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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第41章 1905(明治38)年寒露~1906(明治39)年啓蟄
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国賓到着

 1906(明治39)年2月19日月曜日午前11時、新橋駅駅舎2階にある貴賓室。

「あのさぁ、兄上」

 軍医少尉の真っ白い正装に、勲一等旭日(きょくじつ)桐花(とうか)大綬章(だいじゅしょう)を付け、左手で名刀・大典太(おおでんた)光世(みつよ)を支えた私は、隣の椅子に座っている兄に声を掛けた。

「なんだ」

 兄が私を見やる。カーキ色の歩兵大佐の正装をまとった兄は、日本の最高勲章である大勲位(だいくんい)菊花章(きくかしょう)頸飾(けいしょく)というネックレス状の勲章を首に掛けている。会津兼定さんが打った軍刀を持った兄の姿は、妹の私から見ても、威風堂々たる貴公子ぶりで、世間でも評判の高い“英明な皇太子”そのものなのだけれど……。

「今は、私の手を握ってなくていいんじゃないかな?コンノート公はまだ到着してないんだし……」

 しっかりと兄に握られてしまった右手を見ながら、私が恐る恐るこう言うと、

「断る」

兄は即座に返答した。

「お前の身は、イギリスの魔の手から必ず守り抜く。それが兄としての俺の務め」

「いや、おかしいでしょ。同盟国相手に“魔の手”とか」

 私はあきれながらも、すかさず兄にツッコミを入れた。「それに、万が一この場で私がイギリスに連れ去られたら、国際的な信用に傷がつくのはイギリスなんだよ。あのイギリスが、自分の損になることをすると思ってるの?」

「それでも、だ」

 兄は私の右手を握ったまま、首を横に振る。まるで駄々っ子のようなこの態度、せっかくの男ぶりが台無しである。これでは、日本全国にいる兄のファンが泣いてしまう。

「それに、章子の今日の顔色、あまり良くない。大丈夫か?風邪でも引いているのではないか?」

 兄は私の手を握ったまま、私を心配そうに見つめた。

「大丈夫だよ、兄上。風邪なんて引いてません」

「本当か?このところ、寒い日が続いていたし、お前は当直があるから不規則な生活になりがちだし……」

「だから、大丈夫だってば。もう、兄上は本当に心配性なんだから……」

 あきれた私がため息をつくと、

「相変わらず、御仲睦まじい御兄妹であらせられますな」

私たちの様子を眺めていた騎兵第2旅団長の閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王殿下が、冷静な口調で言った。現在40歳の彼は閑院宮家のご当主で、私たち2人と同じく、コンノート公を新橋駅に出迎える役目を仰せつかっている。

「ええ、まことに」

 載仁親王殿下の隣で、海兵中将の正装姿の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下も、ゆったりと頷いている。私と初めて出会った時、威仁親王殿下はまだ30歳にもなっていなかったけれど、気が付けば彼も44歳、今や立派な皇族内の重鎮である。

「しかし、皇太子殿下がご心配されるのも、仕方がないことではありますな。“極東の名花”と世界で称えられる美貌の持ち主でありながら、医術開業試験に自力で合格され、軍医として働いていらっしゃる。優秀な男子が束になっても敵わない、才色兼備の内親王でいらっしゃいますからな。増宮殿下を失ってしまえば、皇室にとっても、国家にとっても痛恨事となりましょう」

 褒めそやす載仁親王殿下に、

「若輩の身に過分なお言葉、まことに痛み入ります」

私は丁重に頭を下げた。「経験が浅いですから、至らぬ点も多々ありましょう。今後もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」

「うんうん、流石、しっかりしていらっしゃる。私の娘たちも、増宮殿下のように優秀に育ってほしいが……おや、威仁どの、少しご不満そうですが」

「私には増宮さまが、まだまだ未熟に見えまして」

 載仁親王殿下にそう答えた威仁親王殿下は、私に視線を固定すると、

「いいですか、増宮さま。医学や軍事の修業も大切ですが、風雅の道に心を寄せることもお忘れなきように。そうでなければ、皇后陛下も山縣閣下も悲しまれますからね」

真面目な顔をして私に言った。

「手厳しいですな」

「いつもこうですよ、あに……有栖川宮は」

 威仁親王殿下のことをいつものように“義兄上(あにうえ)”と言いかけた兄が、載仁親王殿下に訂正しながら言う。“威仁を兄と思って遇するように”とお父様(おもうさま)には言われているけれど、公文書上では、あくまでも威仁親王殿下は“東宮賓友(ひんゆう)”であって“義兄”ではない。だから、梨花会のメンバー以外の人がいる場では、威仁親王殿下のことを“有栖川宮”と呼ぶことになる。

「わたしたちには、いつも容赦がありません。ですが、それも有栖川宮がわたしたちを真に思ってくれているゆえのことですから、苦にはなりません。なぁ、章子」

「ええ、兄上の言う通りです」

 私が答えた時、貴賓室のドアがノックされ、兄の侍従さんが部屋の中に入ってきた。

「申し上げます。天皇陛下、御着輦(ごちゃくれん)でございます」

「そうか。では章子、出迎えにいこう」

 “着輦”というのは、高貴な人が乗った乗り物が到着することだ。壁に掛けられた時計は、11時17分、お父様(おもうさま)の到着予定時刻の3分前を指していた。私は兄に手をつかまれたまま、階下の車寄せに向かった。

 新橋駅前には、イギリス国王の名代としてやって来るコンノート公や、彼を出迎える皇族たちを一目見ようと、多数の東京市民が詰めかけている。その人垣をかき分けるようにして、お父様(おもうさま)が乗った馬車が、儀仗騎兵に先導されてこちらに進んできた。そして、予定時刻通りの時間に、馬車は静かに車寄せに入った。

「出迎えご苦労」

 馬車を降りたお父様(おもうさま)の声に、私たちは一斉に頭を下げた。お父様(おもうさま)は大元帥のカーキ色の正装を着ていた。そのお父様(おもうさま)の視線が、皇族の列で一番端にいた私の顔に固定された。

「章子」

「はい」

 返事をすると、

「そなた、昨夜はよく眠れたのか?」

お父様(おもうさま)は、今の私にとって一番痛い質問を投げた。とっさに答えられずにいると、

「その様子では、寝不足だな」

お父様(おもうさま)が苦笑した。

「はい……。頑張ったんですけれど、どうしても緊張してしまって……」

 正直に告白すると、

「それでか、顔色が冴えなかったのは」

兄があきれたように言った。

「そなた、まだまだ修業を積まねば、上医にはなれぬな」

「はい。平常心を常に保てるよう、今後も精進いたします」

 完全に私の失態だ。少しは経験を積んだといっても、お父様(おもうさま)の言う通り、私はまだまだ修業を積まなければならない未熟者である。私は素直に、お父様(おもうさま)に深々と頭を下げた。

 お父様(おもうさま)に従ってプラットホームに移動して待っていると、待機していた国軍の軍楽隊が、イギリス国歌を演奏し始めた。私の時代はタイトルが“女王陛下万歳”だったけど、今の国王は男性のエドワード7世なので、タイトルは“国王陛下万歳”になる。2番の演奏に入ったころ、私の立っている位置から、蒸気機関車が駅構内に入ってくるのが見えた。日本とイギリスの国旗を前面に交差させた、コンノート公の乗った特別列車である。

 指定位置でピッタリと停止した列車から、駐日イギリス大使のマクドナルドさんが降り、引き続いて、穏やかな表情をした初老の紳士が降りた。この紳士が、イギリス国王エドワード7世の弟・コンノート公である。コンノート公はまずお父様(おもうさま)と握手をし、宮内省職員の通訳を通じて挨拶を交わす。そして兄、威仁親王殿下、載仁親王殿下と握手をし、最後に私の前に立った。

『初めてお目にかかります。章子と申します』

 微笑して、そっと右手を前に差し出すと、

『おお、貴女が……。ご高名はかねがね伺っております』

コンノート公は礼儀正しく、私の右手をそっと握った。

『東朝鮮湾海戦の折、勇敢にも軍艦に乗り込まれて戦われたとか』

『軍医学生としての義務に従っただけです。殿下がかつて挙げられた武功にはとても及びません』

 コンノート公は、若いころにエジプトとの戦いで活躍したそうだ。リップサービスのつもりでこう返すと、コンノート公が満足そうに頷いた。

『英語がお上手だ。どこで勉強を?』

『手ほどきは枢密院議長の伊藤さんに。それからは、いろいろな方に習いました。殿下とこうしてお話しできることを、嬉しく思います』

 初代総理大臣の伊藤さんの名前は、世界的に知られている。私の答えを聞いたコンノート公が『ほう、伊藤どのに……』と感心したようにつぶやいた時、首筋がチクチクするような気がして、私は周囲を見回した。宮内大臣の山縣さんが、コンノート公に厳しい視線を突き刺している。彼の身体からは、なぜか殺気が立ち上っているように見えた。

(国王名代に殺気を向けるなよ、山縣さんっ!)

『殿下、予定もありますから、早く馬車の方へ』

 山縣さんにあきれながらも、私はコンノート公を避難させるべくこう言った。慌てて宮内省の職員さんたちが動き出す。幸い、コンノート公も、彼に従っている軍人さんたちも、不穏な気配に気づいた様子はない。私は予定通り、兄と一緒にコンノート公の馬車に乗り込むと、彼の宿泊場所である浜離宮に彼を送った。

「あのさぁ!」

 浜離宮の玄関を出て、兄と大山さんと一緒に帰りの馬車に乗り込んだ瞬間、私は兄に向かって叫んだ。

「なんでコンノート公を送る馬車の中でも、ずっと私の手を握り続けたのよ、兄上は!」

「お前が心配だからに決まっている」

 兄は不思議そうな顔で私に返答した。「しかも、お前が寝不足だと聞いてしまったから、余計に心配だ。今日の夜、お前は義兄上(あにうえ)の屋敷での晩餐会に出なければならないのに……」

「気持ちはありがたいけれど、ちょっと過保護だよ、兄上」

 ため息まじりの私の言葉に、

「晩餐会が始まるまでの間に、梨花さまにはしっかり休息をとっていただきます」

我が有能な臣下の声が重なった。「昼食の後は、ぐっすり眠っていただく方がよいでしょう。枕元で、子守歌でも歌って差し上げましょうか?」

「大山さんもふざけないでよ……」

 ニヤニヤする大山さんに、私は力なく言い返した。「そりゃあ、小さいころから全然進歩してない私も悪いけど、私だってもう23歳だし……」

「失礼致しました」

 大山さんは深々と頭を下げた。

「しかしながら、ご休息を取っていただくことは重要です。有栖川宮殿下のご自宅での晩餐会は、皇太子殿下はご出席されませんから、梨花さまが日本側の主賓となります。主賓に何かあっては一大事ですから、確実に身体を休めていただきますよう、お願い申し上げます」

「わかってるよ」

 私は苦笑を大山さんに向けた。「ちゃんと休んで、コンノート公に飛びっきりのおもてなしをしないとね」

「うむ、そうだな。大山大将、晩餐会で梨花のことを頼むぞ」

「承知いたしました」

 大山さんは兄に向かって深々と頭を下げた。

 そして、青山御殿に戻った私は、昼食の後、晩餐会に備えてぐっすりと眠ったのだけれど……その後の騒動への布石が、徐々に打たれつつあることには、この時、誰もが気が付いていなかったのである。

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