雛の一声(2)
※計算ミスがあり訂正しました。(2022年6月20日)
その日の午後1時、国軍航空研究所内の貴賓室。
昼食会の後、人払いをしたこの部屋に、急遽、式典に出席していた梨花会の面々が招集された。
“史実”の記憶を持つ、航空少尉の高野さん。
高野さんと同じく“史実”の記憶を持っている、国軍参謀本部長の斎藤さん。
来賓として式典に出席していた、国軍大臣の西郷さん、国軍次官の山本さん、内閣総理大臣の井上さん。
そして、国軍航空局長の児玉さんと、大山さんと私である。
ちなみに輝仁さまは、輔導主任の金子さんと一緒に、二宮さんと田中館先生の話を聞いている。輝仁さまが、この2人の話を聞きたがったのだ。
「ええと……、斎藤さんと高野さんに聞きますけれど」
当然ながら、部屋の一番上座に座っているのは、皇族の私である。井上さんに促されたのもあって、私がこの会議の司会役を務めることになってしまった。議題はもちろん、先ほどの輝仁さまの発言を受けてのものだ。男性皇族が航空分野の軍人を志望するという前代未聞の事態に、私たちは急いで対応する必要に迫られていた。もちろん、輝仁さまの次の質問は、“航空をやる軍人になるには、どうしたらいいの?”だろう。その答えを作らなければならない。
「皇族が飛行器の操縦桿を握ることは、“史実”ではあったんでしょうか?」
「お一方だけ……」
私の問いに答えたのは斎藤さんだった。「山階宮武彦王殿下が、海軍航空隊に所属されたはずです」
山階宮の武彦殿下と言えば、今の山階宮家のご当主・菊麿王殿下のご長男で、学習院初等科の2年生だ。“変わり者”を自称する菊麿王殿下の趣味は、機械いじりと気象観測……。そんな父親に育てられた武彦殿下も、航空という新しい分野に惹かれたのだろう。
「そうですか。例はあるけど、直宮じゃないんですね……」
私は眉をしかめた。
「これ……両陛下がお許しになるのか?」
渋い顔をした井上さんに、
「私も、正直どうしようか迷ってます」
ため息をつきながら私は答えた。「今の航空技術は、私の時代のそれに比べたら全然発展していない。私の時代には、安全性はすごく高くなっていたけれど、今はそうじゃない。輝仁さまが、訓練中や任務中に事故に遭って、亡くなってしまったらどうしようって……」
「だよなぁ。俺も、他のことだったら、喜んで応援するんだが……」
井上さんが両肩を落とした時、
「俺は大賛成ですがのう」
西郷さんののんびりした声が聞こえた。
「西郷さん?!」
驚く私の声に、
「俺もです、梨花さま」
大山さんがかぶせるように言う。
「軍人は、常に死と隣り合わせでございます。例え平時であったとしても、それは変わりませぬ。増宮さまも軍人であるならば、そのぐらいの覚悟はしておいてもらわねば困りますのう」
「!」
微笑する西郷さんの言葉に、私は思わず頭を垂れた。確かに……その通りだ。私は軍医で、いわゆる後方部隊に属しているから、そのことをつい、忘れてしまうけれど。
「俺も、西郷閣下と同意見です」
「俺も賛成です」
「俺も、斎藤閣下に賛成します。満宮さまに航空に入っていただければ、宣伝効果も抜群ですし」
山本さん、斎藤さん、高野さんも、口々に賛意を示す。みんな、反対するのではないだろうかと思っていた私は、少し拍子抜けしてしまった。
「うーん、西郷さんたちが賛成じゃあ、俺も反対できないなぁ」
「私もです。……そうなると、あとはお父様とお母様が賛成するかですね」
苦笑する井上さんに私が言うと、
「満宮さまのご決心が本物ならば、両陛下のお許しを得られますよう、俺も助力いたします。もっとも、天皇陛下のご気性を考えますと、満宮さまに反対なさることはないと思いますが」
大山さんが微笑みを私に向けた。
「そうね……。だけど、私、一つ疑問があってね」
私は大山さんに身体を向けると、質問を投げた。
「もし、輝仁さまが航空士官になるとすると、どの士官学校を目指せばいいのかな?」
すると、児玉さんの顔が、なぜか一瞬ひきつった。
「……おい、高野」
「は?」
不審げに自分を見つめる高野さんに、
「“史実”ではどうだったのか、増宮さまたちに説明しろ」
児玉さんは少し慌てたような口調で命じた。
(こ、これ……もしかして、児玉さん、何も考えてなかった?!)
私の視線の先で、仕事を部下に丸投げした児玉さんは澄ましたような表情に戻り、
「陸軍と海軍で、少し仕組みが違っておりました」
仕事を丸投げされた高野さんは、堂々と説明を始めた。
「単に操縦技術を持つ軍人になるのならば、高等小学校を卒業してさえいれば、専門の学校の試験が受けられました。時代時代で受験資格が変わることもありましたが、俺が“史実”で死ぬまでは、おおむね、そのような制度だったはずです」
「高等小学校卒ということは、高野さんが“史実”で死んだころだと、8年間教育を受ければ、軍のパイロットになる学校の試験を受けられたってことですね」
私の時代だとどうだったのだろう。自衛隊のパイロットになるにはどうしたらいいかなんて、調べたことは全然ない。民間のパイロットになる方法もよくわからない。
「高野、士官はどうやって養成していたのだ?」
山本さんが実に的確な質問を高野さんに飛ばす。「満宮さまは直宮であらせられる。そのような方が士官学校を卒業されていない、というのは、少し問題になるぞ」
「陸軍の方では、予科……今の幼年学校の卒業者が入学する士官学校がありましたが、海軍にはありませんでしたね」
「うーむ、“陸軍と海軍は違う”というやつか。だが、この時の流れでは陸も海も軍は一緒。当然、空もじゃ。ここは、航空士官学校を作るとしておく方がスッキリするのう」
西郷さんがゆったりと頷く。国軍大臣の言葉に逆らう者は誰もおらず、航空士官学校を設置する方向で、話は更に詰められていった。
「士官学校を作るにしても、もう少し教官の人数を集めなければならないでしょう、児玉閣下」
「ううむ……その通りだな、斎藤。理論は田中館先生と寺野先生にお任せするにしても、基本的な士官教育もしなければならないし、もちろん技術指導も必要だし……」
「源太郎、ならば、当面は他兵科の士官を受け入れるような形で、専門教育のみ行えばいいのではないか?他兵科の士官なら、基本的な士官の教育は終わっているし……」
「ちょっと待ってください、山本さん。それなら、基本的な士官教育ができる教官を、他の士官学校から引っ張ってくれば、幼年学校の卒業者だって受け入れられますよ。それで、幼年学校の卒業者は3年間、他の兵科から編入した士官は2年間……っていう感じで、教育期間に差をつければいいんですから」
「なるほど。それならもしかすると、多少は人材を育てる速度を上げられるかもしれんのう」
山本さんに言った私の意見に、西郷さんが感心したように頷く。
「民間のパイロットのことも考えなければなりませんよ、梨花さま。飛行器を使った貨物輸送は、飛行距離が延びれば当然発展します。こちらも養成機関を作る必要がありますね」
「それに、機体整備員の養成機関も作らないといけないわ、大山さん!さっき、田中館先生が飛行器の調整をやっていたけど、今後飛行器が増えたら、そんなこと絶対できない!」
「それから、大量生産に合った飛行器の設計と、飛行器の工場の位置と……」
「民間の飛行場はどこに設置する?」
「あと、そんなことができる金、どこから持ってくりゃいいんだ!あんまりやり過ぎると、高橋に怒られるぞ!」
一時は話題が錯綜して、ものすごく騒がしくなってしまったけれど、一つずつ議題を仕分け、何とか結論を私がまとめ始められたのは、午後3時ごろだった。
「まず、航空分野の軍人を育成する学校に関しては、下士卒用の“国軍航空学校”、士官用の“国軍航空士官学校”を、来年9月の新学年開始に合わせる形で、この所沢に開設するってことでいいですか?」
私がメモ帳を見ながらこう言うと、「それでよいでしょう」と西郷さんが言った。
「ただし、この2校での実技や専門の教育を行う教官が必要です。今の人員では到底足りませんから、あと7、8人は航空局に人員を引っ張りたいですな。希望者は多数おりますから、その中から選抜しましょう」
国軍次官の山本さんが付け加えた。この2校の他の国軍の学校にも、数年後までには、航空学を教えられる教官をそれぞれ配置しなければならない。それを見越して、人材を育成していく必要があるだろう。
「それで、国軍航空学校の受験資格は、高等小学校卒。国軍航空士官学校は、他の兵科からの編入希望者と、幼年学校の新規卒業者、2パターンの入学試験をやって、編入者の教育期間が2年、幼年学校新規卒業者の教育期間は3年。飛行器整備の方は、国軍の兵器学校に専門のコースを作るってことでいいですね」
「はい、その結論でよろしゅうございます、梨花さま」
大山さんは頷いて、「しかし、学校設置の資金は、どこから融通いたしましょうか?」と私に尋ねた。……本当にこの人は、私を鍛えることを忘れない。
「正確な時期と金額は覚えていないけれど、東朝鮮湾海戦で分捕ったロシアの軍艦、あの売却代金を学校設置の基金に回すということで、大蔵大臣の高橋さんを説得できればと思います。確か、新イスラエル共和国から、巡洋艦の“アスコリド”と“ボガトィーリ”を売却してほしいっていう打診があるんですよね」
「その通りです。斎藤閣下が、積み荷の弾薬を下すように事前に命じていただいたおかげで、“史実”では9月に起こった“三笠”の爆沈事故も起こりませんでした。その浮いた修理費も、学校の設置基金にできます。他の戦利艦や、我が国の三景艦など、不要な艦も売却して、どんどん航空に金を回しましょう」
高野さんが嬉しそうにこう言うと、
「おっと、“松島”はダメだぞ、小僧。ハワイのリリウオカラニ女王陛下の即位15年の贈り物として、来年ハワイに格安の値段で譲る手はずだからな」
総理大臣の井上さんが止めに入った。ハワイ王国は、表裏両面からの日本のサポートの結果、今なお独立を保っており、国内政治も安定していた。
「それで、民間航空のパイロットは、来年9月を目安に、“国立航空学校”を作ってそこで養成する。受験資格は中学校卒業。新しく作る学校で使う飛行器の数を揃えないとといけないから、田中館先生たちには、ある程度楽に生産できる飛行器を開発してもらいましょう。国立航空学校の場所は……渋沢さんたちも交えて考えましょうか。そこに、民間の飛行場が併設される可能性もありますし」
「だな。ああ、尾崎と市之允を連れてくるんだったぜ。そしたらこの場で、閣議に諮る案の骨子が出来たのになぁ」
井上さんはそう言って悔しがる。逓信大臣の尾崎行雄さん。そして内務大臣を務める山田さん。案を細かく詰めていくなら、その2人の協力は欠かせない。
「その通りですね、井上閣下」
児玉さんは首を縦に振ると、
「しかし、満宮さまの一言で、もう数年先でよいだろうと後回しにしていたことを、一気に片付けなくてはならなくなってしまいました」
と苦笑した。
「うん、まさに鶴の一声……いや、雛の一声かのう」
国軍大臣の西郷さんが、両腕を組みゆったりと言う。
「しかし、この雛は大きくなる。大きくなってどんな鳥になるか、ご自身の修業次第じゃが……うん、また楽しみが増えたのう、弥助どん」
「ええ」
大山さんが西郷さんに同意したとき、貴賓室のドアがノックされ、
「大山閣下、金子です。入ってもよろしいでしょうか」
輝仁さまの輔導主任の声が聞こえた。「どうぞ」と大山さんが答えると、ドアがさっと開かれ、そこには目をキラキラと輝かせた輝仁さまと、戸惑い気味の金子さんが立っていた。
「今までずっと、二宮中尉と田中館先生を満宮さまが質問攻めになさっていて……いや、大変でした」
「そうでしたか」
児玉さんがそう言いながら、ドアのそばに歩み寄る。
「しかし大山閣下、航空士官には、一体どのようにしてなればいいのでしょう。私も知りませんし、二宮中尉にも聞いてみましたが、“分からない”としか答えてくれず……」
「今、ほぼ決まりましたよ」
金子さんに答えた児玉さんは、輝仁さまの前に立った。
「満宮さま。軍人は、常に死と隣り合わせでございます。しかし、満宮さまは高貴な御身。高貴な御身だからこそ、軍人として国を守る義務があるというのはお分かりですね?」
「はい、児玉閣下」
児玉さんに相対した輝仁さまは、背筋を伸ばして返事をした。
「そして、航空というものは、まだほとんど開拓されておりません。だからこそ、死の危険も他の兵科より大きくなります」
「それは分かりました。さっき、二宮中尉からも話を聞いたから」
輝仁さまの声が大きくなった。「でも、俺は飛行器を操縦する軍人になりたいです。新しいことだからこそ、俺はそれに挑戦したい。そして、お父様が治めるこの国を守りたいです」
「……ご決心は固いようですな」
輝仁さまの真剣な眼差しを受け止めた児玉さんが微笑した。
「では、まず、幼年学校にご自身の力だけで合格するのです。満宮さまが幼年学校をご卒業になるころには、航空士官学校が出来ております。そこにまた、ご自身の力だけで合格するのです。航空は新しい分野ですから、それを開拓していくため、より優秀な人材を欲します。試験はおそらく、増宮さまが合格なさった医術開業試験よりも難しくなるでしょう。……おやりになれますか?」
「やります!」
輝仁さまは即答した。「俺、兄上や章姉上みたいに、勉強は得意じゃないけど……その分、たくさん努力して、自分の力だけで絶対に航空士官になります!」
輝仁さまが、児玉さんに向かって、軍隊式の敬礼をする。私も、大山さんも、そして貴賓室にいる全員、大空を目指す雛鳥に、一斉に答礼をしたのだった。




