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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第27章 1901(明治34)年冬至~1901(明治34)年穀雨
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“これでおしまい”(3)

※地の文のミスを修正しました。(2023年6月15日)

 1901(明治34)年3月6日、午前11時。

 徳川慶喜さんと勝先生との面会が終わった後、私と兄は、勝先生のお屋敷の和室を借りて、徳川慶喜さんと相対していた。

「……増宮殿下は、大事ないですか?」

 床の間を左手側にし、廊下を背にして座った慶喜さんが、兄に右手を握られて正座する私を心配そうに見つめた。

「あああ……ご、ごめんなさい、じゃない、申し訳ありません」

 私は慌ててお辞儀をした。「ま、まさか、今、あなたに会うことになるとは思っていなくて、その……心の準備が出来ていなかったというか……す、すみません、未熟者で……」

 そう答えた私の身体は、細かく震えていた。自分の心臓の鼓動が、身体中で響き渡って、聴覚の殆どを支配してしまっている。

「あなたは皇族、私は天皇陛下の臣下の1人。もっと、堂々としておられていいはずですのに」

 私の頭の上で、慶喜さんが苦笑する気配を感じる。

(そ、そうなんだけどさぁ……)

 慶喜さんが言っていることは分かる。それに、慶喜さんの娘さんの1人・経子(つねこ)さまは、華頂宮(かちょうのみや)家に嫁いでいるし、同じく娘さんの1人である糸子(いとこ)さまは、私の華族女学校での同級生だ。親戚筋でもあるし、同級生の父親でもあると、分かっている。分かっているのだけど……。

(私の前世、平民なんだってば、将軍さまー!)

 深く下げた頭を上げられないでいると、今度は、兄が苦笑する気配がした。

「すみません。この妹は変わっておりまして……医術開業試験の前期試験も、“皇族だからと言って、特別扱いされるのは嫌だ”と言い、身分と名前を偽装して合格したのです」

「ああ、合格なさったことは糸子から聞いておりましたが、そこまでなさいましたか」

「は、はい……」

 恐る恐る慶喜さんに答えると、

「ほら、章子。頭を上げろ」

兄が私の右手をぎゅっと握った。兄に励まされるようにして、ゆっくり上体を起こすと、慶喜さんの微笑が目に入った。

「しかし、医術ですか。流石に私も、医術まではしたことがありません」

 慶喜さんはこう言った。医術のことに触れるということは、もしかしたら、私に気を遣って、話題を選んでくれたのかもしれない。それに遠慮なく乗っかろうとして、ふと、違和感を覚えた。

「あの……、医術以外のことで、何か修業したことがおありなんですか?」

 口にした直後、私は慌てて左手で口を押さえた。慶喜さんは、元征夷大将軍、武家の棟梁である。学問だって武芸だって、一通りのことはやっているに違いない。

(何で分かり切ったことを聞いちゃうんだよ、私はー!)

 自分のセリフを激しく後悔していると、

「そうですな……」

慶喜さんは疑いもせずに、少し考え込んだ。

「武芸は一通り修業しました。剣術に槍、弓に馬術、鉄砲に手裏剣、それから写真に謡、釣りに猟、投網も致しますし、打毬(だきゅう)に囲碁、自転車、油絵、刺繍……」

(はい?)

 私は目を丸くした。隣の兄も、軽く息を飲む。驚く私たち兄妹に向かって、慶喜さんはまた苦笑いを見せると、

「全て、暇潰しでございます」

と、少し寂しそうにつぶやいた。

「武芸もそう、娯楽もそう、己が心からやりたいと思って、やったことではございません。義務としての……世を平和にするための、義務としての暇潰しでございます」

「世を平和にするための、義務としての暇潰し……」

 慶喜さんの言葉を、私は繰り返した。一体どういうことなのだろうか、そう尋ねようとした矢先、慶喜さんが口を開いた。

「私は、一度、朝敵とされました。しかし、私は征夷大将軍でもあった身です。それゆえ、我が身を利用しようとする輩がおります。私を利用して、恐れ多くも天皇陛下に弓を引こうとまで考えてしまう輩が……」

 そう話す慶喜さんの目は、穏やかだったけれど、どこか辛そうだった。

「私に出来ることは、そんなけしからん奴らを失望させるよう、趣味の世界で生きること。それが私なりの、陛下への忠義の貫き方でございます」

(ああ、そうか……)

 目の前に座っている人が、大政奉還を行ってから、もう30年以上の時が過ぎ去っている。その間、戊辰の一連の戦があり、不平士族たちの反乱もあった。そういう時に、本気で世の中をひっくり返そうとするなら、慶喜さんがいまだに持つ徳川家の権威を利用する、という手は、容易に思い付く。実際、そう思った人もいたのかもしれない。

 けれど、この人は、そんな声には一切耳を貸さずに生きてきた。新しい世の安寧が続くように。

「戊辰の戦から三十有余年の時が過ぎ、少しずつ、私の一挙手一投足も注目されなくなっては参りましたが、未だに、私に自らの野望を託そうとする者もおります。それゆえ、私の過ちのために血を流して死んでしまった者の冥福を、弔うこともできません。彼らを弔えば、“慶喜は幕府の再興を狙っている”などと騒ぎ立てる者どもも、未だにいるのです」

 慶喜さんは、淡々と話し続ける。

「ですから、皇太子殿下と増宮殿下が、鳥羽と伏見で、我が軍の死者たちを弔っていただいたと聞き、とても嬉しく思いました」

「!」

 兄も私も、つないだ手に同時に力が入った。

「恐れ多きことながら……私の代わりに、私のやるべきことをやってくださったのだと思ってしまいました。ですから、……もう、東京に戻ってもいいのかもしれない、と思いました」

「そうでしたか……」

 平凡な言葉しか、返すことができなかった。この人も、ずっと心の傷を抱えて生きてきたのだ。鳥羽伏見の戦いのとき、薩摩・長州の軍の先頭に、錦の御旗が翻った時の絶望を。それでも、彼はお父様(おもうさま)のことを、彼なりに大切に思い続けてくれている。

「戊辰の戦以来、この国で流れた血は、皆、意見の相違はあれど、お父様(おもうさま)を大切に思っていてくれた者たちのもの……」

 兄が私の手を握りながら、自分に言い聞かせるように言う。それを聞いて、慶喜さんが急に姿勢を正してお辞儀をした。

「ですから、かつての敵味方、かつての官軍賊軍の区別なく、犠牲者の冥福を祈ることは、わたしの義務だと思っています。今を築くために犠牲になってしまった人々のことは、忘れてはならない、と」

「兄上……」

「そう言い始めたのはお前だぞ、章子。俺もそう思う。それに、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)も同じ気持ちでいらっしゃる」

 そう言うと、兄が私の眼を覗き込んで微笑する。

「さようなお考えでございましたか。……ありがたいことでございます」

 慶喜さんは頭を上げると、私の方を見た。

「増宮殿下、あなたは不思議な方です。どうも、常識では理解することが出来ぬ方のように思います」

(確かにそうだよな……)

 私は心の中で苦笑した。この時代の皇族が、しかも内親王が医師免許を取ろうとするところからして、この時代の常識を飛び越えている。それに、……多分、私の持っている考え方そのものが、この時代の常識とは、まるで違っているだろう。

「失礼ですが、増宮殿下、なぜ医学を修めようと考えられたのですか?」

 慶喜さんは穏やかな声で私に尋ねた。

 私は、深呼吸を一つして、心を落ち着かせると、

「……もし、私が男だったら、お父様(おもうさま)と兄上を助けるために、軍人になっていました」

と話し始めた。

「でも、この国ではまだ、女は軍人になれません。ですから、別の形で助けるしかないんです」

「その手段が、医者になることですか」

「私が正義を持つことが許されるのであれば、人が理不尽に死んだり傷ついたりするのを、可能な限り防ぐのが、私の正義だと……そう思います」

 慶喜さんの目をしっかり見つめると、

「なるほど……」

彼は微笑した。

「慶喜公」

 兄の呼びかけに、

「“ケイキさん”、でよろしいです、皇太子殿下」

慶喜さんは微笑を崩さずに答えた。

「では……ケイキさん」

 兄が改めて慶喜さんを呼ぶと、「はい」と彼は素直に返事をした。

「次の冬が来たら、わたしと一緒に、猟に出ませんか?」

「猟?」

 兄の提案に私が首を傾げると、

義兄上(あにうえ)は、猟をしたらどうだと言うのだが、猟に行けば、何日か東京を離れなければならないから、断っているのだ。節子とお前のそばを、離れたくないからな」

と兄は私に苦笑いを向け、再び慶喜さんを見つめた。

「なので、猟については、わたしは全くの素人でして……、ケイキさんに色々と教えていただきたいのです。それに、……ケイキさんがお父様(おもうさま)に忠義を尽くすのを、わたしも手伝えたらと思いまして」

「……謹んで、承ります」

 慶喜さんは、兄に向かって、深く頭を下げた。


 午前11時40分。

「思わぬことだったな」

 慶喜さんが退出するのを見届けると、兄がポツリと呟いた。

「だねぇ……」

 私は答えて、大きなため息をついた。

「まさか、慶喜さんに会うとは思ってなかったよ」

「俺もだ。……しかし、ケイキさんと話せてよかった」

 微笑む兄に、私も頷いた。数年前、兄と一緒に鳥羽・伏見の戦いで亡くなった両軍の兵士たちに祈りを捧げた時、慶喜さんに当時の心境を尋ねても、きっと話してくれないだろうと言ったことがある。だから、私と彼が会っても、会話は何も生まれないのではないかと、どこかでそう恐れていた。もちろん、慶喜さんが今日話してくれたことが、彼の思いの全てではないけれど、少なくとも、彼は、お父様(おもうさま)のことを、ずっと大切に思い続けてくれている、というのは分かった。昔も今も、そして、これからも。

「これから、勝先生がやってきたように、慶喜さんのこと、私たちも気に掛けないといけないね、兄上」

 兄にこう言うと、

「ああ、そうだな。……全く、何が、“これでおしまい”だ。勝先生自身はそうだろうが、俺たちにとってはこれからだ。最後に、大変な課題を勝先生に出されてしまったな」

兄は苦笑して、私の右手をもう一度握った。

「さて、俺たちもここを出ようか。しかし、そろそろ昼飯時だな。梨花、どこかの飯屋にでも入って、昼飯を食うか?お前に金を出してもらうことになるのが心苦しいが」

「あー、兄上……その心配は必要ないと思うよ」

 私が冷めた声で答えると、兄は首を傾げた。

「どうしてだ?」

「あのさ、兄上、児玉さんのことを忘れてるでしょ」

 私は兄に向き直ると、ため息をついた。「児玉さんが本気で探したら、絶対見つかるわよ、私たち。それに、もし、児玉さんが大山さんに協力を要請してたら……」

 そう言うと、「確かにそうだ」と兄は眉をひそめた。

「まぁ、万が一、武官長がここに現れなかったら、な?」

「多分、門前にいるんじゃないかな。賭けてもいいよ」

 そんなことを兄と話しながら、勝先生のお屋敷の玄関まで移動すると、そこにはやはり、予期していた人影があった。

「殿下!この児玉を出し抜くとは!」

 玄関の三和土の上に、軍服姿の児玉東宮武官長が、眼を怒らせながら突っ立っている。その隣には、黒いフロックコートを着た我が臣下も、静かに佇んでいた。

「すまん。知らせを聞いて、居ても立っても居られなくなった。危篤という話だったから、一刻も早く向かわねば、勝先生に今までの礼を言うこともできぬと思って……」

 兄はその場に正座して、児玉さんに向かって頭を下げる。私も兄の隣で、深々と頭を下げた。

「氷川町とは方向違いの方に行ってしまわれたので、武官も侍従も大騒ぎでしたぞ。お気持ちはよく分かりますが、皇太子としての振る舞いというものも、少しは考えてください」

 お説教する児玉さんの横で、

「まぁ、最終的な目的地は分かっておりましたから、何とかなりましたが、(おい)の主君までさらっていかれるとは……」

大山さんが口元を綻ばせる。けれど、彼の眼は、全く笑っていなかった。

(ま、まずい!このままだと、兄上が必要以上に怒られちゃう!)

「あ、あの、大山さん?」

 私は恐る恐る、怒気を身の内に秘めた臣下に呼びかけた。「正確に言うとね、私、さらわれたんじゃなくて、その……むしろ、進んで兄上について行ったというか……」

「わかっております」

 大山さんは、口元の微笑みを崩さずに、私に鋭い視線を向けた。「ですから、梨花さまにも皇太子殿下にも、お仕置きをしなければなりませんな」

「待て、大山大将!」

 兄が慌てて頭を上げた。

「まさか、梨花に巡航の時のようなことをさせるつもりか?!悪いのは俺で、梨花は俺に巻き込まれただけにすぎん!罰するのは俺だけでいい!」

「ちょっと待ってよ、私も共犯だってば!兄上を罰するんだったら、私も罰してちょうだい!……ってか、兄上、巡航って御学問所卒業の時のだよね?詳しく聞いたことなかったけど、一体、何をやらされたのよ?」

「思い出したくもないが……。演習地に連れて行かれて、“お前が師団長だとして、この状況ならばここからどう兵力を動かすか”と3日間延々と問われたり、気が付いたら常備艦隊の大演習に参加させられていたり、……大変だったのだぞ!」

「はぁ」

 いまいちピンと来なくて、曖昧に頷いた私をよそに、

「寄港地に着いたら着いたで、“この町の100年後までの都市計画を策定してみろ”と言われて、答えを作れば義兄上(あにうえ)と大山大将に論破され、移動中も国際情勢や国内の政策について様々に討論をさせられ、それもまた不備な点があると、義兄上(あにうえ)と大山大将に手厳しく批評され……抗議をすれば、“国軍大学校では、あのような参謀演習旅行が2週間続きますが?”と平然と大山大将に返されて、それ以上、もう何も言えなくなってしまってな……」

兄はブツブツと呟き続ける。……どうやら、本当に大変だったらしい。

「さて、どんなお仕置きにするかは、追々考えるとしましょう。腹が減っては戦ができませぬから、まずは戻って昼食ですな。妃殿下もお待ちですから」

 児玉さんの言葉に、私と兄は「はい」と同時に返事して、後ろを振り向き、心の中で、勝先生にもう一度別れを告げたのだった。


 1901(明治34)年3月6日、午後5時。

 激動の維新期を幕臣として乗り切り、維新後も、海軍卿、枢密顧問官、内大臣府出仕、そして東宮御学問所総裁として国家に尽くした勝先生は、満77歳でその生涯を閉じた。

 あらかじめ書かれていた遺言書には、国葬にする話があっても絶対に断ること、そして、万が一国からの申し出があれば、国軍大臣の礼式をもって葬ることが記されていた。それに従って、勝先生の葬儀は、国軍大臣の葬儀の礼式に従って執り行われ、国軍から儀仗兵1大隊が派遣された。実質的な内大臣だった勝先生だけれど、“内大臣の礼式で葬儀をやれ”と遺言書に書かなかったのは、恐らく、最終官位が内大臣である慶喜さんに遠慮したのだろう。……伊藤さんはそう言っていた。

 しかし、人が世を去っても、また新たな命が生まれ、人の営みは続き、歴史は紡がれていく。

――お(めぇ)さんたちは、まだまだ“おしまい”じゃねぇんだよ。

 まるであの世から勝先生がそう言っているかのように、兄も私も、大小さまざまな騒動に巻き込まれ、歴史のうねりに翻弄されていくのだけれど……それはまた、別の話である。

※慶喜さんの趣味についてはウィキペディアと「徳川慶喜公伝」を参照しました。


※なお、実際には、慶喜さんは明治31年、32年、33年と皇太子殿下に会う機会があったようです。また、皇太子殿下も、時々猟をしていたようです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 梨花の監督(監視)のもと、勝先生は史実より2年余り長生きして、梨花ら後進の育成に辣腕を振るいましたね^^ また一人幕末を駆け抜けた巨星が堕ち(TT) 次回も楽しみにし…
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