披露宴×13
1909(明治42)年8月26日木曜日午後3時、神奈川県葉山村にある有栖川宮家の別邸。
「そ、そんなにやるんですか、大兄さま……」
親王殿下が主催した昼食会に招かれ、それが終わった後、応接間で紅茶をいただいていた私は、有栖川宮家のご当主で、私の婚約者・栽仁王殿下の父親でもある威仁親王殿下の発した言葉を、青ざめながら確認した。
「ええ、そうなりますね」
私に驚くべきセリフを放った威仁親王殿下は、澄ました顔をしている。9か月にわたる結核の治療を先週木曜日に終えた親王殿下は、すっかり元気になっていた。
「まず、婚儀の当日の夜に、宮中で晩餐会があるんですよね……」
私はそう言いながら、右手の指を1本折り曲げた。
「はい。陛下が主催される晩餐会です。両陛下に、皇太子殿下と皇太子妃殿下をはじめとする各皇族方、枢密院議長や内閣総理大臣、閣僚や公爵の方々、それに各国の大使・公使が招かれる予定です」
私の左隣に座った大山さんが、私に微笑しながら答えてくれた。この国の非公式の諜報機関・中央情報院の総裁という裏の顔を持つ彼だけれど、表の仕事である青山御殿の別当という仕事も、決して手を抜くことは無い。晩餐会への出席予定者がサッと出てくるあたり、既に計画は綿密に立てているのだろう。
「その次の日にも祝宴があるんですよね、父上?」
私の右隣で、親王殿下に尋ねたのは、海兵士官学校の白い詰襟の制服を着た栽仁殿下である。明日にはこの葉山を発って、海兵士官学校のある江田島に戻る彼は、来月1日に士官学校を卒業すると少尉候補生となり、半年間の練習航海で実地訓練を受けることになっていた。
「うん、昼に、宮家当主でない皇族、各省庁の次官級や東京市長を招いての昼食会、夜は宮家の当主、内閣総理大臣、それに東京府知事や閣僚たち、各国の大使・公使を招いて晩餐会をして、その後に夜会だね」
ゆったりとした口調で息子に答える親王殿下に、
「その晩餐会、いや、昼食会も、開く必要がないですよね……。晩餐会なんて、お父様が主催する晩餐会と、出席するメンツがほとんど一緒だし……」
ため息をつきながら私がツッコミを入れると、
「何を仰せられますか」
と親王殿下はニヤッと笑った。
「婚礼の儀当日の晩餐会は、あくまで陛下が主催なさるものです。我が有栖川宮家が主催する披露の宴を主催しなければ、各宮家に対して失礼に当たります」
「で、ですけど、私の時代だと、披露宴を複数回開くのって、あんまり聞いたことがなくて……」
何とか親王殿下に抵抗しようと試みたけれど、
「梨花さま、そこは従っていただかなければ困ります。この時代の皇族では、これが一般的なのですから」
非常に有能で経験豊富な我が臣下が、左側から穏やかな声で私に言った。その瞳には、いつもの優しくて暖かい光は無く、不穏な輝きがちらついている。このまま逆らい続ければ、きっと私にとって悪いことが起こるだろう。
「分かったよ……。じゃあ、これで、2、3……4回か」
私は右手の指を更に3本、順番に1本ずつ折り曲げた。……まずい。このままだと、確実に片手だけでは数えられなくなる。
「国軍の幹部を招いての食事会も主催するんでしたよね、父上?」
「そうだな。お前も増宮さまも軍籍を持つ身。軍のお歴々に2人の晴れ姿を披露するのは当然だからね」
威仁親王殿下は栽仁殿下に嬉しそうに答えると、
「それと、増宮さまのご勤務先の築地国軍病院の主だった面々や、栽仁の配属先の軍艦の幹部や水兵たちも招いて、園遊会も開かなければならないね」
と付け加える。確かに、栽仁殿下は訓練航海が終わった4月には海兵少尉になって、軍艦のどれかに所属することになるだろう。親王殿下の言っていることは、一応筋が通っている。
(でも、栽仁殿下が“三笠”みたいな戦艦に配属されたら、園遊会に招く人の数、すごく多くなりそうだな……)
そう思っていると、
「それから、お2人の学生時代のご友人、それに恩師の方々も招かなければならないでしょう。こちらも人数が多くなりますから、園遊会として、立食での供応とすればよろしいかと」
私の横から大山さんが言った。
「大山さん。それ、女医学校の同級生や吉岡先生も招かないと、不公平になっちゃうよ……」
だから、学生時代の友人や恩師を招くのは止める方がいいのではないか、と言おうとした瞬間、
「ならば、女医学校の方々は、医科研や医科大学、それから産技研の方々をお招きになる時に、一緒に招かれればよろしいのではないでしょうか。女医学校の方々も、医科研や医科大学の方々と、医学の話題で交流を深めることができましょう」
大山さんが私に見事な反論をした。余りにも完璧な論理だったので、私の反対意見は口の中で一気に崩れ去った。
「親戚への披露もしなければなりません。義母上の実家の溝口家、慰子の実家の前田家、實枝子の嫁ぎ先の徳川家、増宮さまのご生母のご実家の千種家、それから皇后陛下のご実家の一条家……。もちろん、増宮さまの御きょうだいにも、ご出席を賜らなければ」
(千種の叔父さまが逃げ出しそうだけど……大丈夫かな)
反対するのを諦めた私は、親王殿下の言葉を聞きながら、叔父の千種有梁さんのことが心配になった。貴族院議員である叔父は、私以上に堅苦しいことが苦手だ。けれど、この披露宴には頑張って出席してもらわないといけないだろう。
「それから、梨花会の面々を別日に招いて、晩餐会を開かなければなりません」
大山さんの言葉に、
「あの人たち、私の披露宴に何回出席するつもりなの……」
私は呆れながらツッコミを入れた。
「初日のお父様の晩餐会に出て、有栖川宮家主催の食事会にも出て……」
すると、
「恐れながら梨花さま」
ため息をついた私に、大山さんが反論した。
「高野は、それらの宴会には出席できません。たとえ未来の連合艦隊司令長官であっても、現在、一航空中尉である人間を、国軍の幹部に紛れ込ませるわけにはいきませんからね」
「分かったよ……。じゃあ、私と栽仁殿下の結婚で開かなきゃいけない食事会や園遊会は、合計で10回ってことに……」
何とか、両手の指で数えられたようだ。折り曲げた指の数を確認しながら、私が呟くように言うと、
「まだありますよ、増宮さま」
威仁親王殿下が、なぜか楽しそうに言った。
「京都にいる、かつて我が有栖川宮家に仕えていてくれた者たちやその子孫たちに、増宮さまと栽仁の晴れ姿を披露しなければなりません。ですから、京都でも披露の宴を開きます」
「え……ということは、それが追加で、披露宴が合計11回……」
半ば呆然としながら、私が親王殿下に答えると、
「それからね、章子さん」
右から栽仁殿下が私に声を掛けた。
「章子さんが女医学校でお世話になった人を招くなら、僕も、海兵士官学校でお世話になった先生方を招いて、披露宴を開きたいんだ」
「士官学校の先生方……ってことは、やっぱり京都で?」
「ううん、広島で。なるべくたくさんの先生方に参加してもらいたいから。だから、京都での予定が終わったら、足を延ばして広島に行こう」
「ちょっと待って、栽仁殿下。そうなると、私も広島の国軍病院の先生方を呼ばないといけなくなるし、第一、披露宴を何回も開いているうちに、結婚休暇が終わっちゃって、広島に行く暇なんてなくなるんじゃ……」
余りにも、実現が困難そうな計画に、私は慌ててストップをかけたけれど、
「ふむ、それは至極当然だ」
「広島の国軍病院の幹部や、第5軍管区の司令部も招くとなりますと、泉邸でも2回に分けなければ客が入りきらないでしょうから、2回披露宴を開けばよいですね」
年長者たちが微笑しながらこう言ったので、私はその場に崩れこんだ。
「う、ウソでしょ。披露宴を13回やるなんて……。確かに、伊都子さまが、“結婚の時、披露宴を10回以上やらないといけなかったからしんどかった”って言ってたけど……」
伊都子さまは、華族女学校で私の1年先輩に当たり、梨本宮家のご当主・守正王殿下に嫁いでいる。守正王殿下は私のことを怖がっているけれど、伊都子さまは私を怖がることはなく、たまに宮中などで会うと、私と気楽に会話をしていた。
「披露宴をそんなにやって、勤務に穴を開けちゃったら、病院の人たちに迷惑が掛かるし、栽仁殿下の配属された軍艦にも迷惑が掛かるよ……」
両腕で頭を抱えながら私が呟いていると、
「梨花さま、頭をお上げください」
我が臣下の声が上から降って来る。いつもと違う厳しい調子に、私は慌てて身体を起こし、背筋を正した。
「梨花さま、梨花さまの御結婚に伴う一連の披露宴は、梨花さまが若宮殿下の妃になられたことを内外に示す、大事な儀式でございます。贅沢や華美なものを嫌われている梨花さまが、披露宴の回数を何とか減らしたいと思われるお気持ちは非常によく分かるのですが、これは内親王としての格式を保つためにも大事なこと。ですから、ご辛抱のほどをよろしくお願いいたします」
大山さんはそう言い終わると、じっと私の目を見つめた。父親代わりのような大切な臣下にこう言われてしまっては、私は反論することはできない。
「……しょうがない。諦めるよ」
私は両肩を大きく落としながら、大山さんに答えたのだった。
午後4時30分。
披露宴などに関する打ち合わせを終えた私は、栽仁殿下と手をつなぎ、葉山村の海岸沿いの道を、御用邸別邸に向かって歩いていた。本当は、大山さんと一緒に別邸に戻る予定だったのだけれど、
――送っていきます。
栽仁殿下がそう言ってくれたので、栽仁殿下と私が一緒に歩き、大山さんは20mほど後ろからついてくることになったのだ。明日には、栽仁殿下は江田島に行ってしまうし、私も帰京する。栽仁殿下の申し出は、彼と少しでも長い時間を過ごしたい私にとっては、とてもありがたかった。
「またこれで、半年、会えなくなっちゃうのか……」
呟くように私が言うと、
「そうだね……」
栽仁殿下も寂しそうに応じた。栽仁殿下は、士官学校の卒業証書を受け取ると、すぐさま呉の港から練習航海に出ることになる。日本各地を航海した後は、年末から海外への航海に入り、ハワイや北アメリカの太平洋側を回って、来年の3月末に横須賀に戻る予定だった。
「やり取りに時間はかかるけど、手紙は届く。だから、完全に連絡が取れないってわけじゃないですよ」
慰めるように言う栽仁殿下に、
「うん、それは分かるけど……やっぱり辛いね。私の時代みたいに、スマホがあったらなって思っちゃう」
私はため息をつきながら答え、
「それに、キスに対する辛さや苦しさも、全然消えないし、私、どうしたらいいんだろう……」
と両肩を落とした。
10日ほど前、栽仁殿下の前でフラッシュバックを起こした後、私は毎日彼と会い、彼に手を握ってもらいながら、前世の無様な失恋のことを話していた。“次に同じ話をする時には、もう辛さが蘇ることがないように”と思いながら、あの時の辛さや惨めさを、精一杯吐き出し続けているけれど、あの失恋で受けた衝撃は、依然として消えない。
すると、
「少しはマシになってきていると思いますよ」
栽仁殿下は私に微笑を向けた。
「梨花さん、話が最初に止まる場所が、少しずつ後ろにずれているんだよ。最初は、あの男に恋をした、って所で、梨花さんは苦しくなって話を止めていた。けれど、昨日、最初に話が止まったのは、梨花さんがケーキを作ったところだった」
「そうなの?」
私は首を傾げた。あの話をする時は、辛さを吐き出すので頭がいっぱいになっていて、話が最初に途切れる場所がどこかなど、気を回す余裕が全く無いのだ。
「そうだよ」
栽仁殿下は頷くと、
「だから、梨花さんの辛さ、少しずつ軽くなってきているんじゃないかな。梨花さんの努力は、決して無駄じゃないと僕は思うよ」
と優しい声で言った。
「だから、僕が帰る頃には、状況はきっと良くなっている。そう信じようよ、梨花さん」
「そうね……わかった。私も、そう信じてみる」
私は、口元を少しだけ緩めた。どうしてだろうか。栽仁殿下の言葉を聞いていると、下を向いていた心が、だんだん上向いてくるのだ。
「辛さを吐き出せるのが栽さんだけ、ってことはないんだ。大山さんもいるし、兄上もいる。お母様が忙しくなければ、お母様に話したっていいんだ。少しでも……少しでも状況を良くするように、頑張ってみるよ、私」
「その意気だよ、梨花さん。僕も、訓練航海を乗り越えられるように頑張るから、目標を達成できるかどうか、2人で競争だね」
栽仁殿下がそう言った時、私たちは御用邸別邸の門の前に到着してしまった。この門をくぐって、別邸の玄関に入ってしまったら、栽仁殿下とは半年の間、会えなくなってしまう。
「た、栽さん、あのさ……」
門をくぐった時、栽仁殿下にこう呼びかけてみたけれど、恥ずかしくなってしまい、私は彼から顔を背けた。
「どうしたの、梨花さん?」
足を止めて私に尋ねた栽仁殿下に、
「ギュって、して……」
私は最大限の勇気を振り絞ってお願いした。けれど、口から出た声は、驚くほど小さく、
「え……?梨花さん、何て言ったの?」
栽仁殿下は私の方に一歩踏み出しながらこう尋ねた。
「え、えと、えっと、だから……その……」
顔が真っ赤になってしまっているのが分かる。脈が速くなり、身体がどんどん熱くなっていくのが感じられる。理性が吹き飛ばされそうになる中、私は何とか口を動かして、
「抱き締めて、欲しい……」
と、栽仁殿下に何とか伝えた。
「……分かりました」
栽仁殿下は、身体を更に私に近づけると、空いている右腕で私の身体を抱き寄せてくれた。
「栽さん、元気でね。私、毎日、栽さんの無事を祈ってるからね」
胸の中でくぐもってしまった私の言葉に、
「ありがとう、梨花さん。僕も、梨花さんの無事を毎日祈ります。訓練航海を乗り越えられるように、梨花さんにふさわしい、立派な軍人になれるように頑張りますね」
栽仁殿下は優しく、力強い声で答えてくれた。
「私も、頑張る。辛い思い出を、乗り越えられるように……」
涙が溢れてきて、私は顔を慌てて栽仁殿下の肩に押し付ける。すすり泣きを続ける私の頭を、栽仁殿下はぎこちない手つきで、そっと撫でてくれたのだった。




