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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第43章 1906(明治39)年白露~1907(明治40)年穀雨
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閑話 1907(明治40)年穀雨:二徹

 1907(明治40)年4月22日月曜日午前11時半、皇居・表御座所。

「……報告は以上となります」

 人払いをした表御座所の椅子にゆったりと腰かけているのは、漆黒のフロックコートを身につけた天皇である。その前、執務机を挟んで椅子を与えられているのは宮内大臣の山縣有朋、そして、日本の非公式な諜報機関・中央情報院の総裁を務めながら、青山御殿の別当を兼任している大山巌だった。そして今、大山の口から、昨夜遅くに帰京した天皇の第4皇女、実質的な長女である増宮章子内親王の、5日間にわたる東北での公務について報告がなされたところであった。

「増宮さま……」

 報告を聞き終わった山縣宮内大臣は、目に涙を浮かべていた。大山別当から報告された章子内親王の振る舞いが、内親王にふさわしからぬ残念なものと感じたからでは断じてない。取った手段は手荒だったが、たとえ困難があっても、あくまで、戊辰の役以来、この国で起こった戦で命を落とした者たちの冥福を祈ろうとする章子内親王の態度に心打たれたからである。

「まことに、お優しいお方でございます……。悪路をものともせず、慰霊に向かわれるとは、この山縣、感激いたしました……」

「しかし、東京を出発する前から計画しておったとはな」

 天皇は両腕を組み、顔に苦笑いを浮かべた。「それに、隙をついて追っ手を振り切るなど……嘉仁(よしひと)も地方に行く際には、(おく)大夫と示し合わせて、変装して民情を視察することがあるというが、それ以上の大胆さよ。まるで、悪戯小僧だった頃の朕を見ているようだ」

「「はぁ……」」

((陛下が悪戯を好まれるのは、今でもお変わりないと思うが……))

 山縣宮内大臣も大山別当も、期せずして同じ感想を抱いたが、それは口にせず、胸中を巧みに天皇から覆い隠した。

「……しかし陛下、後始末についてのお考えが甘すぎるのは、今回梨花さまが反省するべき点です」

 いち早く態勢を整え、天皇に言上したのは大山別当だった。「人の力量を見定めることについても、まだまだご修業が必要かと思われます。ですが、与えられた情報から物事を推論する力は成長されています。岩手では、一昨年の冷害の被害の大きさのみならず、ご自身が地方に赴かれることで地方に発生する効果や、地方自治体の財政負担のことも見抜かれまして……(おい)たちの今までの教育が無駄ではなかったことを実感いたしました」

「当たり前だろう」

 大山別当に答えた天皇は、少し得意げだった。「朕の娘なのだぞ。前世の知識を持ち合わせていたことを抜きにしても、金剛石のような素質が元からあるに決まっておろうが。それが、梨花会の皆や、章子の医学の師たちによって磨かれて、珠の光が顕れてきたのだ。更に磨けば自ずから光り輝き、上医として、嘉仁をよく助けることができるだろう。そうなれば、朕も嘉仁に天皇の位を譲って、京都に引っ込んでのんびり暮らせるというもの。しかしその日まで、やらなければならないことはまだまだ多い。休みなく仕事を進め……」

「おそれながら、陛下」

 どこか浮かれた調子の天皇の言葉を、山縣宮内大臣が冷静に止めた。

「まさかとは思いますが、休みなく仕事を進めなければならないから、今年の葉山での避暑は取りやめる……などとは考えていらっしゃらないでしょうね?」

 山縣宮内大臣が視線を飛ばすと、天皇の表情が硬くなった。

「身体を適切に休めることは、梨花さまのおっしゃる“過労死”を防ぐためにも大切なこと。万が一、陛下が過労死なさったら、陛下は梨花さまの花嫁姿も、梨花さまがお産みになったお子さまの顔も見られないことになりますが……」

 天皇の表情の変化を見逃さなかった大山別当も、すかさず山縣宮内大臣に加勢する。

「い、いや、章子も気づいたように、朕がどこかへ出かけると、その行く先の道や施設の整備をする必要が出てきて、担当の地方自治体の財政負担が大きくなる……」

「葉山で陛下がお通りになる道の整備は、何年も前に済んでおります。行幸で葉山村に財政負担がかかることはございません。適切にお休みをお取りにならず、玉体にご負担がかかる方が、国家財政にとっても、もちろん国家そのものにとっても、大きな痛手となります」

「万が一、この夏に葉山に行幸なさらない、とおっしゃるのであれば、(おい)も山縣さんも本気を出して、意地でも陛下を葉山にお連れ申し上げます」

 山縣宮内大臣と大山別当は、悪あがきを試みる天皇をじっと見つめる。2人の身体からは、殺気めいたものが立ち上っていた。流石の天皇も、長年の臣下たちの剣幕に、自分の考えが通用しないことを悟った。

「……分かった。仕方がない、今年の夏も葉山に行く」

 軽くため息をつきながら言った天皇に、

「そのお言葉、しかと記憶させていただきます」

山縣宮内大臣が一礼した。

「……話を変えるか」

「承知いたしました。ですが、それで(おい)と山縣さんの記憶は消されませんので、そこはご承知おきください」

 大山別当の言葉に「分かっておるわ」と顔をしかめた天皇だったが、

「しかし、本当に章子は、大胆なことをやってのけたな」

こう言うと、顔にはすぐに笑みが浮かんだ。

「後始末のことは考えが足りなかったが、あらかじめ策を練り、機を狙ってそれを大胆に実行するあたり、まるで戦国の武将や、三国志や水滸伝に出てくる豪傑のようだ。章子が乗り込んだ人力車の車夫も、乗せた相手が皇族だとは思わなかっただろう。後から章子の正体を知って、さぞ驚いただろうな」

 すると、

「おそれながら」

大山別当が恭しく天皇に一礼した。

「ん?」

 首を傾げた天皇に、

「確かに驚いてはおりましたが、それは芝居でございます」

大山別当は冷静な声で告げた。

「その人力車夫、(おい)の手の者でして」

 大山別当の言葉に、天皇も山縣宮内大臣もキョトンとする。そして、数瞬の後、

「は……ははははははっ!」

天皇の大きな笑い声が表御座所に響き渡った。

「ほ……本当なのか、大山どの?!」

 椅子から腰を浮かせた山縣宮内大臣に、

「ええ。梨花さまの考えていらっしゃることは分かりましたし、行動を起こされるとすれば桜山神社のご参拝の後だろうと見当が付きまして……ちょうど、適任な者が手の中におりましたので、桜山神社の境内から逃げ出してきた梨花さまを目的地に送り届け、密かに護衛するよう命じておりました。陛下の大事な内親王殿下に、万が一のことがあっては一大事ですから」

大山別当は落ち着き払って答え、更に続ける。

「警備の方も、岩手県の警察部長に手を回し、わざと警備に騎馬警官を配置せぬようにして、梨花さまが逃げやすいようにしておりました。いくら梨花さまの走るのが速いと言っても、騎馬には追い付かれてしまうでしょうから」

「つまり……章子は結局、大山の手のひらの上で踊らされていただけか!はははは……」

 腹を抱えて大笑いする天皇の前で、

「しかし大山どの、増宮さまのお考えを見抜いていながら、止めないどころか、その策が成就するよう陰から助けたのは、“予定外”の視察をさせて増宮さまの観察力と洞察力を試すほかに、何か目的が?」

流石に山縣宮内大臣は訝しんで大山別当に尋ねた。中央情報院総裁も兼ねている大山別当のことだ、今回の一件に、本人が今語った以外の目的も潜ませていても何もおかしくはない。

 すると、

「東條に修業をさせようと思ったのですが……こちらの方は期待外れでしたね」

大山別当がため息をついた。「治世の能臣には、本人の努力次第でなりえましょうが、乱世の能臣ではないようです。しかし、梨花さまを事務面で支えられるようになるには、乱世にもせめて人並み以上の力を発揮できる人間になってもらわなければ困ります。梨花さまがこれからなさること、場合によっては常識や秩序を全て壊すようなものになりましょうから」

「うんと修業が必要ということか。ふう、人を育てるのは苦労する。優秀な人材を育てきるまで、わしらもまだまだ死ねぬな、大山どの」

「今後も梨花さまと満宮(みつのみや)さまに、東條を思い切り振り回してもらいましょう。それが彼にとっては修業。それに耐えられなければ、東条英機がそれまでの男だったということです」

「なるほどな」

 山縣宮内大臣と大山別当の会話を聞いていた天皇は頷くと、

「ところで、東條を振り回した朕のおてんば娘は、東京に戻ってからどうしておる?」

と2人に尋ねた。

「東條を監禁しております」

 天皇の問いに、やや物騒な答えを返したのは大山別当だった。

「穏やかではないですな。一体どういうことですか、大山どの?」

 山縣宮内大臣が首をかしげる。

「今回の一件で、東條はひどく責任を感じておりまして、“責任を取って、宮内省を辞職して自殺する”と言い出しました。それを翻意するよう、昨日の朝から梨花さまが説得なさっていますが、東條が隙あらば自殺を試みようとするので、梨花さまが東條を縛り上げて動きを封じ、昨夜は夜を徹して東條を見張っておられました」

「それはまた手荒なことをするな、章子は」

 苦笑する天皇に、

「今朝からは、ベルツ医師を青山御殿に呼び寄せられました」

と大山別当は付け加えて報告した。

「ん?なぜベルツ先生が出てくるのだ、大山どの?」

「東條が万が一自殺を図ったら、救命措置を施さなければならないから応援が必要だ、ということでして……」

 山縣宮内大臣に大山別当が答える。大山別当の顔にも苦笑いが浮かんでいた。「梨花さまは桜山神社から走り出される際、“今回の一件の罪は全て自分にある。万が一、東條が罪をかぶろうとするなら、その罪は自分がかぶる”と書かれた手紙を東條に渡しておりましたので、東條がご自分のために死んではならないと必死なのです。しかし東條も、頑固に自害を試みようとしております。梨花さまは休暇を明日まで取っておられますが、東條の抵抗が続けば、梨花さまのご勤務にも支障が出ます。どうしたものかと思案しているところなのですよ」

 と、

「大山、いい方法を思いついたぞ」

天皇が言った。その両目が、キラキラと輝いている。

「東條に勅語を出す。“此度の件で自殺することは許さぬし、宮内省を辞めることも許さぬ。これからも誠心誠意章子に仕えよ”と」

「陛下、それは異例なことにはなりますが……」

 山縣宮内大臣が止めようとしたが、それに構わず天皇は、

「それでな、東條の自害を思いとどまらせた代わりに、朕が章子に命じるのだ。岩手県の知事以下の職員たちに迷惑を掛けた罰として、明日の朝までに、和歌を20首詠んで、朕に差し出せとな」

と言って、ニヤリと笑った。

「なるほど」

 大山別当もニヤッとした。「罰は、与える相手が嫌がるものでなければ意味がありません。出勤を控えていただき謹慎……という手もありますが、それでは、梨花さまの外科医としての技量が落ちてしまう危険もございます。それは我々にとっては避けたいこと。和歌の不得手な梨花さまには、実に良き罰と思います」

「しかし陛下、増宮さまは和歌を1週間に2首お詠みになるのがやっと……1日足らずの間に、和歌を20首もお詠みになることはできるでしょうか?」

 章子内親王に和歌を指導している山縣宮内大臣が恐る恐る言上した。2年ほど前、皇后が行った集中的な指導により、苦手意識は多少和らいできているが、章子内親王は自分から和歌を詠むことは全くなく、山縣宮内大臣が歌題を課すと、それに応じてようやく和歌を詠むのが現状だった。

 ところが、

「朕の子であるぞ、そのくらいできないでどうする」

毎日少なくとも40首は和歌を詠む天皇は、不思議そうな表情で山縣宮内大臣に言った。

「そなたらが章子の資質を磨くように、朕も章子の資質を磨くのだ。さて、そうと決まれば、歌題を考えてやらねばな……」

 天皇は鉛筆を持つと、執務机の上に置いてある紙に、思いついた歌題を書き付け始める。その表情は非常に明るい。

 ……こうして章子内親王は、今生で初めての“二徹”をすることになってしまったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 原作者は亡くなりましたが章子にとっては 「渡る世間は鬼か閻魔か牛頭馬頭か」 の日々。
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