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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第27章 1901(明治34)年冬至~1901(明治34)年穀雨
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大根百本

 1901(明治34)年1月4日金曜日、午前9時。

「あの、どうしたんですか、これ?」

 麹町区飯田町にある、東京女医学校。その玄関先に積み上げられた大量の大根を、私は恐る恐る指差した。

「ああ、これね」

 吉岡弥生先生が、大根の山を一瞥して苦笑する。「ついさっき、練馬に住んでいる患者さんから、お年始でいただいたのよ。いいのが収穫出来たから、と言われて。100本ほどあると言っていたかしら」

「ひゃ……100本?本当ですか?」

 一瞬、私の思考が止まった。

「半井さんはお嬢さまだから、調理されていない大根なんて、見たことがないかしら」

 驚きの声を上げた私を見た弥生先生が、クスッと笑う。

「いや、そんなことないですよ。ただ、こんな量は見たことがなかっただけで……」

 私は弥生先生に答えた。前世のスーパーの店頭でも、今の時代の八百屋の店頭でも、こんなにたくさんの大根を置いてあるところは見たことがない。青山御殿でも、こんなに大量の大根を、仕入れることがあるのだろうか?いや、食材の仕入れ量までは確認したことがないから、もしかしたらこのぐらい仕入れるのかもしれないけれど……。

「でも先生、この大根、ここにこのまま置いておいたら、患者さんがビックリするんじゃないですか」

 私が先生にツッコミを入れると、

「そうなんですよ。だから困っているんです。流石にうちは、八百屋ではないですからねぇ。道具さえあれば、漬物にしたのだけれど、それも無いですし」

弥生先生は軽くため息をつき、

「処分の方法は後で考えるにしても、ここから大根をどけないといけません。……半井さん、大根を軒下に運ぶのを手伝ってもらえます?」

と私に笑顔で依頼した。

「あ、はい、了解です……」

 弥生先生は、通っている学校の校長先生である。その言葉に、どうして逆らうことができるだろうか。という訳で、私の今年の女医学校での初仕事は、大根の運搬になってしまった。


 1月5日土曜日午後2時30分、青山御殿。

「なるほど、済生学舎に進学されなかったのは、そういう経緯だったのですか」

 私の居間で行われている、いつもの医科分科会の席には、久しぶりに見る顔があった。8月からドイツに一時帰国し、一昨日横浜に戻ってきたベルツ先生である。

「前期試験に合格されたと、日本に戻ってから妻に聞いたので、済生学舎に進学されたのだろうと思っていたのですが……」

「まぁ、あんな騒動が起こっちゃ、無理ですね。大隈さんが、宣戦布告でも叩き付けるのかってくらいに怒ってたし、他の梨花会の面々も似たり寄ったりの態度で……」

 私は大山さんの方を見て苦笑した。あの席でこそ、声は上げなかったけれど、大山さんは、済生学舎での女子生徒暴行事件からの一連の出来事に、激しい怒りを抱いていたらしい。

――紳士としての振る舞いができぬ済生学舎の不届き者たちに、制裁を加えておきました。

 先月、済生学舎に処分が下される直前、凄みが漂う微笑を顔に浮かべながら、中央情報院総裁でもある大山さんは、私にそっと耳打ちしたのだった。「殺してないわよね?」という私の反問には、渋々頷いていたから、命はあるのだろうけれど……暴行の加害者たちに、それ相応の罰が下ったのは間違いない。そんな激しい一面を見せた我が臣下は、澄ました顔で話を聞いていた。

「ただ、問題は講師なんです。基礎医学の方でも、臨床医学の方でもいいから、一人でも先生がいてくれれば……。そうしたら、弥生先生も臨床実習の指導に本腰を入れられて、私たち生徒の学習効率も上がります」

「一応確認しておきますが、野口くんはいけませんな?“下宿の近所だから、副業で講師をしてもいい”と言っていますが」

 北里先生が苦笑しながら口にした問いに、

「ダメです」

私は即答した。

「学生に言い寄るか、そうでなくても、給料が入った瞬間に花街に行くか……ていう未来しか見えないです。おとなしく、蛇毒の血清の生産に取り組んで欲しいです!論文も書けたんだし!」

「やれやれ、ひどい言われようだ。一応、私の元患者なのですがね」

 野口先生の手の手術の執刀医でもある近藤先生が、顔に苦笑いを浮かべた。

 すると、

「私が、女医学校に教えに行きましょうか」

「いや、私が」

「私も行きます」

ベルツ先生と三浦先生と森先生が、同時に手を挙げた。

「ええと、先生方、それ、副業で、ですか?」

 確認すると、

「はい、もちろんですよ」

三浦先生は微笑しながら答えた。

「うーん、身体を拘束する時間を増やすのは、先生方の体調管理の面でいかがなものかと思うんです。それに、正直なところ、先生たちを講師として雇うお金が、学校側に無くて……」

 入学するときに大山さんも心配していたけれど、東京女医学校には資本がない。荒太先生は2、3年前まで、高等学校受験のための予備校を経営していたそうだけれど、その時も資金繰りに大変苦労していて、高利貸しにお金を借りることもしばしばだったらしい。もちろん、東京女医学校も、似たような状態からのスタートだ。そして、至誠医院の方も赤字経営である。これは、私がこっそり医院の帳簿をめくって確かめた。

「荒太先生のドイツ語の講義録を通信販売で売ってるから、時々その代金が入って来るみたいですけれど、講義録を売るために新聞や雑誌に出す広告料の支払いも滞っているから、結局、資金繰りが良くないんですよねぇ。かと言って、私が資金援助をし過ぎると、今度は私の正体がバレる可能性があるから、加減しなきゃいけないんですよ」

 もちろん、私からのお金は、叔父の千種有梁さんを経由して援助するつもりだ。けれど、千種家は子爵であると言っても、元々が貧乏公家なので、財産をそんなに所有しているわけではない。もちろん、叔父は子爵の互選で選ばれた貴族院議員だから、年に1500円ほどの歳費がもらえるけれど、それ以上のお金を出してしまったら、どこからその金が出てきたのかと疑う人も出てくるかもしれない。そこから私の正体が露見してしまう可能性はある。

「それに、先生方のような高名な医者が、突然女医学校に“雇ってください”と言って現れたら、弥生先生もびっくりすると思うんですよ。新聞に広告を出している訳じゃないから……」

 そう言って、私はため息をついた。ちなみに、済生学舎から東京女医学校に転入した女子学生たちに、広告も出ていないのに、どうして東京女医学校の存在を知ったのかと聞いてみたところ、“勉学をどうしようか困っていた時に、黒いフロックコートを着てシルクハットを被った立派な紳士が突然現れて、東京女医学校のことを教えてくれたので入学を決めた”と、全員が口を揃えて答えた。……一番怪しいのは、澄ました顔を崩さずに話を聞いている、私の隣に座る人物なのだけれど、悪事を働いたという訳ではないので、追及はしないことにしている。

 すると、

「では、教員募集の広告を出すよう、弥生先生に提案すればよいではないですか」

と、その紳士……ではない、我が有能な臣下が提案した。

「大山さん、広告料の支払いが滞っているから、まずいくらか現金を用意しないと。1円ぐらいあれば、支払いには足りるみたいなんだけど……」

「もう1円ほどあれば、新聞に広告が出せますよ、梨花さま。1行20字で10銭程度が今の相場ですから」

(詳しいなぁ……)

 大山さんは、一体いつの間にそんなことを調べたのだろうか。ふと疑問に思った瞬間、

「女医学校のことが心配ですから、関係しそうなことは、一通り調べておきました」

彼が少し私に身体を寄せ、そっと囁いた。

(相変わらず、私はお釈迦様の掌の上だなぁ……)

 心の中で苦笑いを浮かべていると、

「となると、あとは、どのように、吉岡先生の手に現金を渡すか、ということになりますが……」

森先生が腕組みしながら言った。

「そうですね。まさか、また高利貸しの所に行ってもらうという訳にはいかないし、何か売れるものがあれば……あ、そうだ」

 手を打った私に、一同の注目が集まった。

「大根を、買い取ればいいんじゃないかな」

 そう言うと、全員が不思議そうな顔をした。

「ああ、ごめんなさい。……実は、弥生先生の患者さんが、お年始として、自宅で採れた大根を女医学校に持ってきたんです。100本以上ありましたけれど」

「ひゃ……100本ですか?!」

 ベルツ先生が目を丸くした。

「でも、100本を一度に買っても、大根を悪くする前に使い切れるかなぁ……それがちょっと問題なんですよね。青山御殿の職員全員に配っても、まだ余るだろうし……」

「漬物にすればよいのでは?漬ける量によっては、100本を一度に使うこともあるかと」

 近藤先生が言う。

「大根を使ったお漬物と言うと、私の時代の我が名古屋名物・守口漬とか、たくあんとか……あ」

(ちょっと危険な賭けになるかもしれないけど……)

「行けるかもしれない……」

 とある人物の顔を脳裏に思い浮かべながら、私は頷いた。


 1901(明治34)年1月15日火曜日、午後4時。

「ま、まさか、ドクトル・ベルツに、お越しいただけるとは……」

 至誠医院の診察室。その向かいの廊下に立った私は、診察室の中の会話を盗み聞きしていた。

「女子教育はとても大事なことです。それは教育勅語でも書かれていることです」

 “新聞広告を見てやって来た”という体を取っているベルツ先生は、驚いている弥生先生と荒太先生に話し始めた。

「私は、この春から、帝国大学の仕事が減ります。ですから、空いた時間で、こちらの仕事を手伝いたいと思いまして」

 そうなのだ。ベルツ先生は、3月で帝国大学を退職する。非常勤の講師として、授業は1つか2つ受け持つけれど、付属病院での仕事は、全て三浦先生など、日本人の教え子たちに引き継ぐそうだ。

――私も、この日本に、医学の種を蒔くことができました。そして殿下が更に種を蒔き、この国の医学は、ドイツと肩を並べようかという水準まで発展してきています。そろそろ私は、後を優秀な教え子たちに譲って、殿下がご自身の道を切り開かれる、その手伝いをしたいと思います。

 弥生先生へのお年賀の大根を、私が買い取り、教員募集の広告費の支払いに使ってもらうという決定をした日、ベルツ先生は医科分科会の席でこう言った。森先生も北里先生も、三浦先生も近藤先生も驚いて、考え直してもらうよう必死に訴えたけれど、ベルツ先生の決心は固かった。

「お気持ちは大変……大変ありがたいのですが、ベルツ先生」

 弥生先生の戸惑う声が、扉越しに聞こえた。「今回の広告も、生徒の知恵でやっと出せたようなもので、先生に見合うお手当てが出せません。広告にある通り、週2時間の授業で、1時間あたり1円。我が国の医学に、多大な貢献をなさった先生に出す金額ではございませんの」

「構いませんよ」

 ベルツ先生は、弥生先生に答えた。おそらくその顔には、穏やかな微笑みが湛えられているだろう。

「もし私に十分な給金が出せないことを心配されるのであれば、この学校が盛んとなったら、そちらが支払いたい額を私に払う、ということにすればいかがでしょうか。幸い、私も、帝国大学の仕事が残っておりますから、生活に困るわけではありませんので」

「ありがとうございます。……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 診察室の会話は、一旦途切れた。多分、弥生先生と荒太先生が、ベルツ先生にこれ以上無いくらい深々と頭を下げているのだろう。

「半井さんの作戦が当たったね、弥生さん」

「ええ、荒太さん。あの子にはお礼を言わないと」

 部屋の中からは、こんな声が聞こえる。そろそろ、ここから離れないと、盗み聞きがバレてしまう。音を立てないように慎重に、診察室から遠ざかろうとした瞬間に、

「おっと、今日は時間がありません。細かい打ち合わせは、明日同じ時間にここでもよろしいでしょうか」

というベルツ先生の声が聞こえ、扉が開けられてしまった。

「おや……」

 廊下に出たベルツ先生が、不思議そうに私を見る。とっさのお芝居だろうけれど、私も、見知らぬ人に会ったかのように、ベルツ先生を隅々まで観察してみた。

「あら、半井さん、今は自習と言ったでしょう?」

 ベルツ先生の後ろから姿を現した弥生先生が私を叱る。ただ、言葉とは裏腹に、私に向ける視線と口調は穏やかだった。

「ごめんなさい、弥生先生。見慣れない外国の方の姿が目に入ったので、何があったのか気になってしまいました」

 素直に頭を下げておく。ベルツ先生が私の医学の師匠であるということが、弥生先生と荒太先生に知られてしまったら、折角の計画が水の泡だ。

「半井さん、この方はね、エルヴィン・フォン・ベルツ先生です。東京帝大の医学の先生ですよ」

 弥生先生のセリフに、

「こ、この方が、ですか。そんな方がいらっしゃるという話は、兄に聞いたことがあるのですが……」

私は驚いたふりをした。

「半井さん、ベルツ先生は、君が提案してくれた新聞広告を見て、この学校の手伝いをしたいと言って来て下さったんだ」

「荒太先生、本当ですか?!」

 私は驚きの声を上げると、ベルツ先生に身体を向け直して、

「初めまして、ベルツ先生。私、半井梨花と言います」

深々と最敬礼をした。

(そう言えば、初めてベルツ先生に会った時、きちんと初対面の挨拶をしてなかったなぁ)

 今生の幼い頃、伊香保の御用邸で、ベルツ先生と初めて対面した時のことを思い出していると、

「初めまして。ベルツと言います」

ベルツ先生が軽く頭を下げた。

「半井さん、あなたのおかげよ。あの大量の大根を売るという発想がなければ、ベルツ先生がここにいらっしゃることは無かったわ。ありがとう」

 興奮気味に弥生先生が私に話しかけると、

「大根……?」

ベルツ先生が首を傾げた。事情はもちろん知っているはずだけど、上手くお芝居しているようだ。そんなベルツ先生に、

「実は、お正月に、お年賀として、たくさん大根が持ち込まれたんです」

と弥生先生が説明し始めた。「どうしたものかと困っていたら、半井さんが“当てがあるから、大根を売ってしまいましょう”と提案したんですよ」

「売れるのかと心配していたら、“漬け物を作るのが好きな人に、最上級の大根だと触れ込んで売ってきました”と……。そして、“そのお金で教員募集の広告を出しましょう”、とは、いやいや、大したものだ」

 荒太先生が私の方を見て嘆息した。

 年明けに弥生先生の所にあった大根は、私が引き取り、その翌日、弥生先生に“代金”として2円を渡した。市価の3、4倍の値段だったので驚かれたけれど、

――兄の知り合いに、漬け物を作るのが好きな人がいるんです。その人に、“最上級の大根だ”と触れ込んで売り飛ばして来ました。市価の倍以上の値段を吹っ掛けましたけど、言い値で買ってくれましたよ。“最上級”っていうのが効いたのかしら。

と、しれっと言い放ち、“この2円で、教員募集の広告って出せますか?”と提案してみたのだ。弥生先生も荒太先生も、私の読み通り、その提案に乗ってくれ、とある新聞に教員募集の広告が出た。そして、ベルツ先生が“広告を見ました”と言いながら女医学校に現れたのである。事情を知っている者から見れば、完全なる茶番、完全なる出来レースだった。

 ちなみに、大量の大根は、農商務相の井上さんが、“これでたくあんを作る”と言いながら、嬉々として引き取っていった。多すぎないかと尋ねたら、1回に漬ける大根の量が120本ほどなので、この量でも少し足りないくらいだと井上さんに答えられた。……後日、“たくあんを食べに来てください”と井上さんの自宅に招かれて、他の手料理を食べさせられないかが不安だけれど。

「なるほど……」

 話を聞き終わったベルツ先生は、

「すると、私は、この頭のいいお嬢さんに、大根で呼び寄せられたと言うわけですね」

と真面目な表情で言った。

「ああ、もしかして、私、海老で鯛を釣っちゃったんですかね?」

 私が澄ました表情で一同に聞くと、ベルツ先生も、弥生先生も荒太先生も、大きな声で笑ったのだった。

※1889(明治22)年2月11日に公布された議院法第19条によると、貴族院の被選議員の歳費が年800円、これが1899(明治32)年4月に改正を受け、年2000円になります。物価上昇も絡んでこの額と思われますが、日清戦争も拙作の世界線では発生していないので、この額に設定してみました。


※新聞広告の値段は、「明治28暦重宝」(松永説斎)を参考にしました。あと、大根のお値段は、練馬区のホームページ(「練馬大根の最盛期」)や、青森県農会報告第2号を参考にして、適当に設定しました。


※なお、井上さんのたくあんの大根使用量については、「世外井上公伝」を参照しました。

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[一言] 更新お疲れ様です。 謎の紳士w>転入指南 大根役者じゃなかった(^^;;>ベルツ先生 次回も楽しみにしています。
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