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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第42章 1906(明治39)年春分~1906(明治39)年処暑
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それぞれの医学

 1906(明治39)年4月8日日曜日、午前10時。

「ごめんくださーい」

 麴町(こうじまち)区飯田町にある東京至誠医院の玄関前。若草色の無地の着物に紺色の女袴を付けた私は、家の中に向かって大声で呼びかけた。

(あれ?おかしいな、今日のこの時間に参りますって、アポは取ったのに……)

 中から反応が無いのを(いぶか)しく思っていると、慌ただしく足音が響いて、中から玄関の戸がガラっと開けられた。

「まぁ……!」

 玄関先に現れたのは、私の恩師である吉岡弥生先生だ。昔と変わらず、紫の着物に黒い女袴を付けている弥生先生は、とても元気そうだった。

「お久しぶりです、弥生先生」

 恩師に深々と頭を下げると、弥生先生も私に負けないくらい深いお辞儀をする。

「お久しぶりでございます。ああ、驚きました……」

 弥生先生は挨拶すると、ため息をつきながら私に言った。

「いらっしゃるなら、表がもっと騒がしくなるだろうと思っていたんです。いらっしゃる刻限になっても、やけに静かだなぁと思っていたら……」

「申し訳ありませんでした、弥生先生。正式に訪問したら、ご近所迷惑になると思ったので、今日は微行(おしのび)なんです」

 私は弥生先生に謝罪した。「だから、馬車じゃなくて、自転車で、職員さんと2人で来ました。職員さんには外で待っていてもらっています。あ、これ、よろしければどうぞ。うちの職員さんが焼いてくれたビスケットです」

 昔と同じように、今日は千夏さんと一緒に自転車(けった)を走らせて、この東京至誠医院にやって来た。極東戦争が終わって、私の警備を昔のように緩めて良くなった結果、行先を予め伝えておけば、微行(おしのび)で外出も出来るようになったのだ。

 すると、

「自転車で?!」

私からビスケットの箱を受け取った弥生先生が、また目を丸くした。

「あなた、いつ免許をお取りに……いや、皇族特例で、免許無しでも自転車に乗れるのかしら?」

「先生、私、ちゃんと自転車の運転免許を取りましたよ」

 私は持っていたカバンから取り出した運転免許証を広げ、弥生先生に見せた。私の時代のカードタイプのものと違って、今の運転免許証は手帳ぐらいの大きさがある。この自転車運転免許証は、先月の末に、青山御殿の最寄りの赤坂表町警察署で、試験を受けて取ったものだ。ここに通っていたころは、自転車の運転には免許証は必要なかったけれど、私が国軍軍医学校に入学した直後から、制度が変わって必要になった。

「極力特別扱いは無しで、というのが、私の信条なので」

 胸を張って答えると、「確かに、昔からそうだったわね」と弥生先生は苦笑して、私を6畳間に案内してくれた。

「今日は、主人はドイツ語の授業をしに、女医学校の方に行っているんです。1年ほど前から、希望者に日曜日に授業をしていましてね。博人(ひろと)も女医学校に行きたいと言って、女中さんと一緒に女医学校に行っていますから、ここには私とあなただけです」

 私に座布団を勧めながら、先生はこう言う。博人くんは、私の甥・淳宮(あつのみや)さまが生まれた翌日に、この東京至誠医院で生まれた、弥生先生とご主人の荒太(あらた)先生の一人息子だ。私も分娩を介助させてもらった。

「博人くんは元気ですか?」

「ええ。私はあまり母親らしいことをしていないけれど、元気に過ごしているわ。女医学校の生徒の皆さんにもかわいがってもらっているのよ。診察手技の練習相手もしているわ」

「へぇ……嫌がって泣いたりしませんか?」

「嫌がるときは、本当に嫌がるわね。でも、それも実際にはよくあることだから、生徒の皆さんには修業のつもりで耐えてもらわないと」

「ま、そうですよね……」

 医者の診察を嫌がる子供が大泣きするのはよくある話である。兄の子供たちは、侍医さんたちの診察を全く嫌がらずに受けているけれど、小さいのに毎回行儀よく診察を受けるのは、本当にすごいなぁと思う。

「さ、お茶を淹れて来るわね」

 畳から立ち上がった先生に、

「ああ、先生、私がやります。恩師に、そんなことはさせられません」

私は慌てて申し出た。ここで勉強していたころは、来客に対してお茶を出すことも、私たち生徒が当番制で担当していたのだ。

「いいのよ、あなた、今日はお客様ですから」

「でも……」

「いいですか、殿下」

 弥生先生が、少し厳しい口調で言う。私は反射的に背筋を伸ばした。

「たとえ身分の差があったとしても、あなたと私は、医師免許を持っているという点では対等です。対等な人間同士が主客の関係になった場合、主人側が客をもてなすのは当たり前のことでしょう?」

「はい、申し訳ありませんでした」

 私はきちんと正座して頭を下げた。弥生先生の言う通りだ。

「じゃあ、少し待っていてくださいね」

「はい!」

 元気な弥生先生の声に、私も元気よく頷いた。


 戻ってきた弥生先生と一緒にビスケットをつまみながら、私たちはおしゃべりを楽しんだ。ほんのりした甘みと、バターと小麦粉の風味とで満たされた口の中を、程よい熱さの緑茶を飲んでさっぱりと洗い流すと、4年近く会っていなかったのが信じられないくらい、口が滑らかに動いた。

「最近の女医学校は、本当にすごいですね。捨松さんから、医術開業試験があるたびに、後期試験の合格者が出ているって聞きました」

 時々女医学校の様子を見に行ってくれている大山さんの奥さん・捨松さんから聞いた情報を私が口にすると、

「ええ。生徒はみんな、あなたを目標にしていますよ」

弥生先生が満面の笑みを見せた。

「私を、ですか。……入学した時から、色々な意味で先生方に迷惑をかけた記憶しかないんですけれど」

「そういうこともありましたけれど、あなたは今、“医学の宮さま”とか“軍医の宮さま”とか呼ばれて、女性からも男性からも大人気ではないですか。間違いなく、若い女性たちのあこがれの存在ですよ」

 そう言えば、微行(おしのび)で街を歩いていると、私の写真や、私を題材にした絵葉書が売られているのを見かける。絵葉書の中には、“対馬沖海戦の際、軍艦の最上艦橋に東郷大将・(てい)汝昌(じょしょう)提督とともに立ち、日清連合艦隊を勝利に導いた増宮殿下のご勇姿”などという、絶対あり得ない絵柄もあるのだけれど、大山さん曰く、“飛ぶように売れている”のだそうだ。

「……それにしても、あなたとこうしてまた会える日が来るなんて、思っていなかったわ。戦争が始まった時、あなたは軍艦に乗っていらしたから、もし万が一のことがあれば……と気が気でありませんでした」

 弥生先生はいったん言葉を切り、お茶を一口飲む。「日本に戻ってこられたと思ったら、今度はすぐに横須賀に転勤なさいました。横須賀から築地の国軍病院に転勤になってからも、医科学研究所の総裁も兼任されたし、色々と忙しそうで……」

「忙しいのは確かですね」

 私は弥生先生に苦笑いを向けた。「先月から、東京帝大の外科にも顔を出し始めましたから」

「まぁ……あそこで女性医師が働くのは、初めてではないかしら?」

「みたいです。でも、“もともと、ここで働く予定だったでしょう”と、近藤教授に誘われました。月に2、3度ほどの勤務ですけれど、とても勉強になります。もちろん、国軍病院でも、色々な手術を経験させてもらっています。まだ助手までしかやらせてもらえてないですけれど、たくさん修業を積んで、術者も出来るようにならないと、って思っています」

「素晴らしいですね」

 弥生先生は満足そうに頷くと、

「そこまで修業されていながら、医科研のこともやっていらっしゃるし、外国の高貴な方の接待もなさって……先週も、イタリアの王族の歓迎昼食会に出席なさったんでしょう?」

と目をキラキラさせながら尋ねた。

「ええ、まぁ……」

 “イタリアの王族”というのは、登山マニアのアブルッツィ公でも、セクハラ野郎のトリノ伯でもなく、彼らのまたいとこに当たるウディネ公という人だ。私とちょうど同い年ぐらいの人なのだけれど、イタリアを出るとき、両腕を組んで偉そうに突っ立ったトリノ伯とアブルッツィ公の兄弟に、

――もしお前が増宮殿下に惚れたら、アドリア海でお前の根性を叩き直してやる!そしてお前の薄汚い欲望を、アドリア海に昇る美しい朝日の陽光の中で粉々にして浄化するのだ!

……という、意味不明なセリフで脅されたそうで、昼食会の席で、かわいそうなくらい震えていた。何の罪も無い親類を脅すなんて、あの兄弟は本当にどうかしている。永久にイタリアから出てこないでほしい。

 そんなことを思い出しながら、あいまいな表情で返事をした私に、

「それに、ご結婚もなさるんでしょう?」

弥生先生は、今日の訪問で私が一番して欲しくなかった質問をした。

「あー、弥生先生、それは……」

「先月の末、北白川宮(きたしらかわのみや)恒久(つねひさ)王殿下が、竹田宮(たけだのみや)の宮号を賜って、新しい宮家をお作りになったじゃないですか。あれは、あなたとの結婚に備えたものだという、もっぱらの評判ですよ」

 困惑する私に、弥生先生は微笑しながら更に続けた。

 恒久殿下は、私より3、4か月ほど早く生まれている。北白川宮家のご当主・能久(よしひさ)親王殿下の息子たちの中では一番年上だけれど、彼は北白川宮家の跡継ぎではない。お母さまが、能久親王殿下の側室だからだ。そのため、北白川宮家の跡継ぎは、恒久殿下ではなく、彼のすぐ下の弟で、能久親王殿下の正室・富子(とみこ)妃殿下の唯一の実子でもある成久(なるひさ)王殿下と定められている。

 そこで、恒久殿下の立場が問題になり、“恒久王殿下を当主とする新しい宮家を創設すべきではないか”という話は以前から議論されていた。確かに、そうすれば恒久殿下と成久殿下が北白川宮家の家督をめぐって争う、という事態は避けられる。能久親王殿下もそれを望み、先月末に竹田宮家が創設された。

 けれど、この宮家創設を巡って、新聞紙上で憶測が飛び交っているのも事実だ。その中の一つに、“内親王方の嫁ぎ先を確保するために竹田宮家が作られた”というものがあるのは、私も承知している。承知はしているけれど……。

「……あの、弥生先生」

 集中して気配を読み、大山さんが潜んでいないことを確かめてから、私は口を開いた。今日、大山さんはお休みで、私についてきたのも千夏さんなのだけれど、油断は禁物だ。

「ここだけの話にしていただきたいんですけれど、……実は、竹田宮殿下も、お父様の能久親王殿下も、私のことを怖がっているんです」

 私がそう言うと、弥生先生は「あら、どうして?」と首を傾げた。

「私、小さいころ、竹田宮殿下と戦ごっこをしている時に、彼の軍をさんざんに破ったことがあるんです。それ以来、彼、私のことをずっと怯えた目で見ています。極東戦争の直前、近衛師団で実習をしたとき、彼も近衛師団にいましたけれど、私と目が合った瞬間に目を逸らして、いつもその場から逃げるんです」

「そうなの……」

「それに、私、能久親王殿下も、不審者と間違えて竹刀で叩きのめしかけたことがあるんです。そのせいだと思うんですけれど、能久親王殿下も、竹田宮殿下と一緒になって、お正月に皇居で顔を合わせると、部屋の隅っこに逃げていくんですよ!しかも、彼らだけじゃなくて、私と同じ年代の華族の子弟も、私をおびえた目で見つめて来るし……全くもう、だらしないったらありゃしない!」

 私が思わず、軽く右こぶしを握り締めると、

「ずいぶんと、問題が根深いようですね」

弥生先生が顔に苦笑いを浮かべた。

「けれど、皇族の男性は、竹田宮殿下だけではないでしょう?北白川宮の若宮殿下や、有栖川宮(ありすがわのみや)の若宮殿下も、あなたと同じくらいのお年ではなかった?」

「私より4、5歳下です。そのあたりの年代なら、私には怯えないんですけれど、年齢的には私よりは、私の妹たちの結婚相手にふさわしいんですよね」

「でも、あなたがご結婚なさらないと、常宮(つねのみや)殿下たちがご結婚できなくなってしまうのでは?」

「そんなの、私に構わず、みんなさっさと結婚すればいいんですよ!」

 “常宮”というのは、私のすぐ下の異母妹・昌子(まさこ)さまの称号だ。私は右こぶしで太ももを叩いて叫んだ。

「私、一生独身でいいです!そうしたら、ずっと兄のそばにいられるし!」

「……ものすごい剣幕ですねぇ」

 弥生先生の声にハッとした私は、慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません!取り乱して、見苦しいところをお目に掛けてしまいました。でも……私が結婚するって、想像がつかないんです。結婚したら、間違いなく医学に費やせる時間が短くなってしまうし……」

 そう言った私は、下げていた頭を上げ、弥生先生の目を見つめた。

「弥生先生、女医にとって、結婚はどういうものなのでしょうか?やはり、将来の発展の妨げになってしまうものでしょうか?」

 私の前世の母は、医者だった。けれど、結婚について、彼女と話し合ったことはなかった。だから、弥生先生に尋ねるしかないのだ。女性の医師にとって、結婚するというのがどういう意味を持つのかということを。

 弥生先生は私の質問に面食らったようだったけれど、すぐに、

「そうですねぇ……」

考えながら口を開いてくれた。

「私個人の体験談で恐縮ですけれど……、私も医者になったばかりのころは、今のあなたと同じように、結婚するなんて想像もつきませんでした。一生を医学に捧げるつもりでいましたから。でも、気が付いたら、主人と結婚していましたね」

「はぁ……」

「生活のためにしなければならないことが増えましたから、もちろん、それが医学の修業の邪魔にならなかったと言えばウソになります。博人の世話にも時間を取られますしね。けれどね、私、主人と結婚してよかったと思いますよ」

 弥生先生はそこまで言うと、私に微笑んだ。

「だって、主人が私のそばにいて、私を助けてくれなければ、女医学校はここまで大きく発展できませんでしたから。私の医学は、女子の医学教育とともにあります。その医学は、夫に支えられたからこそ発展しました。もちろん、あなたをはじめとする優秀な卒業生たち、それに在校生や、この学校を物心両面で援助してくださる方々にも助けられていますけれど」

「大変……大変、失礼いたしました、弥生先生」

 私はまた、弥生先生に向かって深く頭を下げた。私は弥生先生の大事な人を……仕事においても私生活においてもかけがえのない大切な存在を、侮辱するようなことを言ってしまった。

「……生きたいように、生きればいいのですよ。あなたを見ているとそう思います」

 私の頭の上で、弥生先生は静かに言った。「ご縁があれば、恋に落ちてもよし、結婚してもよし、独身のままでもよし。ご身分で制限されてしまうことも多いでしょうけれど、あなたはその中で、生きたいように生きれば、出来ることをやればいいのです」

(あ……)

 不意に、弥生先生の言葉が、昔の記憶を呼び起こした。

――増宮さまができることを、おやりになればいいのです。

 小さいころ、私の“史実”の記憶によって、梨花会の面々がどんどん日本をより良くしていき、この変わった世界で、自分に何が出来るのかと悩んでいた時、爺は私にこう言った。そして、“今生でも医者になって、お父様(おもうさま)と兄の健康を守りながら、医学を発展させたい”という人生の目標が見つかって、私は爺の言う通りに、出来ることをやって来た。

(恋愛するかとか、結婚するかとか、そんなことはわかんないから、それは天に任せるしかない。でも、どんな運命になっても、私は私の医学を……国を(いや)す上医になるための医学を修業するんだ。それは変わりない)

「ありがとうございました、先生。竹田宮殿下みたいな臆病者と結婚するつもりはさらさらないですけれど、万が一結婚させられたら、別居でもなんでもして、私なりの医学の修業を……」

「待ちなさい、別居というのは、ちょっと穏やかじゃないと思うわよ?」

 意気込んだ私を、弥生先生が慌てて止める。

「そうですか?」

 私が首を傾げると、

「そうですよ」

弥生先生がため息をついた。「今回の戦争は、実習中のあなたをニコライから守ろうとしたことが原因と聞きましたよ」

「なんでそこまでご存じなんですか……」

「開戦した直後には、大々的に報道されていましたよ。女医学校の生徒たちも患者さんたちも、みんなニコライに対して怒っていてね。もちろん私も怒りましたが、戦争が終わって本当によかったです」

(お、おう……)

 私は天を仰いだ。報道されてしまっているのなら、もうどうしようもない。どうやら、極東戦争は、世界史上最も愚かな理由で発生した戦争として名を残すのは間違いなさそうである。

「と、とにかくね、そんなにあなたを大事に思っている人たちが、あなたが不幸せになるような結婚をさせるはずがないと思いますよ」

「そ、そうですかね、あ、あははは……」

 ごまかし笑いをしていると、もう青山御殿に戻らなければならない時間になってしまい、私は恩師に後日の再会を約して、東京至誠医院を辞去したのだった。

※実際にはこの時期に朝香宮家も創設されていますが、拙作ではひとまずこの時点では竹田宮家だけとしました。

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