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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第46章 1908(明治41)年小満~1908(明治41)年大暑
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騎士と淑女

 1908(明治41)年6月12日金曜日午前11時25分、東京・新橋駅のプラットホーム。

「あのー、後藤さん?」

 新橋駅のプラットホームに立っている私は、後ろにいる厚生大臣の後藤さんに声を掛けた。

「何でございましょう、増宮殿下」

 黒いフロックコートに同じ色のシルクハットをかぶった後藤さんは、くるっと私に身体を向けた。

「私、この格好で本当にいいんですよね?」

 私が今着ているのは、真っ白い軍装である。ただ、礼装のランクは多少低くていいということなので、勲章は付けていないし、腰に吊るしている軍刀も、最上級の正装の時にしか使わない大典太(おおでんた)光世(みつよ)ではなく、会津兼定さんが打った軍刀だ。……もっとも、大典太光世は、人に譲ってしまったから、私の手元にはもう無いのだけれど。

 そして、白いジャケットの下は、スカートではなくて白いスラックスだ。普段、改まった席でスラックスを穿くことは殆どないのだけれど、“今日はこちらで”と強く要望されたのだ。

「もちろんでございます」

 その要望を出した当人である後藤さんは、自信たっぷりの表情で私に答えた。

「この我輩が決めさせていただいた服装です!我輩の留学中の恩師の1人であるコッホ先生に対しても、まったく問題は無いと考えます」

「はぁ……」

「それに、これから続く一連のコッホ先生の歓迎行事の中で、増宮殿下が軍服をお召しになる機会は非常に少ないと聞いております。ですから、この機会に是非、近代日本初の女性軍人としての凛々しく、そして美しいお姿を、コッホ先生の眼に、いえ、網膜に、刻んでいただきたいのです!」

 鼻息荒く語り始めた後藤さんを見ながら、

(訳が分からない……)

私は大きなため息をついた。

 今から約3時間前の午前8時20分、コッホ先生と、コッホ先生より30歳年下の奥様であるヘドヴィッヒさんが、ハワイ王国からの汽船に乗って横浜港に到着した。横浜には国立医科学研究所の所長・北里(きたざと)柴三郎(しばさぶろう)先生と、国軍医務局長の高木(たかき)兼寛(かねひろ)軍医中将の他、横浜の医療関係者たち、総勢50人ほどが出迎え、埠頭で歓迎式典が執り行われた。それが終わった後、コッホ先生夫妻は北里先生と高木医務局長と一緒に、横浜から列車で私が待ち受ける新橋駅にやって来るのだ。横浜に着くなり歓迎式典が行われたり、皇族の私が新橋駅で出迎えたり、一応、民間人であるとはいえ、コッホ先生が受ける待遇は国賓のそれに近い。流石、“世界の北里”のお師匠さまである。

 そんなコッホ先生を接待しなければならないので、彼の東京での公式行事には、皇族の臨席が――要するに、医師免許を持っている私の臨席が必要になってしまった。今日は新橋駅でのコッホ先生を出迎えた後、コッホ先生の滞在先のホテルの食堂で昼食会に出席する。明後日の夜は、北里先生が華族会館で開く歓迎晩餐会に出席し、その次の日は私が総裁を務める医科学研究所をコッホ先生に案内する。医学関係の諸学会が合同で主催する講演会への出席、歌舞伎・能楽・相撲見物への同行。もちろん、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)が主催する歓迎昼食会にも同席するし、帝国大学が開く昼食会にも出席する。それから、青山御殿でも歓迎の昼食会を開いて……。数え上げると片手では足りなくなってしまうほどの公式行事が、私を待ち受けている。

 そして、なぜか問題になってしまったのは、それらの行事に私が着ていく服装だった。お父様(おもうさま)から、一連の歓迎行事への出席は、病院から出張したという形を取る、と言い渡されたので、私は全て軍装で出席するつもりでいた。ところが、

――軍装だけでは物足りない!

――そうだ!ドレス姿の増宮さまを見せろ!

――何を言っている、貴様は!和装に決まっているだろうが!

……などと、コッホ先生の歓迎委員会の委員たちが騒ぎ出し、収拾がつかなくなってしまったらしい。そして、私の知らないところで様々な折衝がなされた結果、

――梨花さまには、その行事の日本側の責任者が希望する服装をしていただく……という結論になりました。

大山さんが苦笑しながら私に教えてくれたのは、昨日の夕方のことだった。今日の東京での行事の責任者は後藤さんなので、私は彼の要求する服装で、仕事場に現れたという訳だ。

(これ、間違いなく、毎回毎回服をとっかえひっかえしなきゃいけないってことだよね。私は先生方の着せ替え人形じゃないんだけどなぁ……)

 今までのことを思い返してため息をついたその時、

「しかし、これだけの学者たちが一堂に会すと、壮観でございますなぁ」

後藤さんが後ろを振り返り、感嘆の声を上げた。

「確かにそうですねぇ……」

 私もそう言いながら、後ろを振り返る。私たちの後方には、大勢の人が並んでいる。国立医科学研究所の顧問であるベルツ先生。東京帝国大学総長で大山さんの義兄でもある山川(やまかわ)健次郎(けんじろう)先生。4月から東京帝国大学医科大学の学長に就任した緒方(おがた)正規(まさのり)先生は、1902(明治35)年のノーベル生理学・医学賞の受賞者でもある。それから、医科大学付属病院病院長の佐藤(さとう)三吉(さんきち)先生、医科大学内科学教授の三浦(みうら)謹之助(きんのすけ)先生、外科学教授の近藤(こんどう)次繁(つぎしげ)先生、薬物学教授の高橋(たかはし)順太郎(じゅんたろう)先生など、医科大学の教授が全員顔をそろえていた。医科学研究所の方も、志賀(しが)(きよし)先生や(はた)佐八郎(さはちろう)先生はもちろん、野口(のぐち)英世(ひでよ)さんやヴェーラ・フィグネルまでコッホ先生の出迎えの列に加わっている。その他、東京の主な病院・医院の院長など、コッホ先生を歓迎しに新橋駅に集まった医療関係者は100人を超えていた。

(あれ?)

 その出迎えの人々の顔を目で追っていた私は、首を傾げた。渋谷村にある赤十字社病院の院長・石黒(いしぐろ)忠悳(ただのり)の姿が無かったのだ。赤十字社病院も東京近郊では大きい病院だから、奴もこの場にいるはずなのだけれど。

(ま、会わないなら会わないに越したことはないんだけどね)

 そう思った瞬間、

「いかがなさいましたか、梨花さま」

黒いフロックコートを着て、私の斜め後ろに控えていた大山さんが、私にそっと声を掛けた。

「あ、いや……石黒がいないな、って思って」

 小さな声で答えると、

「新潟の十日町(とおかまち)に、青山と一緒に派遣されております」

大山さんが私の耳元で囁いた。

「一昨日の深夜に、1000戸近くが焼ける大火事が発生しまして、そちらの罹災者の救援に向かいました。災害に遭った住民の救護は、赤十字社の大事な業務ですからね」

(なるほどね……)

 それなら、ここに石黒がいないのも納得だけれど……。

「大山さん」

「何でございましょうか」

 恭しく私に応じた大山さんに、

「まさかその火事、あなたが石黒と青山を追い払うために起こしたんじゃないわよね?そうだとしたら、流石に怒るよ」

私は小声で言うと、彼を睨みつけた。

「ご心配なく。天地神明に誓って、住民に迷惑を掛けるようなことは致しておりません」

 大山さんは私にサッと頭を下げた。

「そもそも、大火事を起こし、その被災地に石黒と青山の派遣をさせるなどという不確実で迂遠な方法、(おい)が取る訳がないでしょう。あの2人をこの新橋駅に来させないようにするには、自宅を出た直後に、別の場所にお連れ申し上げればよいのですから……」

「?!」

 背筋に寒気が走った。大山さんの声は、小さく淡々としていたけれど、それがかえって、私の恐怖を増幅させた。

「あの、大山さん?むやみやたらに、人を傷つけたり、命を取ったりしないでね……」

「心しておきましょう」

 本当に心して欲しい。大山さんが総裁を務める中央情報院は、いつの間にか世界を股にかける諜報機関になってしまったけれど、むやみやたらに人に迷惑を掛けたり、人を殺戮したりするような組織にはなって欲しくないのだ。

 そんなやり取りの間にも、鉄道の職員さんたちはきっちりとその仕事をこなし、午前11時30分、コッホ先生を乗せた列車は定刻通り、新橋駅のプラットホームに到着した。コッホ先生が一等車から降りてきたのを見つけると、私はすぐさま右手を挙げ、彼に軍隊式の敬礼を送った。


『はじめてお目にかかることができ、嬉しく思います、コッホ先生。私は章子と申します』

 ニッコリ笑いながら、コッホ先生に片手を差し出すと、

『おお……』

コッホ先生の厳めしい顔がほころび、頬にほんのり赤みが差した。

『ロベルト・コッホと申します。ご高名な殿下にお目にかかることができ、光栄でございます』

 コッホ先生は私の手を恭しく取って握手すると、

『ドイツ語がお上手ですね。素晴らしい。殿下と自由に意思疎通ができるとは』

キラキラした目で私を見ながら言った。

『お褒めいただき、ありがとうございます。ベルツ先生に教わりましたの』

『そうですか、彼仕込みですか。開国して100年も経っていないこの国の医学を、あっという間に世界水準に引き上げて……日本では彼のような人間を“名伯楽”と呼ぶのだそうですが、ベルツ博士はまさにそれです。殿下も、彼の薫陶を受けた一人なのですね』

 コッホ先生の称賛に、私はあいまいな微笑を返した。ここ数年は、私が実験手法そのものに口を出すことは殆どないけれど、この国の医学がここまで発展してしまったのは、私が前世で学んだ医学の知識を、ベルツ先生に伝え始めたのがきっかけだ。とは言え、それをコッホ先生に教える理由は全く無いので、

『末席の末席ですが、ベルツ先生の弟子の1人を自認しております。私の師匠をお褒めいただいたこと、大変うれしく思いますわ』

とドイツ語で答えておいた。

 と、

『まぁ、あなた様が、噂の内親王殿下……』

1人の西洋人の女性が現れた。年は、私より5、6歳は上だろうか。少し愛嬌のある顔は上気していて、うっとりしたような視線を私に投げている。

『私、コッホの妻のヘドヴィッヒと申します。ずっとあなた様に……あなた様にお会いしたくてたまりませんでした!』

『……章子と申します』

 なんだか嫌な予感がする。それに、これと同じような目を投げかけられた記憶もどこかである。警戒しながら手を差し出すと、

『ああ、大輪のバラの花のように艶やかな騎士様の御手を、美しい胡蝶のようなサムライの御手を、握れる日が本当にやって来るとは……まるで夢のようですわ!』

ヘドヴィッヒさんは詩の一節のようなセリフを呟き、私に輝く目を向けた。

(こ、この目……華族女学校の下級生と同じ目だ!)

 私が華族女学校を退学する、数か月前だったと思う。バレンタインの行事が、“大切な人に贈り物をする”という形で、東京に定着し始めてしまった頃で、その年はなぜか、両親や梨花会の面々からだけではなく、下級生一同からもバレンタインのプレゼントをもらったのだ。その時、下級生の代表が3人、私のところにプレゼントを持ってきたのだけれど、

――強くてお美しい、わたくしたちのあこがれの増宮殿下に、どうか贈り物を捧げさせてください!

私にプレゼントを渡す時、今のヘドヴィッヒさんと同じような目で、こんなセリフを言ったのだ。

(ええと、“男装の麗人”的な……少女歌劇の男役に憧れて、みたいな感じなのかな?ま、しょうがないよね。この時代、女性が軍隊に入ってるなんて、ほとんどないことだし)

 私がそう思った瞬間、

『恐れながら』

後ろから大山さんがすっと進み出て、私の隣に立った。

『増宮さまに関して、近頃は事実と異なる噂が流れているようでございます。もちろん、増宮さまは軍医であらせられますから、敵に立ち向かう勇敢さは有していただかなければなりません。しかしながら、軍人勅諭に“国軍将兵は紳士淑女たれ”……とありますように、増宮さまは立派な淑女であらせられます。どうぞ、貴女様にもそのことをお忘れなきように、お願いいたします』

 完璧なドイツ語で喋る大山さんの口調は穏やかだけれど、その立ち姿は、どことなく緊張している。それにどこか不穏なものを感じた私は、

『大山さん、そこまで言わないで。ヘドヴィッヒさんも、悪気があっておっしゃったわけじゃないんだから』

とドイツ語で大山さんを止めた。けれど、普段なら素直に止まってくれる大山さんが、『しかし……』とドイツ語で応じて首を横に振る。

 すると、

『失礼いたしました』

ヘドヴィッヒさんが握手した手を離して言った。

『先ほどの発言は訂正いたします。まことにお美しい、凛とした淑女であらせられる、と……』

『いえ……私の臣下が、大変申し訳ありませんでした』

 もしかしたら、大山さんの言葉で、ヘドヴィッヒさんが気分を害したかもしれない。私は丁重に、ヘドヴィッヒさんに謝った。

 その後、私は北里先生と、コッホ先生夫妻と一緒の馬車に乗り、日比谷公園のそばにあるコッホ先生の宿泊先のホテルに向かった。到着すると、ホテルの食堂で、引き続いて後藤さん主催の歓迎昼食会になる。新橋駅に出迎えに出ていた主だった面々だけではなく、厚生省から次官の若槻(わかつき)禮次郎(れいじろう)さん以下、局長級の官僚も参加しての大規模な昼食会だったけれど、コッホ先生夫妻は機嫌よく会話に応じてくれ、今の日本とドイツの衛生行政についての話で盛り上がった。

「……新橋駅では、びっくりしたわ」

 昼食会が終了し、青山御殿に戻る馬車に乗り込むと、私は隣の席に座った大山さんにため息をつきながら言った。

「大山さん、いきなりあんなことを言い出すんだもの。ヘドヴィッヒさんが気を悪くしないかと、冷や冷やしたよ」

「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

 大山さんが穏やかな表情で、私に軽く頭を下げる。

「ですが、怖くなってしまいまして……」

「怖く?」

 私は目を見張った。非常に有能で経験豊富な我が臣下に、怖いものなどあるのだろうか。

(あ、でも、井上さんの料理は怖がってたか……)

 私がそう思った時、

「あのコッホ夫人の言を許容してしまうと、梨花さまが大切なものを完全にお忘れになってしまうのではないか……不安でたまらなくなったのです」

大山さんはそう言った。

「はぁ……」

 私はあいまいな返事をした。大山さんの言ったことがよくわからなかったのだ。

「梨花さま」

 大山さんが、私の眼をじっと覗き込んだ。

「はい?」

「広島で、何かございましたか?」

(?!)

「梨花さまが広島から井上さんに電話をなさった時のことを聞きまして、(おい)は驚いてしまったのです。梨花さまが、怒りを露わにされて人を怒鳴りつけるということは、めったにないことですから。梨花さま……何か、梨花さまのお心を痛めるようなことが、広島でございましたか?」

「あ……あなたが、そばにいなかったからよ」

 大山さんの問いに、私はとっさにウソをついた。

「きっとあなたがあの場にいたら、帰京の予定が急遽変更になったくらいで、あんなに怒りを覚えることはなかったんだろうけれど、あなたが、いなかったから……」

 諦めたはずの思いが、また胸の中によみがえってしまう。私は、妹の結婚相手に対して、“好き”という、決して抱いてはいけない思いを抱いてしまったのだ。それは、大切な臣下にも言うことは出来ない。

(それに……こういう話、普通、父親に相談するものなのか?いや、血はもちろんつながってないけど、父親代わりみたいな人だし……)

 私が軽くため息をついた時、

「おや、さようでございましたか」

大山さんはそう言って、左手で私の頭を優しく撫でた。

「それは梨花さま、修業がまだまだ足りませんよ。時には怒りを抑えることも肝要です」

「……さっき、あなた、それが出来てなかった気がするけれど」

「さて、何のことでしょうか」

「しらばっくれちゃって」

 唇を軽くとがらせると、大山さんがまた、私の頭を撫でる。

「そのお言葉は、そっくりそのまま梨花さまにお返しする方がよろしいでしょうか?」

(え……?)

 とっさに答えられない間に、馬車は青山御殿の車寄せに到着し、私と大山さんの会話はそこで途切れたのだった。

※登場人物の役職(特に帝国大学関係)は実際と変わっているところが多いです。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 石黒と青山はある意味、災害派遣医療チームの魁として今後の文献に名前を残しそうではある
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