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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第49章 1909(明治42)年白露~1910(明治43)年清明
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3人目の父

 1910(明治43)年4月17日日曜日午前7時15分、青山御殿。

「梨花叔母さま、すごくきれいです」

 髪をおすべらかしに結い、五衣(いつつぎぬ)唐衣裳(からぎぬも)を身につけた私を、目をキラキラ輝かせながら見上げたのは、兄夫妻の長女、つい先日6歳になったばかりの希宮(まれのみや)さまだ。この9月から華族女学校の初等小学科に入学する希宮さまは、叔母の贔屓目を抜きにしても、とても賢くて可愛い。

「私は章子だよ、希宮さま。ありがとう、褒めてくれて」

 私は微笑して姪っ子に答えると、

「希宮さまも大人になって結婚する時には、こういう装束を着るのよ」

と優しい声で教えてみた。

「んー……」

 希宮さまは首を傾げると、

「わたし、乃木と剣道してる方がいいなぁ」

と、とても可愛らしい笑顔で私に言った。

(はぅ……可愛い……)

 私が姪っ子の愛くるしさを、思う存分堪能していると、

珠子(たまこ)ったら、またお転婆なことを言って……」

希宮さまの後ろから、母親の節子(さだこ)さまが苦笑まじりにたしなめた。

「別にお転婆でもいいじゃない。私も節子さまも、昔はお転婆って散々言われたし」

「そうですけれど、章子お姉さま……余りに勇ましいことばかり言っていると、初等科で浮いてしまうのではないかと心配で……ほら、珠子は4人きょうだいの中で1人だけ女の子ですから、学校では女の子のお友達をたくさん作ってほしいんです」

 私がなだめると、節子さまは更にこう言って、小さなため息をつく。幼い頃は、私と木登りや鬼ごっこに興じ、華族女学校の先生方を“このお転婆な子は!”と困らせていた節子さまは、私より学年は1つ下だけれど、今は迪宮さまを筆頭とする4児の母親だ。そして、たった1人の女の子である希宮さまのことを、節子さまは特に気に掛けているようだった。

 と、

「節子、大丈夫だよ。次第に他のことにも興味が出てくる」

節子さまの隣に立っていた兄が、優しく節子さまに声を掛けた。

「それに、章子も節子以上にお転婆で、今では軍人になっているが、立派な淑女(レディ)ではないか。珠子の天質を()め過ぎるのも良くないと俺は思う」

「それは、その通りですけど……」

 少し不満げに言う節子さまの頭を、兄が優しく撫でる。すると、“仕方ないですねぇ”と言いたそうな表情で、節子さまが軽いため息をつき、兄と目を合わせると、微笑を交わして頷きあった。相変わらず、兄と節子さまは仲が良いようだ。

「……節子さま、私が子供を産んだら、子育てのこととか、色々教えてちょうだいね。私、そういうことは全然わからないから」

 私より年下だけれど、頼りになる兄嫁さんにこうお願いすると、

「任せてください。お姉さまには、たくさん助けてもらいましたから、今度は私がお姉さまを助けますね!」

節子さまはニッコリと笑って、首を縦に振ってくれた。

「試着の時より、更に美しさが増して、威厳も加えている。こんなお前を見たのは、本当に久しぶりだ」

 兄は私を、眩しそうに見つめている。兄のそばには、長男の迪宮(みちのみや)さま、次男の淳宮(あつのみや)さま、三男の英宮(ひでのみや)さまもいて、私の装束を物珍しそうに眺めていた。日曜日で学校も幼稚園もないので、賢所に出発する直前の私を見に来ることができたのだ。

「お前の幸せそうな嫁入りを見ることが出来て、俺は本当に嬉しいよ。お前は俺の誇りの愛しい妹だから、たくさんの幸せを掴んで欲しいのだ」

 兄は私に近づくと、私の右手を握った。

「お前とすぐに会えなくなるのは寂しいが、それは今までもあったこと。栽仁(たねひと)も夫としてお前を守るだろうが、俺も兄としてお前を守るのは変わらぬ。だから、困ったことが起きたら、遠慮なく俺を頼れ」

「ありがとう、兄上。お言葉に甘えさせてもらうね」

 今にも泣き出しそうな兄の目を見つめながら、私は微笑んだ。

「私も、栽仁殿下と結婚しても、兄上の妹で、兄上の主治医なのは変わらないよ。まだまだ未熟だけれど、医学以外の色々なことを出来るようになって、兄上をあらゆる苦難から守れるようになるからね」

 私がこう言うと、兄の目から一粒、涙がこぼれた。

 その時、

「増宮さま、お迎えの方が、霞ヶ関からいらっしゃいました」

障子を隔てた廊下から、大山さんの声がした。賢所まで行く馬車の列に、私を有栖川宮家に迎えるための使者という名目で、有栖川宮家の職員の一人が加わることになっている。その役の職員さんが到着したようだ。

「そうか、では、俺たちは花御殿に戻るか」

「お姉さま、また夜に」

 兄と節子さまは私に口々に言うと、子どもたちを促して部屋を去っていった。

「梨花さま、お迎えの方にお会いになりますか?」

 廊下の向こうから、私1人だけになった部屋に、大山さんの声が流れてくる。

「ここを出発するのは8時過ぎでしょう?急がなくてもいいと思うわ」

 私はそう答えて、

「それより、大山さんと2人きりで話がしたい」

と、障子の向こうに呼び掛けた。

「かしこまりました」

 頭を下げる気配の後、障子が開けられて、大山さんは静かに部屋に入ってきた。


「装束が、本当によくお似合いでございます」

 金糸で横菊模様が刺繍された黒い大礼服を着た大山さんは、部屋に入るとそう言って私に頭を下げた。

「春に伸びゆく新芽のような萌黄色の美しい唐衣、その美しさを圧倒する、梨花さまからあふれ出る気品……陛下のご長女として、申し分ないお姿です」

「ありがとう、大山さん」

 私は大山さんに微笑んだ。

「今朝は身支度があって3時半に起きたから、本当はかなり眠いのよ。油断するとあくびが出てしまいそう。それに、一昨日、栽仁殿下がネックレスを首に掛けた時から、ずっとふわふわする。今も掛けたままだけれど、雲の上を歩いているような、何かに優しく抱き締められているような感じが続いていて……」

 私がそう言うと、

「お辛くはないですか?」

大山さんは優しく尋ねる。

「辛くはない。むしろ、心地いい」

 私は首を左右に軽く振ると、

「大山さん、そばに来てちょうだい。伝えたいことがあるの」

と大切な臣下にお願いした。彼が私のそばまで歩いてきたのを確認すると、

「大山さん」

私は口をゆっくり開いた。

「あなたと出会ってから20年以上、そして、私とあなたが君臣の契りを結んでから20年近く経つ。いつもあなたは私を見守っていてくれて、時には褒め、時には叱りながら、私を教え導いてくれた。私がここまで成長出来たのは、大山さんのおかげだと思っている。だからお礼が言いたいの。……今まで、本当にありがとう」

 私が頭を下げると、

「もったいないお言葉を……」

大山さんも私に向かって一礼した。

「臣下の分を超えての振る舞いも多かったと思っています。それが、お礼の言葉を梨花さまから頂戴するなど……望外の喜びでございます」

「何を言っているの」

 私は大山さんの言葉を苦笑しながら否定した。

「私はこの時代の常識を知らないから、私に教えることはとても大変だったと思う。それに、私は前世で極端な生き方をしていたところもあったから、その考え方の癖を直すのは、途方も無く難しい作業だったはずよ。けれど、大山さんは根気強く私を教え導いて、育ててくれた。それこそ、本当の父親みたいに……いえ、もはや父親ね、私の」

「恐れ多いことでございます……」

 再び頭を下げた大山さんの声は震えていた。

(おい)のことを、父とは……」

「別に不思議なことではないわ、私にとっては」

 私は大山さんに微笑んでみせた。

「私には、母親が3人いる。前世の母と、お母様(おたたさま)と、母上。3人とも、私の大事な母親よ。なら、父親が3人いてもいいじゃない。前世の父と、お父様(おもうさま)と、大山さん……大山さん、あなたは私の3人目の父親よ」

「梨花さま……」

 大山さんは涙を流していた。思いがけなく彼の主君になってから20年近く、彼の涙を見るのは初めてのことだ。それを意識した瞬間、私の視界も涙でぼやけた。

「大山さん、今まで本当にありがとう。でも、まだ、これで終わりじゃない。あなたには、私が上医になるところを見てもらわないといけない。だから、これからもよろしく。私も、あなたに飽きられないように頑張らないと」

 わざとニッコリ笑いながら私が言うと、

「……それはよいお心掛けでございます」

大山さんも、涙を拭かないままニヤリとした。

「若宮殿下とのお幸せもたっぷり味わっていただきながら、上医を目指して、更にご修業を積んでいただかなければなりません。今後も、有栖川宮家の別当として梨花さまに付き従い、梨花さまを鍛えるつもりでおりますから、よろしくお願い致します」

「相変わらず、手厳しいわね」

 いつもの大山さんに戻ったな、と思いながら、私は軽く頷いた。


 午前8時5分。

「輝仁さま」

 青山御殿の玄関。付き添ってくれる千夏さんと一緒に、私は輝仁さまの前に立った。

「今まで、色々とありがとう。輝仁さまと一緒に暮らせて、私自身も色々な発見ができたし、本当に楽しかった。これからも、航空士官を目指して頑張ってね」

(ふみ)姉上……」

 幼年学校の制服を着た輝仁さまは、涙がたまった目で私を見つめた。輝仁さまはじめ、私のきょうだいたちは、これから賢所で行われる婚儀には出席しない。だから、結婚前に輝仁さまと会うのは、これが最後になる。

「また、会えるよね?」

 不安そうに尋ねる弟に、

「会えるわよ」

私は笑ってみせた。「新婚旅行が終わったら、葉山に住むからね。御用邸から歩いていけるわ。私も栽仁殿下も仕事があるから、留守がちにはなるだろうけれど、休みの日には遊びに来てね」

「分かった。俺、夏は葉山に行くよ。航空士官学校への進学枠が勝ち取れたか、その報告をしないといけないから」

 輝仁さまは、ポケットからハンカチーフを取り出すと、涙を拭って力強い声で私に答えた。航空士官学校の進学枠は3人、対して幼年学校の1学年の人数は250人だ。輝仁さまの成績は入学当初の最下位に近い位置から段々上がり、今では上位10位前後になっている。6月末にある最終試験で良い成績が取れるかどうかで、輝仁さまが航空士官学校に進学できるかが決まる。

「母上」

 私は、真っ赤に目を泣き腫らしている母に呼び掛けた。

「小さい頃から、私を見守ってくれて、私にたくさん愛情を注いでくれてありがとう。私はお母様(おたたさま)の娘でもあるけれど、母上の娘でもある。私は2人の娘であることを誇りに思うよ」

「章子、さん……」

 母の声は、涙で途切れがちになっていた。

「母上、私は母上と長く一緒に暮らせて、本当に幸せだった。いつまでも、元気でいてね。赤坂の家に引きこもってばかりいないで、たまには葉山に来てね」

「分かり、ました……」

 私は少し身体を折り曲げて、母の手を取ろうとした。けれど、装束の重さに阻まれて、なかなか思う通りに動けない。すると、母の後ろにいた東條さんがサッと動き、母の手を私の方に引っ張ってくれた。母の温かい手を、私は両手でギュッと握った。

 千夏さんに手伝ってもらって馬車に乗り込み、賢所へ向かう。私と千夏さんが乗った馬車の後ろには、大山さんや有栖川宮家の職員さんなどが、やはり馬車で付き従っている。馬車の順路が官報で知らされていた訳ではないのに、沿道には大勢の人が出て、賢所に向かう私達を、小さな日の丸の旗を振りながら見送ってくれた。

 宮城(きゅうじょう)に入り、通用門から賢所候所に入ろうとすると、既に栽仁殿下は到着していて、建物の入り口から、私が馬車から降りるところを見つめていた。束帯姿の栽仁殿下と目が合った瞬間、心がほんのり温められるような気がした。

「すごく似合ってる、章子さん」

 周りに、介添の人がいるからだろう。栽仁殿下は、馬車を降りてそばまでやって来た私を“章子さん”と呼んだ。

「あなたも、とてもかっこいい。見とれてしまうわ」

 私がこう応じると、栽仁殿下ははにかんだような笑顔を見せる。けれどすぐに真面目な表情になり、私の目をじっと見つめた。

「どうしたの?」

 栽仁殿下が余りにも真剣な顔をしているので、私が首をかしげた時、

「……あなたを、愛しています」

栽仁殿下は優しい声で、そっと私に告げた。

 私も軽く頷くと、

「私も、あなたを愛しています」

そう栽仁殿下に返したのだった。

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