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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第47章 1908(明治41)年大暑~1909(明治42)年小寒
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七福神参り

※台詞ミスを修正しました。(2023年10月2日)

 1909(明治42)年1月2日土曜日午後1時、麴町区霞ケ関1丁目にある有栖川宮(ありすがわのみや)邸。

「七福神参り?」

「うん」

 有栖川宮家のご当主である威仁(たけひと)親王殿下の書斎。椅子に座った威仁親王殿下の嗣子・栽仁(たねひと)王殿下は、筆を置くと、首を傾げた私に頷いた。彼の手元に置かれた紙には、“四海波静”という文字が力強い筆跡で書かれている。もちろん、新年の書き初めとして、栽仁殿下が書いたものだった。

「あの……もしかして、章子さんの時代には無くなっている風習かな?お正月に、七福神のお祀りされている神社仏閣にお参りするんだけど……」

「いや、前世でも聞いたことはあるから、無くなってないよ。私はやったことがないけれど」

 少し不安そうな声を出した栽仁殿下にこう答えると、

「じゃあ、一緒に行きませんか?」

彼は、今度は明るい調子で私に言った。

「へ?」

「だから、七福神参りに、です。僕、8日には東京を出るから、その前に、この冬の章子さんとの思い出作りとして……どうですか?」

「そ、それ、お参りする場所に、ものすごく迷惑が掛かっちゃうんじゃない?お正月って、神社もお寺も混雑するのに、私たちが警備やお付きの人たちを引き連れて参拝しちゃったら、余りの混雑で将棋倒しが発生するんじゃ……」

 すると、

「やだなぁ、もちろん微行(おしのび)で、ですよ」

栽仁殿下がそう言って、クスっと笑う。

「ということは、まさか、ふ……2人、きり?」

 言った瞬間、身体の中で一気に熱が膨れ上がって、私は顔を伏せた。

(そ、それって、デートか?!外でのデートのお誘いなのか?!)

 好きな人と一緒に出掛ける……もちろん、前世ではやったことがない。だから、やれるものならやってみたいことではあるのだけれど、男女交際というものになかなか厳しいこの時代、このデートは許されるものなのだろうか?

 と、

「良いではないですか」

書斎の自分の机で、大きな紙に漢詩を書き付けていた威仁親王殿下が言った。

「未来の舅としては、増宮さまが栽仁ときちんと距離を縮められるかどうか、非常に心配なのですよ。結婚した後も、恥ずかしさゆえに手を触れることも出来ないとなれば、結婚した意味がありませんからねぇ」

「有栖川宮殿下のお気持ちは、大変よくわかります」

 私の後ろに控えている大山さんも、こう言いながら何度も頷く。

「ですからここは、梨花さまのご教育のためにも、ぜひともお2人だけで七福神参りに行っていただきたいと思います」

(な、なんですと……)

 よろめきそうになるところを必死に堪えると、

「いかがなさいました?」

我が臣下が不思議そうな顔で私を見た。

「い、いや、たとえ婚約者が相手とは言え、“嫁入り前に男女が一緒に出掛けるなどとんでもない!”なんて言う親も、私の時代以上にいそうだからさ……」

「梨花さまは大変に奥手でございますから、特別でございます」

 私の言葉に、大山さんは平然とこう返した。

「それとも、梨花さまは、若宮殿下と2人きりでお出かけになるというせっかくの機会を逃したいと……こうおっしゃりたいのでしょうか?」

「た、馬鹿(たーけ)……逃したくなんて、ないわよ……」

 大山さんに答えた私の顔は、あっと言う間に真っ赤になってしまった。

「じゃあ、いつ七福神参りに行くかを考えましょうか、章子さん。7日までの間で、仕事がお休みの日はありますか?あ、もちろん、元始祭(げんしさい)がある3日と、新年宴会がある5日は除いて、だけど」

 3日の元始祭も、5日の新年宴会も、私と栽仁殿下は出席しなければならない。そんな日に2人で出かけてデートをしたら、口やかましい人たちから“不謹慎だ”と言われかねないから、避ける方が無難だろう。

「確か、6日は休みだったような……」

 私がスケジュールを思い出しながら答えると、

「ええ、その通りです。では、6日に七福神参りに出かけられる、ということで、(おい)も心づもりをしておきます」

大山さんはそう答えた。

「あとは、どこに行くかだね。近いところだと、谷中の七福神か、向島の七福神だけど……」

 両腕を胸の前で組んだ栽仁殿下は、そう呟くと、宙を睨みつけるようにして考え込んだ。けれどすぐに、

「谷中の方がいいかな。市電と日本鉄道を使えば、すぐ近くまで行けるから。日本鉄道の田端(たばた)駅から、南に歩いて行けばいい」

と結論を出した。

「詳しいんだね……」

「谷中も向島も、たまに自転車で行くから、大体分かるんです。本当は、章子さんと一緒に自転車で行けば一番楽なんだけど、自転車の男女連れは目立っちゃうから、今回は電車と汽車と歩きで行きましょう」

 ニッコリ微笑んだ栽仁殿下に、

「その辺、全然分からないから、全部栽仁殿下に任せるよ……」

私は頭を下げた。たまに微行(おしのび)で市電には乗るけれど、市電を使って谷中や向島に行ったことはないのだ。

「では栽仁には、七福神参りの計画を立ててもらうとして……その間に、増宮さまには書き初めをしていただきましょう」

 親王殿下が、ニヤニヤしながら横から言った。

「あ、それはやっぱり書かないといけませんか……」

「当然でしょう。栽仁がきちんと増宮さまの字の上達に貢献しているかどうかも、確認しなければなりませんから。……で、何をお書きになるかは、考えていらっしゃいましたか?」

 他のことだったら、口答えをするかもしれないけれど、兄の義兄に、そして、未来の私の舅に、逆らうことはできない。私はため息をつきながら椅子に座ると、前に置いた大きな紙に、“無病息災”と筆で勢いよく書いたのだった。


 1909(明治42)年1月6日水曜日午前9時、青山御殿。

 赤地に鶴を描いた和服を着た私が、玄関に出て一人待っていると、車寄せの方で自動車のエンジンの音が響き、やがて、

「おはようございます、梨花さん」

栽仁殿下が笑顔で玄関に現れた。紺色の着物に同じ色の羽織を合わせ、薄い灰色の袴を付けている。

「おはよう、栽仁殿下。迎えに来てくれてありがとう」

 私が深く頭を下げると、

「“(たね)さん”だよ、梨花さん」

栽仁殿下は少し頬を膨らませた。

「あ……」

「もう、今日は2人だけの微行(おしのび)なんですから、“(たね)さん”って呼んでくれないと、本当に許しませんよ」

「そ、そうでした……ごめんなさい……」

 目を怒らせた栽仁殿下に、私は素直に謝罪した。今日は、20mほど後ろから東條さんがついてくるし、彼の他にも、中央情報院の職員が、私たちに分からないよう陰から護衛をするけれど、基本的には、私と栽仁殿下の2人きりで、身分を隠して行動することになる。だからうっかり、“殿下”と声に出してしまうと、周りの人たちに正体がバレてしまうだろう。

「では、出発しましょうか、梨花さん」

「うん、分かった」

 私は手に持った桃色の巾着袋から、変装用の伊達メガネを取り出す。メガネを掛け終わると、栽仁殿下が、サッと私の右手を取った。

「あ、あの……手、つながないと、ダメ……?」

 一瞬で混乱した思考を、ようやくまとめて栽仁殿下に抗議したけれど、

「ダメですよ。だって、愛する梨花さんを守れないじゃないですか」

栽仁殿下は真面目な顔で答えた。

「~~~っ!」

 顔を真っ赤にしてうつむくと、

「ふふっ、可愛いな、梨花さんは」

栽仁殿下が笑う気配がする。

「でも、慣れていただかないと、結婚した後が大変ですよ。このところ、毎日会っていたから、少しは慣れていただいたかな、と思っていたんですが」

「な、慣れたけど……話すのと、手をつなぐのは、別だよ……」

 話すのは大丈夫だ。栽仁殿下が東京に戻ってから、青山御殿で、そして、霞が関の有栖川宮家のお屋敷で、毎日彼と会って、筆で書いた字を見てもらっていた。だから、彼と目を合わせて話すことも出来る。けれど、ふとした拍子に身体が触れて、彼の身体のぬくもりを感じてしまうと、私の身体の中で、熱が急速に膨れ上がってしまうのだ。しかも、こんな風に手をつながれてしまうと……。

――万が一、増宮さまを誰かが傷つけるのであれば、僕はこの身を犠牲にしても、増宮さまを守り抜きます!

 元日に皇居に新年の挨拶に行った時、たまたま垣間見た栽仁殿下の様子を思い出し、完全に思考が停止したところに、

「梨花さん?」

栽仁殿下が訝しげに声を掛けた。

「大丈夫?なんだか、ボーっとしてるけど……」

「だ、だ、大丈夫、うん……あなたと、手をつなぐの、全然、慣れてなくて……」

 やっとのことで答えると、

「じゃあ、今日は、慣れるための特訓ですね。ずっと手はつながせていただきますから、梨花さんもそのつもりでいてください」

栽仁殿下は優しい声で宣告した。私は熱に耐えながら、栽仁殿下に黙って頷くしかなかった。

 青山御殿の南側の通りには、市電が敷設されている。私と栽仁殿下はその通りに出ると、電停から市電に乗り込み、上野に向かった。上野からは日本鉄道の汽車に乗り換えて、10分ほど乗って田端駅で降りる。

「梨花さんの時代って、汽車や市電ってどうなってるんですか?」

 田端駅から、福禄寿が祀ってある東覚寺(とうかくじ)へと歩きながら、栽仁殿下が私に尋ねた。

「え、ええっと……汽車は殆ど無くなってて、ディーゼル車か電車になってる。市電は……東京に限って言えば、一路線しか残ってなくて、地下鉄とバスに置き換えられてたよ」

 私はうつむいたまま答える。宣告通り、栽仁殿下は市電の中でも汽車の中でも、私とつないだ手をほとんど離さなかった。この時代、いわゆる“お年頃”の男女が手をつないで歩くのは珍しい。なので、市電の中でも汽車の中でも、周りの乗客たちにジロジロ見られてしまい、とても恥ずかしかったのだ。そして、栽仁殿下は、私の右手を今も握っている。ずっと熱にあてられ続けているのに、顔を上げて堂々と歩くなんて、私には無理だった。

 そんな私の状態を知ってか知らずか、

「バスって言うと、乗り合い自動車のことですね。きっと、梨花さんの時代は、自動車もたくさん走っているんだろうなぁ」

栽仁殿下はのんびりと言う。私はそれに頷き返すのが精いっぱいだった。

 東覚寺にお参りすると、南に歩いて滝野川(たきのがわ)村から日暮里(にっぽり)村に入る。青雲寺(せいうんじ)の恵比寿、修性院(しゅしょういん)の布袋とお参りして、私たちは更に南に歩いた。谷中墓地の近くにある天王寺(てんのうじ)の毘沙門天と長安寺(ちょうあんじ)の寿老人をお参りし終えた時、私はその場に立ち止まってしまった。合計で1時間近く歩いているのもあるけれど、ずっと栽仁殿下が手をつないでいるせいで、熱が身体に籠って汗ばんでしまったのだ。

「梨花さん、大丈夫?結構歩いたから、疲れましたか?」

 足を止めた私を、栽仁殿下が振り向いて見つめる。

「い、いや、その、足は、疲れてないんだけど……」

 まさか、熱が身体に籠っている原因が栽仁殿下だとは言えない。どう答えようか迷っていると、

「僕、次の護国院(ごこくいん)まで、梨花さんを抱きかかえていきましょうか」

栽仁殿下が真面目な顔でこう言った。

「ちょ……な、何言ってるの、馬鹿(たーけ)!そんなことされたら、余計に、その……!」

 提案を必死に辞退すると、

「ふふ、梨花さんったら、本当に可愛いですね」

栽仁殿下はニッコリ微笑んだ。

「でも、無理はしないでくださいね。本当に動けないんだったら、流しの人力車を拾いますし、いざとなったら、本当に抱きかかえますから」

「うん、ありがとう……今は大丈夫だけど、もし、そんなことになっちゃったら、よろしく」

 真剣な目で私を見つめる栽仁殿下にこう言うと、彼は一瞬目を瞠ったけれど、すぐに元の笑顔に戻って頷いた。

 更に南に向かって歩くと、東京市内・下谷(したや)区だ。上野公園の近くにある護国院の大黒天をお参りした後は、不忍池まで歩く。池の真ん中の島に祀られた弁財天をお参りしたのは、11時半を少し回った頃だった。不忍池のほとりにある料理茶屋に入ると、池が良く見える席に案内され、私と栽仁殿下は向かい合って座った。

「梨花さん、七福神に何をお願いしたんですか?」

 お品書きの中から適当に何品か注文して、店員さんが去っていくと、栽仁殿下が私に尋ねた。

「家族と梨花会のみんなと……それからあなたが、健康で過ごせますように、って」

 今は向かい合って座っているから、つないでいた手も離れている。ようやく落ち着いて話が出来るようになった私はこう答えた。

「あなたがもしまた体調を崩したら、私、すごく動揺してしまう。もちろん、その“もしも”が起こっちゃったら、私は全力であなたの治療に当たるけれど、一番いいのはそれが起こらないことだから、ね」

 そう言った私は、「あなたはどうなの?」と栽仁殿下に問い返した。

「僕も、梨花さんと家族が健康で過ごせるように、ってことと……それから、一刻も早く、梨花さんにふさわしい、立派な人間になれますように、って」

(あ……)

――章子どのの傍らに、家柄だけが良くて実力がない者がいる必要はないのだ。

 真面目な顔で私に答える栽仁殿下の言葉で、元日に皇居でたまたま耳にした華頂宮(かちょうのみや)殿下の刺々しい声が脳裏に蘇った。

(気にしてるのか……あの言葉……)

 気にしなくていい、と私は思うのだ。栽仁殿下のことをまるで分かっていない人間の言葉など、心にとどめてしまえばかえって害になる。けれど、栽仁殿下は気になってしまうらしい。

「あ、あのね、……(たね)さん」

 今日は青山御殿を出てから、“(たね)さん”という言葉も、“栽仁殿下”という言葉も使わずにここまで来た。でも、今は、こう呼びかけざるを得ない。“(たね)さん”と口にした途端に身体が一気に熱くなり、栽仁殿下をまともに見られなくなった私は、視線を不忍池の方に逸らした。

「梨花さん、どうしたの?」

 心配そうな声を出した栽仁殿下が私のそばに動き、私の右手を取った。

「~~~っ!」

 彼の手のぬくもりを感じてしまい、私の思考は身体を駆け巡る熱でかき消されそうになった。……けれど、栽仁殿下のためにも、新年に立てた誓いは、ここで果たすべきだと思うのだ。

「た……(たね)さんは、ね……。私の隣に立つ実力も、資格も、十分にあると思うの……」

 深呼吸をゆっくり繰り返して心を落ち着かせ、私は小さな声で、ようやく栽仁殿下に告げた。

「だ、だからね、変に、自分を追い込み過ぎないで、欲しいな、って……」

「梨花さん……こちらを、向いていただけますか」

 熱で思考が吹き飛びそうなところに、栽仁殿下が声を掛けた。

(え?!)

 そんなことをしたら、私の頭の回転は完全に止まってしまう。けれど、大切な人の……大切な婚約者の要望だ。それには、応えなければならない。私は、池の水面に向けていた視線を、ゆっくりと栽仁殿下の瞳に合わせた。

「ありがとう、梨花さん」

 栽仁殿下は、澄んだ美しい瞳で私を見つめながら、優しい声で言った。

「そう言ってもらえて、とても嬉しいです。……でも、その言葉に甘えすぎて、自分を磨くのを怠ったらいけないと思うから、これからも、愛する梨花さんを守れるように、僕、頑張ります。まずは、今度東京に戻れる夏季休暇まで、士官学校の勉強を頑張らないとね」

「そっか……寂しいけど、(たね)さんの無事を祈りながら、私も、頑張る……」

 つないだ手からは、栽仁殿下の手のぬくもりが相変わらず感じられて、それに煽られるように、鼓動も速くなっていく。それでも私は、手を振り払うことなく、あと数日で西に去ってしまう婚約者と、時間を忘れて見つめ合っていたのだった。

※『信仰民俗誌』(本山桂川、1934年)によると、谷中七福神は現在の個所に定まるまで変遷があったようですが、拙作ではひとまず、現在の谷中七福神と同じところを参拝させました。ご了承ください。

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