術後1日目
1908(明治41)年3月3日火曜日午前8時、広島県江田島にある海兵士官学校構内の病室。
「おはよう、栽仁殿下」
「おはようございます、姉宮さま!」
元気な声で私に挨拶した有栖川宮栽仁王殿下を、
「“中尉どの”!」
私は早速注意した。
「……お元気そうで何よりですね」
私に続いて栽仁殿下の病室に入ってきた海兵士官学校軍医長の臼井軍医大佐がクスっと笑うと、秋本軍医少佐も、昨夜当直だった栗田軍医大尉も、微かに笑い声を立てた。
昨日、東京から衛生状況を視察しにやって来た東京帝国大学医科大学外科学教授の近藤次繁先生を案内するために江田島に入った私は、海兵士官学校の2年生である栽仁殿下の急性虫垂炎の手術を、成り行きで執刀した。発症初期だったこともあり、手術は無事成功したのだけれど、“術後の経過観察をするように”と広島国軍病院の大西病院長と第5軍管区司令官の上村彦之丞海兵中将に命じられてしまい、私は江田島に残る羽目になってしまったのだ。幸い、病院長と司令官が泉邸に連絡してくれたので、昨日の夕方には乳母子の千夏さんと合流できたし、海兵士官学校の島村速雄校長が宿も手配してくれたので、昨夜も今朝も何不自由なく、江田島で過ごせたのだけれど……。
「さて、栽仁殿下。診察するから、ベッドの上に身体を起こしてちょうだい」
ゆっくり動いてね、と付け加えようとした瞬間、栽仁殿下は勢いよく起き上がり、
「あれ、中尉どの、どうしたんですか?」
と不思議そうな顔で私を見た。
「ゆっくり起き上がって欲しかったんだけど、止める暇がなかったわ……」
私は栽仁殿下から目を逸らしながらため息をついた。
「あの……急に動いて、創口は痛くなかった?」
「少しだけ。でも、全然平気です」
「……じゃあ、診察する」
もう一度ため息をつくと、私は機械的に栽仁殿下の身体所見を取り始めた。頭部と胸部・手足を診察すると、もう一度仰向けに寝てもらい、腹部の診察に取り掛かる。
「腸はちゃんと動いてるし、お腹の痛みも無いわね。ガスは……おならは出たかしら?」
「さっき出ました」
栽仁殿下が寝間着を直しながら答える間に、私は机の上に置かれたメモに目を通す。看護師が血圧や体温などを、私たちの回診前に測定して、記載してくれているのだ。
「……体温は37度2分と少し高めですけれど、血圧も脈拍数も呼吸数も正常ですし、身体所見にも異常がありませんから、手術後の反応としていいですかね」
後ろにいる臼井軍医大佐たちに確認するように言うと、
「そうですね、私もそう思います」
臼井軍医大佐は首を縦に振った。
「では、経口補水液を少し飲んでもらって、問題がなければ、昼から五分がゆを出しましょうか」
医者同士で話し合っていると、
「ご飯が食べられるんですね!」
栽仁殿下が目を輝かせながら言った。
「経口補水液を飲んでもらって、問題が無ければね」
「嬉しいな、お腹が空いたから。身体に必要な水分は、点滴で補ってるって新島さんに教わりましたけど、やっぱり口から物を飲んだり食べたりしないと、食事をしたって感じがしないから」
「そうね」
はしゃぐように言う栽仁殿下に事務的に返すと、
「それから、お手洗いまでなら歩いていいわよ。ただし、最初に歩く前には、必ず呼び鈴で誰かを呼んで、歩くのに付き添ってもらうこと」
と私は更に続けた。
「……勝手に動いちゃダメなんですか?」
「手術の後は、自分が思っているよりも、筋力が落ちてるのよ。それに、起立性の低血圧で倒れることもあるし、血栓が急に肺に飛んで、呼吸困難になることもあるから。……返事は?」
「わかりました、あね……じゃない、中尉どの」
私の言葉に、栽仁殿下は右手で敬礼を返した。
「よろしい。……じゃあ、昼前にまた診察しに来るわ」
踵を返そうとすると、
「え……?ずっとここにいていただきたいのに」
栽仁殿下が不満げに言った。
「そういう訳にもいかないの!」
私は半分怒りながら返答した。「士官学校のお仕事も手伝うことにしたから!そうじゃないと、臼井大佐たちにご負担を掛けてしまうし!……じゃあね!」
そう言い捨てると、私は病室のドアに向かってずんずん歩いていく。ダメだ。これ以上ここにいてはダメだ。昨日は殆ど大丈夫だったのに、なぜ今日になったら、栽仁殿下の顔を見てしまうと……。
「分かりました、姉宮さま」
また私の呼び方を間違えた栽仁殿下に、
「“中尉どの”!」
振り向かずに言い捨てると、私は病室から出ていった。
午後3時30分。
島村校長に案内されて、栽仁殿下の両親である有栖川宮威仁親王殿下と慰子妃殿下、栽仁殿下の妹の實枝子女王殿下、そして有栖川宮家の教育顧問である国軍次官の山本さんが病室にやって来た。栽仁殿下が虫垂炎になり、私が手術を執刀するという一報を聞いてすぐに、西に向かう列車に乗ったのだそうだ。
一様に心配そうな表情になっているご家族と山本さんを栽仁殿下の病室に案内すると、私は医師の控室に戻った。東京を離れて寄宿舎で生活している栽仁殿下にとっては、お正月以来2か月ぶりの肉親との再会だ。しばらくは東京からのお客様たちと話していてもらおう、と考えながら、控室で医学書に目を通していると、
「増宮さま、手術の話を聞かせてもらってもいいですか?」
私が病室を立ち去って10分もしないうちに、威仁親王殿下と山本さんが控室に姿を見せた。
「構わないですけれど……慰子さまと實枝子さまもお聞きになりますか?」
「いえ、私と山本閣下だけで構いません。慰子と實枝子には、刺激の強い話になるかもしれませんから」
確かに、私は全然平気だけれど、手術の話が苦手な人もいる。私は島村校長と臼井軍医大佐に許可を取ると、威仁親王殿下と山本さんを事務棟の応接室に連れて行き、手術に至った経緯とその結果を2人に話した。威仁親王殿下が、栽仁殿下を虫垂炎と診断した根拠だけではなく、虫垂炎の一般的な経過や治療法、更には、「増宮さまの時代ではどのように治療するのですか?」とか「もし、手術中の記録やスケッチがあれば見せて欲しい」とか、様々な質問を私に浴びせたので、
「なるほど。つまりこの病気は、増宮さまの時代なら、抗生物質の投与で抑え込めることもあるが、現在では診断がつけば手術で患部を取り去るのが最善、ということですね」
威仁親王殿下が納得したように深く頷いたのは、説明を始めて1時間以上が経過したころだった。
「は、はい、そうです……」
私はすっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干した。ずっと説明していたので、喉がとても渇いていたのだ。
「検査機器が発展していないので、お腹の中を確かめるには、開腹して直接目で見るしかないんです。もちろん、誤診の可能性もゼロではないので、開腹して無駄に身体に負担を掛けてしまうこともあります。本当はCTがあればいいんですけど、コンピュータの開発が必要になるので、私が生きている間に出来るかどうかも怪しいんですよ……もちろん、産技研にコンピュータの開発も含めて依頼はしていますけれど」
「だから、今ある技術で出来ることをした、という訳ですね」
「そうなります」
そう答えると、椅子に座っていた威仁親王殿下は急に立ち上がり、私に向かって最敬礼した。山本さんもほぼ同時に立ち上がって、私に深く頭を下げた。
「ありがとうございました、増宮さま」
「俺からも、教育顧問として、御礼申し上げます」
「あ、あの、2人とも、頭を上げてください」
私は慌てて腰を上げた。「私、出来ることをしただけなので……」
けれど、
「私は、八百万の神に感謝しなければなりません。増宮さまが、昨日、この江田島にいらしたことを」
威仁親王殿下は、頭を下げたまま言った。
「もし増宮さまがいなければ、栽仁は適切な処置を施されず、今も腹痛と熱に苦しんでいたに違いありません。増宮さまがいて、諸先生方がためらう中、敢然と手術なさったからこそ、栽仁は今、何らの症状に苦しめられることなく過ごせている。増宮さまに任せて本当に良かった」
「有栖川宮殿下のおっしゃる通りです。若宮殿下を救って下さり……」
(ど、どうしよう……)
頭を深々と下げたままの威仁親王殿下と、号泣している山本さんを見比べながら、私は戸惑っていた。
手術が無事に終わったと言っても、今日は術後1日目。昼食は問題なく食べられたけれど、微小な出血が腹腔内に起こっていないか、手術の創が感染しないかなど、栽仁殿下はまだ注意して経過を観察しなければいけない時期にある。
(それに、執刀しようとした時、私、手が震えて……とても、情けなくて……)
自分の右手に視線を落とした瞬間、
「そう言えば、増宮さまは、これから広島に戻られるのですか?」
いつの間にか頭を上げていた威仁親王殿下が、私にこう尋ねた。
「あ、いや、その……実は、病院長の命令で、しばらく江田島にいることになってしまって……」
しどろもどろになりながら答えると、
「そうですか。増宮さまが江田島にいてくださるなら、私も安心できます」
威仁親王殿下は微笑した。
「抜糸が終わるまでは、慰子と實枝子と一緒に、江田島の別邸にいることにします。引き続きよろしくお願いしますよ、増宮さま」
そう言った親王殿下に、「こちらこそ」と一礼して、私は応接室を後にした。もう定時の5時になってしまっている。いったん控室に戻って、臼井軍医大佐に挨拶をすると、私は診察カバンを持って士官学校の校門に向かった。定時には、千夏さんが、宿から迎えに来ることになっている。今朝一緒に士官学校まで来たけれど、慣れない道だから、迷子になっていないだろうか。
(早く行かないと、千夏さんが心配しちゃう)
歩く速度を上げると、すぐに校門が見えてきた。門柱のそばに、誰かが立っている。千夏さんだろうか、と目を凝らした私は、足を止めた。
「大山……さん……?」
いつもと同じ黒いフロックコートを着た大山さんは、私の声に応じるかのように、私に向かって一礼した。
「いつ、江田島に着いたの?」
宿に向かって歩きながら、私は大山さんに尋ねた。
「1時間ほど前です」
東京で中央情報院の仕事をしていたはずの大山さんは、私に優しい声で言った。もちろん、私の右手は、彼の左手の中にある。
「梨花さまが若宮殿下の手術を執刀なさると聞きましたので、当面の仕事は金子さんに頼んで、急いで新橋から出発したのです。列車に乗っている時に、梨花さまはしばらく江田島にご滞在されると連絡が入りましたので、広島駅から直接こちらに参りました」
「そうか……私のことを心配して、来てくれたのか」
「ええ」
大山さんは立ち止まると、優しくて暖かい瞳で私を見つめた。
「手術は、上手くいったようですね」
「……ほぼ、完璧に近い出来だと思う」
私は大山さんに向き直った。「炎症が始まってから時間が経たないうちに手術が出来たから、お腹の中も奇麗だった。今までの経過も、特に問題ない。微小な出血が起こっていないかとか、手術の創が感染しないかとか、注意して経過は見ないといけないけれど」
「それは大変、ようございました」
大山さんは満足そうに微笑する。
「でも、ね……」
私はうつむいた。大山さんの微笑を、見ていられなかったのだ。
「最初にメスを持った時、右手が震えて……思う通りに、手が動かなかった……」
「そうでしたか」
「たぶん、栽仁殿下が、私の弟分だから……肉親同然だと思っているから、冷静になれなかったんだ。“私が執刀する”って、序列が上の先生方に大見得を切っておいて、そんなザマだったから、本当に、情けなくて……」
大山さんは、私の右手を握ったまま、私の言葉を黙って聞いていたけれど、
「しかし、乗り越えられたのでしょう?」
と穏やかな声で聞いた。
「うん……。栽仁殿下が、“この手術を乗り越える”って言ったから……姉貴分の私も乗り越えなきゃ、って思ったら、手の震えが止まったの。だから……だから、手術をやり果せた」
私はうつむいたまま、心の中にある言葉を吐き出し続けた。
「でも、将来、お父様の治療と診断をしなきゃいけない時、こんなザマじゃいけないな、って思うの。もっと……もっと、重圧がかかって、もっと、冷静じゃなくなるんだろうから……」
すると、私の右手を包んでいた大山さんの手が、急に離れた。
(え……?)
戸惑った次の瞬間、私の背中に大山さんの両腕が回される。
「大丈夫ですよ、梨花さま」
私の背中から離れた大山さんの右手が、私の頭を、白い制帽の上から優しく撫でた。
「若宮殿下の手術を、無事に終えることが出来たのです。陛下の時も、きっと乗り越えられます。……俺はそう、思います」
「そっか……」
フロックコート越しに、制帽越しに、大山さんの温もりが伝わって来る。それを感じていると、昨日の手術以来、心の中で張りつめていたものが、優しく解きほぐされていくような気がした。
「大山さん……忙しいのに、来てくれてありがとう」
「それは……俺は、梨花さまの臣下でございますから」
雲間から漏れた夕陽が、雲と、そして遠くに見える江田島の海を、穏やかに照らしていた。その茜色の光が夕闇に溶けて無くなるまで、私は大山さんの胸の中で、涙を流し続けたのだった。
※慰子妃殿下は、実際にはこの時期病気で葉山滞在中でした。




