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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第50章 1910(明治43)年穀雨~1910(明治43)年処暑
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最後の課題

「あの、それは無理です、叔父さま」

 1910(明治43)年5月19日木曜日午後1時、有栖川宮(ありすがわのみや)家葉山別邸の食堂。突然現れた私の母方の叔父・千種(ちくさ)有梁(ありはる)さんに、私は冷静に返答した。

「え゛」

 床に正座したまま、呆気にとられたような顔をしている叔父に、

「だって、私、この家で一人暮らしをしている訳ではありませんから」

私はこう付け加えると、軽くあくびをした。もちろん口は右手で覆っている。

「この別邸は、私と栽仁(たねひと)殿下の住まいです。ですから、叔父さまにここにご逗留いただくには、少なくとも栽仁殿下のご許可が必要です。私が独身のままでしたら、私の一存で叔父さまの頼みを聞き入れていましたけれど、今の私は夫のいる身ですから……」

 すると、

「ああ、そうか、そうだよなぁ……」

叔父は両肩を落として呟き、そして、縋るような視線で私を見つめた。

「だけど、三条閣下のご遺言がある以上、俺、殿下を頼らないとしょうがないんですよ」

「三条さまの遺言?」

 思いがけない言葉に眉をひそめた私に、

「“わしが死んだ後、千種どのが厄介ごとに巻き込まれたら、増宮さまを頼るんや。それが、わしが増宮さまに出す、最後の課題になるやろな”……1、2年前に、突然、三条閣下が俺にこう言ったんですよ。それ以外には、遺言らしい遺言を、誰にも、何にも残しませんでしたけどね」

叔父は更に言って、ため息をついた。

「でも、俺が殿下を頼るのが、何で殿下の課題になるのかさっぱり分からねぇ。遺言を残すなら、この事態を解決する方法を言い残してくれよ、閣下!」

 故人に向かって愚痴る叔父をぼんやり眺めながら、

(三条さんが私に出す最後の課題、ねぇ……)

私は叔父の投げた情報を、頭の中で精査していた。叔父が教えてくれた三条さんの遺言は、いかにも、梨花会の一員である三条さんが言いそうなことではある。それに、この叔父の様子、ウソをついているようにも思えない。だから、叔父の言っていることは本当だろうけれど……。

(三条さんの遺言も踏まえて考えると、叔父さま、厄介ごとに巻き込まれたから、私を頼ってきたということよね。その厄介ごとを解決するのが、私への課題ということかしら?)

 三条さんにこき使われていた叔父が巻き込まれている厄介ごとというのは、一体どんなことなのだろうか。私には見当がつかなかった。

「……東條さん、叔父さまを応接間にご案内してください。土下座されたままでは話ができませんから」

 ため息をつきながら命じると、

「叔父さま、私を頼るに至った経緯、全て話していただきますよ。そうでないと、叔父さまにご逗留いただくかどうか、決めることが出来ませんから」

私は叔父に視線を投げた。

「で、殿下……なんか、怖くなってませんか?昔はあんなに親しみやすかったのに……」

「当直明けで眠いから、不機嫌になっているのは確かです。当直明けの辛さは、叔父さまもご存じでしょう?」

 なぜか震えている叔父にこう答えると、私は東條さんに目で合図して、叔父を応接間へと連れて行ってもらった。千夏さんに、東京の大山さんへの連絡と、私と叔父にお茶とお茶菓子を準備するようにお願いしてから、私は叔父と東條さんの後を追い、応接間へと向かった。

「……さて、お茶とお茶菓子もそろいましたし、人払いもしておきましたから、叔父さまが巻き込まれた厄介ごと、洗いざらい吐いていただきます」

 10分後。お茶とお茶菓子を持ってきた千夏さんが応接間を去ったのを見計らい、私は叔父に声を掛けた。

「くうっ……俺、高貴な方は苦手なんですよ。殿下は親しみやすいから全然大丈夫だったのに、結婚なさったとたんに威厳が増して別人になっちまって……」

「諦めてください。で、一体何が起こったのですか、叔父さま?」

 椅子に座って小さくなっている叔父を促すと、彼は「分かりましたよ……」と両肩をすくめ、三条さんが亡くなってからのことを話し始めた。

 一昨日、三条さんが亡くなったという知らせを受け、叔父は直ちに麻布区にある三条さんのお屋敷に弔問に行った。その後は三条さんのお屋敷に詰め、三条さんの跡継ぎ・公美(きみよし)さんを助け、引っ切り無しにやってくる弔問客の応対や葬儀の準備を手伝っていた。そして、三条さんが亡くなって3日目の今日も、朝から三条さんのお屋敷にいたのだけれど……。

「今朝の8時半ごろでした。弔問に、公家出身の貴族院議員が3人、連れ立ってやって来たんです。顔見知りなんで、一応挨拶したら、3人が3人とも、俺のことをじーっと見やがる。何か変だなぁ、と思って、そいつらの様子を、物陰に隠れて観察することにしたんですよ」

 叔父はそう話すと、千夏さんが出してくれた羊羹の欠片を口の中に放り込み、お茶を一口飲んだ。

 3人の旧公家出身の議員たちは、三条さんの棺に拝礼して、公美さんに悔やみの言葉を述べると、お屋敷の玄関を出た。そして、叔父が物陰から様子を窺っているとも知らずに、

――千種どのは、これからどうするんやろな。

と、叔父の噂話を始めたのである。

――公美どのに仕えるんやろか?

――いいや、公美どのが、千種どのを使いこなせる訳がない。

――その通りやなぁ。あんなによう切れる懐刀、公美どのが持ってたら、宝の持ち腐れになってしまう。

――千種どのは三条閣下の懐刀……その影響力は絶大や。千種どのに公家衆をまとめる力はないけど、千種どのを手に入れたお人が、貴族院を制することになるねぇ……。

(は?!俺が三条閣下の懐刀ぁ?!そんな御大層なモンじゃねぇぞ、俺は!)

 潜んでいる叔父の心のツッコミが届くわけもなく、議員たちは申し合わせたようにニヤリと笑うと、

――こうしてはいられませんなぁ……。わし、千種どのを抱えに行きますわ。

――何をおっしゃいますやら。千種どのはわしのもんや。

――いいや、わしのもんや。そんで、抱えたら、あんたらに売りつけてあげますわ。まぁ、あんたらより高い値を付けてくれはるお人もいると思うけど……。

笑いを顔に張り付けたまま、京都なまりの言葉をぶつけ合い始めた。

(ふ、ふざけんな!勝手に俺を所有しようとするな!てか、これ、逃げないとヤバい!)

 身の危険を察知した叔父は、醜い争いを始めた議員たちに気付かれないようにその場を離れ、三条さんのお屋敷から逃げ出した。

「……ただ、家に帰っただけじゃ捕まっちまう。妾のところに行っても、すぐに場所が割れちまう。姉上のところも女ばかりだから、公家(バカ)どもが集団で押し掛けてきた時に頼りない。どうしようか考えた時に、三条閣下の遺言を思い出したんです。それで申し訳ないですが、ここにやって来たって訳です」

 叔父はうつむくと、

「畜生め、俺は、三条閣下の国葬が終わったら、議員を辞めようと思ってたんだよ。議員を辞めて、一介の医者として、女医学校を手伝うか、それとも開業しようかって考えてたのに……。人の将来を自分の欲望で勝手に決めるんじゃねぇ、公家(バカ)どもが!」

そう吐き捨てながら、右の拳でテーブルを叩いた。

「なるほど、事情は分かりました。本当に浅ましい人たちですね」

 私はため息をついた。三条さんが亡くなったばかりだというのに、貴族院の中では、大きな影響力を持っていた三条さんの後釜を巡って、既に暗闘が始まっているらしい。

(叔父さまを巡るこの争いを終わらせろ、というのが、三条さんが私に出した最後の課題、ということなのかな?これ、上手く解決しないと、大変なことになるけれど……)

 私がそう思ったのは、三条さんが貴族院で果たしていた役割の重要さを知っているからだ。三条さんがいなければ、今のような立憲自由党と立憲改進党の2大政党制による政治は出来なかっただろう。

 帝国議会は、“史実”でもこの時の流れでも、1890(明治23)年の11月から始まった。政党の力が強い衆議院とは違い、“史実”の貴族院は、政党の存在そのものを否定していた。私の話を聞いた梨花会の面々は、“いずれ日本は2大政党制によって政治をしなければならない”と結論を出していたけれど、貴族院が“史実”と同じように振る舞ってしまったら、与党の出した政策も野党の出した法案も、“政党が関わっているから”という理由で拒絶してしまう。私の時代と同じような“衆議院の優越”は、憲法制定前に行われた枢密院での大激論の結果、梨花会以外のメンバーに押し切られてしまい、憲法内に盛り込めなかったため、衆議院で可決された法案は、貴族院で否決されてしまうと成立しない。これでは、政党に拠った内閣が打ち出した政策が実行できない事態に陥ってしまい、円滑な行政事務も行えなくなる。

 そこで、梨花会の面々は、将来のため、貴族院にはびこっていた政党への悪感情を払拭するように努めた。貴族院に議席を持つ、三条さん以外の梨花会のメンバーは、立憲自由党か立憲改進党のどちらかに所属し、貴族院で無視できない勢力を築いて、“貴族院に政党は立ち入らせない”という、“史実”ではあった不問律が存在する余地を完全になくした。そして、貴族院議員の中で、政党に所属する流れが出来た結果、現在、貴族院の約3分の1の議席は立憲自由党が、同じく約3分の1の議席は立憲改進党が持つことになった。

 そして、残りの約3分の1の議員……多くの旧公家出身の議員と一部の旧大名家出身の議員で構成された彼らの頭目とみなされていたのが三条さんだった。1891(明治24)年にインフルエンザに罹患して内大臣を退任した後、三条さんは貴族院議員として、彼ら政党に属さない議員たちのリーダーとして振る舞っていた。ところが、リーダーの三条さんは、自分の意見を主張することなく、絶妙な采配で旧公家出身の議員たちを動かし、投票数を操作して、衆議院で可決された法案が貴族院で否決されないようにしていたのだ。この三条さんの努力によって、貴族院での議決は梨花会の手のひらの上でコントロールされた出来レースとなり、現在の2大政党制の確立へとつながったのだけれど……。

(……その三条さんがいなくなった。三条さんが仕切っていた議員たちが、梨花会のコントロールを離れてしまったら、政党内閣の提出した法案にことごとく反対してしまう可能性が高い。誰か、三条さんの代わりになれる人はいないのかな?)

「叔父さま、叔父さまが見るところ、三条さんの後継者になれそうな方はどなたですか?」

 私が尋ねると、

「実は、皆目見当がつかないんです。最低でも“おおやけ”の方の公爵じゃないといけないだろうなぁ、とは思いますがね」

叔父は顔をしかめながら私に答えた。

「ということは、近衛(このえ)鷹司(たかつかさ)一条(いちじょう)九条(くじょう)……それから、ええと」

 指を折りながら公爵家を挙げていった私は、軽く頭を左右に振った。現在の各公爵家の当主がどうなっているか、よく分からなくなったのだ。私は、「少し整理しますね」と叔父に断ると、机にあった紙と鉛筆を引き寄せ、現在の公爵家の当主のリストを作り始めた。


 近衛(このえ)文麿(ふみまろ)(18):旧摂関家(せっかんけ)。学習院中等科6年生。

 鷹司(たかつかさ)煕通(ひろみち)(55):旧摂関家。歩兵少佐(1902年6月に予備役)。九条家の3代前の当主・尚忠(ひさただ)の息子。

 九条(くじょう)道実(みちざね)(40):旧摂関家。掌典。

 一条(いちじょう)実輝(さねてる)(43):旧摂関家。海兵大尉(1899年6月に予備役)。

 二条(にじょう)基弘(もとひろ)(50):旧摂関家。九条尚忠の息子。

 三条公美(35):旧清華家(せいがけ)。現在襲爵手続き中。

 徳川家達(いえさと)(46):徳川宗家第16代。貴族院議長。

 島津忠重(ただしげ)(23):島津家第30代当主。海兵中尉。

 島津忠済(ただなり)(55):島津家の分家・玉里(たまざと)島津家当主。

 毛利元昭(もとあきら)(45):毛利家第29代当主。

 岩倉具張(ともはる)(31):旧羽林家(うりんけ)

 徳川慶喜(72):徳川宗家第15代。


「ええと……」

 叔父の助けを借りて、長い時間をかけてようやく書き上がったリストを一瞥して、私はため息をついた。時刻は既に、午後5時近くになっている。こんなに時間が掛かったのは、叔父がリストに挙がっているメンツに関して、年齢だけではなく、現在兼任している仕事や軍歴、家柄や個々人の関係まで、詳細に教えてくれたからだ。だいぶ長いリストになってしまったけれど、これでも、省略して書いた方なのである。しかも、“史実”と違って、日清戦争・日露戦争が無かったこともあり、“史実”ではこの時期に公爵になっていた伊藤さん・大山さん・山縣さんが伯爵のままだから、リストに載っている人数は抑えられてはいる。

「……叔父さま、何でこんなに公爵の方々に詳しいんですか?」

 肩を落としながら叔父に質問すると、

「旧公家は羽林家、名家(めいか)半家(はんけ)に至るまで、旧大名家も約300家、それから勲功華族も全員、何から何まで全部三条閣下に覚えさせられたんですよ。ったく、同じ覚えるのでも、薬剤名の羅列の方がまだ覚える気が湧くってのによ……」

とぶつくさ言いながら答えてくれた。公家には家格というものが存在し、摂政・関白・太政大臣になることが出来た摂関家をトップとして、以下、清華家・大臣家(だいじんけ)・羽林家・名家・半家の6つに分けられる。今は公家というものがなくなり、旧大名家や勲功のあった者も含める華族の枠組みに入っているけれど、旧公家たちの意識の中には家格が厳然として残っている。ちなみに、叔父の千種家の家格は羽林家である。

(華族全体は、合計400家以上あると思うけれど、それに関する事項が全部頭の中に入っているとすると……なるほど、確かに叔父さまは、三条さんの懐刀ね)

 旧公家や旧大名家の当主の経歴や人脈を全て把握していれば、彼らに政治工作が仕掛けやすくなる。叔父の記憶を使いながら、三条さんは政党に属さない議員たちを操っていたのだろう。叔父も多数の政治工作に関わらされていたに違いない。政治工作に必要な知識を大量に有し、政治工作の経験も豊富な叔父の動向は、貴族院で覇権を握りたい旧公家たちにとって、重大な関心事になる。ようやく私は、叔父を巡って旧公家出身の議員たちが争う原因を垣間見た気がした。

「……でも、叔父さまにも手伝っていただいてこの表を書きましたけれど、絶対に三条さんの後継者になれない人が2人いますね。近衛さんと島津忠重さん」

 叔父の愚痴に付き合っていると長くなりそうなので、私は話題を変えるためにこう言った。近衛文麿さんは“史実”では総理大臣になったこともある。けれど、現在彼は18歳。公爵が貴族院議員になれるのは満25歳からなので、彼が貴族院の政党に属さない議員たちをまとめるのは無理だ。同じ理由で、島津忠重さんも除外される。更に言えば、彼は現役軍人でもあるので、議会には出席できない。

「それに、公美さんも、政治の経験が全くないし、岩倉さんも、確か先代が先月亡くなって、公爵になったばかりですよね?」

「ええ、それに家格から考えると、旧公家全体に号令を下すのは無理ですね」

 三条家・岩倉家が、摂関家ではないのに公爵になっているのは、維新の際の功績が加味されたからである。そして、三条さんが、政党に属していない貴族院議員たちを操れたのは、本人が維新に際して大功を立てたからだ。それがあるので、三条さんの意向には、摂関家の当主たちも従うしかなかった。ただし、維新の元勲の威光が、その子供や孫にそのまま引き継がれる訳ではないから、三条家・岩倉家の当主は、旧公家出身の議員たちに号令を下せないだろう。

「慶喜さんが政治の世界に深く足を突っ込むはずはないし、家達さんも完全に中立的な位置を保とうとしている。議長をやっているくらいですしね」

 “史実”とは違い、貴族院の議長は、衆議院と同じように、会期ごとに本会議で選挙を行い、票を一番多く獲得した者が勅任されるシステムになっている。長く議長を務めていた近衛家の先代・篤麿(あつまろ)さんが1903(明治36)年に亡くなった後、徳川家達さんは毎回圧倒的な票数を得て、議長に選ばれていた。これは、家達さんが慶喜さんと同じく、どの会派にも属さず、努めて政治的に中立であろうとしているからである。

「島津忠済さんと毛利さんの命令に、旧公家の人たちが従うとも思えないですね。それに、毛利さんは井上さんとの関係が強くて、立憲改進党の政策にほぼ賛成しているから、立憲改進党に与していると思われて、旧公家の議員たちから嫌われる可能性も……」

 リストとにらめっこしながら、考えを深めていると、

「え?!確かにそうですけど、俺、井上前総理と毛利公とのことは、殿下には言ってないですよ?……殿下、何でそんなことを知ってるんですか」

叔父が訝しげな表情で私を見つめた。

「何で、と言われても……井上さんと大隈さんからよく聞きますし、こういう話をすることもありますし……」

「せ、政治の話をするんですか?妃殿下が?……若宮殿下に“女が政治の話をするなどけしからん”って言われませんか?」

「栽仁殿下の前で、政治の話をしたこともありましたけれど、そんなこと、言われたこともないですよ?」

 私が首を傾げると、叔父は「そ、そうなのか……」と天井を見上げ、

「流石は妃殿下だな。若宮殿下まで、ダイナマイトで爆破しちまったのかよ……。普通のお姫様になったと思ったら、どうしてどうして、危険度は全然変わらないじゃねぇか……。ダイナマイトが猫を被ってんのか……」

と、意味不明な述懐をする。

「……叔父さまのおっしゃることはよくわかりませんけれど、この人しかいないのではないかと思います」

 私はそう言いながら、リストのある人物の名前を指さした。花御殿で働いていたこともあるから、人となりはある程度知っている。それに、私が女医学校に通い始めた頃、お父様(おもうさま)の侍従武官をしていたはずだ。恐らく、お父様(おもうさま)への忠誠心は、このリストのメンバーの中でも相当高いと思う。問題は、梨花会の面々の企てに協力してくれるかどうかということと、叔父を使いこなすだけの能力があるかということだ。

「これ以上は、もちろん私の一存だけでは決められません。はぁ……面倒ですけれど、相談するしかなさそうですね。もうそろそろ来てくれるでしょうし……あ、でも、必要なところへの根回しや連絡、全部私がしないといけないのかしら。流石に、当直明けだから、それは勘弁してほしいけれど、“修業”と言われてしまったらそれまでだし……」

「え、そ、相談?修業?……妃殿下、一体何のことですか?」

 キョトンとしている叔父に、

「叔父さま、ここで少し待っていてくださいね。私、玄関まで出てきますから」

こう言い残すと、私は微かに感じた、優しくて暖かい気配を確かめるために、玄関へと向かったのだった。

※リストに挙がっている人物たちの経歴は、一部実際とは異なっています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 鷹司煕通公爵でしょうか。 他の作家さんの作中に侍従武官として準主役で登場しています。
[一言] 三条さんもしっかり自分のいなくなった後を考えていたということでしょうか。 補佐役ということで知恵袋をしっかり教育したこともだし千草さんという人選も。 当時の帝との距離感という意味では鷹司さん…
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