、気候変動を起こすほどの大気汚染や大規模な森林伐採は起こっていないから、この時の流れでも、大水害は“史実”と同じようにやって来るだろう。“そんな時に避暑をしている訳にはいかない”とお母様は言い、避暑のスケジュールを変更したのだった。ちなみに、お父様も昨日から、葉山御用邸の本邸でお母様と一緒に過ごしている。
「いいなぁ、お母様とたくさん会えて」
ため息をつく輝仁さまに、
「そう言うなら、私は輝仁さまがうらやましいよ。だって、7月いっぱい、葉山御用邸の別邸にいるんでしょ?すぐにお父様とお母様に会いに行けるじゃない」
私はこう言い返した。お父様には私を含めて8人の子供がいる。全員の母親が一緒というわけではないけれど、お母様を母親として慕っているのはみんな同じなのだ。
と、
「わ……若宮殿下―っ!」
「た、大変ですっ!」
突然、応接間の障子が外から勢いよく開かれた。現れたのは、この葉山別邸を取り仕切っている東條さんと千夏さんだ。ちなみに、今月の28日、千夏さんの誕生日に合わせて婚礼を挙げる予定である。
「どうしました?」
落ち着いた口調で尋ねる栽仁殿下に、
「あ、あの、げ、玄関に、そのっ……!」
東條さんが顔を引きつらせながら報告しようとした瞬間、
「……何だ、輝仁と金子も来ておったのか」
東條さんと千夏さんの向こう、芝生の広がる庭園に、群青色の和服を着流した、背の高い初老の男性が現れた。銀縁の眼鏡を掛けて、立派な口ひげと顎ひげを生やしているけれど、この声は……。
「お父様?!」
「どうして?!」
輝仁さまと私が慌てて立ち上がると、
「どうして……決まっておるであろう。章子の見舞いに来たのだ」
伊達メガネと付け髭で変装したお父様は、呆れたように私たちに答えた。
「あの、それはありがたいのですけれど……お父様、まさかお1人で本邸からこちらに?」
陰から護衛はついているだろうし、社会主義や共産主義、無政府主義などが日本で全く広まらなかった結果、“史実”で今頃あった大逆事件の“た”の字もなく、治安も非常に安定している。だから、お父様が不審者に襲われる危険性は万に一つもないけれど……。
すると、
「私もおりますよ」
庭園にまた人影が現れ、私は目を丸くした。……お母様だ。亜麻色のデイドレスを着たお母様が、日傘を差してお父様の隣に立ち、私に向かってニッコリ微笑んだ。
「お上に、“微行で行って、章子を驚かせてやろう”と誘われましてね。少し悪戯をしてみました。……驚かせ過ぎてしまったかしら」
(驚かない方がどうかしています!)
私は思わず、心の中でお母様にツッコミを入れた。お母様だけならまだしも、変装したお父様が、アポなしでやって来る……東條さんと千夏さんは、本当に驚いただろう。私は2人に同情した。
と、
「お2人とも、どうぞお上がりください」
私の隣にいた栽仁殿下が一歩進み出て、お父様とお母様に声を掛けた。
「急なことでしたので、余りもてなしも出来ませんが……東條さん、椅子をもう2脚、こちらに持ってきてください。それから榎戸さんは、お茶とお茶菓子の準備をお願いします」
栽仁殿下の命令に、取り乱していた東條さんと千夏さんは同時に頷き、廊下を駆けて去って行った。
「なんだ、つまらんな。章子も輝仁も驚いておるのに、栽仁が驚かぬ」
縁側に腰を下ろしたお父様の言葉に、
「恐れながら……これでも、大変驚いております」
栽仁殿下は正座をしながら答えた。「本当は叫び出したいぐらいですが、僕まで混乱してしまいますと、この場を収める者がいなくなります。ですから、必死に心を抑えているのです」
「そうか」
お父様は満足そうに頷いた。
「なればこそ、章子を任せられるというものよ。……やはり章子の夫は、栽仁しかおらぬ」
「ええ。増宮さんは、本当に良い方と結ばれましたね」
微笑みあったお父様とお母様の言葉を聞いた私は、真っ赤になってしまった顔を両親に見られないよう、慌てて下に向けたのだった。




