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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第40章 1905(明治38)年芒種〜1905(明治38)年秋分
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先輩から後輩へ

 1905(明治38)年6月12日月曜日午後7時、葉山御用邸別邸の私の居間。

「で、高野さんに会ってみて、どうでした?」

 私の前に座っているのは、参謀本部長の斎藤さんだ。今日、彼は、“負傷者の激励”という名目の下、横須賀国軍病院を訪れ、自分と同じく“史実”の記憶を持つ高野さんと出会った。高野さんと話してみての感想を、斎藤さんにすぐに聞きたかったのだけれど、私は手術を手伝うことになっていて、国軍病院で斎藤さんに会えなかった。そこで、夕食に斎藤さんを招待して、食事の後にゆっくり彼の話を聞くことにしたのだ。

「“お痩せになっておられませんか”と高野に心配されました」

 堂々とした体格の斎藤さんは、お茶を一口飲むとこう言った。

「殿下のせいですぞ。殿下が禁酒をお命じになられたから」

「何ですか、その言いがかりは」

 私は斎藤さんをにらみつけた。「肥っているのは健康だという概念は少し修正が必要だと、何度言ったら分かるんですか。そもそも、BMI(ビーエムアイ)が30を超えたら……」

「あ、いえ、冗談です。酒の害については重々承知しておりますので、殿下の講義は必要ありません」

 顔をひきつらせた斎藤さんは、両手を目の前で自動車のワイパーのように左右に振った。

「本当でしょうね?もし分かってなかったら、後藤さんに頼んで、しっかり講義してもらいます」

「で、ですから本当に大丈夫です。新平(しんぺい)が相手だと、話が殿下のことにいつの間にかすり替わって、時間が2倍も3倍も……いえ、なんでもありません」

「梨花さま、そろそろ本題に移りませんと」

 再び斎藤さんをにらみつけた私に、横から大山さんが苦笑しながら声を掛ける。確かに彼の言う通りなので、私は咳ばらいを一つすると、

「で……一応確認しますけれど、高野さんは“史実”の記憶を持っているということで間違いないんですよね?」

斎藤さんに尋ねた。

「それは間違いありません」

 斎藤さんは首を大きく縦に振った。「“史実”では、高野と交流はあまりなかったように思うのです。高野にしてみれば、はるかに年上の俺は、“うるさいクソジジイ”だったでしょうし。ただ、この時の流れでは、お互い似たような境遇になりましたから、それなりに話が合いました。原さんのことも伝えて、俺なりの注意事項もいくつか高野に伝えました」

「斎藤さんなりの注意事項……ですか」

 原さんのことを伝えた……ということは、原さんが実は“史実”の記憶を持っているけれど、それを隠して行動していることが高野さんに伝わったのだろう。けれど、斎藤さんなりの注意事項というのは、一体何なのだろうか。疑問に思ったので確認してみると、

「退院したら、お前が“史実”でやった作戦がどんなものだったか問い詰めようと、元老たちが手ぐすね引いて待ち構えているから覚悟しろ、と言っておきました」

斎藤さんはこう言った。

 “元老”……“元勲優遇の詔勅”を下された人を中心とした、有力政治家の集まりを、“史実”ではこう呼んでいた。お父様(おもうさま)曰く、“梨花会があるから、元勲優遇の詔勅を下す必要がない”ということで、この時の流れでは“元老”という呼称自体が存在していないのだけれど、“史実”の記憶がある高野さんには、“元老”と言った方がわかりやすいのだろう。

「山縣さんも児玉さんも、戦争の話を聞きたいって言ってましたもんね……」

 土曜日の梨花会の様子を思い出しながら相槌を打つと、

「聞きたいのは(おい)もですよ」

大山さんが私の隣でにっこりした。「本当は今からでも国軍病院に行って、高野から情報を搾り取れるだけ搾り取りたいのですが、梨花さまが止められましたので……」

「それは増宮殿下、良いご命令を出されました。俺も経験がありますが、この方々、脳を全部取り出してでも、記憶を搾り取ろうとなさいますから、今の高野では、流石に身体が保たないでしょう」

 斎藤さんの言葉を聞いた大山さんは、黙って微笑むばかりだった。ただ、斎藤さんの言葉は、限りなく真実に近いのだろうと私も思う。私も小さいころに、梨花会の面々に同じようなことをされた。

「山本閣下に児玉閣下に桂閣下、山縣閣下に大山閣下、“史実”ではこの時期亡くなっておられた山田閣下、黒田閣下、西郷閣下もいらっしゃる。有栖川宮(ありすがわのみや)殿下がドイツから戻られるまで“拷問”が続いていれば、有栖川宮殿下も喜んで参加しそうですし……。高野が縮み上がらないか、少し心配です」

「ですよねぇ……“頑張ってね”としか言えないのが辛いところですけど」

 “元老”や、それに近い人間たちが、まだ新米士官でしかない自分を問い詰めるわけだ。しかも、山縣さんたち、高野さんが“史実”でやった作戦を徹底的に分析する気満々だったし……。まぁ、仮にも、“史実”で連合艦隊司令長官をやった人だ。きっと試練を乗り越えられるだろう。そう思っておくしかない。

「それから、高野には、退院するまでに、我が国が今後取るべき軍事戦略を考えろと言っておきました」

 斎藤さんが付け加えると、

「大変助かります、斎藤さん」

大山さんが頷いた。「“史実”の太平洋戦争を戦った者が、今の状況をどう考え、どう戦略を立てるか。今後の検討材料の一つにしたいのですよ」

「“史実”と状況が変わりすぎてるから、高野さん、今の状況を把握できるかしらねぇ……」

 穏やかな微笑を見せる大山さんに、私はため息をつきながら返した。“史実”とは違い、朝鮮は清の保護国のような形になっている。そして、東朝鮮湾海戦と対馬沖海戦で、ロシアの海軍力は大幅に低下した。一方、今回の戦争で、陸上戦闘がほとんど発生しなかったため、日本は陸軍を全く動員しなかったし、清・ロシアの陸軍の損害も微々たるものだ。これで、講和条約が私の案通りに成立して、沿海州と樺太が永世中立地帯になれば、極東はどうなるのだろうか。

「ロシア軍の中では、“沿海州と樺太を失うのはやむなし”という論が出てきました。“現在の海軍の力では守備しきれない”と」

「現実的な戦力分析だね。日本と清にとってはありがたい論だけれど……誰が言い出したのかな?」

 軽い気持ちで大山さんに尋ねてみたところ、

「マカロフ海軍中将です」

彼はとんでもない答えを口にした。

「は?!あなたたちが引退に追い込んだんじゃなかったの?!」

「皇帝交代の直後、急遽現役に戻されました。裏を返せば、ロシア海軍では、人材が相当失われてしまったということです」

 私の突っ込みに淡々と答える大山さんに、

「ロシア海軍は、将官だけではなく、士官・海兵にも“史実”以上の甚大な被害が出ています。これは、“史実”の我が国の陸軍にも起こったことですが……」

斎藤さんも苦笑しながら付け加えた。「人材は育てるのに数年、いや、10年以上かかります。おそらく、ロシアの海軍は、今後少なくとも20年ほどは、今回の戦争で受けた傷から立ち直れないでしょう」

「なるほどねぇ……。私が思っている以上に、“史実”とは状況が違ってますね。高野さん、今後の日本の戦略のこと、考えられるかしら」

「そこは、増宮殿下にご協力いただくしかありません」

 私がため息をつくと、斎藤さんがこう言った。「俺もあと1回なら、将兵の見舞いと称して高野と会うことができるでしょうが、それ以上高野に会うと、病院の関係者や参謀本部の者たちに怪しまれます。その点、増宮殿下は軍医少尉として国軍病院に勤めておられますから、頻繁に高野に会っても怪しまれません」

「確かに、“将棋を教わる”っていう言い訳は用意できましたから、高野さんと長時間話し込めるようにもなりましたけれど」

 私が斎藤さんに答えると、

「それは好都合ですね。ぜひ梨花さまに頑張っていただきたいと思います。高野を救えるかどうかは、梨花さまのご手腕にかかっておりますよ」

大山さんがニヤニヤしながら言った。

「またそうやって茶化す」

 私は軽くため息をついた。「拒否するつもりはないけれど、正直なところ、高野さんに今の国際情勢を教えるより、手術書を読んだり、手術のイメージトレーニングをしたりしたいんだよね、私」

「ですが、梨花さまは上医を目指されておいでです」

 大山さんが、私の顔を正面からのぞき込む。優しくて暖かい視線が私の眼を捉えた。

「国を(いや)すという方であれば、その国の取るべき軍事計画について通暁されていて当然でございます。(おい)たちと対等に議論ができるようになった梨花さまならば、我が国を取り巻く情勢を高野に講義できるはずです」

「大山さん……私がクリアしなきゃいけない課題、めちゃくちゃ難しくなっていってない?」

 抗議の気持ちも込めながらこう言ってみると、

(おい)は出来ている生徒を見ると、ますます鍛えたくなってしまう性質(タチ)でして」

大山さんは平然と私に返した。

「……わかったよ。高野さんと一緒にあなたたちに折檻されないように、頑張って高野さんに講義します」

 高野さんが梨花会の面々の問いにうまく答えられなかったら、情勢を教えた私にも責任があるということで、私にも追加の課題が与えられてしまうだろう。先回りしてそう答えると、

「よくお分かりでございます」

非常に有能で経験豊富な私の臣下はこう言って、私の頭をそっと撫でたのだった。


 1905(明治38)年7月10日月曜日、午後3時半。

「創の具合、順調そうでよかったです」

 横須賀国軍病院の高野さんの病室。一通りの業務を終えた私は、高野さんと将棋を指しながら話をしていた。もちろん、新島さんにはついてこないようにお願いしているので、高野さんと2人きりだ。

「殿下のおかげです」

 私が盤上にせっかく作った馬を捕まえる厳しい手を指しながら、高野さんは私に軽く頭を下げた。

「そう言われても、私、今回の手術を執刀した訳じゃないですよ」

 高野さんは左手のほかに、右の下腿にもケガをしている。右の下腿は砲弾の破片で、肉がごっそり削り取られてしまっていたのだ。肉芽がだんだん上がってきているけれど、そのままでは肉がむき出しで、出血や感染がおこりやすくなる。そこで、3日前の先週金曜日、その足の傷の上に、彼の左の太ももから採取した皮膚を植皮して、傷口を覆った。その手術に、私も助手として参加したのだ。

「順調にいけば、今月の終わりごろには、足の傷もよくなりますね」

 そう答えて、盤面に目を戻したとき、

「あ、あのですねっ!」

高野さんが慌てたように叫んだ。

「“史実”より俺の傷の治りが早いのは、誰のおかげだと思っているんですか。“史実”じゃ、手の傷から膿が出て、高い熱にも苦しめられたから、“全身の状態が悪い”と言われて、足の植皮がなかなかできなかったんですよ」

「あら、そうだったんですか?」

「ええ。それがこんなに早く手術ができたのは、殿下が北里先生に命じて作らせたペニシリンのおかげでしょう」

「じゃあ、高野さんの回復に、私も多少は貢献できたってことになるんですかね」

 考えるのを中断した私は、盤から顔を上げた。「でも、高野さんの幸運にも感謝しないと。ペニシリンが効かない細菌に感染していたら、高野さんのケガ、“史実”と同じような経過をたどっていたかもしれないですから」

「そうなのですか?」

「医学は万能じゃありません。それは私の時代だってそうです。それでも何とか、たくさんの人の命を助けたいから、私、もっとたくさんの薬を見つけて、もっとたくさんの医療技術を発展させないといけないと思っているんです。だから本当は、あなたに今の時の流れでの政治や軍事のことを教えるなんてこと、したくないんですけど、やらないと大山さんにお仕置きされちゃうからなぁ……」

 ため息をつくと、

「そうだ、講和会議が始まるのは今度の土曜日からですか?」

高野さんが私に確認した。

「はい、そうですね。……はぁ、まさか本当に、あの講和条件でまとまりそうだなんて」

 私は眉をしかめた。イギリス公使の加藤高明さんが奮闘してくれて、領土売却については、ユダヤ人銀行家たちの合意が得られた。そして彼らは、実際に国を統治するために必要なユダヤ人の人材を集めにかかったらしい。自分の思い付きが、世界を動かし始めている。その事実を改めて認識すると、妙に不安になってしまうのだ。

 と、

「相当にいい策だと思いますよ、殿下」

高野さんが真顔で答えた。「ロシアが赤化しても、新しい国が日本の防共の防波堤になる。……って、レーニンもスターリンも、殿下のおかげで無害化されたし、ロシア国内の共産主義者や社会主義者も壊滅してましたか。俺の“史実”の記憶とまるで違うから、本当に付いていけないですね」

「私もです」

 機械的に返事をすると、私は盤面に再び目を戻す。必死に考えるけれど、馬を救う手順が見つからない。かといって、このまま馬を見捨てて手を進めると、取られた駒を使われて、こちらの玉に詰めろが掛かる手順がちらつく。となると、自陣の守りを固めるしかないのだけれど……。

「どうしました?指さないんです?」

「話しかけないでください。今、必死に考えてるんです」

 私は苛立った声で、続きを急かす高野さんに返答した。

「……ああ、やっぱり守りを固めるしかない。だから金を寄って」

 そう言いながら自陣の駒組に手を入れると、

「そうなるよな。というわけで、この馬を獲って……」

高野さんはやはり私の馬に手を伸ばした。

「空いたところを歩で埋めて……」

「堅実ですねぇ。じゃあ、剥がさせてもらいますか」

 そう言いながら、高野さんが獲ったばかりの角を打つ。

「そんなところからの攻めなんて、届くはずがない……あれ?」

 私は高野さんの持ち駒と自分の持ち駒を見比べながら、戦いの展開を必死に読み始めた。

(ええと、ここに歩を置いたら、裏から銀を打たれてダメ。合い駒しても取られて……あれ、あれれ?)

「……ダメだ、負けました」

 その場で戦っても、王将を逃げても、5手後には詰まされてしまうことがわかり、私は素直に高野さんに降参した。

「つ、強すぎる……平手で1回も勝てなかったから、駒を2枚落としてもらったのに負けるなんて……高野さん、あなた絶対、原さんより強いですよ」

 ため息をつきながら言うと、

「勝負事は好きでしてね」

高野さんはニヤッと笑った。

「ポーカーやブリッジの方がもっと得意です。1、2年あれば、軍艦1隻作れる金くらいは稼いでみせるって思ってたこともありました。どうですか、殿下、もう一局」

(完全にギャンブラーじゃないの……)

 高野さんの得意げな顔を見ながら、私はため息をついた。私自身も、この時代の常識からかけ離れた考え方をすることが多いけれど、もう少し、堅実な考え方は出来ないのだろうか。

「それはいいんですけど……このままだと、今日伝えるべきことが伝えられなくて終わりますよ、高野さん?」

 内心あきれながら私が言うと、

「おっといけない。今日は、朝鮮のことについて話していただくんだった」

高野さんは机の上から、びっしりと文字が書かれた表を取り出した。

「明日が台湾の状況。明後日は殿下の御出勤日じゃないから、3日後の木曜日に、清の海軍の状況についてお話いただくんだったな」

 実は、高野さんは、8月上旬になると思われる退院の日まで、私に何を聞くべきか、という細かいスケジュールを立てていた。だから私は、その予定に従って高野さんに話をしている。危なっかしい一面がある一方、綿密さも併せ持っている高野さんが、私には正直、よくわからない。

「じゃあ、話を始めますか。ええと、朝鮮に関しては、変わっている箇所が結構あって」

 ただ、私が彼に、この時の流れと“史実”とで変わった情勢を教えなければ、高野さんは梨花会の面々の口頭試問を乗り切れないのは分かる。そして、彼がコテンパンにやられてしまえば、私も梨花会の面々にペナルティを課されてしまう。要するに、高野さんと私は今、一蓮托生なのだ。

「まず、清と日本の関係から説明しないといけないんですけれど……」

 私が前世の記憶を取り戻してから、17年の時が過ぎた。一方の高野さんは、“史実”の記憶を得てから、まだ2か月も経っていない。今の時の流れを生きる先輩から後輩への授業は、国軍病院の病室で、粛々と続けられていったのだった。

※高野さんの植皮手術を、感染が抑えられたとはいえ、ちょっと早くしすぎたかもしれません。そのあたりはご都合主義ということでご勘弁いただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言]  個人的な意見ですが   日付が変わる時、もう2、3行空けた方が、日にちの 変化を認識しやすいのではないでしょうか?
[気になる点] あれ? トロツキーさんはご健在? [一言] さて、山本五十六は明治の偉人のための踏み台か次の時代の担い手かどっちかな?
[一言] >脳を全部取り出してでも、記憶を搾り取ろうとなさいますから… あ、相変わらず、洒落にならない方々ですなあ(--;) で、そんな相手にこれからの戦略も考えて、説明しろって… どんな拷問? マカ…
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