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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第46章 1908(明治41)年小満~1908(明治41)年大暑
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青天の霹靂(3)

※セリフミスを修正しました。(2021年6月29日)

※読み仮名ミスを修正しました。(2022年5月3日)

 午後4時10分。

「ただいま……」

 大山さんにエスコートされて馬車から降りた私は、青山御殿の玄関に入ると、小さな声で挨拶をした。新橋駅から青山御殿までは大山さんが手配してくれた馬車で移動したから、新聞記者たちの取材を受けずに済んだのは助かったけれど、馬車の中でも大山さんの“尋問”が続けられたので、私の顔は真っ赤になってしまっていた。

「あ、(ふみ)姉上、おかえり」

 玄関では、幼年学校の制服を着た弟の輝仁(てるひと)さまが、私を待ち受けていた。そう言えば、幼年学校が夏季休暇になるから、午後に青山御殿に戻ると言っていたな、と思っていたら、

「みんなー!(ふみ)姉上が帰ってきたぞー!」

輝仁さまは奥に向かって大声で叫んだ。

(へ?)

 反応出来ないでいると、大勢の足音がドタドタと響き、

「章子っ!」

次の瞬間、応接間から飛び出して来た兄が、飛びかかるようにして私に抱きついた。

「良かった……本当に良かった!」

「あ、兄上……」

「案じていた。お前の結婚がなかなか決まらぬから。成久(なるひさ)栽仁(たねひと)鳩彦(やすひこ)稔彦(なるひこ)輝久(てるひさ)のうちの誰かなら良いが、と思っていたが……しかし、栽仁なら安心だ!」

 私をきつく抱きしめながら、とても嬉しそうな声で言う兄に、

「でも、兄上、私、兄上を守れなくなっちゃうよ?私、臣籍降下するかもしれないし……」

恐る恐る私は確認した。

 すると、

「は?お前、何を言っているのだ。栽仁と夫婦(めおと)になるのなら、お前は皇族のままではないか」

兄は不思議そうな顔で言い返した。

「あ……」

 皇族の男子……特に宮家を継がない男子の場合は、成年に達すると、皇族の身分を離れて華族になるという規定が皇室典範で定められている。青山御殿によく出入りする北白川宮(きたしらかわのみや)成久王殿下・北白川宮輝久王殿下・久邇宮(くにのみや)鳩彦王殿下・久邇宮稔彦王殿下・有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁王殿下の5人で言えば、輝久王殿下と鳩彦王殿下、そして稔彦王殿下は、お父様(おもうさま)の勅命で新しい宮家を設立することにならない限りは、いずれ臣籍降下をして華族になるのだ。だから、私がその3人のうちの誰かと結婚することになれば、私も将来、華族になる可能性がある。けれど、宮家の跡継ぎである成久王殿下と栽仁王殿下は、臣籍降下をすることはない。つまり、その2人と結婚すれば、私は一生皇族でいられるのだ。

「……ってことは、私、兄上もお父様(おもうさま)も治療できるのか」

「そうだぞ。全く、聡明なお前らしくもないことを言う。突然のことだったから驚いたのか?」

「それもあるでしょうし、大山閣下に婚約のことを散々いじられたのもあると思いますよ、嘉仁(よしひと)さま」

 節子(さだこ)さまが兄の後ろから、クスクス笑いながら言った。「章子お姉さま、お顔が真っ赤ですもの」

「あらあら、大山さまにだいぶいじめられてしまったようですね、章子さん」

 節子さまの後ろから、母がニコニコしながら顔を出した。その隣には私の妹の昌子(まさこ)さまもいる。更には、房子(ふさこ)さま、允子(のぶこ)さま、聡子(としこ)さま、多喜子(たきこ)さま……私のきょうだいが、全員顔を揃えていた。

「おめでとうございます、章子さん。とても……とても嬉しいです」

「は、母上……私、訳が分からなくて……」

 満面の笑みの母にこう訴えると、母は「あら、どうしてですか?」と首を傾げた。

「だ、だって、栽仁殿下は、昌子さまたちのうちの誰かと結婚するって思ってて、自分の結婚相手になるなんて、これっぽっちも考えてなかったから……」

 すると、

「やだ、章子お姉さまったら」

1番上の妹、私より6歳下の昌子さまが、クスッと笑った。

「私達は、有栖川宮の若宮殿下は、章子お姉さまとご結婚なさるのだと思っていましたよ。ねぇ?」

 昌子さまが周りに視線を動かすと、残り4人の妹たちが、一斉に首を縦に振った。

「は?」

「だって、章子お姉さまのお見合い相手、若宮殿下だったじゃないですか」

 キョトンとした私に、房子さまがこんなことを言う。

「お見合い?わ、私、そんなもの、したことないわよ?」

 そう答えると、

「だから言っただろ、(ふさ)姉上。(ふみ)姉上、絶対分かってないって」

輝仁さまが不機嫌そうに言った。

「わ、分かってないって、一体何が?」

「お見合いだよ、お見合い。ほら、(ふみ)姉上が軍医になって勲章をもらった時、俺がお祝いのお茶会を開いたでしょ?」

 確かに、そのようなことがあった。3年前、私が軍医少尉に任官した時、妹たちや、付き合いのある王殿下たちを招いて、輝仁さまがお祝いのお茶会を開催してくれたのだ。

「あれ、お見合いも兼ねてたんだって。もちろん、俺はあの時は分からなくて、大山閣下たちが裏で画策してたってのを、後で教えてもらったんだけど」

「え……?でも、あれは昌子さまたちのお見合いだったんでしょ?」

 私が輝仁さまに答えると、

「何をおっしゃるの、章子お姉さま!あれ、章子お姉さまのお見合いでもあったんですよ!」

允子さまが、強い口調でこう言った。

「はぁ?!」

「そうだったんです!あの時、くじ引きで席を決めましたけど、同じテーブルになった人が、私達のお婿様になる可能性が高いって爺に言われたから、私達、章子お姉さまのお相手は誰になるんだろうって、お茶会の前、ずーっと話してたんです!そうしたら、栽仁殿下と同じテーブルになられて、お二人でとても和やかに話されていたから、ああ、章子お姉さまがご結婚なさるお相手は、栽仁殿下なんだなって、私達、ずーっとそう思ってたんですから、ねぇ!」

 允子さまが周囲に同意を求めるように言うと、他の妹たちも激しく頷く。

「……本当なの、大山さん?」

 おずおずと我が臣下に確認すると、

「ええ。増宮さまにそれを申し上げると、動揺されるのが目に見えておりましたので、今まで黙っておりましたが」

彼は平然と私に答えた。

(ウソでしょ……)

「おっと、しっかりしろ」

 余りの衝撃に全身から力が抜け、よろめいた私の身体を、兄がまた抱き締めて、しっかりと支えてくれた。

「相変わらず、お前は奥手だなぁ。そこが可愛いのだが」

「ひ、人の性格なんて、そう簡単に変わんないよ、兄上……」

「そうかそうか。それなら、栽仁がお前にずっと思いを向けていたことにも、気付いていないだろうな」

(はぁ?!)

「な、何それ、兄上……」

 再びもたらされた衝撃の情報に、力無く兄に尋ね返すと、

「覚えていないか?裕仁(ひろひと)が、お前の名古屋城の模型に手を掛けて、名古屋城の模型が壊れたことがあっただろう」

 忘れもしない。今から5年ほど前の話だ。あの後、栽仁殿下だけではなく、成久殿下、輝久殿下、鳩彦殿下、稔彦殿下も、夏まで掛かって、名古屋城の模型を修復してくれた。

「あの時、栽仁が模型の修復を申し出たら、成久や輝久たちも、抜け駆けされるまいと修復を申し出たな。そうしたらお前は、“全員で修復をすればよいだろう”と言ったから、栽仁は不満そうにしていたのだぞ。愛しいお前と二人きりでいられる時間を邪魔されたとな」

(い、愛しい……?!)

「そ、その時、栽仁殿下、まだ15才じゃないの……そんな、子供っぽい思い込み……」

 必死に兄に反論すると、

「俺は12の時には、将来娶る相手は節子しかいないと思っていたが?」

兄は顔色も変えずにこう答えた。

「うにゃぁぁっ?!」

「やれやれ。栽仁が不憫だ。これでは先が思いやられるな」

 思わず変な声を出した私の頭を、兄は苦笑しながら優しく撫でる。

「結婚式まで無事にこぎつけられるのか、心配になってしまう。これでは、折角婚約しても、結婚できないのではないか?」

 すると、

「じゃあ、栽仁殿下のこと、私、もらっちゃおうかしら」

突然、允子さまがこんなことを言い始めた。

(?!)

 呆気に取られる私の前で、

「栽仁殿下の妹の實枝子(みえこ)さまは、私、華族女学校(がっこう)で同じ学年だからお友達ですし、霞が関のお屋敷にも何度も遊びに行ったことがあるから、栽仁殿下ともよく話しますもの」

允子さまは更にこう続ける。

「允子さま、それはいけませんわ」

「そうよ、若宮殿下は、章子お姉さまのことを大事に思われて……」

 允子さまをたしなめる昌子さまと房子さまの声を、どこか遠くに聞きながら、私は何故か、去年のお正月の光景を思い出した。昌子さまと房子さまと允子さまが住む高輪御殿に新年の挨拶に行ったら、庭にある池のほとりで、栽仁殿下と允子さまが談笑していて……。

「……や……」

 ひとりでに、小さく口が動いてしまう。慌てて口の動きを止めたけれど、

「ん、何だ?もっと大きな声で言ってみろ」

兄は聞き流してくれず、私にこう言った。

「そ、そんな、無理だよ……大きな声で、なんて……」

「そうか。では、俺にだけ、そっと囁いてごらん」

 兄は私の頭を優しく撫で、私の口もとに耳を近付けた。

「どうした?悪いようにはしないぞ。だから、思いの丈を吐き出してごらん。お前の心の全てを」

「い……いや、なの……」

 兄の優しい声に励まされるように、私は何とか口を動かした。

「で、でも、私、去年のお正月、栽仁殿下と允子さまが、話してるのを見ちゃって、允子さまが、羨ましいって思っちゃったから、嫉妬した自分が、すごく汚らわしく思えて、恥ずかしくて……」

「允子」

 不意に、兄が允子さまを大きな声で呼んだ。

「栽仁には手を出すな。手を出せば、お前は嫉妬に狂った章子に呪い殺されるぞ」

「ちょっ……兄上っ?!」

 私は思わず、兄の肩をつかんだ。

「嫉妬に狂って呪い殺すって、そんなことしないよ!私は、私はただ、栽仁殿下と話してる允子さまが羨ましくって、そう思った自分が汚らわしいって思っただけで……!」

 と、

「ふふっ」

允子さまが悪戯っぽい笑みを顔に浮かべた。

「章子お姉さま、かわいい」

(?!)

 顔を真っ赤にして、兄の胸に顔を埋めると、

「本当にかわいいな、お前は」

兄がまた、私の頭を撫でた。

「章子お姉さま、冗談ですよ。栽仁殿下は章子お姉さまのものって分かっております。それに私、鳩彦殿下の方が好きですから」

 クスッと笑った8才年下の妹に、

「あ……姉をからかうものじゃありません……」

私が兄の胸に顔を埋めたまま返すと、

「やれやれ、これではどちらが姉かわからないな」

兄は私の頭を撫でながら苦笑する。

「幸せになれ。お前はお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に“幸せな恋と結婚をあきらめない”と誓ったのだ。その誓いを破ることは許さないからな」

(そ、そうだけど……)

 兄の胸の中、熱くなった頭を抱え、私はどうにも、考えをまとめることができなかった。


 午後4時50分。

「この度は、栽仁とのご婚約、おめでとうございます」

 はしゃぐ妹たちを送り出し、一息つこうと思う間もなく、青山御殿の応接間に現れたのは、砲兵少尉の北白川宮成久王殿下、去年の9月に士官学校を卒業してともに歩兵少尉に任じられた久邇宮鳩彦王殿下と久邇宮稔彦王殿下、そして海兵士官学校に在学中の北白川宮輝久王殿下の4人だった。

「ど、どうも……何か、まだ、信じられなくて……」

 4人に向かって、何とかこれだけ返すと、

「おい、輝久」

成久殿下が弟を小声で呼んだ。

「何だよ、(なる)兄上」

「姉宮さま、本当に栽仁のことを想われているのか?今の反応、全くそんな感じがしないが……」

「だよねぇ」

「ああ。輝久、お前の聞き間違いなんじゃないのか?」

 鳩彦殿下と稔彦殿下も、成久殿下に同調する。

「ちょ……ちょっと、待って……それ、一体、どういうことなの……」

 会話の意味をくみ取ることができず、恐る恐る王殿下たちに尋ねると、

「だけど、俺、はっきり聞いたぞ?!」

輝久殿下は私ではなく、成久殿下たちに向かって、全力で反論し始めた。

「棒倒しの時、姉宮さまが練兵場を突っ切って行って、栽仁の胸ぐらをつかんだんだよ」

(げっ)

 私は顔を引きつらせた。そう言えば、輝久殿下はあの棒倒しの時、競技に参加していたのである。

「それで、姉宮さまは栽仁にこうおっしゃったんだ。“あなたの身体が傷付くのは嫌だから、あなたに苦しんでほしくないから言ってるのに、どうして指示に従わないのか”って。そんなの、普通の医者なら患者に言わないだろ?!」

「……章子、本当にそんなことを言ったのか?俺は、お前が棒倒しを妨害して、数日間謹慎したとしか聞いていないが」

 私の隣に座った兄に、私はようやく、首を縦に振った。

「どうしてそれを俺に言わなかった、章子」

「だ、だって、最低過ぎるから……」

 肩をつかんだ兄から、私は目を逸らした。

「お……男の子の胸ぐらをつかんで、いきなり怒鳴りつけるような女なんて、好かれる訳がないもの……」

「ほう、栽仁に好かれたいから、ということか」

「〜〜〜っ!」

 私は顔を下に向けた。きっと、顔はものすごく赤くなっているに違いない。だって、胸がバクバクして、鼓動が落ち着く気配が全く無いのだから。

「……どうだ、成久。これで納得したか?」

「はい、納得いたしました。皇太子殿下のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 兄の言葉に成久殿下が頭を下げ、続いて鳩彦殿下と稔彦殿下も兄に向かって一礼した。

「あーあ、残念だったなぁ。……って言っても、兄上が当主である限り、どうしようもないんだけど」

 稔彦殿下がため息をつくと、

「うちも似たようなもんだよ、稔彦。バカ父上が当主である限り、姉宮さまとの結婚は許してくれないぜ」

 輝久殿下もこう応じる。久邇宮家の現在のご当主は、鳩彦殿下と稔彦殿下の兄である邦彦(くによし)王殿下、北白川宮家のご当主は成久殿下と輝久殿下の父親である能久(よしひさ)親王殿下で、2人とも、私に怯えている。この時代、結婚に関する当主の意向は、私の時代以上に大きい。当主の許可が得られないから結婚できないという事例はいくらでも存在するのだ。

「姉宮さまが僕のことを好きになってくれれば、バカ兄上と差し違えてでも結婚を説得するんだけど、この姉宮さまの様子じゃしょうがないね。申し合わせた通り、僕達は潔く身を引いて、姉宮さまと栽仁の幸せを祈ろうか」

 そう言った鳩彦殿下に、

「ほう、お前たち、章子の婚約について、何か話し合ったのか?」

兄がニヤニヤしながら尋ねた。

「はい、一昨日、俺たちが夏季休暇に入った日に、栽仁も交えて話し合いました。もちろん、俺たちだって、姉宮さまと結婚したかったけれど、姉宮さまの気持ちが栽仁の上にあるのが、棒倒しの一件で明らかだったので、俺たちは潔く身を引くことで合意したんです。やはり、姉宮さまには、姉宮さまが好きな方と結婚していただきたいですから」

「は、はぁ……」

 成久殿下の言葉に、私はオリジナリティのある答えが全く思い浮かばなかった。

「罪作りな奴だな、お前は。成久たちがニコライのように理性を失っていなかったからよかったが、下手をすると、お前との結婚を巡って、成久たちの中で血みどろの争いが起きるところだった」

 そう言いながら、兄は私の身体を小突いた。

「あ、争いとか、そんな……」

(みんな、私にマジになっちゃって、どうするの……)

 そう言葉を漏らそうとしたら、兄の視線にぶつかり、私は慌てて口をつぐんだ。

「章子、お前、また自分を傷つけようとしたな。全く、お前は俺の誇りだと言うのに……。そんなことでは、栽仁と上手くやっていけないぞ」

「そ、それ、やだ……」

 私が顔を伏せると、兄がまた、私の頭を優しく撫でた。

「お前たち、俺の妹を思ってくれてありがとう。俺はお前たちならば、誰が章子の夫になってもよいと思っていたが、章子の思いが栽仁にあり、お前たちもそれを認めているのなら、やはり章子の夫は栽仁しかいない。お前たちもそれぞれ、良き伴侶と巡り会えることを、俺も章子も祈っているからな」

「ご厚情、誠にかたじけなく思います。俺たちもなお一層、自己の研鑽に励み、国家のお役に立てるよう努めます」

 兄の言葉に成久殿下がこう返すと、兄は満足そうに頷いたのだった。


 午後5時20分。

「大分疲れているなぁ」

 成久殿下たちが青山御殿の応接間から出て行き、大きなため息をついた私に、隣に座っていた兄が笑いかけた。

「あ、当たり前じゃないの……」

 私は答えるとうつむいた。たぶん、顔はまた、赤くなってしまっている。

「突然、こんな風に自分の婚約が決まるなんて、思ってもみなかったから……」

「そうか……」

 兄が更に何か続けて言おうとした時、

「章子さん」

応接間の入口から、母が私を呼んだ。

「有栖川宮殿下から、章子さん宛にお電話が入りましたの。電話に出てくださいな」

「?!」

 身体を強張らせた私に、

「ああ、義兄上(あにうえ)からか。それは梨花、出ねばならんぞ。結婚式の日取りの相談かもしれん」

兄はニヤニヤしながらこんなことを言った。

「う、うにゃぁぁっ?!」

「ほらほら、叫ぶ暇があったら出てこい。付いていってやろうか?」

「ひ、一人で行くよっ、流石にっ!」

 そう言って立ち上がったのに、電話機のある部屋に向かう私の後ろには、兄も母も、そして母と別室で話していた節子さまも付いてきてしまった。

「お、お電話、代わりました。章子、です」

 緊張しながら受話器を持つと、

「ああ、威仁(たけひと)です」

送話口からは、大兄(おおにい)さま……栽仁殿下の父親である有栖川宮威仁親王殿下の声が聞こえた。

「はは……やはり、戸惑っておられますね。私も、増宮さまを妻にしたいから陛下に直談判すると栽仁が言った時には驚きましたが、増宮さまはその時の私以上に戸惑っておられる」

「あ、あの、大兄(おおにい)さま……」

 何とか、一連の経緯を問いただそうした私に、

「おや、お義父(とう)様とは呼んでくださらないのですか」

親王殿下はこう返した。

「うにゃっ?!」

「それとも、義父上(ちちうえ)の方がお好みですか?」

「い、いやだから、そのっ、まだ、結婚した訳じゃ……」

「そうですか。大事な大典太光世(かたな)まで栽仁にお渡しになったのは、嫁入り道具の前渡しだろうと思っておりましたのに」

「よ、嫁入り道具の……って!そんな……そんなつもりじゃ……」

 混乱の余り、口が全く動かなくなった私の耳に、親王殿下の笑い声が響いた。

「ははは……まぁ、よろしいでしょう、今はね」

「よ、よろしいでしょうって……私、何が何だか、さっぱり分からないんです……」

 ようやく衝撃から抜け出した私は、こちらの事情を説明し始めた。

「コッホ先生を鶴岡八幡宮に案内しようと思って、鎌倉の御用邸の門を出たら、新聞記者たちが“栽仁殿下とのご婚約、おめでとうございます”って言ってきて……」

「らしいですねぇ。大山閣下からも聞きましたよ。今、私のそばにいますが」

「は?」

 私は周囲を見回した。私を廊下からニヤニヤしながら見ているのは、兄夫婦と母の3人だけで、大山さんはいない。そういえば、応接間に入る直前から、彼の姿を見ていない気がする。いつの間にか、霞が関の親王殿下のお屋敷に行ったらしい。

「と、とにかくですね、訳が分からないんです。なんで栽仁殿下が、暴力女の私と結婚するなんて言うのか、私、理解出来なくて……」

 すると、

「では、栽仁に直接聞いてみたらいかがですか?」

親王殿下が、こんなことを言い始めた。

「は?」

「実は明日、自動車15台ほどで連れ立って、遠乗り……増宮さまの時代で言うドライブをしようと思っているのです。甲州街道を多摩川のほとりまで自動車で走って、少し引き返して谷保天満宮で昼食にして、東京に戻ろうと思っているのですがね」

 戸惑う私に向かって、親王殿下はとても楽しそうに説明する。彼の世間での愛称は“自動車の宮さま”……きっと嬉々として、自分でドライブの計画を練ったに違いない。

「それに、増宮さまも御成になりませんか?栽仁も付いて来ますから、明日栽仁に、今回の経緯を問いただせばよいでしょう」

「ちょ、ちょっと待ってください!私、この時代で自動車に乗ったことがないですし、お父様(おもうさま)の許可ももらわないと……」

「陛下のご許可なら、今朝参内した時にいただきましたよ。それに、自動車にお乗りになったことがないのなら、ぜひ我が家の自動車の乗り心地を体験していただきたいですねぇ」

 慌てる私に、親王殿下はゆったりと返答する。

「それに、明日、増宮さまは休日だと大山閣下に伺いましたから、明日の昼食の弁当も、増宮さまと大山閣下の分も含めて、百貨店に注文してしまったのですよ。もう注文は取り消せませんから、おいでにならないと、折角の美味しいお弁当が無駄になってしまいますよ」

「……分かりました。参ります」

 私はガックリと両肩を落とした。

「大山さんに、明日の手はずを大兄(おおにい)さまから教えてもらったら、青山御殿に戻るように伝えてもらっていいですか?」

「分かりました。では、また明日お会いしましょう、増宮さま」

「あ、はい……」

(どうしよう……)

 受話器を置いて電話を切った私は、急展開する事態についていけず、両手で頭を抱えたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 公開処刑は続く。 まあ、今まで目をつぶってきたツケが来たと言えばそれまでなんでしょうが、梨花様のHPもMPも完全にマイナスですね、これ。
[気になる点] めちゃくちゃ細かい話ですが、宮号は個人に付くものなので、当主以外には付きません 例外として○○宮家を継承する嗣子たる親王・王が○○若宮と呼ぶ慣習(三笠若宮こと寛仁親王殿下など。悠仁親王…
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] バラエティ番組風にいうと 「驚きの急展開が待っていた」 かな。
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