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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第43章 1906(明治39)年白露~1907(明治40)年穀雨
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公務の行程

 私が医術の、そして剣道の修業に励み始めた一方、青山御殿では宮内省と連携して、4月の私の東北行きの準備が着々と進んでいた。

 1907(明治40)年2月17日日曜日、午後2時。

「まず1日目、4月17日の水曜日になりますが、朝8時半発の特別列車で上野駅をご出発、仙台駅のご到着が午後6時ごろとなります」

 青山御殿の私の居間で、東北行きの行程を説明しているのは、訪問予定地での打ち合わせから一昨日戻ってきた東條さんだ。青山御殿に入職して4年目の彼は、今回、“いい修業になるでしょう”という大山さんの鶴の一声で、私の東北行きに関する青山御殿の責任者に抜擢された。今はもう、東條さんは私に全く怯えない。後ろに座って監督している千夏さんも、東條さんの話を満足げに聞いていた。ちなみに、抜擢した側の大山さんは、別館で仕事中なのでここにはいない。

「その後、仙台の将官倶楽部にてご夕食、そこでご宿泊となります。翌18日は東北帝国大学開学式に御成りいただいた後、医科大学のご視察。県庁で大隈文部大臣・尾崎逓信大臣・宮城県知事・仙台市長などとご昼食の後、経ヶ峰(きょうがみね)の伊達家墓所にお参りいただきます。そして仙台城跡のご見学を予定しております」

「……仙台城の現存している江戸時代からの建物、見学できそうかしら?」

 我慢できなくなり、質問を挟んでしまった私に、

「はい、大手門と脇櫓、寅門、三の丸にある巽門など……現存する建物はご見学が可能とのことです」

東條さんは慌てず騒がず、しっかりと請け負ってくれた。

「よろしい」

 私はニッコリ微笑んだ。東條さんが挙げた建物……“史実”では、太平洋戦争の空襲やアメリカ軍の進駐により、失われてしまったのだ。その貴重な江戸時代からの建物を見ることができるとは、こんなに嬉しいことはない。

「夜は再び将官倶楽部でご夕食とご宿泊、翌19日はご朝食の後、仙台駅から特別列車にご乗車いただき、陸羽(りくう)線開通式典にご出席いただきます」

 東條さんの説明は続く。陸羽線は仙台から数10km北にある町・小牛田(こごた)と山形県の酒田町を結ぶ鉄道だ。原さんと斎藤さんによると、似たような鉄道路線が“史実”で開通するのはもう数年先らしいのだけれど、酒田港から輸入される石油や石炭などの新イスラエルからの品物、そして、酒田に新設されたガソリン工場で生産されるガソリンを東京方面に輸送する需要が見込まれることから、昨年初めから急ピッチで工事が進められた。酒田に石油化学やその他の工場が作られていけば、そこでの生産品も陸羽線を使って輸送されるだろう。

「陸羽線の車中で昼食後、酒田駅に到着します。そこからは東北帝国大学理科大学に移動していただき、理科大学と工科大学の開学式典に御成りいただきます。酒田町内のガソリン工場を見学いただいた後、町内の料亭で開催される、酒田町・東北帝国大学の関係者の方々との懇親会にご出席いただき、夜10時に酒田駅から特別列車で盛岡駅に向かっていただきます」

「寝台車が付いているんですもんね」

 転生してから初めて鉄道に乗った時には、ロングシートの上に寝転がって一夜を過ごしたけれど、あれから15年以上が経過した現在、寝台車が列車に連結されるケースも出てきた。今回、私が東京から乗り込み、東北旅行の全行程を共にする特別列車にも、寝台車が連結される。もちろん、陸羽線も広軌で敷設されているから、寝台車も“史実”のものより広く、ベッドも幅があり、楽に寝返りが打てるそうだ。これなら、ぐっすり眠れるだろう。

「4日目・20日の朝に盛岡駅に到着後は、盛岡市南部の農業の現況をご視察いただきます」

 これは、厚生大臣の後藤さんの強い要望によるものだ。後藤さんはかつて、“国土調査委員会”で全国の土地利用調査を行い、その土地の気候や地質に適した作物を栽培するよう、全国で奨励していた。その成果を私に見て欲しいのだという。

「ご視察の後、岩手県庁に移動していただき、岩手県知事・盛岡市市長・原前厚生大臣との昼食会にご出席いただきます。岩手公園のご見学の後、盛岡の将官倶楽部に入り、そちらでご夕食とご宿泊となります。そして翌21日朝、盛岡駅を発ち、夜遅くに上野駅到着となりますが……」

「それで、全行程ってことですね」

「はい、そうなります」

 頷いた東條さんに、

「ところで、仙台城址と岩手公園の盛岡城址、それを見られるのはとても嬉しいんですけれど、それよりもっと大事なことを確認しないといけないです」

私はこう言った。

「仙台藩と盛岡藩の歴代藩主の廟所にお参りが出来るか。戊辰の役の亡くなった旧幕府軍の慰霊碑があれば、そこにお参りできるか。それから、戊辰の役で斬首・切腹となった仙台藩士・盛岡藩士のお墓にお参りできるか……」

 今回立ち寄る仙台市・酒田町・盛岡市。すべて、戊辰の役で旧幕府軍に属していた藩が治めていた街だ。このうち、酒田町は藩庁が置かれておらず、町自体も戦闘に巻き込まれていないので、歴代藩主の廟所や、戊辰の役で亡くなった方の慰霊碑が無いことは東條さんが調べて私に教えてくれた。

 問題は、藩庁が置かれていた仙台市と盛岡市だ。仙台市の方は、仙台藩の藩主だった伊達家の廟所にお参りする予定が既に組まれているようだけれど、盛岡市の方はどうなのだろう。公式な訪問だから、その地を治めた先人の霊にはご挨拶したいし、それに……。

「仙台の方は、伊達家の廟所の中に、戊辰の役で亡くなった藩士や住民の霊を弔う碑、西南戦争に参戦して亡くなった東北の士族たちを弔う碑がございます」

 東條さんの答えを聞いて、

(よかった、建てられてた……)

私は内心、胸を撫で下ろした。前世で仙台に行った時、仙台城址だけではなく、伊達家の廟所にもお参りした。その時、仙台藩祖・伊達政宗の墓所である瑞鳳殿(ずいほうでん)のそばに、“弔魂碑(ちょうこんひ)”という戊辰の役の戦死者を弔う碑があったのだ。いつ建てられたものかは覚えていなかったけれど、この時の流れでも既に建立されていたようだ。

「仰せになっておられた但木(ただき)土佐(とさ)(さか)英力(えいりき)など、戊辰の役の際、斬首されたり切腹を仰せつけられたりした者たちの墓も宮城県にございますが、全員の墓所を回ろうとすると、仙台城址のご見学の時間をすべて使っても足りません。“断腸の思いではありますが、弔魂碑にお参りいただくことで、彼らへの墓参に代えていただけないでしょうか。それだけでも、泉下の彼らは喜ぶと思います”と知事閣下がおっしゃっておられました」

「そうですか……。なら、知事さんの言う通りにしましょう」

 戊辰の役の際、仙台藩では但木土佐さん、坂英力さんが斬首に、その他に和田(わだ)織部(おりべ)さん以下6人の藩士が切腹させられている。戊辰の役で亡くなった人は、皆、お父様(おもうさま)を思ってくれていた方だから、敵味方の別なく弔いたい。それは、刑死した人も同じである。だからこそ、墓参を希望していたけれど、時間の制約もあるから仕方ない。宮城県の知事さんの言う通りにするしかないだろう。

「で、盛岡市の方はどうなんですか?」

 更に私が確認すると、

「それが……」

東條さんの表情が曇った。

「知事閣下にも、盛岡市の市長どのにも、“内親王殿下がいらっしゃるべきところではない”と言われてしまったのです」

「はぁ?」

 私は思わず椅子から立ち上がった。「だって、盛岡市に南部家の歴代藩主のお墓があるんですよね?聖寿禅(しょうじゅぜん)寺と東禅(とうぜん)寺っていうお寺に……東條さんのお父様も、私にそう教えてくれましたよ」

 歴代藩主の廟所だけではない。聖寿禅寺には、戊辰の役で亡くなった盛岡藩士の慰霊碑もある。そして、盛岡藩の“反逆”の責任を取り、斬首された楢山(ならやま)佐渡(さど)さん……おそらく、少年のころの原さんが、父とも叔父とも思い、尊敬して慕っていただろう人のお墓もある。東條さんのお父さん・東條英教(ひでのり)歩兵少将が、東條さんを通した私の問いに、書面でそう答えてくれた。

「なのですが……。父もその答えを聞いて、“確かに、仕方がないかもしれない”と言いました」

 東條さんはそう言ってうつむいた。

(岩手の知事も、盛岡の市長も、旧盛岡藩の人たちが、まだ“賊軍”に見えているのかしら……)

 私はため息をついた。今の時代の知事は、住民の選挙で選ばれるのではなく、中央から派遣される。もしかしたら、知事も市長も、戊辰の役で新政府軍に属していて、旧幕府軍として戦った盛岡藩の人たちを見下しているのかもしれない。

「宮さま、どうしましょう?東條くんのお父様に動いてもらって、聖寿禅寺と東禅寺を訪問先に加えてもらうようにしますか?」

 東條さんの後ろから、千夏さんが身を乗り出した。

榎戸(えのきど)さん、残念ですがそれは無理です。俺の父には、岩手の県政や盛岡の市政に影響を及ぼすような力はありません」

 力なく首を左右に振る東條さんに、

「じゃあ、原閣下は?前厚生大臣ですし!」

千夏さんがかじりつくようにして提案する。

「あー、千夏さん、それはダメです」

 私はすかさず、乳母子の言葉を止めた。

「え?なぜですか、宮さま!今は野党ですが、原閣下も衆議院議員ではないですか!」

「……でも、党務でものすごく忙しそうですよ。彼の手を煩わせるわけにはいかないわ」

 私はとっさに思いついた言い訳を千夏さんに投げた。原さんには、南部家の廟所や楢山さんのお墓参りをすることを、何となく知られたくないのだ。もし知ったら、“妙な気遣いをするな”と突っぱねるような気がする。

「仕方ない。余り迷惑はかけたくなかったけれど、訪問先を加えられないか、今度山縣さんが青山御殿に来た時に頼んでみます」

 私はため息をつきながら東條さんと千夏さんに言った。宮内大臣の山縣さんに打診して、宮内省と岩手県との間で調整をしてもらう。恐らくそれが、一番筋が通るやり方だ。

(これでうまくいけばいいけれど……)

 少しだけ、胸の中に不安が残る。けれど、決めた以上はその方針でやっていくしかない。私は不安を振り払うべく、東條さんと千夏さんに笑顔を向けたのだった。

※仙台の弔魂碑は1877(明治10)年建立です。(瑞鳳殿公式HPより)

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― 新着の感想 ―
[一言] 梨花様ストップ! まずは1クッション置きましょう、1クッション。じゃ無いと、久々に黒い山縣さん降臨、なんて非常事態が… 梨花様の事となると、暴走っぷりが半端じゃないですからねえ、山縣さん。
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