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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第41章 1905(明治38)年寒露~1906(明治39)年啓蟄
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雛の一声(1)

※セリフミスを修正しました。(2022年3月2日)

 1905(明治38)年12月3日日曜日午前11時、埼玉県所沢町にある国軍所沢飛行場。

「うわぁ、ここ、すげぇ広い!」

 馬車から飛び降りた異母弟の満宮(みつのみや)輝仁(てるひと)さまが、あたりを見渡して大声をあげた。

「ここ、走っていいの?!」

 早速やんちゃをしようとする弟に、

「こらー、輝仁さま。はしゃいでないで、お姉さまをエスコートしてちょうだい」

私はあきれながらも注意を飛ばした。

「あ、いけね……」

 小走りで戻ってきた輝仁さまは、「はい、(ふみ)姉上」と言いながら私に左手を差し出した。

「ありがと」

 差し出された手を右手でつかんで、私は馬車から降りた。この9月で学習院初等科の6年になった輝仁さまは、私が葉山にいる間に、私と同じぐらいまで背丈が伸びた。身体は成長しているけれど、中身はまだまだお子様で、どこか頼りない感じがしてしまう。

「私の成年式の時みたいに、はしゃいで走り出さないでよ、輝仁さま」

「えー。でも(ふみ)姉上、今日はズボンだから走れるでしょ」

「そりゃ走れるけどね、今は威厳をもって行動しないといけないのよ」

 口答えする弟に、わざとゆったりと返答していると、

「増宮さまのおっしゃる通りでございますよ」

輝仁さまの輔導主任である金子堅太郎さんが、横から私に加勢してくれた。

「恐れ多くも、満宮さまは皇太子殿下の弟君であらせられ、皇族の一員でございます。今日は晴れの日、満宮さまの一挙一動を、井上総理大臣や国軍の方々、そして田中館(たなかだて)博士をはじめとする高名な研究者たちが見ておりますよ」

 すると、

「わかりました、金子閣下」

輝仁さまは素直に返事をした。

(金子さんの言うことは聞くんだなぁ)

 その様子を見て、軽いため息をついた私に、

「いかがなさいましたか、増宮さま」

私の非常に有能で経験豊富な臣下が声をかけた。今は、私の前世のことを知らない輝仁さまと金子さんがいるので、私のことを珍しく“増宮さま”と呼んでいる。

「……私は姉として、威厳が無いのかなって思って」

「優しいお姉さまということですよ」

「……フォローをありがと、大山さん」

 私は大山さんに小声でお礼を言うと、また小さくため息をついた。

 私が今日、この国軍所沢飛行場にやってきたのは、飛行場と、それに併設された国軍航空研究所の開設記念式典に出席するためだ。本当は、出席する皇族は私一人の予定だったけれど、お父様(おもうさま)の鶴の一声で、青山御殿で同居している弟の輝仁さまもついてくることになった。

 けれど、正直なところ、輝仁さまには所沢についてきてほしくなかった。もちろん、輝仁さまが嫌いだからというわけではない。青山御殿で自分の勉強をしてほしかったのだ。そう思うのは、輝仁さまの学習院(がっこう)の成績のことを、たまたま耳にしてしまったからだ。

 元々、輝仁さまは成績が余り良くない。体操は一番なのだけれど、どうも、机に向かってする勉強が苦手なようだ。そして、今学期、彼の国語や算術の成績が、落第スレスレまで落ちてしまっている……輔導主任の金子さんが、そのことを大山さんに相談している声が、先日、出勤しようとした私の耳に飛び込んできた。

――教育に長けた人材を、満宮さまのもとに招くのがよいのでしょうか。

 私が立ち聞きしていることも知らず、金子さんは深刻な声で大山さんに質問した。

――招いても、満宮さまが勉強する気にならなければ、どうしようもありませんな。

――それでは、大山閣下が増宮さまになさっておられるように、もっと厳しく満宮さまに相対するべきなのでしょうか。あれで増宮さまはうまく行って、医術開業試験にも20歳にならないうちに合格なさいましたし……。

――それは、増宮さまに、医師になろうという強いご決心があったからです。ですから(おい)も、手加減なしに増宮さまを鍛えましたし、増宮さまご自身も、(おい)の教育がご自身に必要であることを理解されて付いてこられました。

 明らかに苦悩している金子さんに、大山さんは穏やかな声で事実を指摘していく。

――うーん、そうですか……。

 金子さんが考えに沈んだ時、

――増宮さま、(おい)の話を立ち聞きする暇はございませんよ。もう御殿を出なければ、勤務開始に間に合いません。

やはり私の気配に気づいていた大山さんが声を飛ばし、私は「ご、ごめんなさい!」と叫びながら玄関に急いだのだけれど……。

(大山さんの言うこと、確かにその通りなんだよね)

 そう思うのは、私自身の前世の経験もあるからだ。教える側がいくら勉強させようと思っても、生徒側に“勉強したい”という何らかの動機がなければ、生徒は必ずどこかで心が折れて、勉強しなくなってしまう。塾講師のアルバイトをしている時もそう思ったし、自分自身、前世で死ぬ寸前は、医学の勉強をする動機が無くなりかけて、勉強する手が止まりそうになっていた。まぁ、これはもちろん個人の意見なので、当てはまらない例は、探せばいくらでも見つかるだろう。

 ちなみに、輝仁さまに、“何か興味のある科目があるか”と、今日、所沢までの道中で尋ねてみたところ、

――体操!鉄棒の技を、できるだけカッコよく決めたいんだ!

と、元気よく答えられてしまった。

(て、鉄棒ねぇ……座学の勉強に、どうやってこの興味を生かせばいいんだろう……。ごめん、輝仁さま、お姉さまには、実況中継の名台詞を考えることぐらいしかできないよ……。しかも、テレビはもちろん、ラジオなんてまだ開発できてないからなぁ……)

 そんなことを考えながら、弟のエスコートに従って歩いていると、

「増宮さま、満宮さま、ようこそいらっしゃいました」

新築された国軍航空研究所の玄関前で、私たちを待ち構えていた児玉さんが一礼した。彼と、隣に立つ二宮忠八(ちゅうはち)航空中尉が着ている軍服は、空色の通常礼装だ。10月に航空という兵科が新規設置されたのに伴い、空色が航空の兵科色に定められた。そして、二宮中尉の隣に立っている高野さんは……。

「あの、高野さん。それ、つなぎです?」

 私が尋ねると、茶色いつなぎを着た高野さんは、

「はっ、今日は俺が、模範飛行をいたしますので」

と言って、私に向かって敬礼した。

「高野少尉は、とても飛行の筋がいいのです。頼もしい後輩を持ちました」

 隣に立つ二宮中尉が、満足そうに頷く。……実際に操縦桿を握ったことがあるかどうかを本人に聞いたことはないけれど、“史実”でなら、何度も空を飛んでいただろうから、飛行の感覚がつかみやすいのかもしれない。

「さて、ご案内しましょう。……高野、飛行の準備を頼むぞ」

 児玉さんはそう言い置くと、私たちの先に立って案内を始めた。

 研究所の中には、200人ほどが入れる講堂が設置されている。そこには、総理大臣の井上さん、国軍大臣の西郷さんをはじめとする国軍上層部、そして、田中館(たなかだて)愛橘(あいきつ)先生以下の研究所職員たちが並んでいた。研究所に所属する研究者は、今回の移転を機に、田中館先生と寺野先生の2人から、総勢40人へと一気に膨れ上がった。

「皆の努力により、今日の良き日を迎えられたことを、非常に嬉しく思います」

 来賓と研究所の職員、合計すると150人ぐらいにはなるだろう。けれど、大人数の前で令旨を読むのは何回も経験している。緊張は全くしなかった。

「これからも皆で心を(いつ)にして、飛行器の発展に力を尽くすことを強く望みます」

 令旨を読み終わると、参列者が私に向かって一斉に頭を深々と下げる。壇上に設けられた席に戻ると、

(ふみ)姉上、ちゃんと仕事してる……」

輝仁さまがこっそりとこんなことを言ったので、私は軽く彼の頭をたたくふりをした。私に続いて井上さんと西郷さんが、それぞれ短くお祝いの言葉を述べると、式典の出席者一同は屋外に移動した。

 研究所のすぐそばに設置された滑走路上には、飛行器が停まっている。田中館先生が設計して、一昨年、5㎞の飛行距離を出すことに成功した“田中館5号”だ。搭載されているエンジンも60馬力に増強されていた。操縦席には風防用の眼鏡を付けた高野さんがいる。そして、機体にはいつの間にか田中館先生が取り付いていて、微調整をしているようだった。

「もー、何やってるんですか、田中館先生は。せっかくの洋服が汚れちゃいますよ」

 今日は飛行場の開設式典という晴れの日だから、列席者はみんな、それなりの服を着ている。ところが、田中館先生はその一張羅のまま、作業をしていた。

 すると、

「ああ、いつものことですよ」

私と輝仁さまに模範飛行の解説をすることになった二宮中尉が、苦笑しながら私に言った。

「いつものこと?」

「ええ。研究もありますし、他の者に調整を任せてはどうかと提案しているのですが、“これは私の作品だから”とおっしゃって、ご自身で飛行器の調整をされるのですよ」

「そうですか……」

 二宮中尉の回答に、何か引っかかるものを感じていると、準備が終わったらしく、田中館先生が飛行器から離れた。前面に付けられたプロペラが回り始め、“田中館5号”は滑走路を走り出した。

 飛行器が宙に浮くと、列席者が一斉にどよめく。そのざわめきを無視するかのように、飛行器は高度を上げ続け、研究所の1階の庇を超え、2階の庇も超え、とうとう3階建ての研究所の屋根よりも高いところまで上がった。7年前、私と兄が見た初めての有人飛行実験の時より、空を舞う飛行器には安定感があった。

(本当に、大空を優雅に飛ぶ鳥……まるで、鳳凰のような……)

 冬の青空を飛ぶ飛行器を眺めながら、そんな感想を抱いたとき、

「うん、事前に打ち合わせした通り、飛行場内を一周しながら、こちらに戻ることを試みるようですね」

二宮中尉が空を見上げたまま言った。

「やはり、高野少尉は飛行が上手い。度胸もありますし」

「はあ……そうなんですね」

(そういえば、輝仁さまが静かだなぁ)

 ふと思った私は、隣にいる輝仁さまを呼んでみた。けれど、彼は私の声に反応を見せず、高野さんが操縦する飛行器を、食い入るように見つめている。その瞳が、尋常ではないくらい輝いていた。

(ああ、やっぱり、男の子って動くものが好きなのかな)

 確か、飛行器の模型を飛ばす実験に立ち合わせてもらった時、一緒にいた兄が、飛行器の模型を追い掛け回していた記憶がある。あの時の兄も、今の輝仁さまと同じぐらいの年だった。

 そんなことを思い返しているうちに、向きを徐々に変えた飛行器は、滑走路に戻ってきた。少し下がっていた機首が一瞬だけ上がり、再び元の位置に戻る。そして、飛行器は静かに、出発した地点に正確に着陸した。

「うおおおっ!やるじゃねぇか、小僧!」

 井上さんがものすごい勢いで両手を叩いている。その他の参観者や研究者たちも、見事に着陸した高野さんに、万雷の拍手を送っていた。ただ一人、国軍航空局長の児玉さんだけが、眉をしかめると参観者の列から飛び出して、飛行器に向かって走った。

「児玉閣下、出発地点への着陸、成功しました!」

 操縦席から出て、自分に敬礼する高野さんを、

「馬鹿者!そこまでこだわらず、安全に着地することを優先しろと言っただろう!機首がブレかかっていたではないか!」

児玉さんは叱りつけた。

「全く……お前の度胸の良さは評価するが、無茶はするな!無茶をしてお前が死んでしまったら、元も子もないのだぞ!」

「申し訳ありません!」

 高野さんはさっと頭を下げる。児玉さんの言葉が響いているかどうかは、ちょっとよくわからない。

「高野さん、余り児玉さんを困らせちゃだめですよ。血圧が上がってしまいますから」

 ストレスは血圧を上昇させる場合がある。高野さんも医者である私の言葉にハッとしたらしく、再び児玉さんに深く一礼した。

(はぁ。高野さんも、余り無茶しないでほしいんだけどなぁ)

 軽くため息をついたとき、

(ふみ)姉上」

私の隣にいる輝仁さまが、私を呼んだ。

「ん?」

(ふみ)姉上と仲良くなれば、軍人って飛行器に乗れるの?」

「いや、そんなことはないと思うよ?」

 やけに強い光が宿った目で私を見つめる輝仁さまに戸惑いながらも、私は質問に答えた。「確かに、児玉さんとはしょっちゅう会うし、高野さんも、私が葉山にいたころ、私の警護をしていたことがあるから、他の軍人さんより親しいね。けれど、二宮さんには、私は2回しか会ったことがない。だから、私と仲良くなったら飛行器に乗れるっていうのは正しくないよ」

 そう言うと、「そっかあ……」と輝仁さまは考え込むそぶりを見せた。そんな彼に、

「でも輝仁さま、どうしてそんなことを聞くの?」

私は尋ね返した。

「だって、俺、乗りたい」

「?」

 首をかしげる私に、

「乗りたい!俺、飛行器に乗りたい!」

輝仁さまは大きな声で答えた。

「軍人に……飛行器に乗れる軍人になりたい!鳥みたいに、この空を飛行器で自由に飛び回って、この国を守る……そんな軍人になりたいんだ、(ふみ)姉上!」

 初めて見る真剣な表情をした輝仁さまに、私は何も言い返せなくなってしまった。

※この馬力のエンジンで5㎞も飛べるのか、などなど、飛行に関する考察は全くしていないのでご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 漢(おとこのこ)がこころからやりたい事を見つけた!
[良い点] この世界初の「空の宮様」は輝仁様になるのでしょうか。将来が楽しみです。 [一言] 飛行機が飛ぶか否かは、エンジンもそうですが翼面積と重量なんかも大事です。主翼面積で機体の離陸重量を割ってあ…
[一言] 輝仁様、飛行器に興味を持ちましたか。将来は皇族軍人の中でも、史実における予科練ですか。空軍創設は確定事項ですので。 山本五十六、危なっかしい着陸でしたが無事で何よりです。児玉閣下にしごかれて…
2021/02/04 14:06 退会済み
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