閑話 1901(明治34)年清明:井上邸の茶会
1901(明治34)年4月7日日曜日、午後4時。
「だから、兄上は行く必要は無いってば!」
東京府赤坂区にある青山御殿。その奥まった位置にある区画から、悲痛な叫び声が聞こえ、青山御殿に勤める女官・榎戸千夏は足を止めた。
「私だけで行く。兄上に、そんな危険なことはさせられない」
この叫び声は、主人のものだ。一体、どうしたというのだろう。千夏は心配になり、声の聞こえる方へそっと近づいていった。
「何を言っているのだ、お前は」
主人に答えるこの若者の声は、主人の兄・嘉仁皇太子の声だ。先ほど、単身で青山御殿を訪れ、主人の居間に入った。
「お前まで危ない橋を渡るというのか。それは許さんぞ、梨花」
近づくにつれ、兄妹の声はだんだんはっきりしてくる。“梨花”というのは、千夏の主人の雅号で、嘉仁皇太子は、親しい者しかいない席では、千夏の主人を、本名の“章子”ではなく“梨花”と雅号で呼ぶのだ。“少し恥ずかしい”と主人は言うけれど、気高く美しく、そして愛らしさも兼ね備える主人にぴったりの雅号だと千夏は考えていた。
「でも、それで兄上が倒れたらどうするの?!節子さまが悲しむでしょ!」
主人の声は、次第に激情を帯びていく。どうも、彼我の距離を詰めたからではなさそうだ。
「私は誓ったの!私の持つすべてを使って、あらゆる苦難から兄上を守るって!」
千夏がとうとう主人の居間のすぐそばにたどり着いた時、障子の隙間から漏れる主人の声音には、涙が混じっていた。
(宮さま……こんなにも、皇太子殿下のことを大事に思われて……)
何と真っ直ぐで、美しい想いなのだろうか。主人が、兄である嘉仁皇太子をとても大切に思っていることは、普段も言葉や態度の端々から感じられるけれど、真正面からその思いを吐露するところに出くわしたのは初めてだ。
(これは……はかどりますよ!)
千夏が激しく創作意欲を掻き立てられていると、
「節子さまが出産する前の大事な時期に兄上を倒れさせたら、私は節子さまになんて詫びればいいの?!兄上……危険は承知してるけど、今回は、お願いだから、私だけで行かせて……そのために、私がいるんだから……」
障子一枚隔てた向こうからは、主人の真情のこもった言葉が、涙で途切れ途切れになりながらなおも流れてくる。
「梨花……」
嘉仁皇太子が、椅子から立ち上がろうとする気配がした瞬間だった。
「待て」
彼の硬い声が、廊下に立っている千夏に向かって発せられた。
「誰だ、そこにいるのは」
若いながらも威厳を帯びた皇太子の声に、逆らえるはずもなく、
「千夏でございます」
千夏は障子の外で、素直に頭を下げた。「申し訳ありません。宮さまの叫び声がしたので、心配になってしまって……」
すると、
「ああ、そっか……人払いしてなかったもんね……」
と主人の声が聞こえ、数秒して、千夏の前の障子が静かに開けられた。
「心配させちゃいましたね」
千夏が見上げた視線の先には、今上の第4皇女である彼女の主人・増宮章子内親王の苦笑いがある。以前から美しさと愛らしさを兼ね備えていた内親王だが、髪型をシニヨンに変えてから、その内面からも美しさがにじみ出て、麗しさがいや増している。“ご自身の容姿が醜いという思い込みから、ようやく脱却することが出来たからでしょう”と、青山御殿の別当を務める大山巌歩兵大将は、主人の身に起こった変化を分析していた。
「びっくりさせてごめんなさい、千夏さん」
礼儀正しく謝る主人に、
「千夏で結構でございます、宮さま」
千夏は深く頭を下げた。主人は女官である自分にも、過剰なほど礼儀正しい。一方、古くからの臣下である大山別当には、もっと砕けた物言いをするので、新参者ゆえ、まだ主人は自分に心を許していないのだろう、と千夏は考えていた。
「宮さま、何かあったのですか?」
千夏は章子内親王に尋ねた。「なにやらただならぬご様子ですが……もし、もし千夏で身代わりになれることでしたら、千夏がやります!」
すると、
「あなたに、そんなことはさせられません!」
美しい主人は首を横に振った。「これは私と兄上に対する罰だし、それに、被害者を増やすのはどうかと……」
「被害者……ですか?」
首を傾げた千夏に、章子内親王は、苦虫を噛み潰したような表情を向けた。
「あの、だから、次の日曜日に、井上さんの茶会に招かれるのだけれど、その出席者を増やすわけにはいかないというか……」
(へ……?)
深い苦悩の表情を見せる主人と、彼女が発した言葉との差を、千夏は全く理解できなかったのであった。
1901(明治34)年4月14日日曜日午前11時15分、麻布区宮村町にある井上馨農商務大臣の屋敷。
ポニーテールに髪を結い、桃色の無地の着物に、深紅の帯を締めた増宮章子内親王は、茶室のある庭園の入り口の門の前で、大きく肩を落とした。
「分かんないよ、茶会の進行なんて……」
「俺もだ」
群青の羽織をまとい、薄茶色の袴をつけた嘉仁皇太子も、眉をしかめた。
今日、この兄妹は、井上馨農商務相の自宅の茶会に招かれた。2人とも、茶道は習っているが、お茶も懐石料理も出る本格的な茶会に招かれたのは初めてだ。皇族がこのような茶会に招かれるのは本当に稀なのだが、そこにはある事情があった。
先月6日、実質的な内大臣だった勝安芳伯爵が亡くなった。彼は東宮御学問所の総裁を務めており、嘉仁皇太子にとっては恩師に当たる人物だ。危篤の報を聞いた皇太子は、居ても立ってもいられず、自転車に飛び乗ると、自分と同じく勝伯爵の薫陶を受けた妹の章子内親王を飯田町の女医学校に迎えに行き、彼女と2人で氷川町の勝伯爵邸に急行した。勝伯爵の臨終には間に合ったけれど、侍従や武官を振り切っての単独行動は当然問題となり、児玉東宮武官長と、青山御殿の大山別当に、2人は「お仕置き」されることになった。その「お仕置き」が、今回の茶会への招待である。
――井上閣下には、“閣下の茶道の神髄を、皇太子殿下と増宮さまに是非ご披露を”とお願いしました。
先月の終わり、児玉東宮武官長の言葉を聞いた兄妹は、そっと視線を交わし合い、児玉武官長が去った後、同時にため息をついた。
茶会に招かれる客は、ただ漫然と出された茶を飲んでいればいいわけではない。全てのプログラムを、主客共に、作法に従って進行していかなければならないのである。そして、使用する茶室や庭園、使う茶碗や茶釜などの什器、さりげなく茶室に飾られた花、壁に掛かる書画などの芸術品、そしてそこに流れる時間……それを全て含めた、時間と空間、その場にある人が織り成す総合芸術が茶道であり……。
「……って、母上が言ってたっけ。正直言って、全く分かんない。私、作法通り出来るかどうかがすごく心配だよ。堅苦しいのも苦手だし……」
章子内親王が、再びため息をついた。庭園の門は少し開き、兄妹を無言で中に招き入れていた。
「俺もだ。あとは、……どんな料理が出るか、だな」
嘉仁皇太子も、妹に答えて、深刻な表情で呟いた。井上農商務相は、料理も趣味としている。茶会で懐石料理を振舞う際、自分で包丁を握ることも度々なのだが、非常に変わった料理を作ることで有名だった。“史実”の記憶を持つ斎藤実参謀本部長は、嘉仁皇太子と章子内親王が井上邸の茶会に招かれたと聞き、
――確か、“史実”では、とんでもない料理を作られることが度々だったような……。
と、非常に気の毒そうな表情で皇太子と章子内親王を見つめた。更に、井上農商務相は、この時の流れでは、洋菓子作りにも手を出しており、
――なんでチョコに、こんなのが入ってるのよ!
毎年のバレンタインの日には、章子内親王が、井上農商務相から贈られた手製のチョコレートに突っ込みを入れるのが恒例になっている。
「兄上、考えないようにしてたのに。一応、帰ったら、ベルツ先生に花御殿に往診に行ってもらうように手配はしたけど」
「それはありがたい。……では、覚悟を決めて、罰を受けに行くとするか」
妹が無言で頷くのを確認すると、嘉仁皇太子は門を開けた。
2人が入った8畳の待合には、蕾が開きかけた八重桜の画幅が掛けられている。「名は知らぬが、力量のある者が描いた絵だな」と皇太子が呟いていると、襖が開き、井上農商務相の屋敷の職員が現れ、湯の入った茶碗を兄妹に渡した。
「……桜だ。桜がお茶碗の中で咲いてる」
茶碗の中を見た章子内親王が、目を軽く瞠る。彼女の手にした茶碗の湯の中で、桃色の八重桜が一輪、花びらを開かせていた。
「ふむ、桜湯だな。よい香りだ」
嘉仁皇太子が微笑むと、
「これ、飲んでも大丈夫なもの?」
章子内親王は恐る恐る兄に尋ねる。
「大丈夫だろう。あんパンの上に、桜の花の塩漬けが載っているが、あれは食べられるではないか」
その言葉に意を決したのか、章子内親王は緊張した表情で茶碗に口を付けた。
「ああ、そうか、元々塩漬けだから、ほんのり塩味になるよね……。うん、美味しい」
そう呟いた章子内親王は、少しだけ表情を緩める。それを見た嘉仁皇太子も、茶碗に口を付けた。
4畳半の茶室に兄妹が入ると、井上農商務相が現れた。
「お2人とも、とても緊張されていらっしゃる」
農商務相が苦笑すると、
「そりゃあそうですよ……」
章子内親王がため息をついた。「前世じゃこんなこと、全く縁がありませんでしたからね」
(それに、料理に何を出されるかが、怖くてしょうがなくて……)
章子内親王が心の中でそう付け加えると、
「すると、未来じゃ茶道というものは無くなるんですか?」
と農商務相は尋ねた。
「いや、そんなことはないです。高校にも大学にも茶道部がありました」
章子内親王は首を大きく左右に振る。「今もそうだけれど、私は文化方面には本当に疎くて……お城だったら、いくらでも見ていられるんですけれどね」
「言い切ったな」
嘉仁皇太子が苦笑する。「そろそろ城を見に行かせなければ、またストレスが溜まって、とんでもないことをやりかねないな」
「それでも、色々と御経験は積まれてきたわけだ。ピアノも弾かれる、字もよくお書きになる、和歌も狂介について勉強されている……。俺も、増宮さまがお詠みになった歌を見たいんだが、狂介の奴がどうしても見せてくれない」
「それは、見せないように山縣さんに頼んでありますもん」
章子内親王が、少し唇を尖らせる。「言葉の使い方に慣れないし、それに、私の和歌って、やっぱり今の時代の感性には合わないみたいなので……」
「なるほど」
井上農商務相は、少しだけ笑みを零した。「今日は、増宮さまにも楽しめるように、色々考えたつもりです。作法に慣れておられないのは承知の上。どうぞお2人ともお楽になさって、楽しんでいただければと思います」
(本当に、お手柔らかにお願いします……)
再び頭を深々下げた章子内親王は、心の中で祈るように呟いたのだった。
茶会のプログラムは粛々と進行していき、とうとう、自ら調理した懐石料理を、井上農商務相が捧げ持って茶室に現れた。その満面の笑みは、自分の料理のおいしさを信じて疑わないことを物語っていた。
((と、とうとう来たか……))
期せずして、同じセリフを心の内で吐き、農商務相が器を置いて下がったのを見届けると、
「い、いただくか……」
「そ、そうだね……」
嘉仁皇太子と章子内親王は、上ずった声で示し合い、椀の蓋を開けた。
「あ、あれ……?」
先に声をあげたのは、章子内親王の方だった。
「どうした?」
嘉仁皇太子が眉をしかめる。
(やはり、最初から、とんでもない料理を……)
更に緊張の色を濃くする兄の前で、
「これ……この色、この香り……」
章子内親王の顔が、見る間に喜びに染まっていく。
「もしかして、これは八丁味噌では……」
そう呟いた章子内親王は、飯を一口食べると、早速汁に口を付けた。
「ああ、間違いない!故郷の味だよ!」
「故郷、……というと、前世の、か」
兄の問いに、章子内親王は満面の笑みで頷いた。「これだよ、やっぱりお味噌はこれでなくちゃ。青山御殿で使ってるお味噌、米味噌だからね。それももちろん美味しいけれど、私にとってお味噌は八丁味噌!カツオのお出汁もすごく効いてる。ああ、幸せだ……」
そう言いながら、章子内親王は、豆腐と三つ葉の味噌汁を片付けていく。しばらく妹の様子を伺っていた嘉仁皇太子も、意を決して汁椀に箸をつけた。
「……旨い」
皇太子が呟くと、「でしょー?」と、章子内親王は上機嫌で返した。
「今度、井上さんに、どこのお店からこのお味噌を仕入れたか聞いておかないと。ふふふ……味噌煮込みうどん計画、それがだんだん形になってきたわ!」
章子内親王が意気込んでいると、
「お気に召していただいたようで何よりです」
と、井上農商務相が再び現れた。
「さて、作法通りだと、ここで酒を飲んでもらうことになるんですが、増宮さまに禁酒を誓った身ですから、代わりに甘酒を持ってきました」
そう言って、徳利と猪口を持って茶室に入った井上農商務相を、章子内親王が軽く睨んだ。
「ちょっと待った、井上さん。甘酒もお酒に入りますよ。私、前世で小さいころ、祖母に作ってもらった甘酒を飲んだら、酒粕の量が多すぎて酔っぱらっちゃったんですから」
「は?酒粕?どうやって作るんですか、その“甘酒”?」
章子内親王の言葉に、井上農商務相が首を傾げる。
「どうやって、って、酒粕をお湯で溶かして、お砂糖を入れて……」
内親王が説明すると、「ははぁ、そういう作り方に変わるのか。確かに、その方が簡単だしなぁ」と農商務相が頷いた。
「これは、炊いた米と米麹で、発酵させて作った奴です。アルコールは入ってないですよ。もしかして、未来じゃこの作り方、失われてますか?」
「そう言えば、“ノンアルコールの甘酒”ってものが、前世で売られていた気が……もしかして、それが米と米麹で作った甘酒なのかな?」
腕を組む章子内親王の横で、
「だからお前、街に一緒に出た時、甘酒売りを見かけると睨み付けていたのか」
甘酒を猪口に注がれた皇太子が、中身を飲み干して言った。
「子供が甘酒を買っていたから、未成年飲酒を助長していると思って……」
ばつの悪そうな表情で答えた妹に、嘉仁皇太子は「ほら、お前も猪口を取れ」と促した。
「ほんのりした甘味だ。アルコールは入っていないぞ」
兄の声に、章子内親王も猪口を取り、井上農商務相から酌を受ける。
「……ほんとだ。美味しい」
(カロリーは高そうだけど……)
章子内親王がじっと考えているうちに、料理は進行していき、彼女は既定のプログラムに慌てて身を委ねた。
鴨の切り身としいたけ・蕨の煮物、鯛の甘酒漬けの焼物が茶室に続けて運び込まれ、甘酒を互いの猪口に注ぎ合いながら、兄妹はしばしの歓談を楽しむ。作法の複雑さに戸惑いながらも、春蘭とすっぽん卵の吸物もいただき、湯漬けと香の物、そして最後の菓子まで、兄妹は無事にたどり着いた。
「流石、伊藤さんが言うだけあって、たくあんが美味しかったね。あれ、私がお正月に井上さんにあげた大根で作ったって……」
いったん茶室を退出した章子内親王は、隣にいる兄にやや興奮気味に話しかけた。「すっぽんの卵や春蘭の花の塩漬けが出て来たのはビックリしたけど……あと、松露、初めて食べた。私の時代だと、ほとんど見かけないキノコだよ」
「そうか。葉山に採れるところがあるらしいぞ。採れる時期に行ったら、探してみるといい」
嘉仁皇太子は、美しい妹に微笑みかける。
「わかった。……けど、料理は奥が深いね。栄養バランスやカロリーには気を付けていたけれど、色彩や盛り付けまで考えていくと、芸術のレベルになるんだなぁ」
「そうだな。どんな不味い料理を出されるかと思っていたが、杞憂に終わって本当に良かった」
「本当だね。ベルツ先生を呼んだの、無駄になったね、兄上」
「無駄になったのは、本当にありがたいことだ。桜の花をかたどった菓子も美味だったし……」
「今、八重桜が綺麗な時期だから、それに合わせたのかな」
茶室の用意が整うまで、あと数分。兄妹は、春の庭園の風情を楽しんでいた。
「……ったく、“ベルツ先生を呼んだのが無駄になった”って、どういうことだ」
外にいる兄妹の様子を伺いながら、井上農商務相は茶室の準備を整えていた。
児玉東宮武官長から茶会の話があったのは、つい一月前のこと。しかも茶会の日取りも指定されてしまったので、万全のもてなしの準備が出来たとは言いかねる。完璧を期すならば、待合の床の間に掛けた軸の題材も、章子内親王の前世の名前にちなむ梨の花にしたかったし、最初に出した湯の中身も、桜の花の塩漬けではなくて、梨の花の塩漬けを使いたかった。ただ、そんなものなど作らせていなかったので、仕方なく、趣向を変えたのだ。
「増宮さまと皇太子殿下相手なんだから、妙なモンは出さないに決まってるだろ。数寄者相手なら、いくらでも珍しいモンを出して、相手の度肝を抜いてやるけど……」
だから今日の料理の素材は、皇太子と内親王の好みに合いそうな物を、青山御殿の大山別当から話を聞きながら選んだ。作法はたくさんあるけれど、茶道の本質は、招いた客を心からもてなすこと。それならば、客に合わせて対応することが大事だと、井上農商務相は考えていた。
(しかし、初めてお会いしてから、もう10年になるのか……)
井上農商務相は、ふと、茶室を清める手を止めて、初めて章子内親王に会った日のことを思い出した。堀河侍従の腕に抱かれた幼い彼女は、愛らしくて美しかったけれど、どこか頼りなく、おどおどとしていた。まるで、“私はこの世界にいていいのかしら?”と、周りの全てに問いかけているかのようだった。
あれから10年、彼女の持つ“史実”の知識を元に、皆が心を一にした結果、世の中は確実に変わり始めている。そして、彼女自身も、数多の出会いと別れの中で、未来に生きた人間として、自らの出来る最善を尽くそうともがき、時には失敗しながらも成長してきた。その経験が、彼女自身が自らを縛り付けていた鎖を次第に壊し、彼女は更に人としての器を広げ、深めようとしている。
(皇太子殿下の器も才も、花開き始めて……全く、2人とも、将来が楽しみだぜ。梨の花の塩漬けを使うのは、また来年、増宮さまだけを茶会に招いた時、だが……)
「その前に、増宮さまと皇太子殿下に、俺の料理がまずいなんて吹き込んだ奴を探し出さないとな。児玉か?それとも俊輔か?いや、もしかしたら、大山さんの可能性も……まぁいい、疑わしい奴、全員うちに招待して、茶道の何たるかを、実地でたっぷり教え込んでやる。大抵のことじゃ驚かない連中だ。飛びっきりの奇抜な料理で、もてなしてやろうじゃないか」
不敵な笑みを唇に閃かせた井上農商務相は、軸の代わりに掛けた花入れに、花を生ける。床の間を彩ったのは、2房の満開の花が付いた、八重桜の枝だった。
※井上さんの危ない(?)料理として有名なのは、「ラッキョ酢に甘酒を混ぜたもの」なのですが、その話の出典本(「史蹟 花外楼物語」にあるということです)が、投稿日現在閲覧できない環境なので、それは作中、敢えて触れませんでした。資料が確認できるようになったら、一部改変するかもしれません。御了承ください。
※なお、茶事の進行については「正午の茶事」(千宗室著)「実用茶事 正午の茶事 炉 一客一亭の茶事」(藤井宗悦著)を参考にしましたが、はしょって書いているところもあります。ご了承ください。
※甘酒について色々調べてみましたが、どうやら章子さんが言っている「酒粕をお湯に溶かして作る」いわゆる“酒粕甘酒”が広まったのは近年のことらしいです。伝統的には糀とお米を混ぜ、発酵させて作る“麹甘酒”になります。(ちなみに作者が知っていた甘酒は酒粕甘酒でした……)
※葉山の松露については、実際には、皇太子殿下ご本人が明治40年に作った漢詩に「吾妃采松露於南邸供之晩餐因有此作」というものがあります(「漢詩人大正天皇 その風雅の心」(石川忠久著)より)。




