うつらぬものは(3)
「ところで、主治医どの……」
火の始末を済ませ、私と原さんは、墓地に設けられた石段を並んで下っていた。原さんの手には、先ほどは車夫さんが持ってくれた手桶とひしゃくがある。
「主治医どのはこの後、東禅寺に行くつもりなのか?」
「はい。そこにも、盛岡藩主のお墓があると聞いたので」
私が原さんに答えると、
「その後、護国神社に行かないか?」
原さんは真剣な表情で言った。
「護国神社、ですか?」
「ああ。その様子では、護国神社のことは知らないようだな。まぁ、わたしとしても、思いは複雑だ。主治医どのに佐渡さまの墓のことを教えたのは、おそらく英教どのだろうが、英教どのが主治医どのに護国神社のことを教えなかったのも無理はないかもしれん」
原さんは軽くため息をつくと、話を続けた。
「戊辰の役の当時、佐渡さまは旧幕府軍に味方することで盛岡藩をまとめたが、その時、“新政府軍に味方するべし”と佐渡さまに反対する者たちもいた。その主だった者に、中嶋源蔵、目時隆之進という人がいてな。京都の政情を見て、“薩長討つべし”の決意を固めた佐渡さまを、彼らは必死に説き伏せようとした。しかし、自分たちの論が佐渡さまに容れられないことを悟った中嶋は、自らの死をもって佐渡さまを諌言しようとして、大阪の宿で切腹して果てた。目時は長州藩邸に走ったが、薩長に“南部家には朝廷に対する異心無し”と訴え続けた。そして、最終的には、薩長に降伏した我が藩の家老に就任したのだが、折悪く、その直後に、利剛公に“家督を譲って東京で謹慎せよ”と命令が下り、更には、盛岡藩の白石への転封命令が出てな……。“この厳しい処分は目時の差し金だ”という噂が流れ、藩士たちの怒りは目時に向かった。その結果、目時も自害した。壁に“報国”と血書してな」
「それは……」
私は絶句した。何と理不尽で、悲しい結末なのだろう。自分の死で楢山さんを止めようとした中嶋さん。そして、新政府の処分に対する盛岡藩士たちの不満を受け止めるスケープゴートにされてしまい、自害せざるを得なかった目時さん。彼らも戊辰の役さえなければ、死なずに済んだはずだ。
「護国神社には、その2人と、西南の役に参加して死んだ盛岡藩士たちが祀られている。盛岡八幡宮の境内に鎮座しているが……行くか?」
「……行かない選択肢がありませんよ、原さん」
階段は下りきって、私たちは桜山神社がかつてあった芝生の広場の真ん中を歩いていた。
「ここまで来たら、とことんまで行って、皇族としての務めを果たすまでです」
「そうか。それならば、わたしも同行しよう」
原さんは私に向かって、しっかり頷いた。
「じゃあ、まず、門のところで待っててもらっている人力車で、東禅寺まで……」
その時、私はうっかり、身体のバランスを崩した。小さな石でつまずいてしまったらしい。危うく、地面に倒れこもうとしたところを、
「危ない!」
原さんが横から腕をサッと出して、私の身体を支えてくれた。
「気を付けろ。まったく、世話が焼けるな。つかまっていろ」
身体を起こすと、原さんが左手を差し伸べてくれる。
「ああ、ありがとうございます……」
ごく自然にその手を取って、私ははたと気が付いた。原さんが……私に意地悪ばかりする原さんが、私と手をつないでいる。
「ど、どうしよう……遺書、準備してない……」
「は?」
「は、原さんが私と手をつなぐなんて……爆弾か火の玉でも降って来るんじゃないかしら。それとも、焼夷弾とか、弾道ミサイルとか?」
「おいっ、主治医どの!」
オロオロする私に、原さんが大きな声で怒鳴った。「なぜ、鬼に取って食われる寸前のような顔をするのだ!」
「だって、原さんと手をつなぐなんて、信じられないんですもの!」
「わたしも信じられないがな!しかしな、信じられなくても、このような好意は淑女として受けろ、主治医どの!」
「受けろ、って言われても困るんですよ!あなたのことだから、何か裏がありそうで!」
「無いに決まっているだろう!」
原さんと私はにらみ合った。けれど、なぜか、つないだ手を原さんは離してくれない。
「ああ、もう!こうなったら、このわたしが直々に、主治医どのを鍛え直して……」
原さんが忌々しげに言った時、
「その必要はありませんよ」
……絶対に、この場にいるはずのない人の声が聞こえた。そんなバカな。院の仕事が忙しいから、今回の私の公務にはついて来ないと言っていたのに。
「大山さん?!」
「大山閣下?!」
同時に叫んだ私と原さんの視線の先、芝生の広場の隅の方に、黒いフロックコートをまとった大山さんがいる。微笑しながら近づいてくる彼から、逃げることも出来たはずだけれど、私も原さんも足が動かず、その場に立ち尽くしていた。
「な、なんで大山さんがここに……?」
ようやく私の口から出た質問に、
「俺も来るつもりはなかったのですが、梨花さまは果たして、飛び出した後の始末のことを考えておいでなのだろうかと、不安になりましてね。急遽参上させていただいたわけです」
大山さんは微笑を崩さずに答える。既に彼は、手を伸ばせば私と原さんに触れられそうなところまで近づいていた。
「後始末……?一応、東條さんには、“必ず将官倶楽部に戻るから心配するな”って手紙を渡しておいたけれど……」
「梨花さま、東條くんと千夏どのには、まだ俺のような実力はありませんよ。そのお手紙だけで、あの2人が俺のように事態を収拾するのは無理です。しかも東條くんは、お手紙のことも思い出せずにおりましたからね」
「……確かにな。わたしが桜山神社を出る直前、英機は全く動けずに、千夏どのに“この役立たず!”と罵られていた」
(何やってんだよ、東條さんは……)
大山さんと原さんの答えを聞いた私は、内心舌打ちした。どうやら東條さん、突発的な出来事に弱いようだ。今回の一件で、私に対する恐怖がぶり返さなければいいのだけれど。
「確かに、東條さんと千夏さんに任せればいいや、って思ってただけで、それ以外のことは全く考えてなかった……」
大山さんから視線を逸らしながら答えると、大山さんが苦笑する気配がした。
「ふふ……梨花さまも、まだまだご修業が必要です。人をいかに育てるか、育てている最中の人間に、どのように仕事をさせるか……それも覚えていただかなければなりません」
大山さんはそう言うと、
「さて、梨花さま。ご予定と変わってしまいましたが、今回の岩手県のご視察、何か気が付かれたことはおありですか?」
と私に尋ねた。経験豊富で非常に有能な我が臣下は、早速、私を鍛える気でいるらしい。
「一昨年の冷害で受けたダメージ、岩手県ではまだ回復していないみたいね。県や市は、冷害の影響を食らった稲作農家の救済を優先しているから、公共工事に投入できるお金がほとんどない。だけどそろそろ、県や市から、品物や公共工事の発注の形でお金を農業以外の業種に回していかないと、岩手県の経済全体が停滞しちゃうんじゃないかな……」
私が大山さんに答えると、
「ほう、よく見たな、主治医どの。確かにその通りだが、公共工事の件は、知事と市長も説明していなかったような……」
原さんが首を傾げた。原さんが私を褒めるというのは異常事態なのだけれど、それを指摘するとまた彼が臍を曲げそうなので、私はその代わりに、彼の疑問に答えることにした。
「聖寿禅寺まで来る道がガタガタだったから、人力車の車夫さんに聞いたら、“道路の改修計画もあったけれど、一昨年の冷害で農民救済に金を回さなきゃいけなくなって、工事がとん挫した”って答えられました。ただ、私が視察に来ることになったから、私の通る予定の道だけ、慌ててお金を工面して改修したって……。内親王の私を迎えるだけでこの騒ぎだから、兄上やお父様を迎えるってなったら、迎える地方自治体の財政はもっと大変なことになるんでしょうね。まぁ、インフラ整備の起爆剤にはなりそうですけれど」
「……よくご覧になりました」
大山さんが、私の頭をそっと撫でた。
「できれば、私の自由にできるお金を、岩手県と盛岡市に2、3000円くらい渡したいけれど……」
私がこう言うと、
「よろしいのではないでしょうか。岩手県知事も盛岡市長も、梨花さまの姿が消えたのと、千夏どのの剣幕とで仰天しておりましたから、迷惑料という意味でもお渡しになるのがよろしいかと」
大山さんが軽く頷いた。
「しかし、上手い理由を考えなければ、主治医どのが今回訪問した宮城・山形の両県から文句が出るぞ。それは何か考えがあるのか、主治医どの?」
「衛生対策費」
横からの原さんの質問に、私は即答した。「さっき、市長さんが言ってたじゃないですか。結核やトラホームの罹患者が増加しているって。多分、冷害の影響で栄養状態の悪い人が増えたのと、衛生対策に回せるお金が農民救済のために減ったのとが原因だと思います。仙台でも酒田でも同じ質問をしましたけれど、両方とも、“漸減しつつある”っていう答えだったんです。これなら、宮城県も山形県も納得するんじゃないですか?」
「……よく出来た」
原さんが私に向かってニヤッと笑うと、
「ええ。将官倶楽部に着きましたら、衛生対策への補助のこと、早速に手配いたしましょう」
大山さんも満足そうに頷いた。
「でも、その前に、東禅寺と護国神社に行かなくちゃ。それが、私のやらなきゃいけないことだから。言っておくけれど、あなたが止めても私は行くわよ、大山さん」
大山さんを少しきつい目で見つめながら言うと、
「無論、止めませんとも。お供させていただきます、梨花さま」
大山さんは恭しく一礼する。
そして、
「かたじけない……」
原さんも小さく呟くと、私に深く頭を下げたのだった。
……こうして、東北での私の公務は何とか終了し、私は4月21日の夜遅く、東京に戻った。各訪問地での反応も良好で、迷惑をかけてしまった岩手県知事も盛岡市長も、最終的には、“悪路をものともせず、南部家の歴代藩主や、戊辰の役や西南の役での戦没者の冥福を祈っていただき、誠にありがたいことでございました”と言ってくれたので、私はホッと胸をなで下ろしたのだった。
ただし、公務の事後処理で、私が散々な目に遭ったことについては、余り多くを語りたくない。
※執筆にあたり、「楢山佐渡のすべて」(太田俊穂、新人物往来社、1985)、「戊辰戦史 巻9-12」(川崎三郎、博文館.1894)、また盛岡市ホームページ内「盛岡の先人たち」、聖寿寺ホームページ、盛岡八幡宮ホームページなどを参照しました。




