秋季皇霊祭と10月の梨花会
1909(明治42)年9月24日金曜日午前11時半、皇居。
「章子どの」
秋季皇霊祭が終わり、軍医中尉の真っ白い正装に、勲一等旭日桐花大綬章を付け、車寄せに向かってのんびりと歩いていた私は、後ろから聞こえた声で足を止めた。頭のギアを戦闘モードに素早く切り替え、ゆっくりと振り向くと、そこには紺色の海兵中佐の正装を着た背の高い男性が立っていた。現在戦艦“富士”の副長を務めている華頂宮家の当主・博恭王殿下である。
「そのように驚かれずともよろしいですのに」
面長の顔に微笑を浮かべる華頂宮殿下に、
「申し訳ありません。お声を聞いたのが久しぶりでしたから」
私は儀礼的に頭を下げた。
「そうですね。元日に参内して以来、訓練続きでなかなか参内できませんでしたから。その元日にも、章子どのに皇居でお目にかかれませんでしたから、こうして言葉を交わすのは、約1年ぶりになりますか」
本当は、私は元日に華頂宮殿下の姿を見ている。それに、栽仁殿下を侮辱する彼の声も聞いている。けれど、それは彼が知らなくていいことだし、私も教える気がないので、
「ああ……お正月は、お父様に長いこと引き留められてしまって、溜りの間の前を通りかかった時には、皆さま、広間の方に移動された後だったんですよね。ご無礼を致しました」
と、誤魔化しておいた。
「相変わらず、お美しく、凛々しい軍服姿だ。正に、国軍の女神と言っても過言ではない。このような素晴らしい方と一緒に軍務が出来ること、光栄に思います」
「恐れ入ります」
目を細めて私を褒めそやす華頂宮殿下に、私は機械的に一礼した。
――この青二才め……自らが章子どのの傍らに立つ資格も実力も無いことを、素直に認めたらどうだ?
栽仁殿下への罵りの言葉が、耳の奥に蘇る。いくら私をべた褒めしようとも、私の大切な婚約者をバカにした華頂宮殿下を許すことは出来ない。本当は今からでもぶん殴ってやりたいけれど、ここで華頂宮殿下を殴るわけにはいかないから、お互いの平和のため、ここからさっさと立ち去るのがベストだろう。そう考えた私が、別れの挨拶を口にしようとした時、
「おや、珍しい。章子どのが、そのように物憂げな表情をなさるとは」
華頂宮殿下は、なぜかこんなことを言い始めた。
(物憂げっていうか、不機嫌なんだけどな)
心の中でツッコミを入れた瞬間、
「もしや、何かご心配なことがお有りですか?例えば……そう、ご婚儀のことですとか」
彼は私に2歩、3歩と近づきながら、よく分からないことを私に尋ねる。
「心配なことなど、ありませんわ」
私は反射的に答えた。一瞬だけ、背筋が寒くなった。この人は、一体何を考えているのだろうか。
(さっさと逃げたいけど、挨拶なしにこの場を立ち去るのも礼儀正しくないし、ぶん殴って黙らせるわけにもいかないし……えっと、どうしたらいいかな……)
とっさに判断が出来ず、私がこの場から穏便に逃走する手段を模索し始めた時、
「これは……増宮さまと博恭どのではないですか」
聞き慣れた声が横から聞こえた。栽仁殿下の父親である海兵中将の有栖川宮威仁親王殿下だ。
「これは中将宮殿下。お久しゅうございます」
華頂宮殿下が私から一歩離れ、親王殿下に恭しく頭を下げる。私も黙って親王殿下に一礼した。
「結核で療養なさっていると聞いておりましたが、お身体はよろしいのですか?」
「ええ、増宮さまのおかげで、すっかり良くなりました。博恭どのもお元気そうで何よりです」
華頂宮殿下の問いに、威仁親王殿下はニッコリ笑って答えると、
「……そうそう、正月に、うちの息子を激励していただいたそうで、ありがとうございました」
と続けた。
「私の体調が万全で、新年拝賀に参上出来たら、博恭どののお手を煩わすこともなかったのですけれどね」
笑顔を崩さず、妙に明るい声でこんなことを言う親王殿下に、華頂宮殿下は恐縮したように再び頭を下げる。
「先日、海兵士官学校の卒業式に差し遣わされましたが、うちの息子も長年の努力の甲斐あって、20番で士官学校を卒業できました。これも博恭どのの激励と、本人の努力の賜物でしょう。虫垂炎を患った時にはどうしたものかとハラハラ致しましたが、幸い、増宮さまのおかげで全快し、やっと海兵少尉候補生として一人立ちできました。もう成年式も済ませておりますし、親が変に口出しをすれば、かえって栽仁の成長を妨げてしまうでしょう。ですからどうぞ博恭どのも、栽仁のことはご放念ください」
変わらない調子で話し続ける威仁親王殿下には、なんとも言えない気味悪さがまとわりついていた。それに気圧されてしまったのか、華頂宮殿下は威仁親王殿下に一礼すると、
「お気遣いいただき、誠にありがとうございます。では、私は所用がありますので、これで失礼いたします」
とやや早口で挨拶して、車寄せへと去って行った。その姿が小さくなったのを確認すると、
「さて、大丈夫でしたか、嫁御寮どの?」
威仁親王殿下はおどけた調子で私に話しかける。ぼーっと親王殿下を見つめていた私は、慌てて「はい」と返事した。
「あの……、ありがとうございました。華頂宮さまから逃げ出したかったので……」
威仁親王殿下に頭を下げた私は、
「あ、あの、あんなに棘のあることを言って……大丈夫ですか?」
と彼に尋ねた。
「本当は、もっと攻撃してやりたかったのですよ。正月の拝賀の時に、息子を侮辱した相手ですからね」
威仁親王殿下は澄ました顔でこう言った。
「まぁ、あの時は、私も華頂宮さまのこと、ぶん殴ってやりたかったですけれど」
既に秋季皇霊祭に参列していた皇族や公爵たちは殆ど退出しており、私と親王殿下の周囲には誰もいない。なので、正直に思いをぶちまけると、
「おや、増宮さまも正月の一件、ご存じだったのですか。栽仁が話したのですか?」
親王殿下は意外そうな表情をした。
「あー、そうじゃなくて、物陰に潜んで、一部始終を聞いていたんです。華頂宮さまをぶん殴ってやりたかったんですけれど、一緒にいた大山さんに止められてしまって」
「そうでしたか。それは幸いなことでした。増宮さまが殴ったら、博恭どのの顔が、馬を通り越してヘチマになってしまう」
「大兄さま!」
軽く睨みつけると、親王殿下はクスクス笑う。また、私のことをからかっているようだ。きっと私の舅になっても、この調子で私をからかって遊ぶのだろう。
と、
「そう言えば昨日、増宮さまがお帰りになってから、栽仁から手紙が届きましたよ。“秋津洲”で元気にやっているようです」
親王殿下が言った。栽仁殿下や東小松宮輝久王殿下を含む、140人の海兵少尉候補生たちは、9月1日に士官学校の卒業式を終えると、“千代田”“秋津洲”“高砂”に分乗して訓練航海に出た。栽仁殿下は“秋津洲”に、輝久殿下は“高砂”に乗っているそうだ。
「増宮さまのところには、栽仁から便りが届きましたか?」
「はい、昨日の夜に。多分、大兄さまへの手紙と、一緒に出したんだと思います。手紙が来たのは嬉しいんですけれど、あと半年も、栽仁殿下に会えないと思うと、気が滅入りますね……」
そう言って私がため息をつくと、
「こちらとしては、あと半年で、増宮さまが我が家の嫁にふさわしい字を書けるようになるかが心配ですよ」
親王殿下はそう言って、大げさに両肩を落とした。
「だ、だから頑張ってるじゃないですか。今でも、週2回、そちらにお邪魔していますし」
私は慌てて親王殿下に反論する。親王殿下の結核の治療は8月に終わったけれど、私は毎週月曜日と木曜日、霞が関の有栖川宮邸に通い、有栖川宮流の書道を習い続けていた。
「ええ、そうですね」
親王殿下はニッコリ笑うと、急に真面目な表情に変わり、
「ですからこの週末、昨日出した宿題はきちんと終わらせるようにしてください。前回は当直があるということで宿題は無しにしましたが、明日、明後日はお休みだと大山閣下に伺っております。気を抜かずに、しっかり宿題を仕上げてください」
と厳かな調子で私に言った。
(うわぁ……)
これは真面目に宿題をしないと、大変なことになる。いつも、ちょっとでも気を抜くと、書いたものに容赦なく朱筆を入れられてしまうのだ。もし宿題の出来が悪ければ、紙が朱筆で真っ赤に染まってしまうだろう。観念した私は、未来の舅に「かしこまりました」と深々とお辞儀したのだった。
1909(明治42)年10月9日土曜日午後3時、皇居内の会議室。
「で……先月は、伊藤が女好きということを確かめて終わったが、その後、何か伊藤を守る策は出来たのか?」
兄と私も参加して行われる月に1度の梨花会。用意された議題が話し合われた後、お父様は出席者一同に問いかけた。
「陛下!」
頬を赤く染めた伊藤さんの横から、
「わしも色々と考えましたが……」
と、山縣さんが真面目な表情で言った。
「まずは、“史実”の俊輔の暗殺事件と一致する状況を、少しでも減らすのが肝要かと存じます」
「なるほど、なるほど。それで避けられた事故も多いですからな。“千島”の沈没や“三笠”の爆沈事故……」
山縣さんの言葉に、西郷さんがのんびりと言葉をかぶせる。確かに、伊藤さんの交通事故の直後に“史実”で起こるはずだった“千島”の沈没事故は、“千島”の出航の日付や航路を変えたために発生していない。それに、“史実”の日本海海戦の直後に起こった“三笠”の爆沈事故は、斎藤さんの進言で、積み荷の弾薬を陸に下ろし、発生を回避することが出来た。
「ということは、まず、伊藤さんが、暗殺事件の発生場所にあるハルビンに行かないというのが大事でしょうか?」
私が一同に確認すると、
「ああ、それなら、申し出を断っておいて正解でした」
農商務相の牧野さんが大きく息を吐いた。
「ん?どういうことや?」
三条さんの問いかけに、
「実は、朝鮮の袁世凱から、新イスラエルと清本国と一緒に、満州の資源開発に参加しないか、という誘いがあったのです」
と牧野さんは答えた。
「しかし、我が国は、朝鮮に手を出さないことが大原則。当然、その先にある満州にも、下手に手出しはしない方がよいでしょう。それに、満州で採掘できる可能性のある資源の主なものとしては、石炭や鉄鉱石、石油ですが、石炭は国内生産で十分に賄えますし、鉄鉱石は清本国から輸入出来る量で足ります。石油は将来的に、満州産のものを輸入することも考えなければいけませんが、現時点では新イスラエルからの輸入と国内生産分で賄えます。ですから、陸奥総理とも相談して、“とりあえずは朝鮮・清・新イスラエルで話を進めてください”と返事をしたのですよ」
「それは確かに、我が国の原則に適っているが、それと伊藤議長の暗殺の可能性とが、どう関係してくるのだ、牧野大臣?」
牧野さんの説明に、兄が首を傾げる。私も話のつながりが見えなかったので、牧野さんをじっと見つめていると、
「ああ、これは失礼いたしました、皇太子殿下。実は、新イスラエル・清・朝鮮の、満州における資源開発についての協議は、10月26日に行われる予定なのです。ハルビンで……」
牧野さんはこう言って、兄に向かって深く頭を下げた。10月26日は、伊藤さんがハルビンで暗殺された日付だ。もし、袁世凱からの申し出を受けていたら、伊藤さんが“史実”と似た状況でハルビンに行くことになってしまった可能性もある。
「ありがとう、牧野大臣。よく分かった。……それから、伊藤議長は“史実”で、列車を降りたところで殺されたと言っていたから、列車に乗らない、というのも大切か」
兄は牧野さんに頷くと、喋りながら一同を見渡した。
「一応、暗殺事件の時にいた人たちと会わないっていうのも必要かな、兄上?確か、伊藤さんに“史実”の記憶が合流した時、何人かの名前を言っていた。ええと、川上、室田、満鉄の中村、ココツェフ……」
「よく覚えていらっしゃいます。流石は増宮さま」
私が記憶を思い出しながら言うと、伊藤さんが私に軽く一礼する。
「わしが“史実”のあの時に会談したココツェフどのは、この時の流れではロシアの大蔵大臣をしておりますが、本国から出る予定はしばらくないと聞いています。それから、“史実”でハルビン総領事としてわしに付き添った川上は、ウラジオストックにいます。室田は第百十国立銀行の頭取として山口におりますし、満鉄の総裁をしていた中村は、今は大蔵省にいます。さて、問題は、“史実”でもこの時の流れでも、わしの秘書官をしている古谷ですが……」
「古谷君以外の人間は伊藤殿に近づけないようにできますが、古谷君は困りましたね。枢密院議長秘書官という立場ですから、伊藤殿が出勤すれば、必ず伊藤殿に付いてくることになります」
伊藤さんの言葉に、陸奥さんが珍しく難しい表情で付け加える。
「じゃあ出勤しなければいい……ってことにはなるが、かといって、花街で遊び惚けられたら、俊輔に女を寝取られた奴にグサッとやられるだろうしなぁ」
伊藤さんの親友である井上さんが、ニヤニヤしながらこう言うと、
「流石にその日は遊べんよ。いや、玄人の女を抱きたいのは山々なんじゃが」
伊藤さんは真顔で答えた。
「では、宮中にいればよかろう」
お父様の提案に、
「恐れながら陛下、実は、“史実”でのあの時、森という秘書官も同行させていたのですが……」
伊藤さんはさっと頭を下げて返答する。
「ん?森?まさか、山縣の秘書官の森か?」
「さようでございます。確か、わしが意識を失う間際、あれも撃たれたと聞いたような……」
お父様に答え、考え込んでしまった伊藤さんに、
「じゃあ、青山御殿はどうですか」
と私は言ってみた。
すると、伊藤さんは席を立ち、私のそばまで歩み寄ると、
「是非お願いいたします」
そう言いながら私に最敬礼をした。
「恐れ多きことながら、“史実”では、増宮さまは満1歳にならないうちに薨去されておられますから、“史実”のわしとほとんど接点がありません。それに、青山御殿なら、院の警備も手厚いでしょう。是非、10月26日は青山御殿に参上させてください」
「ちょっと待ってください。古谷どのと森どのを、10月26日には東京から離れたところにいるよう、適当に出張を言いつければいいだけの話ではないですか?」
原さんがあきれ顔で伊藤さんにツッコミを入れたけれど、
「いいや!万が一、列車が事故で運休すれば、古谷も森も、東京から離れられない!」
伊藤さんは大真面目に反論する。
「ここはやはり、わしが26日に青山御殿に参上して、増宮さまのおそばで時を過ごさせていただくのが一番確実……」
そう主張しながら、伊藤さんがギラギラした目つきになったその時、
「ならん!ならんぞ、俊輔!」
山縣さんが椅子から勢いよく立ち上がった。
「貴様、単に増宮さまのおそばにいたいだけじゃろう!断じて許さん!この山縣、老いたりとは言えども一介の武辺、増宮さまの御身はわしが守る!」
「山縣閣下のおっしゃる通り!不肖、後藤新平、増宮殿下の盾代わりとなり、伊藤閣下の魔の手から、増宮殿下を守り抜きます!」
厚生大臣の後藤さんも、顔を怒りの色で染めながら叫ぶ。
「そんなら、俺を忘れてもらっては困るのう。俺も、国軍大臣を長く務めた身。増宮さまの御身は守れるつもりじゃ」
「待ってください、信吾どん。俺も現役を退いたとはいえ歩兵大将。増宮さまは俺が守ります」
西郷さんと黒田さんが、顔に不気味な笑みを湛えながらゆらりと立ち上がる。
「黒田さんが出られるのなら私も出ます。骨折も治りましたし、これでも戦場に身を置いていたことはあるのです」
「前大臣ばかりにいい顔……ではない、前大臣にご迷惑を掛ける訳にはいかない!この俺が国軍大臣として、増宮さまをお守りいたします!」
「権兵衛!大臣が軽々しく本陣を動いてはいかん!ここは次官の俺が出る!」
「次官も本陣にいるのが肝要だろう。ここはこの児玉が増宮さまのおそばに……」
山田さん、山本さん、桂さん、児玉さんが次々と席を立ち、自分の意見を力説する。
(えっと……伊藤さんを守る相談をしてたのが、何で私を守る相談になってんだ?)
訳が分からない上に、場も混乱している。各々が言葉をぶつけ合い、収拾がつかなくなったその時、私の全身を嫌な感覚が襲った。これは……我が臣下の、フルパワーの殺気だ。百戦錬磨の強者揃いの梨花会の面々が、大山さんの白刃のような視線を浴びせられた刹那、途端に顔面を強張らせて黙り込んだ。
「静かになりましたね、梨花さま」
「静かにはなったけどさぁ……もうちょっと、平和な黙らせ方はなかったの?」
私のため息をつきながらのツッコミに大山さんは答えず、
「少し話がそれましたが、26日は青山御殿に伊藤さんをお招きするのが一番よいでしょう。青山御殿なら、警備も万全に出来ます。それに、青山御殿で働いている人間は、基本的には女遊びはしませんから、伊藤さんに女を取られた恨みも抱いていないでしょう」
と、涼しい顔で言った。
「……じゃあ、それで決まりね。26日が休みだったか覚えてないけど、私の出勤で警備の人手を取られたくないから、26日は1日休む。大山さん、休みの調整をお願いね」
私の命令に、大山さんは「かしこまりました、梨花さま」と一礼する。こうして、10月26日、“史実”での伊藤さんの暗殺事件発生日、私は青山御殿で、伊藤さんと大山さんと一緒に過ごすことになったのだった。
※「山本五十六の江田島生活」(原書房、1981年)によると、海軍兵学校での栽仁王の実際の成績は上位3分の1くらいの位置だったようです。
※資源産出量についてはかなり適当に設定しています。ご了承ください。




