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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第45章 1907(明治40)年立冬~1908(明治41)年穀雨
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1月の広島

 1908(明治41)年1月11日土曜日午後3時、広島市基町(もとまち)にある国軍の武道場。

「……」

 剣道の稽古着の上から防具を付けた私は、竹刀を構え、1人の剣士と向き合っていた。

「……」

 私より少し大柄なその相手は、私と同じように竹刀を構えたまま、まったく動かない。そして、前にいる私をじっと見据えていた。

 今日は、広島国軍病院で毎年1月に行われている、職員対抗剣道大会だ。身体に故障が無い限りは全員参加が義務付けられているので、もちろん私もエントリーしている。

――試合の時、絶対に手加減しないでください。

 剣道大会の運営委員には何度もお願いし、院長からも同じことを職員に注意してもらった。だから対戦した相手は、全員私と真剣に立ち合ってくれたのだけれど、私は運よく連戦連勝して、決勝まで勝ち上がってしまった。

 決勝戦の相手は、やはり新島八重さんだった。彼女が滅茶苦茶強いことは、“日進”に一緒に乗っていた時に、身体で分からされている。今も、噴水のように湧き上がっている彼女の気合に、押しつぶされてしまいそうだ。

(これに、飲まれちゃいけない。飲まれたら負ける……)

 武道場の壁に沿って、剣道大会に出場して敗退した大勢の病院職員が立ち、私と新島さんの試合を、固唾を呑んで見守っている。その気配は無視して、もちろん新島さんも無視して、私は自分の身体にだけ意識を集中させた。徐々に周りのざわめきが聞こえなくなって、無音の空間に、私の呼吸と鼓動の音だけが響く。神経の一本一本が研ぎ澄まされて、鋭敏になっていくような感じがした。

 全く動かない私に苛立ったのか、新島さんが、足をゆっくり少しだけ出したり、それを引っ込めたり、という動作を繰り返している。動きで私をつり出して、そこに攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。私は新島さんを徹底的に無視して、自分自身に集中した。次第に、新島さんに対する恐怖は消えていき、今までの新島さんの剣道の試合での動きを冷静に分析している自分がいた。

(こっちの間合いに新島さんを誘い込めば……新島さんより早く打ちこめる!)

 予感が確信へと自然に変わる。動くならこの一瞬しかない。私はわざと大げさにスキを作り、新島さんを誘い込もうとした。

 その時、

「姉宮さま、頑張れ!」

……突然、武道場に、聞いたことのある、しかし絶対に聞こえないはずの声が響いた。反射的に視線を動かすと、病院職員に混じって、紺色の詰襟の制服を着た若者が2人、武道場の壁際に立っているのが分かった。江田島にある海兵士官学校にいるはずの、有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁(たねひと)王殿下と、北白川宮(きたしらかわのみや)輝久(てるひさ)王殿下だ。

(ウソっ?!なんでここにいるの?!)

 海兵士官学校の生徒が、長期休暇ではない時に江田島を出ることはあり得ない。それでは、まだ冬期休暇中なのだろうか。学校が始まるのが、少し遅すぎる気もするけれど……。頭の中で様々な推測が回った瞬間、

「やあああああっ!!」

新島さんが私に向かって突進してきた。

(し、しまった!受け止めないと!)

 慌てて攻撃を受け止めようとしたけれど、私の反応速度より、新島さんの向かってくるスピードの方が上だった。満足に竹刀を振るえないまま、私はあっけなく新島さんに面を取られ、剣道大会の優勝を逃してしまったのだった。


 午後4時、広島市上流川(かみながれがわ)(ちょう)にある泉邸(せんてい)

「梨花さま、ご機嫌を直してください」

 私が居間として使っている和室で、苦笑しながら私にお茶を出したのは、先ほど東京から泉邸に到着したばかりの大山さんだった。

「だって、また自分の修業不足を痛感したんだもん。本当にやんなっちゃう」

 稽古着から軍服に着替えた私は、大山さんが出してくれたお茶を少しだけ飲んだ。湯飲み茶わんをテーブルに置くと、大きなため息をつく。このお屋敷は和風建築で、この部屋にも畳が敷いてあるけれど、私は青山御殿と同じように、洋式の家具を置いて生活していた。

「残念です。もう少し早く広島に到着していれば、総裁宮殿下の勇姿を拝見できましたのに」

 そう言ったのは、私の前に座っている医科学研究所所長・北里柴三郎先生だ。今日は医科研の研究の現状報告のため、東京からやって来てくれた。

「見られなくてよかったですよ。本当に無様でしたから」

 栽仁殿下の声が聞こえただけで集中が途切れてしまい、そのスキを突かれるなど、剣士として、いや、内親王として本当に恥ずかしい負け方である。唯一の救いは、大山さんや北里先生といった知り合いに、無様な負け姿を目撃されなかったことぐらいだ。

(広島に来てから、手術の腕は上がって来てるけど、剣道の腕はまだまだだな。両方とも、しっかり修業しなきゃ……)

 ぼんやりと考えていると、

「では、こちらのお話でご機嫌を直していただきましょうか。医科研とは余り関係のない話にはなってしまいますが」

北里先生が1冊の雑誌をテーブルの上に置く。それが“ドイツ医事週報”だというのは、表紙を見てすぐに分かった。

「どうぞご覧ください。とうとう、ビタミンC抽出成功の論文が掲載されました」

「本当ですか?!」

 雑誌をパラパラとめくると、すぐに目的の論文にたどり着いた。東京帝国大学医科大学薬物学教授の高橋(たかはし)順太郎(じゅんたろう)先生と、三重で開業医をしている(もり)正道(まさみち)先生の共著である。10年ほど前から行われていた研究が、とうとう実を結んだのだ。

「すごい……ビタミンA、じゃない、この時の流れではビタミンCですか。それも日本人が発見するなんて……。合成できるようになるまでには、まだまだ時間がかかるでしょうけれど」

「ええ、おそらく、相当な時間がかかるでしょう。しかし、抽出できただけでも大進歩です」

 北里先生が感慨深げに言った。

(ということは、まだタラ漁は重要ってことだな……)

 肝油の原料はタラやサメだ。その長期的で安定した確保も重要になってくる。いずれビタミンが合成されるようになれば、肝油の原料としての価値は下落するから、どこまでタラやサメの漁を奨励するか、資源保護をどうするかなどは、また別に考えなければならない。

(夜盲症の特効薬として肝油は売れてるし、輸出も出来るようになってるけれど……10年ぐらい前に一度井上さんに話したことはあるけど、手紙でもう一度伝えておこうか)

 確か年末に、“余りに手紙が来ないから手紙が欲しい”と懇願するような内容の書状が井上さんから届いていた。年賀状は送っておいたからそれでいいと思って放置していたけれど、井上さんに手紙の返事を書くときに、肝油のことも改めてお願いしておくことにした。

「……もちろん、我が医科研も負けてはいません。今日はとっておきの報告を用意しております」

 北里先生はお茶を一気に飲み干すと、私に力強く言った。

「とっておきの報告と言うと、……もしかして、結核の3剤併用療法の臨床試験の結果が出ましたか?」

「はい」

 北里先生は頷くと、カバンの中から何枚かの紙を取り出した。

「こちらの結果をご覧ください。……従来の2剤併用療法より、今回の新薬も加えた3剤併用療法の方が、よい治療効果が得られました。しかも、今までのリファンピシン・シズオカマイシンの2剤併用療法で効果が無かった患者でも、3剤併用療法が効くことが確認されました」

 説明を聞きながら、北里先生が出してくれた、昨年初めから行われていた臨床試験のデータのまとめに目を通す。この新薬……“オオサカマイシン”と命名されたそうだけれど、医科研大阪分室で高峰先生と一緒に働いていたアメリカ人化学者が大阪で発見した放線菌の産生物質である。リファンピシンともシズオカマイシンとも性質は余り似ていない、ということだったので、もしかしたら3剤併用療法が可能かもしれないと考えて、臨床試験を始めたのだけれど……。

「……間違いなさそうですね」

 小さくガッツポーズを作ると、

「ええ。治療期間も今までの1年から9か月へと、3か月短縮できます」

北里先生が満足そうに答えた。

「“史実”で何の薬に相当するかは分からないけれど……」

 私がそう言った瞬間、

()()()()、お静かに」

大山さんが私の耳元で囁いた。“増宮さま”と私を呼んだということは、誰かがこの居間の近くにやってきたのだろうか。そう思った時、誰かが廊下を歩く足音が微かに聞こえた。足音はこちらに次第に近づいてくる。

「……宮さま、失礼いたします!お茶菓子をお持ちいたしました!」

 足音が居間の障子の前で止まったと同時に、私の乳母子・千夏さんの元気な声が聞こえた。

「ああ、大山さん、入ってもらって」

「かしこまりました」

 大山さんが障子を引き開けると、お盆を捧げ持つようにした千夏さんは軽く頭を下げ、居間に入ってきた。

「……まぁ、これで結核の3剤併用療法が出来る訳ですね。論文にはいつするんですか?」

 “史実”に直接触れない話なら構わないだろう。私が北里先生に聞くと、

「既に取り掛かってもらっています」

と北里先生は答えてくれた。

「なるほど。これで薬の探索を終える訳にはいかないけれど、これからは、支障がない限り、結核はこの3剤併用で治療していかないといけませんね」

 私がそう言った時、

「宮さま、“結核の3剤併用治療”とは一体何でしょうか?」

私に羊羹の載った小皿を出しながら、千夏さんが尋ねた。

「3剤、ということは、3つの薬を同時に使うということですよね。1つではダメなのですか?」

「ええ。結核菌はとても強い菌なので、3つ同時に薬を使わないとやっつけられないんです」

 なるべく簡単に答えたつもりなのだけれど、

「申し訳ありません。千夏、よくわかりません……」

千夏さんはうつむいて首を左右に振った。

(あー……)

 千夏さんは女学校を卒業しているから、この時代の女性としてはかなり高い教育を受けているはずだ。けれど、医学用語は一般の人にはなじみが薄い。だから分からなくなってしまうのかもしれない。

「そうですねぇ……」

 私は両腕を組んで、少し考えた。

「少し、例え話をしましょうか」

「例え話?」

「そうですね……例えば、千夏さんと私が戦っている、という状況があるとしましょう」

 すると、

「宮さまと戦うなんて、そんな恐れ多いこと、出来ません!」

顔を上げた千夏さんが、頭を左右に激しく振った。

「……分かりました。設定を変えましょう。千夏さんと、私を襲ってきた暴漢が戦っていると想像してください」

「はいです」

 今度は、千夏さんは素直に返事をしてくれた。少し安心して、私は話を進めることにした。

「その暴漢はとても強くて、あなただけでは歯が立ちません。しかも、立ち合っている間に、あなたの柔道の癖を覚えてしまい、勝ち目がますますなくなりました。だけど、あなたの隣に、竹刀を持った東條さんがいて、あなたと一緒に戦ってくれるとしたら……」

 ところが、

「足手まといです」

千夏さんは即答した。

「……」

(話が進まねぇ!)

 頭を抱えたくなったのを、私は必死にこらえた。そして、気を取り直すと、

「……もう一度、設定を変えましょう。あなたの隣に、槍を持った大山さんがいるとします」

話をこう続けた。

「大山さんが、あなたと一緒に暴漢と戦ってくれるとしたらどうですか?」

「それなら、暴漢に勝てそうな気がします!」

 千夏さんが頷いたのを確認して、

「更に、設定を変えましょう。竹刀を持った東宮武官の(たちばな)さん、槍を持った大山さん、そして千夏さんが、暴漢と戦い始めました。勝ち負けはどうなると思いますか?」

と私は質問を投げた。

「それなら、絶対に勝てます!」

「でしょう。恐らく、3方向から同時に攻撃されれば、いくら強い暴漢でも、攻撃相手の癖を覚える暇がありません……ここで、暴漢を結核菌、あなたと大山さんと橘さんを、3種類の薬のそれぞれとすると、何となく3剤併用療法の利点が分かるでしょうか?」

「……つまり、3つの薬を同時に使えば、結核菌が攻撃の癖を覚えてしまう前に、結核菌をやっつけられる、ということですね!」

 千夏さんは何度も首を縦に振った。

「大雑把に言えば、そういうことになります。だから、3つの薬を同時に使うんです」

 私がホッとしながら言うと、

「なるほど。……橘くんは、新島どのに変える方がいいような気もしますが」

大山さんがなぜか真面目な顔で横から付け加える。

(竹刀を持った新島さん……)

 先ほどの手痛い敗北が、脳裏に蘇る。いや、私が栽仁殿下の声で動揺しなければ、もう少しまともな戦いが……。

(か、考えちゃダメ!考えちゃダメ!)

「と、ところで、北里先生!この論文は、いつ完成しそうなんですか?」

 私は頭の中から、動揺の原因を慌てて追い出すと、北里先生にこう尋ねた。

「そうですね。コッホ先生がおいでになるころには、“ドイツ医事週報”に論文を載せられるでしょう」

(ん?)

「あの、北里先生、……今、“コッホ先生がおいでになる”って言いました?」

 私は少し首を傾げた。「コッホ先生って、北里先生の師匠のコッホ先生ですか?」

 すると、

「はい、もちろんです」

北里先生の目が輝いた。「東京を発つ直前に、コッホ先生から手紙が届きまして……以前から一度日本においでくださいとお願いしていたのですが、“承諾する”というお返事でした」

「本当ですか!」

 ハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ先生。私も前世で存在を知っていた、“コッホの原則”で有名な細菌学者だ。この時の流れでも、もちろん“史実”と同じように数々の研究成果で医学の発展に貢献し、1905(明治38)年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。

「今、ドイツで溜まっている仕事を片付けて、3月の末にベルリンを出発されるということですから、日本に到着されるのは、おそらく5月になるかと……」

「コッホ先生、広島に来てくれますかね?私、コッホ先生の揮毫が欲しいです」

 私はテーブルに身を乗り出すようにして北里先生に尋ねた。“史実”でもこの時の流れでも超有名な細菌学者だ。会えるならもちろん会いたいし、記念になる品も欲しい。

「はい、コッホ先生も、総裁宮殿下にはぜひお目にかかりたいと手紙に書いておられました。4か月ほどは日本で過ごしたいということでしたから、きっと広島にもおいでになるかと」

 北里先生はニコニコしながら答えてくれた。

「そうしたら、広島でコッホ先生の歓迎会をしないといけないですね。余裕があれば、講演会もお願いしたいですし、もし、観光したいというご要望があれば、私、コッホ先生を案内しないと。どこを案内すればいいかしら……ねぇ、大山さん?」

「まずは厳島神社ではないでしょうか」

 興奮気味の主君(わたし)の様子に、少しあきれてしまったのだろう。大山さんが苦笑しながら答えてくれた。「宮島は日本三景の一つでもあります。それに、厳島神社の海上に建つ大鳥居や社殿は、なかなか見られないものでしょう」

「そうね、まずはそこだね。……ああそれから、医科研でも歓迎の準備をしないといけないですね、北里先生」

「はい。気心の知れた者たちに声を掛けて、歓迎のための委員会を立ち上げようと思います」

「なるほど。私、東京に帰るわけにもいかないから、医科研での歓迎は北里先生にお任せしますね」

「かしこまりました、総裁宮殿下!」

 北里先生は本当に嬉しそうに、何度も首を縦に振りながら返事をした。……思えばこれが、数か月後の大騒動の引き金になろうとは、私はこの時、まったく予想していなかったのである。

※オオサカマイシンについては、カプラザマイシンのどれかを想定していますが、この時代の技術で分離可能か、また、これで3剤併用療法が可能なのか等々については検討していません。ご了承ください。

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[気になる点] コッホ来日絡みで大騒動って、もしかしてコッホが宮様の秘密を知ってしまうとかするのかな?
[一言] せっかく広島が舞台なのですから、3剤併用療法の説明には、ご当地ネタで、毛利元就公の三矢訓を使われたらば良かったのでは?
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