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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第46章 1908(明治41)年小満~1908(明治41)年大暑
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気苦労

 1908(明治41)年6月18日木曜日午後4時、麹町区富士見町にある医科学研究所。

「どうしたのよ、章子。墓場から起き上がった死体みたいな顔してるじゃない」

 医科学研究所の玄関で、馬車に乗って宿泊先のホテルへ戻るコッホ先生を見送り終わった時、エリーゼ・シュナイダーことヴェーラ・フィグネルが私の顔を覗き込んで言った。

「あの……シュナイダー先生、毎回申し上げていますが、内親王殿下に対して余りにも乱暴な言葉遣いはやめていただきたく思います」

 医科学研究所のビタミン研究の責任者である(はた)佐八郎(さはちろう)先生が、怒りの眼差しをヴェーラに投げかける。

「あー、いいですよ、秦先生。エリーゼは私の昔なじみだし、私が言っても聞きませんから」

 私が苦笑すると、

「ああ、流石宮さまだぁ。ご主人さまのことをよく分かってらっしゃる」

ヴェーラと一緒に百日咳菌のワクチンの研究をしている野口英世さんが、脇からもじゃもじゃ頭をひょいと出した。

「下僕は黙ってなさい」

「野口君は黙っていてください」

 ヴェーラと秦先生が同時に野口さんを睨みつけると、野口さんは悪びれずに「はぁい」と返事して頭を引っ込める。いつもヴェーラに鉄拳制裁を食らっている野口さんだけれど、しょげる様子は全くない。まぁ、これぐらいのふてぶてしさが無いと、ヴェーラの下僕……ではない、共同研究者は務まらないのかもしれない。

「下僕、ホルマリンの処理がそろそろ終わるでしょう。その片付けが終わったら帰るわよ」

 ヴェーラの命令に野口さんは「かしこまりました、ご主人様」と素直に応じ、実験室へと消えていく。ヴェーラも野口さんの後ろから、実験室へと堂々と歩いていった。

「シュナイダーさんがいらしてから、野口君が増宮殿下に無礼を働かなくなったのはよいのですが……」

「まぁまぁ、秦先生。野口さんにセクハラされる方が、ヴェーラのキツい言葉よりよっぽど嫌ですから」

 不満そうな秦先生を私がなだめると、彼は「それなら仕方ありませんが」と渋々私に同意した。

 6月12日に来日したコッホ先生は、13日、私の案内で上野の帝室博物館を見学した。14日には、北里先生が政財界の要人を招いて華族会館で開いた晩餐会に出席し、16日には、上野の東京音楽学校の講堂で、約1000人の聴衆を前に講演を行った。そして今日の午後、奥様と一緒にこの医科学研究所を訪れ、研究所の研究成果を見学しながら、北里先生や志賀(しが)(きよし)先生などの研究者たちと討論したのだ。討論は刺激的でとても勉強になったけれど、私は連日の接待で疲れてしまっていて、討論を聞いているのがやっとだった。

 と、

「コッホ先生に、不審に思われずに済んで良かったです」

いつの間にか、私の隣にベルツ先生が立っていた。

「そうですね」

 私は周囲を確認してから、小さな声で、

「日本でなされた医学的な発見、余りにも多過ぎますもんね」

とベルツ先生に答えた。

 実際、そうなのだ。滅菌手袋に始まり、脚気問題の解決、血圧計の開発、ビタミンの発見と抽出成功、マラリア原虫の発見とその特効薬の開発、抗生物質の発見と結核治療法の確立、インスリンの発見、点滴の技法の開発、日本住血吸虫の発見、血液型の発見……日本はこの20年近くで、多数の医学的な成功を収めている。もちろん、新しい治療薬の開発能力はドイツの方が高いし、心臓機能の研究はイギリスに遅れを取っているけれど、日本はあっという間に医学の先進国へと躍り出た――私の前世の知識によって。

 この国の医学の歴史を振り返れば、1890(明治23)年以降……私が、前世で学んだ未来の医学の知識を、この時代に還元しようと決めた時から、医学の発展速度が突然2倍、いや、3倍以上になったように感じられるだろう。この爆発的な発展の原動力は何かと考える人間も出て来るかもしれない。それは1890年当時7歳だった私であると探り当てる人はいないと思うけれど、用心するに越したことは無い。それに、コッホ先生は優れた医学者だから、当然、優れた洞察力をも持ち合わせている。研究員たちとの討論や会話で、この国の医学の発展に不自然な点があることを見抜いてしまう可能性がある。そう思ったので、コッホ先生の医科研見学を、私は内心恐れていたのだけれど、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。

「まぁ、今回の試練も乗り越えられましたから、また頑張らないといけませんね」

 私はベルツ先生に微笑んだ。

「だいぶ医学は進みましたけれど、私の生きた時代の医学のレベルにはまだ及びません。だから、もっと頑張って医療のレベルを上げて、たくさんの人を助けたいです」

「なるほど、たどり来て未だ山麓、ということですね」

 ベルツ先生も私に微笑みを向けた。

「ならば私も命ある限り、女医学校や医科大学の生徒を育てましょう。我々に続く優秀な後進が、我々がいなくなった後も医学を発展させられるように」

「そうですね。私も医科研総裁の仕事を頑張って、後輩たちを育てていかないと」

 ふと、名古屋の半井君のことが頭を過ぎった。彼はこの先、どのような未来をつかみ取るのだろうか。医者になることを諦めるのか、それとも……。

「では、一緒に頑張りましょう、殿下」

 微笑みを崩さずに私に言ったベルツ先生に、

「はい、一緒に頑張りましょう、先生」

私も笑顔でこう返した。


 1908(明治41)年7月3日金曜日、午前10時。

「コッホ先生は無事、午前9時発の列車で鎌倉に出発なさいました」

 青山御殿の私の居間。我が臣下からこう報告を受けた私は、

「やったー!」

と叫びながら両手を高く挙げた。

「これで、コッホ先生の影に怯えなくて済む!」

 そう言った私に、

「久しぶりに、梨花さまの心からの笑顔を拝見いたしました」

大山さんがホッとしたような表情を見せた。

「かなりお辛かったようですね、一連の行事が」

「そりゃそうよ」

 非常に有能で経験豊富な我が臣下に、私は力強く断言した。

「先生方の着せ替え人形にさせられて、専門分野じゃないことをドイツ語で解説させられて、おまけに、私の前世の知識のことがバレないかって冷や冷やしなきゃいけなかったんだもの。しかも、その気苦労を何度もしないといけなくて……辛くない方がどうかしてるわ」

 17日に医科学研究所を訪れた後、コッホ先生は再度の医科研訪問を希望した。こちらとしては、コッホ先生が医科研の研究内容に不信感を抱かないよう、コッホ先生が医科研にいる時間をできるだけ作りたくなかったのだけれど、ほぼ国賓扱いの彼の意向に逆らうのも難しく、結局彼は25日、30日と医科研を訪問し、その度に私は案内役として駆り出されることになった。その間にも、歌舞伎や能楽、相撲見物につきあわされたり、浅草や川崎大師の観光に連れ出されたり、もちろん、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)主催の昼食会やその他の歓迎会に同席したりで、気の休まる暇がまるでなかったのだ。

 けれど、コッホ先生夫妻は今日から1ヶ月ほど、鎌倉の海浜院ホテルで過ごす。東京の喧騒から離れ、鎌倉の神社仏閣をのんびり巡るのだそうだ。今月の末には、鎌倉の御用邸でコッホ先生を招いて昼食会を開催しなければならないけれど、それまではコッホ先生から解放される。最初はコッホ先生のそばに出来る限りいたいと思っていたけれど、様々な煩わしさや気苦労のせいで、彼は今では、“出来る限りそばにいたくない人”になってしまっていた。

「月曜日から、ようやく国軍病院に復帰だね。半月以上手術をしてないから、ちゃんと手術書を復習しなきゃ」

「ご無理のないようにお願いしますよ、梨花さま」

「わかってる。余り根を詰めないようにするよ」

 そう答えてニッコリ微笑むと、大山さんは頷き、「別館に行っております」と言って居間から去っていった。

 本棚から手術書を取り出すと、私は開いたページの文章を目で追い始めた。頭の中で手順や局所解剖を確認しながら読み進めていると、

「宮さま、お茶をお持ちしました」

千夏さんが障子の外から声を掛けた。

「いいよ、入って」

 返事をすると、千夏さんが障子を開けて入って来る。

「ああ……ようございました。宮さまがお元気になって」

 千夏さんがお茶をテーブルに置きながらこう言ったので、

「コッホ先生歓迎の行事から、ひとまず解放されたからね。だいぶ気が楽になったよ」

私は一旦本を閉じながら答えた。「色々と気を遣わないといけないから、やんなっちゃったよ」

「では、お顔色が余りよろしくなかったのは、ご病気ではなくて気疲れだったのですね」

「そうよ」

 すると、千夏さんはホッとしたような表情になり、

「よかった……本当にようございました」

と、大きく息を吐いた。

「この頃、宮さまがコッホ先生の接待にお忙しくて、なかなか身近に侍る機会がなく……遠くから拝見する宮さまのお顔色がよくなかったので、ご病気ではないだろうかと思ってしまっておりました」

「あー……心配掛けちゃったわね。ごめんね」

 私が頭を下げると、

「もし宮さまが倒れておしまいになったら、江田島に行かなければならないと思い詰めておりました」

千夏さんはよく分からないことを言った。

「江田島って……どういうことですか」

 尋ねると、

「もちろん、大典太(おおでんた)光世(みつよ)を返していただくのですよ、有栖川宮(ありすがわのみや)の若宮殿下から」

千夏さんは真剣な表情を私に向けた。

「千夏は宮さまのように、人を治療する術を持ちません。ですから、名刀の力に頼るしかないのです」

「そ、それはそうかもしれないけどさ……」

 私はため息をついた。「ダメだよ、それは……。あの刀は、もう栽仁(たねひと)殿下のものなんだ。それに、あの刀を栽仁殿下が失って、それで彼が病気にかかってしまったら、私、もう彼のことを助けられないし……」

 また、心がキリキリと痛む。諦めようとしている気持ちがまた蘇り、胸が切なくなった。

「……そうでしたね」

 千夏さんが、寂しそうに微笑した。「失礼を致しました。確かに、若宮殿下の御身に何か起こることは、宮さまが絶対にお避けになりたいこと。宮さまが刀の力でお元気になったのに、若宮殿下が健康を損ねられてしまったら、宮さまはとてもお悲しみになります」

「そうよ……」

 涙がポロッとこぼれ落ちた。「栽仁殿下が病気になるなんて、そんなのイヤよ……考えたくもない……」

「宮さま、涙が……」

「千夏さんのせいよ」

 私は千夏さんの着物の袖をつかんだ。

「思い出しちゃったから、また辛くなった。……思い出す私も悪いけど」

 すると、

「では、千夏、宮さまにお付き合い致します」

そう言いながら、千夏さんが床に両膝をついた。

「どうぞ、ご存分にお泣きくださいませ」

「……ありがとう」

 私は乳母子にお礼を言うと、最後に江田島を離れた時のように、彼女の肩に顔を埋めて涙を流したのだった。

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