令旨と勅語
1906(明治39)年1月13日土曜日午後2時半、皇居内にある会議室。
「大山さん……どうしても、なの?」
恐る恐る尋ねた私に、
「はい、どうしても、です」
大山さんは真剣な表情で告げた。
「あなた、いつも止めるじゃない」
「ええ。しかし、今回ばかりは、絶対に必要なことでございます」
困惑する主君に、臣下は真剣な表情を崩さずに言う。その瞳は、じっと私を見据えていた。
「もし、これが無ければ、今までせっかく築き上げてきた、日本とイギリスとの友好関係に、ヒビが入るかもしれません。そのヒビは次第に大きくなり、日英の同盟に亀裂を生じさせるやも……」
「大山殿のおっしゃる通りですね」
前外務大臣・立憲自由党総裁の陸奥さんが、私に鋭い視線を投げた。「日英同盟が崩れることは、我が国の外交と国防の方針にとって手痛い打撃となります。小村君がヒイヒイ言いながら着手した条約改正が、暗礁に乗り上げてしまうかもしれません。もしそうなってしまえば、僕が小次郎と麟太郎を連れて、外務省に彼を激励しに行こうとは思っておりますが、それで小村君が立ち直れるか」
(外務省に、お孫さんを連れていく必要はないでしょうが……)
麟太郎、というのは、陸奥さんのご長男・廣吉さんと奥さんのエセルさんとの間に先月生まれた、陸奥さんの2人目の孫だ。名前はもちろん、5年前に亡くなった勝先生の通称に由来している。その子と、その兄の小次郎くんを連れて、陸奥さんは外務省に何をしに行くのだろうか。……おそらく、“激励”だけでは済まされないだろうな、とは思うけれど。
「それだけではないんである!」
現在の与党・立憲改進党の党首であり、文部大臣にも就任している大隈さんが、大きな声で叫びながら立ち上がった。大隈さんは身長が180㎝くらいあるので、背筋をしゃんと伸ばして立つと、全身から放たれるオーラも相まって、それだけで場を圧倒してしまう。そんな人が大声で持論を弁じ立てれば、普通の人は迫力で参ってしまうのだ。
「日英同盟が崩れれば、極東での軍事力の均衡が変わってしまう!その結果、イギリスやフランスが、シャムを狙わんとするかもしれないし、吾輩たちの策謀により、せっかくスペインから自治を勝ち取ったフィリピンも、英仏やオランダの毒牙に掛かってしまう可能性があるんである!」
「大隈閣下のおっしゃる通りです。今ここで、増宮さまがご決断なさらなければ、極東から巻き起こった戦雲により、世界は未曽有の大乱に陥ります。増宮さま、世界の、地球の平和のために、どうか!」
国軍航空局長の児玉さんが、大真面目な顔を作って私に進言する。
(そんな訳ないでしょうが……)
私は呆れ返った。この人たちは、なぜここまで事を大げさにするのだろうか。
上座では、お父様とお母様が、必死に笑いをこらえている。前文部大臣の西園寺さんは、机に突っ伏してるけど……間違いなく笑い出している。両肩が震えているのだ。
と、
「……ったくよぉ!!!!」
額に青筋を立てた内閣総理大臣の井上さんが、勢いよく立ち上がった。
「分かったよ!総理官邸で、コンノート公歓迎の昼食会と晩餐会を開かなきゃいいんだろ!それがなんで、増宮さまに令旨で命じてもらうって話に発展すんだよ!いい加減にしろ!」
まるで雷のような怒声だったけれど、
「おお、それはよかったのう」
国軍大臣の西郷さんが、あごひげを撫でながら悠然と受け流した。他の参加者は安堵の表情になったり、声も無くニヤニヤ笑ったり、唖然としたり笑い声をこらえ切れなかったり、反応は様々だ。
「全くもう、あなたたちは……」
悪ノリして井上さんを全力でからかった梨花会の面々に、私はため息をついたのだった。
さて、先ほど井上さんが言った“コンノート公”というのは、イギリスの王族である。今のイギリス国王・エドワード7世の弟にあたる人で、今年の誕生日に56歳になる。彼は今、日本に向かう船に乗っていて、日本に着くのは、予定通りなら2月19日になるそうだ。
日本には、数か月から1年に1度ぐらいのペースで、外国の皇族や王族が訪れる。その多くは、日本との友好関係を深めるための訪問である。その多くは、大体決まった流れで日程が消化されるので、宮内省や外務省をはじめとする関係省庁も、事故無くスムーズに仕事をこなしていく。
ところが、今回のコンノート公の訪問は、今までの皇族や王族の訪問とは、まったく格の異なるものだった。彼は、イギリス国王の名代として、お父様にガーター勲章を奉呈するために日本にやって来るのである。このガーター勲章というのは、イギリスの格式高い勲章で、東アジアの君主としてもらうのは、お父様が初めてなのだそうだ。そのため、今回のコンノート公の来日に関しては、接伴委員会が設けられ、コンノート公のおもてなしをすることになった。そして、委員長に極東戦争の武功により昇進した東郷海兵大将、副委員長に国軍次官の山本さんを据えた接伴委員会は、外務省・宮内省などの関係各省庁と連携し、殿下の来日の1か月以上前から、入念な準備をしているのだけれど……。
「山縣。その、ガーター勲章とやら、何とか受け取らずに済ませる方法はないのか。イギリスの使節を迎えるのは、その……、面倒だし、朕は外国の使節に会うのがあまり好きではないし……」
そのガーター勲章を受け取る本人は、こんなことを言ってごねている。
「陛下、これで4度目になりますが……」
そう言いながら、宮内大臣の山縣さんが立ち上がった。
「コンノート公は、すでにイギリスを出発されております。それに、先方は、我が国と友好を深めるために日本にいらっしゃるのです。それを断ってしまえば、冗談でなく、日英同盟が崩壊する危険もあります」
そこまで言うと、山縣さんは、刺すような視線でお父様を見上げた。
「いい加減、ご観念なさいませ、陛下」
「う、うむ……」
苦虫を噛み潰したような表情でうつむくお父様の隣で、「あらあら、お上ったら」とお母様がクスクス笑った。
「しかし、九条公爵が亡くなられたのは、様々な意味で痛恨事ですな……」
今月1日に新イスラエル共和国の領土となったウラジオストックから一時帰国した松方さんが、大きなため息をつくと、
「ほんまになぁ……わしより、2つ年下なのに……」
三条さんが沈鬱な表情でこう言った。
実は、今月の4日に、節子さまのお父様である九条家のご当主・九条道孝さんが亡くなったのだ。道孝さんは昨年になってから心臓を悪くしており、ベルツ先生や三浦先生に私から頼んで、往診に行ってもらっていた。4日の朝、起きてこないので、節子さまのお兄様の道実さんが様子を見に行くと、道孝さんは布団の中で昏睡状態になっており、ベルツ先生が駆け付けたとほぼ同時にこと切れた。“脳卒中を起こしたのではないか”とベルツ先生は言っていたけれど……。
少し話は逸れたけれど、節子さまは、お父様が亡くなったことにより、1年間の喪に服すことになった。そのため、残念ながらコンノート公歓迎の一連の行事に出席できなくなった。
「松方どののおっしゃる通り……。今回の不幸により、皇太子妃殿下は、コンノート公歓迎の行事に出席できなくなってしまわれた。ですから……」
立ったままだった山縣さんの身体が、私の方に向いた。
「まことに恐れ多いことながら、増宮さまに皇太子妃殿下の代役を頼まなければならなくなってしまいました」
(まぁ、そうなるよなぁ……)
「分かってます、山縣さん」
私は顔を上げ、山縣さんに微笑した。「外国の高貴な男性には余り会いたくはないけれど、歓迎行事、精一杯頑張らせていただきます」
そう思うのは、今までに巻き込まれた、外国の高貴な方々絡みの騒動によるところが大きい。大津事件を阻止したら、ニコライがしつこく私に求婚し、戦争まで発生させる騒ぎになってしまった。ドイツの皇帝は、弟のハインリヒ殿下を通じて息子との結婚を打診しようとするし、イタリアのトリノ伯は、私に剣道の試合を挑んだ挙句突然抱き付いてくるし、オーストリアのフランツ殿下に会った時には、フラッシュバックが起きて私が倒れ、各方面に多大なる迷惑をかけたし……本当に、外国の高貴な男性というものに、余りいい思い出がないのだ。もちろん、今までに会ったすべての高貴な外国人男性が全員おかしいという訳ではないし、その中に私の初恋の人だっているわけだけれど……。
と、
「梨花さま」
大山さんが、私の右手を握った。
「既に国軍の結婚条例がございます。それに従わなければならない梨花さまは、外国人の男性との婚姻は禁じられております。イギリス側にも、それは何度も念を押しておりますので、どうかご安心ください。それでも万が一、コンノート公が、ご子息や、他のイギリスの男性王族と梨花さまの婚姻を望まれた時は……」
私はビクッと身体を震わせた。大山さんから放たれている殺気にあてられてしまったのだ。
「大山さん、落ち着いて。気持ちはありがたく受け取るけれど、イギリスの国王陛下が、異教徒との結婚を認める訳ないでしょうが」
ロシアのニコライの母親、マリア皇太后陛下も、“異教徒で、しかも進んだ女を娶ろうとするとは許せない”と、私との結婚を望むニコライに言ったそうだ。彼女はデンマーク王家の出身だそうだから、おそらく、ヨーロッパの上流階級では、そのような考え方が多数を占めているだろう。
「俺も、大山大将と同じ考えだぞ、梨花」
向かいの席に座った兄が、キッと私をにらみつけた。「俺は絶対にお前を守る。お前をイギリスに連れ去ろうとする魔の手からな」
「兄上、なんかちょっと言葉がおかしい」
真顔に戻った私が兄にツッコミを入れると、
「いいえ、おかしくなどありません!」
厚生大臣の後藤さんが、大音声を放った。
「増宮殿下を、たとえ同盟国とはいえ、他国の人間に渡してはならないのです!」
会議室にいるほとんどの人間が、首を大きく縦に振る。頷いていないのは、この光景を呆けたような表情で眺めている大蔵大臣の高橋さんと農商務次官の牧野さん、渋い顔をして大きなため息をついている前厚生大臣の原さん、そして、恐ろしいものを見るかのような視線を場に投げかけている参謀本部長の斎藤さんと航空少尉の高野さんだけだ。山縣さんは「そうだ、後藤の言う通り!」と小さく叫んでいるし、西郷さんは「その場合は、連合艦隊で、イギリスの艦隊をボコボコにせねばならんかのう」などとのんびり言っている。
「落ち着きなさい、あなたたち」
私は声に怒りを籠めた。「冗談でなく、イギリスとの同盟が崩れます。日本を滅亡に追いやりたいんですか?」
すると、
「何、冗談でございますよ、増宮さま」
枢密院議長の伊藤さんがうそぶいた。……今、あの面々の中で、一番激しく頷いていたのは伊藤さんだった気がするんだけど。
「とにかく、俺も可能な限り、梨花さまのおそばにいるように致します。どうかご安心を」
殺気は消したものの、目を不気味に光らせる我が臣下に、
「お願いだから、やり過ぎないように注意してね……」
私はため息をつきながら命じた。
「まぁ、この面々を落ち着けるためにも、増宮さまの警備はしっかりしないといけないなぁ」
井上さんが苦笑しながら言った。「増宮さまに出ていただくのは、新橋駅へのお出迎えと、その日の夜の、有栖川宮殿下のご自宅での晩餐会。それから、その翌日の勲章贈呈式と宮中晩餐会の予定だったが、そこに皇太子妃殿下が出席される予定だったものが加わることになる。だから、公のご滞在3日目にある、皇太子殿下主催の晩餐会と、4日目の外務大臣公邸での晩餐会、それから7日目の送別の宮中晩餐会にも出ていただくことになるんですが……」
そこまで言った井上さんは、
「いや、待てよ、大丈夫か?」
と首をひねった。
「大丈夫、とは?」
内務大臣の山田さんが尋ねると、
「いや、宮中や有栖川宮殿下のご自宅、それに、皇太子殿下が晩餐会を開かれる芝の離宮は、警備にはもってこいの設計だ。新橋駅も、儀仗兵で固めれば何とかなる。けど、小村のところ、警備は大丈夫か?」
井上さんはなおも首をかしげながら言った。
「外務大臣公邸か……。心配でしたら、警察からも、中央情報院からも、警備の人手をさらに増やすことは可能ですが」
真面目に答える山田さんに、
「うーん、それでも心配だな……」
井上さんはややわざとらしく言うと、
「よし!やっぱ、4日目の晩餐会は、小村のところじゃなくて、俺の官邸でやろう!」
と明るい声で叫んだ。
「却下です!」
即座に、西園寺さんが決死の形相で立ち上がった。
「断固拒否しますよ、井上殿」
陸奥さんも、井上さんを鋭い視線で見やった。「そもそも、僕は外務大臣公邸に、殿下を招いたことがあります。その時のことと併せて考えれば、今の警備体制でも外務大臣公邸の警備は万全です」
陸奥さんのセリフに、「左様左様」「単に自分の料理を振る舞って、人を殺……、いや、困らせたいだけだろ」という厳しい声が重なった。伊藤さんなど、「聞多……頼むからたくあんだけ作っていてくれ……」と呟いてうつむいている。その他の出席者も、恨めしそうな目で井上さんをにらみつけたり、胃のあたりを押さえながら「晩餐会の出席前に遺書を書くべきか……」と呟いていたり……。さっき同じ話題で井上さんをからかっていたはずなのに、今は出席している全員が真剣になっていて、余裕が全く感じられない。会議室には異様な雰囲気が漂った。
「梨花さま。ここはやはり、令旨を出されるべきかと」
「……その方がいいかな。無用な犠牲者を出したくないもの」
切羽詰まった表情で私を見つめる大山さんに、気圧されるように私が頷くと、
「俺も出そうか、令旨を」
兄が眉をしかめながら言った。
「朕も、勅語を出そうか」
上座でお父様がニヤリと笑い、それを聞いたお母様が「あらあら」と呟いて苦笑する。
「あ゛あ゛あ゛っ!だから、冗談!冗談です!外相公邸のままで、晩餐会の場所は変えません!」
自棄になって、文字に変換するのが難しい叫び声を上げた井上さんに、
「ほう、二言は無いな」
お父様は威厳ある声で問いかけた。
「はっ」
井上さんが最敬礼したのを見ると、お父様は「高野」と、一番末席にいる高野五十六航空少尉を呼んだ。
「は、はい!」
突然の指名に、裏返った声で返事した高野さんに、
「控えの間に徳大寺がいるから、筆と墨、それから硯と紙を持ってくるよう言付けろ。嘉仁と章子の分もな」
お父様はこう命じると、ニヤッと笑った。
……こうして、井上さんは私と兄、そしてお父様から、“コンノート公を招いての昼食会・晩餐会を総理官邸と総理私邸で開催するべからず”と書かれた令旨2通と勅語とを押し付けられる羽目になり、そこで今月の梨花会が終了してしまったのだった。
※この時期、実際に来日したイギリス皇族は、コンノート公アーサー・ウィリアム・パトリック・アルバート殿下ではなく、そのご長男のアーサー・フレデリック・パトリック・アルバート殿下です。
※九条道孝さんの病状については、資料が探せなかったため、脳溢血と心臓病で亡くなったという情報から作成した架空のものです。ご了承ください。




