後継者
1910(明治43)年5月22日日曜日午前10時、皇居・表御座所。
「な、なんですと……?!」
真っ白い軍装を着た私の目の前で、目と口で合計3つのアルファベットのOの字を形作ったのは、鷹司家の当主・鷹司煕通公爵だった。
「今まで三条どのは、立憲自由党と立憲改進党、双方と謀ってそのようなことを……?!」
「正確に言うと、朕とも謀って、な」
動揺を隠せない鷹司さんに、黒いフロックコート姿のお父様がニヤッと笑う。お父様と同じように、立憲自由党の総裁でもある内閣総理大臣の陸奥さんと、野党・立憲改進党の党首である大隈さん、そして、枢密院議長の伊藤さんが不気味な笑顔を向けると、鷹司さんの肉付きのよい身体が一瞬震えた。
……なぜ鷹司さんが表御座所にいるのか、順を追って説明しよう。
3日前の5月19日、当直明けの眠い頭で、私は貴族院における三条さんの後継者について考えていた。三条さんが操っていた政党に属さない議員たちの大半は、旧公家の出身者だ。家格を気にする彼らを制御するには、最上位の家格である摂関家の当主を使うしかない。年齢的に現在貴族院に出席するのは不可能な近衛文麿さん以外の4人の摂関家当主の中から、三条さんの後継者に一番ふさわしいと私が考えたのは、鷹司家の当主・鷹司煕通さんだった。
鷹司さんは、元々は節子さまの祖父・九条尚忠さんの息子で、鷹司家に養子に入った人である。なので、弟で同じように二条家の養子となった二条家の現当主・基弘さんや現在の九条家の当主・道実さんともそれなりに仲が良い。そして、これが一番大事なのだけれど、鷹司さんは元軍人で、1900(明治33)年の秋から2年近く、侍従武官としてお父様のそばに仕えていた。一条家のご当主・実輝さんも軍歴があるけれど、侍従武官をやったことはない。侍従武官に選ばれるためには、普段の軍務をきちんとこなせているかだけではなく、お父様に強い忠誠心があるかどうかも重要になる。つまり、侍従武官をしていた鷹司さんは、お父様に対して強い忠誠心を持っているから、お父様の言葉には忠実に従うだろう……私はそう考えたのだ。
――だから、最終的にお父様に動いてもらうことになるけれど、そうすれば、鷹司さんも梨花会の策謀に協力してくれると思うの。問題は、鷹司さんにどのくらいの能力があるかね。鷹司さんが東宮武官だったころは、彼の勤務に特に問題があるとは思えなかったけれど、元上司の目から見て、そのあたりはどうなの、大山さん?
19日の夕方、千夏さんの連絡を受けて東京から葉山に駆け付けてくれた大山さんにこう言ってみたところ、
――可もなく不可もなく、というところでしたが……斎藤さんや原が、もしかしたら“史実”での鷹司どののことを知っているかもしれませんから、問い合わせてみましょう。それが済み次第、梨花会で検討ですね。
彼はこう答え、声も無く笑った。
そこから大山さんは迅速に動いた。彼は“史実”の記憶を持つ斎藤さんと原さんから、“史実”での鷹司さんの話を電話で聞きだすと、梨花会の緊急会合を21日の午後にセッティングした。そして、横須賀国軍病院と協議して、20日から三条さんの国葬がある24日までの私の休暇をもぎ取ると、20日の午後には、私と叔父を連れて東京へと向かったのだ。
20日の夕方には、盛岡町の家で陸奥さん、大隈さん、伊藤さん、そして叔父と私との間で、三条さんの貴族院での後継者に関する協議が開かれ、鷹司さんを後継者にすることがほぼ確定した。……伊藤さんが去り際、まだあきらめていなかったのか、盛岡町の屋敷の2階に立ち入ろうとして、大山さんの鉄拳制裁を食らっていた。
そして、21日午後、盛岡町の屋敷で開かれた梨花会の臨時会合で、三条さんの貴族院での後釜を鷹司さんにすることが正式に決定した。この時、梨花会のことまで鷹司さんに話すかどうかが問題になったけれど、最後には“話さない”と結論が出た。
――鷹司公爵は、梨花が木登りしたり戦ごっこをしたりするのを見ると、顔を真っ青にしていた。あの程度で驚いてしまうのでは、梨花の前世のことを知ったら気絶するだろう。
会合の途中、兄は顔に苦笑いを浮かべながら言った。鷹司さんが花御殿付きの武官として大山さんの下で働いていた2年ほどは、私が花御殿で兄と同居し始めた時期に当たる。鷹司さんは、男の子と一緒に外で遊びまわる私を見つけるたびに、
――ま、増宮さまっ!お願いでございますから、そのように危ないことはお止めください!
顔を引きつらせながら叫ぶのだ。そのたびに、“兄上もやってるんだからいいじゃない!”と私は彼に言い返し、兄の方に駆けていくのが常だったけれど……。どうやら兄は、その時のことを思い出したらしい。その兄の言葉もあり、鷹司さんには梨花会のことは話さず、“議会開設以降、与野党の代表者と枢密院議長、そして天皇が、三条公爵と謀り、貴族院での投票を操作していた”と説明することになった。
「に、にわかには信じがたいが……」
お父様と同じ黒いフロックコートを着た鷹司さんは、必死に考える素振りを見せていたけれど、
「だが、言われてみれば、与党の出す法案は、必ずと言っていいほど、貴族院でも賛成多数で成立する。その賛成者の顔ぶれは、公家衆では奇妙なくらい、法案ごとにバラバラになっている……」
と言った。
(あ、やっぱり、ある程度の能力はあるのね)
――原と斎藤さんに確認しましたが、鷹司どのは、“史実”で侍従長や大礼使長官をしたことがあり、どちらも大過なく仕事をこなしたようです。ですから、我々の意を受けて貴族院の議員たちを操ることはできるのではないか、と……。
先週木曜日の夜、東京にいる原さんと斎藤さんと、それぞれ電話で話し合った大山さんは私に向かって頷いた。“大礼使”というのは、即位礼の事務を担当する役人で、その仕事の量は膨大だ。その長官は、ある程度有能でないと務まらないだろう。だから鷹司さんもそれなりに有能なのだろうと思っていたけれど、今の彼の言葉を聞いて、その考えが正しかったことが分かった。
と、
「しかし、なぜこの場に、千種どのだけではなく、有栖川の若宮殿下と妃殿下もいらっしゃるのでしょうか?」
鷹司さんは困惑した表情で尋ねた。
「ええと、叔父の代理です」
昨夜、横須賀から上京してきてくれた栽仁殿下の隣で、私は曖昧な微笑を浮かべた。「本当は、この場に出るつもりはなかったのですけれど、叔父があんな状態なものですから」
私の言葉で、表御座所の一点に視線が集中する。お父様から離れた隅っこで小さくなっていた叔父が、視線が自分に集まったのに気が付き、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。“恐れ多すぎて天皇陛下には近づけない”と主張し、自分も参加するべき話し合いの輪に入ろうとせず、叔父は一歩下がったところで待機していたのだ。……ちなみに、叔父は更に、表御座所の隣の控えの間に逃げようとしていたのだけれど、そちらは大山さんに殺気を飛ばされたので断念している。“三条閣下の懐刀”には似つかわしくない、ひどい怯えようだった。
「鷹司さま、もしこのお役目、お引き受けいただけるのでしたら、叔父を鷹司さまにつき従わせます。そうすれば、公家衆を操るのも多少楽になるかと思います」
私がこう申し出ると、
「あ、操る?!」
鷹司さんが目を丸くした。
「ああ、失礼いたしました。もう少し正確に申し上げる方がよろしいですね。なだめすかして脅して、こちらの言うことを聞かせる、と」
「あ、いや、あの……」
冷や汗をかき始めた鷹司さんに、
「そなたまで有梁のようになってどうするのだ、煕通」
お父様が苦笑いを向けると、鷹司さんは恐縮したようにお父様に最敬礼した。
「我が国はいずれ、2大政党制で政治をしなければならない。それは憲法制定の時に朕が考えたことだ。しかし、今でも余り変わらぬが、あの当時、公家の議員たちは、政党そのものを嫌っていた。政党の力の強い衆議院で可決された法案が、政党嫌いの貴族院で全て潰されてしまう事態になれば、行政が滞る。それでは国民に迷惑がかかる。そこでこのような策を思いついたが……煕通は朕についていたころも、朕の悪戯に驚いてばかりだった故、今回も驚いたか」
「はい。正直に申し上げますと、大変驚きました」
いつになく穏やかなお父様の言葉に、鷹司さんは玉のような汗をかきながら答えた。
「で、煕通よ。朕たちの悪戯の片棒、担いでくれるか?」
お父様がこう問うと、
「勅命とあれば致し方ございません。それに、国民を慮っての“悪戯”でしたら、手伝わない方が不忠でございます。謹んで、この勅命、受けさせていただきます」
鷹司さんはお父様に最敬礼した。
「……では、叔父のこと、存分にお使いくださいね、鷹司さま」
どうやら、大山さんが殺気で言うことを聞かせるという手荒な手段は使わずに済んだようだ。私がホッとしながら言うと、
「妃殿下のおっしゃる通りに致しますが……」
鷹司さんは大きなため息をついた。
「昔から妃殿下には驚かされてばかりですな。私が東宮武官の頃も、男子に混じって木登りや鬼ごっこ、戦ごっこに興じられていたのを見て仰天いたしました。医師開業試験に独力で合格なさったのにもたまげました。ご結婚なさって、しおらしくなられたのかと思いきや、恐ろしいことをおっしゃるし……」
「申し訳ありません、鷹司さま。持って生まれた性分ですから、急には直せなくて」
愛想笑いを浮かべながら私は答えた。鷹司さんの反応は、この時代の人間のごく一般的な反応である。小さいころは男子に混じって外で遊び、大きくなったら内親王なのに医者になった私は、存在そのものが鷹司さんの常識外だろう。
と、
「だから愛しているのです」
今まで一言も喋らなかった栽仁殿下が、突然言った。
「え?」
私が思わず横を振り向くと、私の視線の先で栽仁殿下は、
「この気性だからこそ、僕は章子さんを愛しています」
と、鷹司さんに向かって繰り返した。
(ちょ……っ!)
流石に、他人に向かってこう言われてしまうと恥ずかしい。私が一気に顔を赤くしたとき、
「大変……大変失礼いたしました」
鷹司さんが栽仁殿下に向かって最敬礼した。
「いやあ、いいですのう。真っすぐな愛というものは」
伊藤さんが何度も深く頷くと、
「ええ。僕が亮子に想いを告げた時のことを思い出しますよ」
陸奥さんもそう言いながら、ニヤニヤ笑いを私に向けている。
「うむ、流石は若宮殿下、非常に素晴らしいんである!それに、頬を赤く染めていらっしゃる妃殿下も、大変にお美しいんである!」
「……余り煽らないでいただけますか?」
大声で賞賛の言葉を口にする大隈さんに、私は小さな声で言い返した。
「幸せ者だな、章子は」
お父様が微笑する気配がして、私は慌てて最敬礼した。
「もっとも、章子は、とんでもなく奥手で鈍感だ。これぐらい言ってやらねば、夫が自分を愛していることも分からなくなりそうだ。のう、大山」
「陛下のおっしゃる通りでございます」
我が臣下が、お父様に向かって一礼した。
「栽仁、これからも、章子のことを頼むぞ」
「はい。一生愛し抜いて、一生守り抜く所存でございます」
栽仁殿下がお父様に最敬礼した時、
「……やっぱり、若宮殿下、妃殿下に爆破されちまったな」
叔父が囁くように呟いた声が、辛うじて私の耳に届いたのだった。
1910(明治43)年5月22日日曜日午前10時30分、皇居。
「無事に話がついてよかったね、梨花さん」
いくつかの打ち合わせをして、表御座所を退出した私に、右隣りを歩く栽仁殿下が言った。もちろん彼の左手は、私の右手を握っている。軍装を着ている時は、手をつながないでいて欲しいと頼んだのだけれど、
――“国軍将兵は紳士淑女たれ”だよ。梨花さんは軍人でも淑女でいるべきなんだから、軍装の時でも、夫の好意は受けて欲しいな。
と栽仁殿下に言い返されてしまって、手をつながざるを得なくなったのだ。
「本当によかったわ。叔父さまが表御座所に入った途端、ガタガタ震えて隅っこに行ってしまったのを見た時は、どうしようかと思ったけれど」
私が栽仁殿下に答えると、
「しょうがないよ。陛下と話すのは、僕だって少し怖いから」
彼はこう言って苦笑する。
(……それでも、私と結婚したいって、お父様に直訴してくれたのか)
彼と私の婚約が内定した時のことを、ぼんやりと思い出していると、
「……それにしても、三条閣下が遺言で梨花さんに課題を出すなんて、僕、想像もしていなかったよ。話を聞いた時はビックリした」
栽仁殿下が言った。
「そう?私はありうる話だなと思ったわ。ただ、こんなに生々しい問題だとは思っていなかった。出すとしても机上演習かしら、と」
私は栽仁殿下に答えて、
「本当に迷惑な話よ……」
とため息をついた。
「権力の移譲って、本当は混乱しちゃいけないのよ。特に、人の死によって権力移譲が発生する場合、その後継者がしっかり決まっていないと、ひどい混乱を招くことになる。戦国時代だと、上杉家の“御館の乱”がその例ね。上杉謙信は後継者をしっかり決めていなかったから、彼が死んだ後、後継者候補同士で争った挙句、上杉家は弱体化してしまった……。三条さんが遺言で後継者をきちんと決めてくれていたら、もっとスムーズに権力移譲が進んだと思うけれど……はぁ、何か、ものすごく疲れたわ。弔問に行ったら、三条さんに言ってやる。“きちんと遺言状は残しておいてください”って」
ぶつくさ文句を言っていると、
「梨花さんを上から見下ろしながら、ニヤニヤ笑っていそうだね、三条閣下。“せやけど、ちゃんと出来ましたなぁ、わしの課題”って」
栽仁殿下が突然、三条さんの物まねをした。声は全く似ていなかったけれど、そののんびりした調子は三条さんそっくりだったので、私は思わずクスクス笑ってしまった。
「……まぁ、文句を言いたいことはあるけれど、色々とお世話になったし、教わったこともたくさんあったのは確かね」
ひとしきり笑い終えると、私は静かに栽仁殿下に言った。
「そうだね。……三条閣下に、お礼は言わないといけないね。僕は梨花さんのように、三条閣下と深く付き合えた訳ではないけれど、梨花さんがお世話になった人だから」
「そうね、私も、お礼は言わないとね」
右を振り向くと、栽仁殿下と視線がぶつかる。彼と目をしっかり合わせると、私は軽く頷いてみせた。三条さんに文句を言いたいことはあるけれど、お礼を言いたいことはそれ以上に沢山ある。小さい頃から私を教え導いてくれた人の1人なのだから。
「無事に貴族院での後継者は決まりました、って報告もしないといけない。それで、ちゃんと未来を思い描きますって、三条さんに伝えないと」
「うん。未来を思い描くことって、すごく大事だと思うよ、梨花さん。……じゃあ、行こうか、三条閣下の弔問に」
「そうね」
私は夫と微笑を交わすと、手を繋いだまま、皇居の車寄せに向かって歩いて行ったのだった。
※繰り返しになりますが、鷹司さんの経歴は実際とは変更しています。