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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第27章 1901(明治34)年冬至~1901(明治34)年穀雨
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“これでおしまい”(2)

 午前10時5分、麹町区麹町2丁目の電話所の前。

「悪戯だと思われちゃったかな……」

 電話所の建物を出て、肩を落とした私に、

「だから言っただろう、“意味があるか分からない”と」

兄が苦笑しながら言った。「内親王が電話所から自ら電話を掛けるとは、誰も思わないだろうからな」

「そうだけどさぁ……」

 私はため息をついた。

 確かに、兄の言う通りだ。前世では、電話なんて自分のスマホで掛けることが大半だったのに、今は皇族という身分であることもあってか、自分で電話を掛けたことがない。電話で相手と話したこともないので、電話機が、自分の住んでいる青山御殿のどこにあるかすら、把握していないのだ。

 そして、長距離電話が通じるようになったとは言え、電話はまだまだ高級品で、1人に1台、いや、一家に1台電話機があるのですら、夢のまた夢、というこの明治時代である。電話を持っていない人が電話したいときは、新橋駅と上野駅にある自動電話に硬貨を入れて電話をするか、町中にある電話所に出向き、既定の料金を郵便切手で納めて通話を申し込むのだ。なので、私も電話所に備え付けられた電話帳で勝先生の家の番号を調べ、通話料金の10銭分の郵便切手を購入して、通話を申し込んだ。そして、首尾よく勝先生の家に電話を掛けられたのは良かったけれど、……先方の電話口に出た人が、どうも、私のことを増宮本人だと信じてくれなかったようなのだ。

――これからそちらに、兄と一緒に見舞いに参ります。

 先方には必死にそう伝えたけれど、“あー、そうですか”と、非常に軽い口調で返されてしまったので、果たして私の言葉をきちんと受け取ってくれたかどうか、全く自信がない。

「通話料金の10銭、無駄にしちゃったかも……うう、これでお蕎麦5杯は食べられるのに……。はぁ、今日はついてないなぁ。勝先生は倒れちゃうし、兄上には“婚約者だ”って言われちゃうし」

「仕方ないだろう。あの場を切り抜けるのに、あれ以上の言い訳があったか?」

「そうだけどさ、……心臓が止まるかと思ったよ」

 小さな声で言うと、

「だろうな。あの時のお前の顔、真っ赤になっていた。だから、弥生先生も信じたのだろうが」

兄は私にニヤニヤ笑いながらこう返した。

馬鹿(たーけ)!」

 叩こうとした私の手を、兄はひょいと身体を後ろに下げて避けた。

「すまんすまん。……さて、行こうか。時間がない。ここから更に南だな?」

「うん。……兄上、お願いだから、自転車の速度、上げ過ぎないようにしてね。私が追い付かないから」

「分かっているよ」

 電話所の敷地内に置いた自転車を再び引っ張り出し、兄と再び自転車で走り出す。10分ほど自転車を走らせると、赤坂区に入り、目的地の氷川町に着いた。勝先生の屋敷の門の中に自転車を入れ、周囲に兄以外、誰もいないことを確認すると、背負ったカバンを下ろして、中から櫛と手鏡を出した。

「どうした、梨花……」

「髪型をポニーテールに変えるから手伝って。シニヨンをしているのを、梨花会以外の私を見知った人に見られたくないから」

 兄に答えながら、私は三つ編みおさげを止めているヘアピンを外し始めた。

「手伝う、と言っても、どうすればいいのだ……」

「じゃあ、外したヘアピンを持ってて」

 手の中のヘアピンを兄に渡すと、更に残りのヘアピンを外す。おさげも解いて、ざっと髪を櫛で梳かすと、兄に手鏡を持ってもらい、確認しながら髪を高い位置で結んだ。伸ばしかけの前髪は、ヘアピンを使って横に流す。

「これでよし、と」

 念のために持ち歩いていた深緑色のリボンを、ポニーテールの根元に結わえた時、

「もし、どちらさまで……え?!」

玄関から顔を覗かせた、勝先生の屋敷の職員さんが、私たちの姿を見て目を丸くした。

「あ、あの……」

 驚きの余り、動けないでいる職員さんに、兄がスタスタと歩み寄りながら、

「勝先生の見舞いに、章子と一緒に参りました。通していただけるでしょうか?」

と尋ねた。

「は、はい!」

 職員さんは弾かれたように屋敷の中に入り、「奥様、奥様ーっ!」と、廊下を走りながら、奥に向かって絶叫した。

「何ですか、騒々しい……」

 玄関で靴を脱いでいると、廊下の奥からきちっと着物を着こなした、日本髪を結った老婦人が現れた。一度だけ私も会ったことがある。勝先生の正妻の(たみ)さんだ。私と兄の姿を見ると、民さんは一瞬目を瞠り、小走りで私たちの側に寄った。

「まさか……本当においでいただいたのですか。先ほど電話があったのは、てっきりいたずらかと……」

(やっぱりか……)

 兄から手鏡とヘアピンを受け取ってカバンにしまいながら、私は民さんの言葉に苦笑した。今になって、青山御殿の女官の振りをして、“増宮さまと皇太子殿下がそちらに向かわれます”と電話を掛ければよかったのかと思い付いたけれど、後の祭りである。

「ありがたいことでございます」

 平伏する民さんに、

「突然お邪魔して申し訳ありません。ですが、勝先生は、わたしと章子の師ですから、居ても立っても居られませんでした」

兄は丁寧にお辞儀し、私もそれに倣った。

「ところで、勝先生はどちらに?」

 私が聞くと、「ご案内します」と民さんは立ち上がり、私たちの先に立って歩いた。

 勝先生は、奥の和室の布団に寝かされていた。枕元に座っている学習院の制服を着た少年は、勝先生の養子の(くわし)さんだ。勝先生のご長男は数年前に亡くなっているので、徳川慶喜(よしのぶ)さんのお子さんを養子にもらった……いつか、勝先生がそう話してくれたことがあった。

「今朝、参内しようと、そこの廊下に出たら、突然倒れたのです。倒れてから、叩いてもつねっても起きません。往診に来てくださったお医者様は、“血圧が高い以外に、他に異常は見当たらない、脳に何かが起こったと考えるのが妥当だろう”とおっしゃっていました」

「そうですか……」

 民さんの説明を聞き終わった私は、布団の側に寄ると、「脈をみますね」と勝先生に声を掛け、勝先生の左手首に手を添えた。勝先生の脈は、規則正しく打っている。心電図計が開発できていないし、もちろん、CTやMRIなんて出来ていないから、正確に判断することはできないけれど、やはり、勝先生が重度の意識障害に陥った原因は、脳出血か脳梗塞とするのが妥当だろうか。

(どっちにしろ、今の医学のレベルじゃ助けられないな。2、3日、いや、今日亡くなってもおかしくない……)

「眠っているだけに見えるな」

 私の隣に正座した兄が呟いた。

「本当だね……」

 私は、勝先生の顔を見た。兄の言う通り、眼を閉じて規則正しい呼吸を繰り返す勝先生は、ただ気持ちよく眠っているだけのように思える。

「勝先生」

 大きな声を掛けてみたけれど、勝先生は全く反応しない。やはり、民さんの言うように、“叩いてもつねっても起きない”というのは正しいのだろう。

「倒れた時に、主人は“これでおしまい”と申しました」

 民さんが、私たちの横から言った。

「“これでおしまい”か……それは、勝先生らしいな」

 兄が苦笑いを浮かべて私の方を見た。

「そうだねぇ……」

 涙がこぼれそうになるのを感じながらも、私も苦笑いせざるを得なかった。“これでおしまい”とは……なんと潔い最後の言葉だろうか。

「まだまだ、勝先生に教わりたいことがあった。国家のこと、政治のこと、軍事のこと……しかし、“これでおしまい”と言われてしまっては仕方がない。わたしは、先生に教わったことを忘れないように、また修業に励むほかない。勝先生、……今まで、わたしを導いてくださって、本当にありがとうございました」

 兄は姿勢を正すと、寝たままの勝先生に向かって、深々と頭を下げた。私も、兄と同じように、「ありがとうございました」と勝先生にお辞儀した。

 勝先生との思い出が、下げた頭の中を次々と過ぎっていく。今生でも医者になろうと決心した直後、伊香保の御用邸で、勝先生が私の歴史に対する認識の甘さを指摘して、私のことを正面から“未熟だ”と評価したことは、今でもハッキリ覚えている。その他、至らない点は、何度も容赦なく指摘された。けれど、指摘するだけではなく、勝先生は私に、手本を示してもくれたのだ。

――あてにもならねぇ後世の歴史が、狂と言おうが、賊と言おうが、そんなことは構いやしねぇ。だからおれたちは、誠心誠意、今の最善と思われることをするしかねぇのさ。

 大津事件の起こる直前、勝先生が私に言ったことは、一生忘れたくないと思う。今の私自身が、そんな生き方ができているか、……自信はないけれど、でも、あの言葉があったからこそ、私も思えるようになったのだ。後世、逆賊だの大悪人だの、何とそしられても、国のために、兄のために、最善と思われることを、私は全力でやっていくのだ、と。

 と、廊下の方から足音がして、部屋の障子が開けられた。

 障子の向こうに立っているのは、紺色の着物に灰色の袴を付けた、どこか犯し難い気品を漂わせる老人だ。目元には少し皺が寄っているけれど、切れ長の目は、かつては見目麗しい青年であったのだろうということを想像させた。ただ、その顔が、どうも記憶のどこかにあるような気がする。訝しく思った瞬間、

「勝の具合はどうじゃ」

その老人が口を開いた。

「一言で言うと、危篤です」

 抗えないものを感じて、私は老人に問われるまま答えた。「お医者様の見立てでは脳卒中……私もそう思います。ここまで意識が落ちた、となると、もって2、3日、いや、今日何か起こってもおかしくないです」

「章子」

 私の隣に座った兄が、私の肩をそっと叩く。「落ち着け。お前、医師免許はまだ取っていないだろう」

「いやー、ごめん、兄上。何か、答えないといけない気がして……」

 兄妹でコソコソ囁き交わしていると、

「父上」

と精さんが老人に呼びかけた。一方、老人の方も、私たち兄妹に目を留めると、その場に急に正座して、

「まさか……あなたがたは、皇太子殿下と増宮殿下であらせられますか?」

と言って、頭を深く下げた。

(一体、この人、誰?)

 私が首を傾げたその瞬間、

「精どのの父親……ということは、あなたはもしや、徳川慶喜公でしょうか」

落ち着いた声で、兄がこう尋ねる。

「さようでございます」

(え、え、……ええええええええええっ?!)

 再び、深々と頭を下げた徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜さんを、私はただ、呆然と見つめることしかできなかった。

※同一区域内の電話料金は、1900(明治33)年8月23日逓信省令第40号で、電話呼び出し料(10銭)と電話料(5分間で15銭)合わせて25銭(?!)になるようなのですが、色々考えた結果、その改正前の1897(明治30)年12月1日の逓信省令第32号の同一区域内10銭(5分間)で行くことにしました。(それでも現代基準だと高いですが……)


※勝先生の正妻のお名前は「民」「民子」両方の記載があるようですが、大田区立勝海舟記念館の図録の系図では「民」となっていましたので、そちらを採用しました。

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