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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第44章 1907(明治40)年穀雨~1907(明治40)年秋分
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祖母と孫(2)

「兄上、それ、どういうこと?」

 兄の答えを聞いた次の瞬間、私は兄に詰め寄っていた。

「一位局が私に会わないって、本当にそう言ったの?!」

 兄をにらみつけた時、私の肩が優しく叩かれた。大山さんだ。

「ここでは、人目が……」

 大山さんに囁かれて、周囲に視線を走らせると、駅構内を行き交う人々の目が、私たちに集中しているのが分かった。「増宮殿下と皇太子殿下に似ているような……」「そんなバカな。増宮殿下は広島にいらっしゃるんじゃないのか?」という声も、ざわめきに混じって聞こえてくる。

「馬車に乗ろう。続きはそこで話す。大山大将も来てくれ」

 兄が私の右手を握り直す。今度は走り出さなかったので、私も素直に兄について行った。兄は私を馬車に乗せると、

「皇居に向かえ!」

と御者さんに命じた。

「皇居?!一体どういうこと?!」

「落ち着け、それも説明するから!」

「兄上の方が落ち着いてないってば!」

 兄妹で言い争っていると、大山さんが馬車に乗り込んで来て、私たちを微笑を含んだ瞳で見つめる。その視線にぶつかって、私も兄も、慌てて口を閉じた。扉が閉まると、私たち3人を乗せた馬車は、静かに前に進み始めた。

「さて、皇太子殿下。最初からご説明いただきましょうか」

 大山さんが促すと、兄は軽く頷いて、今までに起こったことを説明し始めた。

 “一位局、病状悪化”の知らせは、皇居と青山御殿だけではなく、花御殿、そして、私の異母弟の輝仁(てるひと)さまが現在寄宿舎生活を送っている幼年学校など、私のきょうだいたちの住まいにも伝えられた。そこで、昌子(まさこ)さまたち異母妹全員と輝仁さまが、今朝8時半ごろ、青山南町にある一位局の屋敷に駆け付け、一位局を見舞った。

 その際、昌子さまが、

――今、章子お姉さまも、広島からこちらに向かっておられますから、お昼前にはこちらにお見舞いに来られるかと……。

そう一位局に告げると、

――増宮内親王殿下の見舞いは、受けませぬ。

荒い呼吸を繰り返しながらも、一位局がキッパリと返答したのだそうだ。

――どういうことですか?!

――どうして、章子お姉さまに意地悪なことを言うの?!

 昌子さま以下、弟妹たちの猛抗議にも、一位局は動じることなく、

――増宮内親王殿下の見舞いは、受けませぬ。

と、一同を睨みつけた。“今日明日がヤマ”と言われている病人とは思えないその気迫に、昌子さまたちはたじろいでしまい、逃げるようにして病室から立ち去った。ちょうどその時、やはり急を聞いた兄夫婦が一位局の屋敷に到着した。玄関で兄夫婦と行き会った昌子さまたちは、病室での出来事を兄に訴えた。弟妹たちから事情を聴いた兄は、一位局の病室に入ると、お見舞いの言葉もそこそこに、

――章子の見舞いは受けぬと申したそうだが、一体いかなる訳か。章子を辱める気か?

と彼女に問いただした。しかし、

――誰が、何とおっしゃろうと、増宮内親王殿下の見舞いは、受けませぬ。

一位局は兄にも強い口調で答えた。重ねてその理由を尋ねても、一位局は答えず、兄をずっと睨みつけるだけだった。埒が明かないと判断した兄は、いったん花御殿に戻り、節子(さだこ)さまを馬車から下ろすと、帰京する私を捕まえて事情を説明するため、急遽新橋駅に向かった……私と大山さんに、兄はそう語った。

「私、一位局に、心の底から嫌われてるんだね……」

 兄の話を聞き終わった私は、深いため息をついた。

「梨花……」

「梨花さま……」

 うつむいた私の右手を、大山さんがそっと握る。

「どんなに仲が悪い親族でも、臨終の床には呼んでくれるだろうって思ったけれど、それは、私の幻想だったのかな……」

 涙がポロっとこぼれた。一位局は、厳しい言葉しか使えない人だけれど、心の底では、実の孫である私のことを心配してくれている……そう感じたこともあるだけに、一位局の言葉が辛い。

 と、

「幻想で終わらせてなるものか!」

診察カバンの取っ手を握った私の左手を、兄が上から押さえた。

「兄上……」

「だから参内するのだ。お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)も、局の見舞いに行くはずだ。その時に取り成してもらえるよう、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に頼めばいい」

「そっか……だから、皇居に向かえ、って言ったのね。ありがとう、兄上……」

 私が頭を下げた時、馬車は皇居の車寄せに入った。

 お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に謁見を申し出ると、私たちはすぐに表御座所に通された。

「章子……!一位局を見舞ってくれたのか?!」

 表御座所に入ったとたん、フロックコートを着たお父様(おもうさま)が椅子から立ち上がった。

「いえ……行けておりません」

 私が素直に現状を報告すると、

「何……?!」

お父様(おもうさま)の眉間の皺が深くなった。お父様(おもうさま)の顔色は悪く、少しやつれているような気もする。恐らく、夜明け前に一位局の容態が悪化したという知らせが入ってから、ずっと寝ていないのだろう。

「一体どういうことだ。新橋駅から直接、局を見舞うのだろうと思っていたのだが……」

「局が、梨花の見舞いは受けぬと言ったのです」

 私たちがここに入るときに、人払いはお願いしてある。兄は私をいつもの呼び名で呼んだ。「昌子たちにも局はそう言いましたし、俺もこの耳で聞きました。理由を聞いても、局は答えません。だから、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)にお取り成しを頼めば、局も梨花の見舞いを受けると言うと思いまして、梨花を新橋から連れてきました」

 すると、

「お前たちの力になってやりたいのは山々だが……」

お父様(おもうさま)は肩を落とした。「実は、美子(はるこ)が今、局の見舞いに行っていてな。朕が局の屋敷に行くわけにもいかぬし……」

(入れ違いになっちゃったか……)

 私はため息をついた。これでは、お母様(おたたさま)に一位局への取り成しを頼めない。

「行幸はなさらぬのですか?」

 大山さんの問いに、

「局の方で断るだろう。病に苦しむ姿を朕には見せたくない、と……。あの人はそういう人だ」

お父様(おもうさま)はそう答えて、うつむいてしまった。その時、

「大山閣下、よろしいでしょうか?」

扉の向こうから、徳大寺(とくだいじ)侍従長の声がした。大山さんがお父様(おもうさま)に視線を合わせると、お父様(おもうさま)は小さく頷く。大山さんが扉を少し開けると、

「皇后陛下が、一位局さまのお屋敷からお戻りになられまして……」

徳大寺さんはそう報告した。

「いかがなさいますか、陛下」

 大山さんの問いに、

「……美子に、こちらにすぐ参るように伝えよ。局の様子も聞きたい」

お父様(おもうさま)はすぐにこう返す。程なくして、衣擦れの音がして、亜麻色のデイドレスを着たお母様(おたたさま)が表御座所に姿を現した。お母様(おたたさま)の顔色は、やはりお父様(おもうさま)と同じように悪かった。

明宮(はるのみや)さんに、増宮さん……お2人とも、局どのを見舞ったのですか?」

 徳大寺さんが「人払いをしておきます」と言って表御座所を出ていくと、お母様(おたたさま)は私と兄の方に向かって、一歩足を踏み出した。

「俺は見舞えたのですが、梨花が……」

「私の見舞いは受けたくないと……一位局がそう言ったそうです。昌子さまたちにも、兄上にも」

 兄と私がうつむくと、お母様(おたたさま)は「え……」と小さく呟き、目を軽く見張った。

「一位局さまが私のことをそんなに嫌っているなんて、思ってもいませんでした。確かに、価値観は相容れないと分かってはいましたけれど、臨終の床で会ってくれないなんて……」

「増宮さん……」

 私に身を寄せるお母様(おたたさま)の顔が、悲しげにゆがんだ。

「でも、一位局さまの方で、私が嫌いなら、もうしょうがないです。私は、お父様(おもうさま)と兄上を守るために、やれることをやるしかなくて……やったことで“逆賊”とか“大悪人”とか罵られたって、構わないんです。たとえ、私を罵る相手が、祖母であったとしても……」

 お母様(おたたさま)の手が、私の軍服のジャケットの肩章に触れた。

「増宮さん。局どのは、増宮さんを嫌っているという訳ではないと思いますよ」

お母様(おたたさま)……」

「確かに、昔気質の局どのと、未来に生きた記憶をお持ちの増宮さんとでは、相容れないところもたくさんあると思います。けれど、それが即座に、“嫌い”という感情とつながるとは限りません」

「私も、そう信じたい、ですけれど……」

(“増宮内親王殿下の見舞いは受けぬ”って言われたらなぁ……)

 また涙が、じわっと目から湧き出てきた。お母様(おたたさま)が私の首の後ろに両腕を回し、身体を抱き寄せてくれる。と、お母様(おたたさま)の動きが、不自然なところで止まった。お母様(おたたさま)と私の身体の間に、私の持った診察カバンが挟まったのだ。私の時代なら“昔ながらの”と形容されてしまいそうな、黒い革製のがっしりとしたカバンである。

(しまった、カバンが挟まっちゃった。軍装だから、診察カバンも持ってきたけど……ん……?)

――今日は、軍装ではないのですか。

――ええ。軍人として招かれている訳ではございませんので。

 6月に、靖国神社の能楽堂で一位局と顔を合わせた時の光景が、ふと、脳裏によみがえった。

(待てよ……?)

「内親王じゃなければ……いいのかな?」

 小さな声で呟いたつもりだったけれど、

「増宮さん?」

お母様(おたたさま)にはしっかり聞こえていたらしい。不思議そうな表情で、お母様(おたたさま)は私を見つめた。

「あの、お母様(おたたさま)……内親王としてではなくて、軍医中尉として、一位局さまの往診に行くのは許されるのでしょうか?あ、いや、ベルツ先生が主治医としていらっしゃいますから、そこに手伝いに行く、ということになると思いますけれど……」

 そう言ってみて、

(こんなこと、許されるのかなぁ?)

私は不安になってしまった。私は今生で医師免許を取ってから、まだ5年しか経っていない。ベルツ先生の医師としての経験年数には、もちろん遠く及ばない。ベルツ先生を手伝って一位局の診療に当たっているお父様(おもうさま)の侍医さんたちも、経験年数はもちろん私の3倍以上はある。そんな医師たちの中に、私が入っていって許されるのだろうか?

(それに、さぁ……嫌われているとは言っても、実の祖母を診察するって……)

 と、

「そうか!その手があるではないか、梨花!」

兄が大きな声で言った。

お父様(おもうさま)に、局の診療に加わるように命じていただければよいのだ。勅命であれば、局も逆らうことはできない。それでお前が局を診察すれば、お前と局は顔を合わせたことになる!」

「うん、それはそうなんだけれど……」

 口ごもった私に、

「大丈夫ですか、梨花さま?」

大山さんが横から問うた。「様々な感情をお持ちだと思いますが、一位局どのは梨花さまの今生の実の祖母。診察に当たって、冷静なご判断がお下しになれますか?」

「……そう、そこはとても不安。経験年数が私よりはるかに上の先生方に混じれるか、という心配もあるけれど」

 流石は、医科分科会にも同席することの多い大山さんだ。私の胸中を、ピタリと言い当てた。

「でも、今はそうするしかないよ、大山さん。私なりに、覚悟はする」

「……そうか」

 私の言葉に答えたのは、大山さんではなくお父様(おもうさま)だった。

「では章子、そなたに命じる。一位局のところにおる医師たちと一緒に、そなたも一位局の診察と治療に当たれ。……これは、勅命だ」

「……かしこまりました、お父様(おもうさま)

 私はお母様(おたたさま)から身体を少し離すと、お父様(おもうさま)に向かって最敬礼した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 「増宮殿下!殿下には陛下の玉体、そして皇太子殿下のお身体をお護りする責務があるはずです!その為の研鑽を積む事が今の殿下に与えられたお役目なのです!なのにお役目…
[一言] 好意的に考えたら『梨花』なら会うってことかなあ?
[一言] 更新お疲れ様です。 いつも興味深く拝見させて頂いてます。 まさかの見舞い拒否!!<`ヘ´> 今日明日をも知れぬ容体でも気丈に反骨心を見せる一の局 (><) ここはその気丈さ&反発心を利用し…
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