祖母と孫(1)
1907(明治40)年10月2日水曜日午前8時、広島市上流川町にある浅野侯爵家の別邸・泉邸。
「行ってらっしゃい、章子さん」
「行ってらっしゃいませ、宮さま」
真新しい和風建築のお屋敷の玄関で、母と乳母子の千夏さんが私に挨拶をする。辺りに視線をさまよわせた私は、こっそりとため息をついた。8月下旬の豪雨で東海道線が2週間ほど不通になった影響で、このお屋敷に入れたのは先月の13日だ。つまり、広島に赴任してから3週間近く経った訳だけれど、浅野侯爵家のご当主・長勲さんが、“増宮殿下のために”と言いながら、広島中の大工を集め、敷地の空きスペースに2か月で建ててしまったこの真新しくて豪奢なお屋敷には、まだ慣れることができなかった。
(前からある建物だけで、十分に生活できるのになぁ……)
そう思っていると、
「増宮殿下、そろそろご乗車をお願いします」
馬車のそばに立っている東條さんが、頭を下げながら私に言う。
「はい、わかりました。それじゃ、今日もお仕事、頑張ってきます」
母と千夏さんにお辞儀をすると、私は東條さんと一緒に馬車に乗り込んだ。
今、浅野侯爵家から借りている泉邸は、広島市中心部のデルタ地帯の北の方にある。西暦1620年に着工された浅野家の庭園が元になっているという、由緒正しい別邸である。そこから西に1kmも離れていないところに広島城があり、その広島城の西側に、今の私の勤務先・広島国軍病院がある。歩いて通勤できなくもないのだけれど、警備の都合があるので、通勤には馬車を使っていた。
「おー、今日も奇麗だねぇ、天守閣」
馬車で南下して広島城南側のお堀端に出ると、練兵場の向こう、連隊兵営の奥に、五層の天守閣がそびえ立っているのが見えた。安土桃山時代、毛利輝元によって創建された大天守である。秋晴れの青空をバックにして、周囲を睥睨する天守閣の姿はまさに壮観で、通勤のたびに見惚れてしまう。
「……本当に、増宮殿下は城郭がお好きですね」
向かい側の座席に座った東條さんが、馬車の窓にしがみつくようにして外を眺めている私を見ながら、ポツリと呟くように言った。
「当たり前でしょう!」
少し顔が強張っている東條さんに、私は力強く答えた。「日本の城郭建築は、全世界に誇るべきものですよ!その美しさは、ヨーロッパの古城にだって負けません!」
「あ、はぁ……」
「そもそも、日本の城郭というものはですね……」
東條さんにレクチャーを始めようとしたその時、馬車が停止した。広島国軍病院に到着したのだ。東條さんの表情に、明らかに安堵の色が浮かぶ。
「もう。いつか絶対に、あなたに日本の城郭の素晴らしさをたっぷり教えますからね」
少し唇を尖らせながら宣言すると、馬車の扉を開けた東條さんの顔が一瞬青ざめた。
初めて広島国軍病院に出勤した日には、院長以下の全職員が私を玄関で出迎えた。院長は私を毎日全職員で出迎えると言ったのだけれど、それは固くお断りさせていただいた。横須賀と築地の国軍病院に勤務していた時も、そんなことはしないようにと強くお願いしていたからだ。だから、玄関に私を出迎える職員はいない……ただ一人を除いては。
その職員は、看護兵の白い制服を着て、いつも私の出勤する時間に玄関に立っている。横須賀の国軍病院でも、築地の国軍病院でもそうだった。私も職員の一人なのだから、仰々しいことは止めて欲しいと再三頼んだけれど、“出勤される時からおそばについていなければ、役目が果たせない”と主張して、私の頼みを聞き入れてくれない。だから、彼女が出迎えるのだけは、我慢して受け入れることにしていた。
「おはようございます、殿下」
私が馬車から降りると、私と一緒に広島に転勤してきた国軍初の女性看護兵である新島八重さんが、私に向かって最敬礼した。
「おはようございます、新島さん」
「おはようございます、新島どの」
東條さんと2人そろって、新島さんに頭を下げる。私は皇族で、お付きも従えているけれど、新島さんには明らかに貫禄負けしてしまっている。「では、殿下のことをよろしくお願いします」と私の隣で再び頭を下げた東條さんも、顔がまた強張っていた。
「承りました」
一方、新島さんの方では、そんな若造2人の緊張は気にも留めていないらしい。東條さんに機械的に敬礼を済ませると、新島さんは、「さぁ、殿下、参りましょう」と私を促した。私は軽く頷くと、いつも持ち歩いている診察用のカバンを左手でしっかり持って、建物に入ったのだった。
広島での仕事内容は、築地の国軍病院でやっていた仕事とそんなには変わらない。患者さんの診察をして、手術をこなす。空いた時間には、医学雑誌や医学書に目を通したり、手術のイメージトレーニングや糸結びの練習をしたりする。
ただ、先月の1日付で、私は少尉から中尉に昇進したので、広島での業務にはさらに“後輩の指導”が加わっている。後輩の少尉たち、時には、実習でやって来た軍医学生たちに、日常業務のことや医学のこと、処置に必要な手技など、適宜指導しなければならないのだ。残念ながら、私の後に続く女性軍医がまだいないので、後輩は全員男性だ。私が皇族だから、後輩たちに軽んじられることはないけれど、指導するたびに、後輩たちがとても緊張してしまうのが目下の悩みの種である。
今日は緊急の手術はなく、予定の手術と診察を終え、当直番の同僚への申し送り書をのんびり作っていた午後4時半ごろ、医師控室のドアがノックされ、小使さんが現れた。
「どうした?」
妙に緊張した様子の彼に同僚が声を掛けると、
「あ、あ、あの、で、殿下に、院長が……」
小使さんは上ずった声で答えた。
「院長が、殿下に何か用なのか?」
「は、はい。し、至急、院長室に、おいでいただきたいと……」
応対した同僚は、恐縮しきりの小使さんの言葉を聞くと、
「だ、そうでありまする、殿下!」
と、これまた非常に緊張した声で、私に叫ぶように言った。築地の国軍病院で働いていた時と同じように、“増宮殿下に対して、過度に敬った言葉遣いはしないように”と職員さんたちには院長から通達してもらっているけれど、職場にはまだ浸透していないようだ。
「わかりました。では、院長室に行って参ります」
取り次いでくれた同僚に、ため息をつきたいのを我慢しながら一礼すると、私は院長室に急いだ。
ノックをして院長室に入ると、院長がやはり緊張した表情で私を出迎えた。
「お呼び立てして申し訳ございません、増宮殿下」
「いえ……。で、ご用件は一体なんでしょうか?」
敬礼する院長に敬礼を返してから答えると、
「実は、つい今しがた、宮内省から殿下宛てに電話が入りまして」
院長は私に思わぬ言葉を返した。今、電話の通話可能な距離はどんどん伸びていて、東京から九州の佐世保まで長距離通話ができる。
「宮内省から?」
「はい。こちらが、その内容です」
院長は私に1枚の紙を手渡す。文字列に目を通すと、そこには驚くべき内容が記されていた。
(“一位局肺炎にて重態、ペニシリン効かず、呼吸34回にて酸素投与開始、直ちに御帰京の上、一位局の見舞いを”って……確かに、肺炎の状況としては重症の部類ね。呼吸数が多すぎる)
一位局こと、中山慶子さん……お父様の実の母、つまり、私の実の祖母である。いつも私にきつく当たり、昔気質の価値観は、私のそれと全く合わない。仲が良い訳では決してないけれど、実の祖母ではあり、事実上の国母として扱われてもいる人だから、重症ならば、お見舞いに行かなければいけないだろう。
(まだ“危篤”じゃないけれど、私が遠くにいるから、それを考慮して早めに知らせてくれたんだな)
現在、細菌を殺す抗生物質で使える薬は、ペニシリンと、イタリアの製薬会社で開発されたセファロスポリンの2種類だ。もちろん、ペニシリンが効かないから、一位局に投与する抗生物質はセファロスポリンに切り替わるだろう。けれど、肺炎にセファロスポリンが効くかどうかは分からない。それに、一位局は、数年前にかなり重い肺炎になったこともある。今回の肺炎を乗り切れる体力があるのだろうか。
「院長先生、明日から休暇を取らせていただいてもよろしいでしょうか。赴任早々に休暇を申し出るなんて、本当に申し訳ないのですけれど……」
最敬礼して院長に申し出ると、「もちろんです」と院長は頷いてくれた。
「実は、この電話を受けた直後に、高木軍医局長からも、“増宮殿下の休暇申請を許可するように”という命令がありました。休暇をお取りになるのは、まったく問題ありません」
恐らく、宮内大臣の山縣さんが、総理大臣の井上さんと国軍大臣の西郷さんに手を回してくれて、この命令が出されたのだろう。いつもながら、非常に連携が取れている。私は梨花会の面々に心の中で感謝した。
院長にお礼を言って院長室を出て、上司と一緒に勤務の調整をし終わった時には、午後6時近くになっていた。病院の玄関で私を待っていた千夏さんの表情は、朝とは違って強張っている。泉邸にも、一位局の病状が伝えられたのだろう。
「宮さま!一位局さまのことは、お聞きになりましたか?!」
「ええ。明日から休暇をもらいましたから、早速東京に戻る準備をしないといけませんね。帰ったら荷作りをしましょう」
乳母子にこう言って軽く頷くと、「はいです!」と緊張した声で返事した彼女は、私を馬車に案内した。
荷作りや列車の接続を調べるので時間がかかってしまい、私が千夏さん他、数名の職員たちと一緒に東に向かう列車に乗り込んだのは、翌日、10月3日の朝8時だった。列車の接続が上手くいけば、東京まで22時間ほどで到着するのだけれど、神戸で乗り換えに時間がかかるので、東京に着くのは明日の朝10時過ぎの予定だ。ジタバタして列車の速度が上がるわけではないので、私は座席でなるべくのんびり過ごすように努めた。
神戸に到着したのは夕方だ。官営鉄道に乗り換えるまでに時間があったので、晩御飯をとった後、千夏さんにお願いして、青山御殿宛てに長距離通話を申し込んでもらった。向こうの電話口に出たのが大山さんだったので、千夏さんと大山さんの話が済んだ後、千夏さんに頼んで電話をかわってもらった。
「今日の午後2時の段階で、体温が37度3分、脈拍が1分間に78回、呼吸数が1分間に26回、血圧は上が124、下が68、意識はハッキリされているとのことです。酸素吸入を続け、高熱に対しては解熱剤を投与して経過観察していると山縣さんから聞きました」
私が一位局の病状を質問すると、大山さんは的確な返答をしてくれた。
「体温は下がって、脈拍はほぼ平常ね。呼吸数は減ったけれど、まだ多い。だけど血圧は正常範囲内……状態は、昨日とそんなには変わらないか、多少は良くなっている、という判断かしら?」
「はい。今、ベルツ先生が主治医となり、侍医の先生方が治療に加わっておりますが、梨花さまと同じ判断をなさっています」
「ペニシリンが効かないということだったけれど、抗生物質も変えたの?」
「今日からセファロスポリンに切り替わったとのことです」
「わかった。明日、新橋駅には朝10時過ぎに着く予定なの。着いたら、その足で一位局の屋敷に行く。馬車で迎えに来てもらっていいかな?」
「了解いたしました。道中、お気をつけて」
「大山さんも残業はほどほどにして、さっさと帰って身体を休めてね」
私は少しホッとしながら電話を切った。一位局のお見舞いは、弔問に変わらないで済む確率が高そうだ。まぁ、容態の急変はいつだってあり得ることだから、油断は出来ないけれども。
(とにかく、どうなってもいいように、列車の中で身体を休めておかないとな)
「千夏さん、列車が来たら、さっさと寝台に入って寝ましょう。明日新橋に着いたら、すぐに動けるように」
その言葉通り、私は新橋行きの夜行列車に乗り込むと、すぐに一等寝台に潜ったのだった。
翌日、10月4日金曜日。列車は予定通り、午前10時10分に新橋駅に到着した。
「さて、大山さん、迎えに来てくれてるかなぁ……」
列車を降りて新橋駅の出口に向かうと、尋ね人はすぐに見つかった。黒いフロックコートを着た大山さんが、駅舎の柱のそばに佇んでいる。ただ、その表情は、いつもより少し険しかった。
「大山さん!」
一位局の病状に、良くない変化があったのだろうか。私は慌てて大切な臣下に駆け寄った。
「容態は?」
小声で尋ねると、
「……余り、よろしくありません」
大山さんは首を左右に軽く振った。
「午前3時の体温は38度2分、脈拍が1分間に112回、呼吸数は32回、血圧は上が86、下が42……」
「全部悪くなってるじゃない!」
私は思わず叫んだ。「意識レベルは?身体所見はどうなの?」
「意識はハッキリされていますが、右の中・下肺のみに聞かれていた水泡音が両側に聞かれるとのこと。主治医のベルツ先生は、“病状は急速に悪化しており、今日明日がヤマであろう”と天皇陛下に奏上されました」
(敗血症性のショックに、ARDSも併発してるんじゃないか、これは……)
ARDS、正確な名称は、急性呼吸窮迫症候群。恐らく、セファロスポリンが効果を発揮するより先に、強い炎症で肺に限界が来てしまったのだろう。こうなると、私の時代の医学で治療しても、致死率は50%に迫る。まして、治療に必要な機械も薬剤も技術も整っていないこの時代、助かる確率はもっと低くなる。
「急いでお見舞いに行かないと……大山さん、一位局のところに行くよ」
「御意に」
大山さんが私の右手を取ろうとした、その時だった。この場にあるはずがない気配が、私の感覚に引っかかった。
「あ、兄上?!」
車寄せの方から、モーニングコートを着た兄が、私に向かって猛然と走って来る。あっという間に彼我の距離は縮まり、
「梨花、俺と一緒に来い」
兄は私の右手を握ると反転して、元来た方へと駆けだそうとする。
「ちょっと待ってよ!いきなり何なの、兄上!あと、名前!」
私はよろけそうになりながら兄に抗議した。けれど、
「待たぬ!事は一刻を争う!」
兄はそんな私にお構いなく、私の右手をグイグイ引っ張る。
「一刻を争うのはこっちも同じよ!一位局のところに今すぐ行かないと……」
「その局のことでお前に用がある!とにかく俺と一緒に来い!」
「だからっ!」
叫んだ瞬間、私の感覚を、物凄く嫌なものが襲った。私の隣に立っている大山さんが、怒っている。
「……俺の御主君を、納得できる理由もお話にならずに連れていこうとなさるとは、紳士の振る舞いとしてふさわしいものではありませんな、皇太子殿下」
静かな声で言った大山さんの口元には、微笑が湛えられている。けれど、彼の瞳は全く笑っていなかった。
「一体、何事が起こりましたか?教えていただけますと幸いです」
「分かった。教えるから……怒らないでくれるか、大山大将」
「かしこまりました」
大山さんが兄に向かって頭を下げた瞬間、私の感覚に圧し掛かっていた力が急に外れる。どうやら、大山さんの怒りは静まったようだ。私は大きく息を吐いた。
「で、一体どうしたのよ、兄上?」
「……局が、お前には会わぬと言った」
全く予測していなかった兄の答えに、私は目を見開いた。




