衣装と手紙
1909(明治42)年1月17日日曜日、午後2時。
「大丈夫ですか、増宮さん?」
「あ、あんまり……」
皇居で、普段お母様が謁見で使っている部屋。長椅子に並んで座っているお母様の質問に、私は正直に答えた。
「知らないことがたくさんあり過ぎて……」
両手を頭に当てた私の前のテーブルには、賢所での儀式で着る装束に使う生地の見本がたくさん置かれている。今日は、来年春の私の結婚式で、私が着る衣装をどうするかという話し合いをお母様と2人でしているのだけれど、お母様の口からは、“襲の色目”とか、“唐衣”とか、日常生活では絶対に聞かない単語が次々と出てきたので、私は思考停止寸前に陥ってしまったのだった。
すると、
「やはり、増宮さんは装束を着たことがありませんから、なじみがないでしょうか」
お母様が少し寂しそうに言った。
「はい、それもありますし、今まで、装束はご神事の時に遠目から眺めるだけだったので、いきなり平安時代に迷い込んだ気がして、話について行けなくて……」
私がそう言うと、
「確かに、今度増宮さんがお召しになる五衣唐衣裳の大元は、今から約800から900年ほど前の平安の時代に出来たと言われていますから、“平安時代に迷い込んだ”とおっしゃるのも無理はないですね」
お母様は苦笑する。
「しかも、全て着ると、この装束はかなり重たいですからね。小袖を着た上に長袴を付けて、その上から単、5枚の五衣、打衣、表着、唐衣と着て、更に裳を付けますから、多いところだと、10枚くらい布が重なることになるかしら。ですから、かなり重いですよ。軍人でもある増宮さんでしたら、装束を着てもちゃんと動けると思いますけれど」
「そ、そんなにですか……」
お母様の言葉に、私が軽く目を見開くと、
「増宮さんなら、もしかしたら、“こんな不便なものを残してどうする。軍服でよいではないか”とおっしゃるかもしれませんね」
お母様が微笑しながら言った。
「あ、いや……」
戸惑っていると、
「けれど、これが、私たちが連綿と受け継いできた形なのです。それは変えるべきではないと私は思います。増宮さんも、色々と思うところはおありでしょうが、是非慣れていただいて……」
お母様は更に私にこう話す。
「お、お母様、この衣装を着たくないなんて一言も言ってないです。婚儀には軍籍のことは関係ないって分かっていますから、軍服を着たいなんてわがままは言いません」
私は慌ててお母様に答える。もし、小さいころの私だったら、“花嫁衣裳なんていらない。軍服でいい”と言っていただろうけれど、今の私は小さいころの私ではないのだ。
「ただ……私、お姫様のような衣装を着るんだというのが、まだ、信じられないだけで……」
小さな声で付け加えると、
「増宮さんは、本当に素晴らしいお姫様ですよ」
お母様の手が、そっと私の頭に触れた。
「素敵な王子様が愛を捧げる、美しく優しいお姫様です。ですから、信じてよいのですよ、ご自身のことを」
「は、はい……」
顔を真っ赤にした私はうつむいた。栽仁殿下が私に“愛している”と初めて告げた日のことを思い出したからだ。
「さて、お話を戻しましょう。襲の色目をどうするか、というお話でしたね」
お母様は私の頭の上に置いた手を、テーブルの上に伸ばす。そして、色見本帳を手元に引き寄せた。
「どれがいいですか?」
「正直、よくわからないです……」
襲の色目……5枚ある五衣と単の色を、1枚ずつ変えてグラデーションを作る、と言えばいいのだろうか。上から唐衣や表着を重ねてしまうから、見られるのは全体のごく一部ではあるけれど、これが美しいかどうかは、装束を着る上で重要なのだそうだ。
「では、この“萌黄の匂”にしてみませんか?」
お母様が色見本帳を開いて示したのは、紅から濃い萌黄色、そして淡い萌黄色へと変わっていくグラデーションだった。
「萌黄は、春に萌え出る草の芽の色と言われています。結婚して、ますます発展していく増宮さんと栽仁さんを思わせますから」
「はい……では、そうします」
まだ、顔は赤いままだったけれど、私は頭を少しだけ上げ、お母様に軽く頭を下げた。
「ということは……唐衣の色も、萌黄がいいかもしれませんね。問題は、唐衣にどのような上文、つまり模様を入れるか、ですね。おめでたい柄を使ったり、着る人の家紋にちなんだ模様を使ったりすることが多いのですが……」
お母様は歌うように呟くと、
「増宮さんは、何か希望はありますか?」
私の方を向いて優しく尋ねた。
「梨の花がどこかに使えたら、という気持ちはありますけれど……この生地の見本、梅や桜の花の模様の見本はあっても、梨の花の模様の見本が無いから……」
無理だと思います、と言葉を続けようとした瞬間、
「では、梨の花の模様を、新しく作ってもらいましょう」
お母様がそう言って微笑んだ。
「ええ?受け継いできた形だから、見本から変えてしまうのはよくないんじゃないでしょうか……」
恐る恐る尋ねると、
「確かに、装束の形そのものを変えるのは難しいです。それは私たちが守るべき形だと思います」
お母様は微笑みを崩さずに話し始めた。
「ですが、上文に関しては、ある程度自由が許されるところです。ですから、是非増宮さんらしさを出して欲しいです。……だって、栽仁さんに、“梨花さん”と呼ばれているんでしょう?」
「はい……」
お母様には、そのことは話していない。恐らく、兄がお母様に話してしまったのだろう。今度会ったら、抗議しないといけないけれど……。
「お母様……、私、お母様がおっしゃったように、梨の花の模様を新しく作ってもらって、それを装束に使いたいです」
また赤くなってしまった顔を伏せながら、お母様に申し上げると、
「では、そう致しましょう」
お母様は嬉しそうに首を縦に振ったのだった。
その日、午後6時、青山御殿。
「章子さん、バイエルンのマリー妃殿下から、お手紙が届きましたよ」
婚儀で使う装束や婚儀後に着る袿袴、中礼服などの洋装のことなどもお母様と相談した後帰宅すると、私を出迎えた母はこう言った。
「ああ、良かった。マリー、返事をくれたのね。私が手紙を出すのをもたもたしてたから、呆れちゃって返事を出してくれないんじゃないかって心配したの」
私がホッとしながら言うと、
「7月の末にお手紙をいただいてから、1か月以上返事が書けませんでしたからね。いつもは2、3日もあれば返事ができるのに」
母が悪戯っぽい笑みを顔に浮かべながらこんなことを言う。
「だ、だって、しょうがないじゃない。栽仁殿下とのことを、マリーにどう伝えようかって考えてたら、全然筆が進まなくて……」
私は母から顔を背けながら答えた。前回、マリーからの手紙を受け取ったのは、去年の7月30日のことだ。7月31日のコッホ先生夫妻との昼食会から戻ったら返事を書こうと思っていたら、その日、栽仁殿下との婚約が内定したので、手紙を書くどころではなくなってしまったのだ。栽仁殿下の虫垂炎の手術を執刀した後、彼と二度と会わないようにと思っていたことや、婚約内定の翌日に彼と会った時のことを苦労して書き上げ、ドイツに手紙を出したのは9月に入ってからだった。
「うふふ……そういうことにしておきましょう。お夕食が終わったら手紙を渡しますね」
母はニッコリ笑うと、「お夕食の準備は出来ておりますから、食堂でお待ちしておりますね」と言って立ち去った。
夕食を済ませて母から手紙を受け取り、私が自分の居間に入ったのは午後7時過ぎだった。封筒を開けると、びっしりとドイツ語が書かれた便せんが何枚かと、1枚の写真が出てきた。写真にはマリーと、マリーの旦那さんのループレヒト殿下、そしてマリーとループレヒト殿下のお子さん、7歳のルイトポルト君と3歳のアルブレヒト君の4人が写っている。
『栽仁殿下との婚約おめでとう、章子!』
マリーからの手紙は、こんな文章で始まっていた。
『ドイツでも、あなたの婚約のことが新聞に載ったの!だから章子からの報告を待ちわびていたのに、全然手紙が到着しないからやきもきしたわ!手紙を催促する電報を送ろうかしらと思った時に、あなたからの手紙が到着したから良かったけど』
(あー、そりゃ、そうなるよなぁ……)
私は心の中で、手紙の向こうのマリーに詫びた。前回マリーに出した手紙は、完成させるのに1か月以上の時間がかかってしまったのだ。
『章子が結婚する相手は、私が日本を出発する直前に章子が話してくれた5人の“弟分”の誰かだろうと思っていたわ。だって、章子が“弟だ”って言った時、あの場にいた栽仁殿下と成久殿下、不満そうな顔をしていたもの。自分は一人前なのに、章子がいつまでも自分のことを子ども扱いするのが嫌なんだろうなぁって、私、あの時に感じたわ』
「だったら、そう言ってよ、マリー……」
ため息をつきながら、私は思わずつぶやいてしまう。こちらは、婚約が内定するまでずっと、栽仁殿下が私に向けている気持ちに気が付けなかったのだ。……まぁ、これは、全面的に私が悪い。
『章子は婚約が内定する何か月か前に自分の栽仁殿下への気持ちに気が付いて、けれど、自分は引き下がって妹たちに彼を譲ろうと思って、彼のことを諦めようとしていたのね。だけど、栽仁殿下があなたのただならぬ様子に気が付いて、一刻も早く守らないといけないって思って、自分のお父様を説得して、天皇陛下にあなたとの婚約を直訴しに行ったって……すごく素敵じゃない、彼!普通、そんなことできないわ!彼は本当に、章子のことを想ってくれているのね!』
(うん、それは本当に、そう思う……)
栽仁殿下は優しくて真っすぐで、そして、勇気がある。自分で言うのは気恥ずかしいけれど……真っすぐに私を愛してくれているのが、彼と接しているとよく分かるのだ。
『あなたと、そして、素敵な男性に成長している栽仁殿下と、会って話してみたいけれど、すぐには無理でしょうから、2人で撮った写真を送ってちょうだい。こう要求しておいて、私が送らないのはおかしいから、先に私が家族と一緒に撮った写真を送るわね』
「あ、そっか。それで写真が入ってた訳ね……」
私は同封されていたマリーの家族写真をじっと見つめた。マリーもループレヒト殿下も、そしてルイトポルト君もアルブレヒト君も、とても幸せそうな笑顔をしている。
(子供かぁ……)
また、ため息がこぼれ出てしまった。もちろん、栽仁殿下との子供は欲しい。ただ、この国の近代的な軍隊で初めての女性軍人でもある私の場合、妊娠したら職場でどう対応するのか、産前産後の休暇や育児休暇をどの程度認めるのかなど、考えなければいけない事項がたくさんある。しかも、ある程度しっかり道筋をつけておかないと、私の後に続く女性の軍人たちが困ってしまうのだ。
「産前は6週間、産後は8週間の休暇を取れるようにして、育児の場合は子供が満1歳になるまでの1年間予備役に回って、介護の場合は90日間予備役に回る。休暇で減った人員は、予備役から招集して補う……私が軍医学校に入るとき、伊藤さんたちと話し合ってこう決めたけど、これでいいのかな。しかも、予備役から招集って人員を補うって発想、軍隊だから出来るんであって、他の業種だと難しいかもしれないよな……。うーん、前世で子供を産んだことがないから、分からない……」
花嫁衣裳のことに加えて、考えなければならないことがまた一つ増えてしまった。けれど、考えるのは、まずマリーへの手紙を書き上げてからだ。私は便せんと万年筆を取り出すと、便せんに万年筆を走らせ始めたのだった。
※装束については、「日本の装束 解剖図鑑」(八條忠基、株式会社エクスナレッジ)、「銀のボンボニエール」(雍仁親王妃勢津子、主婦の友社)など参考にしましたが……わからん、マジでわからん!なので、実際とは異なっている可能性が高いです。ご了承ください。




