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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第44章 1907(明治40)年穀雨~1907(明治40)年秋分
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顛末の報告

※地名ミスを訂正しました。(2020年4月18日)

 1907(明治40)年5月1日水曜日午後1時半、花御殿。

「あははは……それは災難だったな、梨花!」

 人払いをした自分たちの居間で、東北行きと、その後に起こった騒動のあらましを私から聞き終わった兄は、お腹を抱えて大笑いしていた。兄の隣では和装の節子(さだこ)さまが、椅子に座ったまま上体をエビのように丸くして、必死に笑い声をこらえている。

「もう、兄上も節子さまも、笑い事で済まさないでよぉ……」

 おかしくてたまらない、といった様子の兄夫婦に、私は抗議した。今日は久々に仕事が休みなので、私は白地に紫の水玉模様の和服を着て花御殿を訪れていた。

お父様(おもうさま)から東條さんに、“今回の件で宮内省を辞めることも死ぬことも許さない”って勅語が下ったから、東條さんは自殺を思いとどまってくれた。そこまでは良かったよ。だけどさ、“朕が勅語を下した代わりだ”ってことで私が受けた罰が、“和歌を20首詠め”っていうのは、一体どういうことなのよ……」

 4月21日朝、東京に戻る特別列車が盛岡駅を発車した時、青山御殿付きの宮内省職員・東條(とうじょう)英機(ひでき)さんが、“今回の件の責任を取って、宮内省を辞めて自殺する”と言い始めた。私のやったことのせいで、辞職者が、いや、自殺者が出てしまってはたまらない。列車内で必死に説得したけれど、東條さんは隙があれば自殺しようとするので、たまりかねた私は東條さんを後ろ手に縛り上げ、青山御殿に帰った後も、妙なことをしないように夜通し見張っていた。万が一、東條さんが自分の身を傷つけてしまったら、彼に救命処置をしなければならないので、翌朝にはその際の応援要員としてベルツ先生を青山御殿に招き寄せた。

 そして、説得を始めてから丸一日以上が経過した4月22日の正午過ぎ、私の東北行きのことを報告しに皇居に行っていた大山さんが、辞職と自殺を思いとどまるようにとお父様(おもうさま)が東條さんに下した勅語を持って帰ってきた。その勅語を大山さんから聞いた東條さんは、

――まことに……まことに、かたじけないことでございます!今後も陛下のお言葉の通り、この過ちをバネとして、誠心誠意、増宮殿下に仕えます!

と、大山さんに、続いて私に、縛られたまま深く頭を下げた。それで東條さんの辞職と自殺未遂に関する騒動はケリがついたのだけれど……。

――それから、増宮さま。

 東條さんに向かって勅語を読み上げた大山さんが、そう言いながら私に紙を渡した。広げてみると、紙には20個ほどの単語が、お父様(おもうさま)の筆跡で書き付けられていた。

――明朝までに、そこに書かれた題で1首ずつ歌を詠んで差し出すように、と陛下が仰せです。

 紙に書かれていた言葉を疲れ切った頭で確認していた私に、大山さんは厳かな口調で告げた。

――はぁ?!そんなの、出来る訳がないじゃない!

 反射的にそう返すと、

――おそれながら増宮さま、これは増宮さまへの罰でございます。

大山さんは厳かな口調を崩さずに私に言い、更にこう続けた。

――“今回の一件、そなたの心は褒めてつかわすが、岩手県知事以下の職員たちに迷惑を掛けたのは事実。それに対しては罰を下さなければならない”……陛下はそう仰せでした。もし、増宮さまが和歌を詠めない、ということであれば、この罰が形を変えて東條くんのところに行くかもしれません。東條くんの身に何かあってもよろしいのですか?

――わ、わかった!やる!やるってば!

 私は慌てて叫んだ。桜山神社から飛び出した時、東條さんには、“もし、東條さんが罪をかぶろうとするならば、その罪は東條さんの代わりに私がかぶります”と置き手紙を渡したのだ。結局、彼が今回の件の罰を受けてしまうことになるのは絶対に嫌だ。という訳で、私は翌朝まで一睡もせず、必死に20首の和歌を詠んだのだけれど……。

「東條さんが自殺しないように見張るので徹夜したところに、和歌を詠むので徹夜する羽目になって……人の命が掛かってるから頑張ったけど、結局2日連続で徹夜したよ……。詠んだ和歌も、どんなひどい歌になってるか……もう、読み返したくもない……」

 そう言ってうつむいた私に、

「でも、それで東條さんの命が助かったんでしょう、梨花お姉さま?」

節子さまが優しく声を掛ける。確かに、彼女の言う通りではある。

「うん……まぁ、それで良しとするしかないか……」

 ため息をつきながら絞り出すように言うと、

「そうだ。お前の場合、まず和歌を詠むことに意義があるのだからな」

兄が深く頷き、「しかし、困ったなぁ」と言いながら両腕を組んだ。

「お前が無茶をしてしまったから、それを繰り返すまいとして、今度の行啓の時、俺たちに対する警備が厳しくなってしまうかもしれん。いつものように微行(しのび)で街を歩いて回って、民情を視察しようと思っていたのに」

「その話、兄上が地方に公務で出かけるたびにいつも聞くけど、すぐに正体がバレちゃうんじゃない?」

 私は首を傾げた。皇太子である兄は、私以上に国民に顔が売れてしまっている。何の対策も無しに街を歩いたら、すぐに皇太子だとバレてしまうのではないだろうか。そう思っていると、

「軍服やモーニングを背広服に着替えて、付け髭をして眼鏡をかけて、東京からやって来た商社の使いのフリをしているが、今までこの変装が見破られたことはないな」

兄は少し得意げに私に答えた。「もちろん、今回の梨花のように誰にも告げない、ということはない。(おく)大夫には事前に伝えてから出かけるが」

「ですが嘉仁さま、今回はその変装、使えないと思いますよ?私も一緒にいることが多いですから」

 節子さまが横から兄にやんわりと指摘する。すると、

「確かにそうだな。節子と一緒に微行(しのび)に出かけると、男女の2人連れになるからどうしても目立ってしまう。ううん、どうしたものか……」

兄は真剣に考え込んでしまった。

 兄と節子さまは、今月の10日から九州・中国地方に行啓する。まず、鉄道を使って福岡に行き、福岡に設置される九州帝国大学の開学式典に夫婦で出席する。その後、兄と節子さまはいったん別れ、兄は佐世保港を視察する。そこで兄は戦艦“三笠”に乗り込み、対馬・隠岐を視察してから鳥取県の境港に上陸する。一方、節子さまは鉄道を使って山口、広島、岡山を訪問して、京都まで戻ると山陰本線の延伸記念式典に臨むのだ。節子さまは山陰本線の現在の終着駅・出雲今市(いまいち)まで鉄道で移動すると兄と合流し、2人で出雲大社を参拝する。そして、松江・鳥取を訪問し、最後に京都で兄の祖父母である孝明天皇と英照皇太后の陵墓を参拝して、今月末に帰京する……という、予定が詰まった長旅だ。最初は節子さまも“三笠”に乗る予定だったけれど、お付きの人たちも一緒に乗ることも考えると、“三笠”に兄夫婦が一緒に乗ることが難しくなるので、旅の途中は別々に移動することになり、こんなスケジュールになったのだそうだ。

「ダメだ、いい案が浮かばない」

 両腕を組んで考え込んでいた兄が、首を左右に軽く振った。「せっかく、俺がこの目で梨花が転勤する街を視察してやろうと思っていたのに」

「あのさぁ、私が転勤するって、決まったわけじゃないんだよ?」

 私は呆れながら兄にツッコミを入れた。

 私が軍医になって、この10月で4年目になる。軍人は特別なことが無い限り、何年かに一度は所属する部隊が変わる。それは皇族でも軍医でも例外はなく、皇族だから東京にいられる、という訳ではないのだ。転勤する確率は、同一の部署に所属している期間が長いほど高くなる。私は1905(明治38)年の10月から、今の築地の国軍病院に勤めている。1年半ほど同じ職場にいるから、いつ転勤の命令が出てもおかしくはない。

「私、横須賀にいたのを含めたら、転勤は1回やってることになるからね。転勤があるにしても、もう少し先になるかな、とは思うけれど……」

「わからんぞ。お前の横須賀勤務は、ロシア軍からお前を守らなければならないという特殊な事情があったからな。もしかしたら、転勤という扱いにはなっていないかもしれない」

「うーん、でも、お父様(おもうさま)と兄上のそばを離れたくないから、ずっと東京にいたいんだよなぁ。そうしたら、お父様(おもうさま)が侍医さんたちの診察を嫌がっても、私がすぐ参内すれば、お父様(おもうさま)の診察ができるし」

 私が口やかましくお父様(おもうさま)に言っているから、今はそんなことは起こっていないけれど、医者嫌いのお父様(おもうさま)は、機嫌が悪いと、毎朝の侍医さんたちの診察を拒否することもある。万が一、私が東京から遠いところに転勤になってしまったら、そういう時にお父様(おもうさま)に注意したり、侍医さんたちの代わりに私がお父様(おもうさま)を診察したりすることが、簡単にはできなくなってしまう。

 と、

「大丈夫だと思いますよ、梨花お姉さま」

節子さまが微笑した。

「へ?」

「これ、昨日参内した時に皇后陛下から伺ったことですけれど」

 節子さまがそう前置きして話してくれたことは、朗報とも凶報とも取れるものだった。

「先月、梨花お姉さまがちょうど東北に出かけている時に、“朕は侍医たちの診察は受けん!”と天皇陛下が侍医さんたちの診察を拒否なさったそうなんです」

お父様(おもうさま)ったら、私が東京にいないのをいいことに、またわがままを……」

 苦々しい声でつぶやいた私に、

「ところが、ご出勤なさった宮内大臣の山縣閣下が、その話を侍医さんたちからお聞きになって、診察を受けるように天皇陛下に勧告なさったところ、天皇陛下は侍医さんたちの診察を受けることに同意なさったんです。奥御座所に戻られてから、天皇陛下は皇后陛下に、“山縣に殺されるかと思った”と仰せになったとか」

節子さまはこう言って、くすっと笑う。

(わぉ……)

 私は思わず頭を抱えた。要するに、山縣さんは診察を嫌がるお父様(おもうさま)に殺気を放ちながら……いや、真剣に諌言を行ったらしい。梨花会の面々の殺気は、まともに食らうと、普通の人間なら腰が抜けてしまう。即位以来、お父様(おもうさま)は私とは比べ物にならないくらいたくさんの経験を積んでいるはずだから、胆力はもちろん、並の人間以上にあるけれど、もし山縣さんが本気で怒ったなら、お父様(おもうさま)でも震え上がってしまうだろう。

「なるほど。それなら、もしお前が遠いところに転勤になってしまっても、お父様(おもうさま)が侍医の診察を受けない、ということはないだろう。大山大将も山縣大臣に加勢するしな」

 兄がニヤッと笑いながら言う。確かに、中央情報院総裁でもある大山さんが、私の赴任地についてくることはないだろうから、山縣さんと一緒にお父様(おもうさま)に“諌言”をすることも出来るわけだ。

「それでもダメなら、俺も山縣大臣たちを手伝う」

「……そこまでやったら、徳大寺さんや侍従さんたちが、殺気にあてられて倒れちゃうんじゃないかな?」

 兄にツッコミを入れた途端、居間の外から、「梨花さま」と私を呼ぶ声がした。

「そろそろお戻りになりませんと……」

 大山さんの冷静な声に、

「あら、噂をすれば影ですね」

節子さまが微笑する。私は慌てて椅子から立つと、「じゃあね、兄上、節子さま」とあいさつして部屋の障子を開けた。廊下にはやはり、黒いフロックコートを着た我が臣下が静かにたたずんでいた。

「いかがなさいましたか。(おい)の噂をなさっておられたとは……」

「万が一、私が転勤になって東京を離れた時に、お父様(おもうさま)が侍医さんたちの診察を嫌がったらどうしようか、という話を兄上としていてね」

 微笑む大山さんに、私は苦笑いしながら答えた。「それでね、あなたと山縣さんが本気でお父様(おもうさま)を怒ったら、お父様(おもうさま)も侍医さんたちの診察を受けるんじゃないか、っていう結論が出たの」

「確かに」

 大山さんは軽く頷いた。「つい先日、似たようなことを致しましたね」

(やったのかよ……)

 ツッコミたくてたまらなかったけれど、それに触れたらまずいような気がしたので、

「はぁ、しかし、転勤ねぇ……私、転勤することになるのかしら?」

私は話題を変えることにした。

 すると、

「梨花さまは、転勤についてはいかがお考えですか?」

大山さんは私の質問に質問で返してきた。

「ん-、そうだな……兄上とお父様(おもうさま)のそばを離れちゃうし、あなたと離れる可能性も高いから、余りしたくないけど、命じられたら行かないといけないよね」

 私が腕組みをしながら言うと、

「そうですね」

と大山さんは優しく相槌を打つ。

「まぁ、転勤しなきゃいけないなら、江戸時代からの建物が残っているお城があるところがいいな。そうしたら、仕事が辛い時、お城を見て気分転換できるし」

「おや、梨花さま。だいぶストレスがたまっておいでですか」

「そりゃ、軍医になってから、城址めぐりが全然できてないんだもの。仙台城址と盛岡城址も、皇族としての務めを優先させたから見られてないし。うーん、そろそろ江戸城の石垣を眺めるだけじゃ足りなくなってきた……」

 話しているうちに、いつもは心の中に押し込めている欲望が、一気に身体から吹き出てくる。大体、明治時代に転生をしていながら、私がきちんと見学できた城郭の建造物はまだまだ少ないのだ。私の時代には残っていなかった建造物を挙げれば、水戸城の御三階櫓は見られていないし、大垣城の天守にも足を踏み入れたことはない。それから松前城、和歌山城、岡山城、福山城、仙台城、宇和島城、首里城……もちろん、私の時代には現存していたお城の建物だって、この目で確認しておきたい。

(むきゅー……お城……お城に行きたい……。それがダメなら、どこでもいいから、山城(やまじろ)の跡の探索をしたい……)

 悶々としていると、私の頭の上に、暖かい手がそっと置かれた。

「そうですね、そろそろ、城郭の見学をなさらないと、梨花さまが奔馬のように飛び出していってしまいそうです」

 大山さんは私に話しかけながら、私の頭を優しく撫でる。その手の暖かさを感じていると、ひどくざわめいていた私の心は、次第に穏やかになった。

「もし、夏までに転勤のお話がなければ、夏休みには水戸城に行くことにいたしましょうか」

「いいの?!」

 私は大山さんを見上げた。「水戸城の御三階櫓に入ったら、私、1日出てこられないかもしれないよ?!だって、私の時代には残っていなかったから。それでもいいの、大山さん?!」

「ええ、もちろんです」

 大山さんがニッコリ笑った。「しかし、暑い時期ですから、熱中症にならないように対策をお願いします」

「それは抜かりなくやるわ。あと、なるべく、ご飯を食べるのも忘れないようにする」

「……それは是非、お忘れなきようにお願いしますよ、梨花さま」

「うん、わかった。……ああ、楽しみだ、水戸城!よし、夏休みに水戸城を見るまで、何とか頑張り通すよ、大山さん!」

 年甲斐もなくはしゃいでしまった私の頭を、大山さんがまた優しく撫でる。国軍病院と帝大病院での勤務、そして内親王としてやらなければならないことはたくさんあるけれど、やり通した先に水戸城(ごほうび)が待っていると思えば、日々の業務の辛さも軽減される。1週間ほど前の“2徹”のダメージは身体から完全には抜けきっていないけれど、私のモチベーションはこの瞬間、確実に上がっていた。

 だけど、私は知らなかった。この先で、私を待ち受けていた運命を。

※出雲今市駅(現在の出雲市駅)の開業は実際には1910(明治43)年、京都―出雲今市が全通したのは1912(明治45)年です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく読ませてもらってます。 2019年に首里城が消失したが、第二次世界停戦こと太平洋戦争でも首里城が空爆で焼失してしまうのでそれへの備えなんかも物語で書かれると嬉しいです。
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