2つの半島
1909(明治42)年5月10日月曜日午前10時半、麴町区霞ケ関1丁目・有栖川宮邸の書斎。
「では、書道はここまでにしましょうか」
常盤色の和服を着たこのお屋敷の主・有栖川宮威仁親王殿下の声に、当直明けの私は筆を置くと、大きな息を吐いた。毎週月曜日と木曜日に、威仁親王殿下に抗結核薬を注射して、その後、有栖川宮流の書道を彼に教わるという生活が始まってから約半年。親王殿下の体調は確実に良くなっているけれど、私の字は上達しているのかいないのか、よく分からない。
と、
「だいぶ、筆を使うのに慣れてきたようですね」
あくびをしようとした私に、親王殿下がこう言った。
「ふへっ?」
間抜けな返答をしてしまった時、
「ええ、殿下のおっしゃる通りです」
私の斜め後ろに控えて、ずっと私が字を書いているところを見ていた大山さんが深く頷いた。
「先日は、若宮殿下の“筆で書いた手紙が欲しい”というご要望に応じられて、梨花さまは筆で手紙をお書きになり、江田島に送られました」
「ほう、私からの課題は、大山閣下が催促しないと書いてくださらないのに……やはり、恋する相手が言うと違うのだろうか」
「い、いや、そうではなくて……」
親王殿下に弁解しようとすると、右手で顎を撫でた彼は、
「今度、栽仁に、増宮さまからの手紙には朱筆を入れて返すように、と伝えておきましょうか」
と真面目な口調で言った。
「お、大兄さま!それはやめてください!」
私が思わず大声で抗議すると、
「ハハハ……冗談ですよ。そんな無粋なことをしても、面白くありませんからねぇ」
親王殿下は自分の椅子に座り直し、私に向かってニヤッと笑った。
「ところで増宮さま」
「……何ですか?」
少しムスッとしながら親王殿下に応じると、
「一昨日の梨花会は、どのようなことが話し合われたのでしょうか?」
彼は私にこう尋ねた。
「はい?」
親王殿下に抗結核薬を投与し始めてから、こんな問いをされるのは初めてだ。私が首を傾げると、
「増宮さまのおかげで身体も良くなってきましたから、退屈で仕方がないのですよ」
親王殿下は顔に自嘲めいた笑いを浮かべた。
「ですから、暇つぶしになるかと思って、歌を詠んでみたり、日本画を描いてみたり、軍艦の模型を作ってみたり、屋敷の庭の写真を撮ったり、花を育ててみたり……色々しておりますが、どうにも刺激が足りません」
親王殿下は、自分の机の片隅に置かれた軍艦の模型に目をやった。それは極東戦争の連合艦隊の旗艦だった“三笠”の模型で、今年の初めから、親王殿下が3か月ほどかけて作り上げた力作である。
「ですから、増宮さまから外界のことを教えていただきたいのですよ。そうすれば、復帰すればすぐに陛下のお役に立つことができますし……」
「うーん……主治医としては、それで変なことを心配してしまって、療養に差しさわりが出たら困りますから、梨花会のことは話したくないんですけれど……」
私が断った瞬間、
「構わないのではないでしょうか、梨花さま」
大山さんがこんなことを言い始めた。
「お、大山さん?!」
「バルカン半島も、ある程度は落ち着きました。衆議院議員選挙のことも決まりましたし」
大山さんはそう言いながら、私を優しくて暖かい瞳でじっと見つめた。
(やりたくないんだけどなぁ……)
そう思うけれど、大山さんの視線は私の目を捕らえたままだ。軽く睨みつけてみたけれど、彼の視線は全く揺るがなかった。
「これは大山閣下、お気遣いありがとうございます」
大山さんに向かって、親王殿下は軽く頭を下げる。「未来の舅としては、書道や医学だけではなく、別分野での増宮さまのご成長も確かめておきたいのですよ」
「きっと梨花さまは、殿下のご期待に沿うご成長ぶりを見せてくださると思います」
(この人たち、もしかしたら、あらかじめ仕組んでたのかしら……)
大山さんの微笑と、親王殿下のニヤニヤ笑いを交互に見て、私は軽くため息をついた。いつだって我が臣下は、私を鍛えることを忘れない。私の知らないところで、親王殿下から“何か面白いことはないか”と相談されて、私に梨花会のことを話させようと思いついた……その可能性は十分ある。しかし、そうであったとしても、私が梨花会の話をするのを拒むことは出来ない。もし拒んだら、後でもっと大変な試練が待っているだろう。
「……仕方ないですね。じゃあ、話します」
私が言うと、親王殿下も、そして大山さんも、満足そうな笑みを顔に浮かべ、首を縦に振ったのだった。
「では、まず、国内のことからですけれど……衆議院議員選挙の時期が決まりました」
一昨日の梨花会では、国内のことも海外のことも話し合われたけれど、決定した一番の大きなことはそれだ。なので、私は国内のことから話を始めることにした。
「ほう、いつでしょうか?」
「6月11日に公示をして、9月3日に選挙をすることになりました。任期満了に伴う選挙です」
「妥当な線ですね」
椅子に掛けた親王殿下は頷くと、
「今回の選挙の争点は、やはり、選挙権を与える直接国税の納税額をどうするか、でしょうか?」
と私に質問を投げた。
「はい。与党の立憲改進党は、今までと同じ10円、野党の立憲自由党は、8円50銭に引き下げる……それで争われるそうです」
「なるほど。有権者の数を増宮さまの時代に近づける速度を、今のままにするか、少し上げるか、ということですね」
「そうなります。けれど、立憲自由党は、国家財政が悪化した場合、地租と所得税の税率引き上げに含みを残しています。それを有権者がどう評価するか……おそらく、2政党の得票率は拮抗するだろう。梨花会ではその予測で一致しました」
「大変よく分かりました。まずは合格……というところですね」
両腕を胸の前で組んだ威仁親王殿下は、満足そうに微笑んだ。
「では、国外のことに話題を移しましょう。バルカン半島はどうなっていますかね?」
「ええと、まず、オスマン帝国では皇帝がメフメト5世に平和的に変わって、憲政が復活しました。政治も安定しているので、“史実”の去年に発生した、ボスニア・ヘルツェコビナのオーストリアへの併合や、ブルガリアのオスマン帝国からの独立も起こっていません」
「ふむふむ」
親王殿下は軽く頷きながら、私の説明を聞いている。その右手には、いつの間にか1枚の写真があった。
「なんでその下手くそな地図の写真、大兄さまのところにもあるんですか……」
何年か前に私が黒板に描かされたバルカン半島の地図の写真を、楽しそうに眺めている親王殿下に、私が大きなため息をつきながら確認すると、
「陛下からいただいたのですよ。“政治のことは右も左も分からなかった章子が、この地図を描けるまでに成長した!”とおっしゃりながら、陛下が嬉々として梨花会の面々に御下賜なさっておいででしたねぇ」
彼は思わぬことを私に告げた。
(こ、この写真が残ってるの、お父様のせいだったのか……)
頭を抱えた私に、
「頭を抱えている場合ではありませんよ、増宮さま。ボスニア・ヘルツェコビナはともかく、ブルガリアの動きには注意を払わなければならないでしょう」
親王殿下はすかさず言葉を飛ばす。すると、
「では梨花さま、なぜブルガリアの動きに注意を払わなければならないのでしょうか?」
大山さんも穏やかな声で、私にこう質問した。
「えーと、ブルガリアの領土が小さくなったから……」
詳しい話は一度聞いたはずなのだけれど、経緯を忘れてしまった。結論は覚えていたのでこう答えると、
「流石に答えを簡単にし過ぎですよ、梨花さま」
大山さんが私に苦笑いを向けた。
「あの……大山さん、ごめん。詳しい経緯を忘れた」
素直に大山さんに謝罪すると、
「仕方がありません。では、ごく簡単に説明を付け加えさせていただきましょう」
大山さんは私と親王殿下の方に向かって一礼して、口を開いた。
オスマン帝国は、16世紀半ば以降、ロシアと10回以上戦争している。1番最近発生したものは、1877年から1878年までの戦争で、1878年3月、この戦争の講和条約としてサン・ステファノ条約が両国の間に結ばれた。
このサン・ステファノ条約により、今までオスマン帝国の一部だったブルガリアが、オスマン帝国内の自治公国となった。その領土は今のブルガリアよりとても広く、ギリシャの近くのエーゲ海に面した場所までブルガリア領であると決められた。
ところが、サン・ステファノ条約に、イギリスやオーストリアが待ったをかけた。ブルガリアはロシアの強い影響下にある。そのため、バルカン半島でのロシアの影響力が拡大することや、ロシア海軍がエーゲ海に面したブルガリア領に拠点を作る可能性を両国は恐れたのである。その結果、サン・ステファノ条約は同じ年の7月に修正された。この修正で、ブルガリアの領土は当初の約3分の1に減らされ、エーゲ海に面した領土も失われたのだった。
「ブルガリアと関係の深いロシアは、ミハイル2世が即位した後、対外的な興味を完全に失っています。オーストリアも、中央情報院の宣伝工作が効き、バルカン半島に深く介入する意思を持っていません。斎藤さんによると、“史実”でブルガリアの独立を後押ししたのはオーストリアだった、ということですが……。しかしまだ、ブルガリアはサン・ステファノ条約で得られた広大な領土を得たいという野望を捨てていません。ですから、今後の動きに警戒する必要があります」
「……ありがとうございました」
説明を締めた大山さんに、私は深く一礼した。ロシア・オーストリア・オスマン帝国といった大国のはざまで翻弄されるバルカン半島の諸国……その情勢を理解するのは本当に難しい。
「なるほど、よく分かりました、大山閣下」
威仁親王殿下は微笑すると、
「あとは、半島つながりで朝鮮ですか……そちらはどうですか?」
と私に再び目を向けた。
「あー……朝鮮は、一昨日の梨花会では、話題に上らなかったんですよね」
「ほうほう、分からないから、そう言ってごまかす、と……」
正直に事情を話したのに、親王殿下は少し楽しそうな口調でこんなことを言う。流石にムッとしたので、
「私、本当のことを申し上げております。疑われるのでしたら、大山さんにも聞いてみてください」
尖った声で返すと、「これは申し訳ありませんでした」と親王殿下は私に頭を下げた。
「ええ、情勢がほとんど変わっておりませんから、話題にはならなかったのですよ」
大山さんは穏やかな声で言うと、
「さて、その情勢はどういったものですか、梨花さま?」
と私に質問を投げる。……本当に、この臣下は、私を鍛えるという点において全く手を抜かない。
「一昨年の保護条約改正をきっかけに始まった朝鮮の民衆の暴動は、清の軍隊に鎮圧された。ここ1年ほど、朝鮮で大きな暴動は起きていない。けれど、民衆の間に清への反感は根強く残っている。だから民衆は、暴動を起こしてまだ官憲に捕まっていない人たちを、家に匿ったり、時には資金や武器を提供したりして支援している。潜伏している反清派が目立った動きを起こす様子はないし、徐々に清軍の討伐作戦も進んでいるけれど、今後の動きに要注意……って感じだったよね、朝鮮は」
何とか答えると、「その通りです」と大山さんは満足げに頷いた。
「反清派……ですか。彼らは最終的に、朝鮮をどうしようと考えているのでしょうかね?」
写真から手を離した親王殿下が、そう言いながら大山さんに視線を向ける。
「様々な主張の者が乱立していますね。清を追い出す、という点だけは一致しておりますが、今の国王の下に団結するのか、新しい国王を推戴するのか、国王という存在そのものを無くすのか……基本的なことですら決まらず、主張が乱立している状態です。しかも、ロシアを引き入れるだの、鎖国をするだの、荒唐無稽なことを主張している者もいます」
大山さんが淡々と親王殿下に答えると、
「愚かなことだ。そんな状況では、清を追い出しても、朝鮮の政治体制はすぐに瓦解するでしょう。彼らにそれを教えてやる義理はありませんが」
親王殿下の微笑が皮肉めいたものになった。
「そうですね。日本は朝鮮に手を出さない。その大方針は、与党が立憲改進党のままだろうと、立憲自由党に変わろうと、絶対に変わりませんから」
私はそう言って頷く。日本は朝鮮に手を出さない。それは私から“史実”の話を聞いた梨花会の面々が決めた方針だけれど、この時の流れで20年ほど過ごしている今、その方針が正しかったことが実感できるようになった。
「“史実”だと……伊藤さんが殺されるのは、今年の10月。けれど、この時の流れなら、それは絶対に無いって断言できます」
“史実”で伊藤さんを殺した犯人の名前は、私も原さんも、そして斎藤さんも高野さんも思い出すことが出来ない。全員、その名前をハッキリ見た覚えがあるにも関わらず、である。ただ、状況から言えば、日露戦争以降、韓国が日本の保護国にされていく流れの中、当時韓国統監をしていた伊藤さんに犯人の恨みが向かったために、暗殺事件が起こったという可能性が一番高い。だから、朝鮮人たちの反感が清に向かっている現状では、犯人の恨みも伊藤さんではなく、清に向かっているだろう。
「私もそう思いますよ、増宮さま。“史実”の伊藤閣下の暗殺犯の恨みは、伊藤閣下ではなく、清の人間に向かっているはず。大津事件に対処しなければならなかった時と、まるで状況は違います」
親王殿下がゆったりした調子で私に答えると、
「ですが、油断は禁物です」
大山さんが横から言った。「今想定しているのとは別の理由で、犯人が伊藤さんに恨みを抱いている可能性もあります」
「……確かに、否定は出来ない」
私は頷いた。大津事件の犯人・津田三蔵は、この時の流れでは、大山さんを西郷隆盛さんと思い込んで襲撃した。状況が多少変化していても、別の形で事件が発生する可能性は捨ててはいけないのだ。
「あーあ、また詰めが甘かったか。私、本当に大山さんに敵わないわね」
大きくため息をつくと、
「となると、私も大山閣下に敵わないことになりますか」
なぜか親王殿下も、そう言って肩を落とした。
「へ……?」
親王殿下の反応をどう解釈したらいいのか分からず、戸惑った私に、
「私も増宮さまと同じく、伊藤閣下の暗殺は起こらないと断言しましたからね」
親王殿下は苦笑いを投げた。
「まぁ、俺の予測は、かなり穿ったものです。梨花会の面々でも、親王殿下や梨花さまのように、伊藤さんの暗殺の可能性は考えなくていい、と思う者が大半でしょう」
大山さんも苦笑すると、それを見た親王殿下は、
「ふむ……成長はしているということですか」
と、今度は私を見て頷いた。
「流石は未来の嫁御寮どのだ。私も負けずに、増宮さまの書道を、今後も鍛えていかなければなりませんね」
褒めているのか茶化しているのか、親王殿下の言葉の真意はよく分からなかったけれど、とりあえず、書道を習う日々がまだまだ続くことは確実なようだ。私は「お手柔らかにお願いします……」と親王殿下にお願いしたのだった。




