20世紀最初の日
※句読点ミスを修正しました。(2020年3月17日)
1901(明治34)年1月1日、火曜日。
もちろん、言わずと知れた、20世紀の最初の日である。
午前8時30分、皇居。
「どうした、章子。正月から不機嫌そうだ」
正面に座るお父様とお母様に新年のご挨拶を申し上げて深々と最敬礼したとたん、お父様からこんなセリフが降ってきて、私はギクリとした。
「あー、いや、その……」
言い淀んでいると、
「恐れながら、陛下」
私の隣に控えていた大山さんが、頭を下げたまま答えた。
「ご自身の今日の髪型が気に入らないだけかと」
「あ、こら!」
軽く睨み付けると、我が臣下は頭を上げながら、私に向かって微笑する。その様子を見たお父様もお母様も、プッと吹き出した。
「ははは……余程気に入ったようだな、美子が考えた髪型が」
「はい、だから、今日のポニーテールは……ちょっと……」
お父様の言葉に、少し唇を尖らせながら答えると、またお父様とお母様が笑った。
華族女学校を退学した私は、先月の中旬から、身分を隠して東京女医学校に通っている。もちろん、その時の髪型はシニヨンである。けれど、もし“増宮はシニヨンをしている”という認識が世間に広がってしまうと、東京女医学校で身分を隠し続けるのが難しくなってしまう。だから、参内の時など、公式に出かける時や、青山御殿で梨花会の人間以外と面会するときは、髪型を昔のポニーテールに戻すのだ。前髪はヘアピンで上げさせてもらっているとはいえ、やはり自分の長い毛先が視界に入ってしまうと、気分が一気に萎えてしまう。
「早く医師免許を取りたいです。そうしたら、堂々とシニヨンが出来るようになって、お父様とお母様に見てもらえますから」
お父様とお母様に訴えると、
「うむ。早く見たいものだ。梨花会の連中が、口を極めて褒めているからな」
お父様が羨ましそうに言った。
「私も、早く見てみたいです」
お母様が嬉しそうに呟く。「節子さんのお見舞いに行くついでに、増宮さんの所にも寄ってしまおうかしら。それとも、大礼服を着てこちらにいらっしゃる時まで待とうかしら」
「是非とも青山御殿にお立ち寄りを……と申し上げたいところですが、皇后陛下の女官の方々が、梨花さまのお姿を見てしまいますので、やはり梨花さまが医師免許を取られるまでお待ちいただかなければ」
大山さんが冷静に指摘する。確かに、東京女医学校で私の正体を秘匿しておく意味では、そうするのが一番だけれど……。
「大山さん」
少し不満そうなお母様の表情を見て、私は小声で我が臣下に声を掛けた。
「写真を渡すのもダメかな?」
「写真、ですか?」
「新しい髪型にした私の写真を、青山御所で撮るの。中央情報院の職員さんの中にも、業務上、写真を撮ることが多い人が結構いるでしょ?その人たちに頼んで、さ」
そう提案してみると、大山さんは少し考えて、
「梨花さまからそのようなご提案があるとは、思いもよりませんでしたが……よい考えかもしれません」
とほほ笑んだ。
「その写真を撮るときは、梨花さまも飛び切りの笑顔になっておられるでしょう」
「少なくとも、今より機嫌が良くなってることは確かだね」
大山さんに答えると、お父様もお母様も、ニコニコしながら私の方を見て頷いた。
「ところで、章子。新しい学校はどうだ?」
お父様の問いに、
「とっても楽しいです」
と私は返事した。
12月中旬に、文部大臣の大隈さんは、済生学舎の長谷川校長を呼び出して、女子学生の入学を受け入れることと、退学させた女子学生を復学させること、そして、女子生徒を乱暴した者たちや、“女子生徒を排除すべし”という暴論を煽り立てた生徒と教職員を、退学・懲戒免職にすることも要請した。長谷川校長は大隈さんに要請された通りの処置を取ったけれど、一連の経緯で済生学舎に不信感を持った女子学生や、乱暴事件が起こったことで両親に転校を勧められた女子学生が結局復学せず、12月下旬から東京女医学校に合流した。その数は9名、済生学舎が今まで抱えていた女子学生の10%余りの人数だ。皆親切で優しいので、学校生活はとても楽しい。
「あとは、講師の先生が、もう1人か2人いてくれたら、とは思いますけれど……」
問題は、講師陣が貧弱であることだ。後期試験を受験する学生が学ぶ臨床医学、それから前期試験の受験に必要な生理学と解剖学は、校長の吉岡弥生先生が、残りの前期試験の科目は弥生先生の旦那さん・荒太先生が教えている。けれど、弥生先生は至誠医院の診察もしなければならないし、荒太先生も体調に不安を抱えながらの仕事である。せめてもう一人、講師の先生がいてくれれば、先生たちも大分助かると思うのだけれど……。
「まぁ、頑張ります。吉報を待っていてくださいね、お父様もお母様も」
そう言うと、お父様もお母様も頷いてくれた。
皇居から青山御殿に戻る途中、花御殿にも立ち寄って、兄と節子さまに新年のご挨拶をした。2人とも、機嫌はすこぶる良かった。節子さまのお腹の中の赤ちゃんも、順調に発育しているそうだ。
帰宅すると、梨花会の面々や、医科分科会の面々が、新年の挨拶にやって来る。西郷さんは、体調はほとんど元通りになったけれど、大事を取って、ということで、代理として跡継ぎの従徳さんが新年の挨拶に来た。ところが、従徳さんは、青山御殿の玄関先で「名刺だけ置いて、増宮さまには会わずに帰ります」と言ったため、その場にいた梨花会の面々の不興を買ったらしい。
「増宮さま、不届き者を連れて参りました」
黒田さんに後ろから軍服の襟首を掴まれ、左右の腕を、眼を怒らせた松方さんと山本さんに掴まれた従徳さんが、年長者たちに引きずられるようにして青山御殿の応接間にやって来たのは、午後1時過ぎのことだった。
「何なんですか、20世紀早々、物騒な……」
私が呆れながらこう言うと、4人の真ん中にいる従徳さんの顔が青ざめた。
「あー、従徳さんは、西郷さんの代わりにお年始に来ていただいたのかしら。西郷さんはお元気ですか?」
尋ねると、従徳さんは「ひゃ、ひゃい」と頼りない声で頷いた。
「増宮さま。従徳の奴、名刺だけ置いて、増宮さまに会わずに帰ると言い始めたのです。ですから、ここまで引っ張ってきました」
歩兵大将の正装に身を包んだ黒田さんが、憤然とした表情で私に答え、
「全く、殿下に会わずに帰宅するなど、この馬鹿者が」
大礼服姿の松方さんも重々しく言うと、腕を掴んだ従徳さんを睨み付けた。
「いやー、普通、来たくないでしょう、私の所には……」
そもそも、同年代の皇族・華族の男子で、私に怯えていない人間がどうかしている。そう思いながら答えると、
「全く、同じ帝国軍人として情けない。増宮さまを怖がるとは、言語道断。鍛え直してやろうか」
海兵中将の正装を着た山本さんも、ムスッとしながら従徳さんに言う。
「なるほど。後で信吾どんに報告しておきましょう」
黒いフロックコート姿の我が臣下が、従徳さんを見てニヤリと笑った。
(あ、これ……従徳さん、詰んだな)
大山さんの報告が西郷さんに届いてしまえば、従徳さんは、どう頑張っても、父親に言い逃れができない訳だ。従徳さんはお正月の挨拶を何とか述べると、冷汗をかきながら、逃げるようにして私の前から去っていった。
その後も断続的に来客が続き、梨花会の全員と、まだ日本に帰国していないベルツ先生以外の医科分科会の面々が私に新年の挨拶を終えた午後3時前、
「梨花さま、成久王殿下たちがいらっしゃいました」
大山さんが私に告げた。
「来たか、ちびっ子ども」
いつの間にか、毎年恒例になってしまった。私より4歳下の北白川宮成久王殿下以下、総勢7人のちびっ子たちは、毎年元日、揃って私の所に新年の挨拶にやって来る。おやつの時間の近辺で現れるところが、いかにも子供らしくて可愛らしい。
「迎撃の準備は出来てるわね?特におやつの方だけど」
大山さんに尋ねると、
「カステラは3本用意しました。これで足りるかと」
という、にわかには信じられない答えが返ってきた。
「さ、3本?そんなに必要?」
「恐れながら、育ち盛りの少年の食欲というものを、梨花さまは過小評価しておられます。それに、梨花さまと我々職員がいただく分もありますから、これでちょうどよいかと」
そんなものなのだろうか、と思っていたら、廊下が騒がしくなって、
「姉宮さま、失礼いたします!」
と、成久殿下の声が響いた。
障子が開かれると、そこには、濃紺色の幼年学校の制服を着た成久殿下以下、合計7名の王殿下たちが勢揃いしていた。
真ん中に立っているのは、この7人の中で一番年長の北白川宮家の成久殿下だ。学習院に通い続けていれば、今は中等科の2年なのだけれど、去年の秋、満13才以上が入学できる旧陸軍系の教育機関・幼年学校に入学した。サッパリとした気性で、悲観するということがあまりないそうで、北白川宮家の教育顧問の桂さんは“指揮官としての資質に優れている”と褒めていた。
その右隣には、成久殿下の弟たちが並んでいる。学習院の中等科1年の輝久殿下、初等科5年の芳之殿下、初等科4年の正雄殿下だ。輝久殿下は負けん気が強く、いたずらっ子。芳之殿下は理数系の科目が得意だけれど、武芸はあまり得意ではない、末っ子の正雄殿下はのんびり屋さん……以上、桂さんからの情報である。
成久殿下の左側に立っているのは、有栖川宮栽仁王殿下。威仁親王殿下の長男である。書道や歌道に優れた人材を代々輩出している有栖川宮家の血筋ゆえか、芸術方面に特に明るいと母親の慰子妃殿下に聞いたことがある。好奇心旺盛なのは、“強みにも弱点にもなりえますな”とは、有栖川宮家の教育顧問を務める山本さんの評だった。
栽仁殿下の隣には、久邇宮家の鳩彦殿下と稔彦殿下がいる。同じ中等科1年だけど、2人は母親が違う兄弟で、誕生日も2か月ほど違うそうだ。久邇宮家の教育顧問・児玉さんによると、鳩彦殿下はおっとりしているけれど勇猛果敢、稔彦殿下は突飛な発想をすることがあるけれど、慎重さもある程度持ち合わせているのだそうだ。
そんなちびっ子たちが、成久殿下の号令一下、一斉に、
「「「「「「「あけましておめでとうございます!」」」」」」」
と私に最敬礼を送る。
「ええと……あけましておめでとうございます」
私はそれに、ぺこりと頭を下げて返礼した。
「そっか……成久殿下は、幼年学校に入ってから、会うのは初めてだったね。合格おめでとう」
成久殿下の側に寄って、言えていなかったお祝いを伝えると、私の背丈を越した成久殿下は、
「ありがとうございます!姉宮さまも開業試験の前期試験合格、おめでとうございます!」
と深々とお辞儀した。
「成久王殿下は、幼年学校の入学試験を、自力で突破されたそうです」
私の横から、大山さんが付け加える。
「へぇ、すごいじゃない。偉いなぁ」
皇族なら、軍関係の学校は、無試験でも入学できてしまうはずだ。それを拒否したというのは、なかなか気骨がある。私に褒められた成久殿下は、少し得意気に頷いた。
「僕らも続こうと思うんです。もちろん、自分の実力で」
鳩彦殿下が言うと、弟の稔彦殿下も黙って首を縦に振る。
「そっか。頑張ってね」
私と殆ど変わらない身長になった鳩彦殿下と稔彦殿下の凛々しい顔には、静かな決意が見え隠れしている。同学年の栽仁殿下と輝久殿下も同様だ。ついこの間まで子供だったはずなのに、一気に大人びたように私には思えた。
(兄上の時も思ったけど、男の子って、成長が速いなぁ……)
私自身は、彼らが成長している間に、成長できていたのだろうか、そんな疑問が頭をもたげた瞬間、
「姉宮さま」
この中で一番年下の、北白川宮の正雄王殿下が、おずおずと手を挙げた。
「あの……カステラは無いんですか?」
「こら!」
「早速おねだりか。困った奴だ」
年長の少年たちが正雄殿下を叱ったり、肘で軽く小突いたりする。
「大丈夫だよ。今年も用意してある」
苦笑しながら少年たちに告げると、全員が一斉に喜びの声を上げた。
(あー……実は余り成長してない?)
「大山さん、千夏さんに声を掛けて、コーヒーとミルクとカステラを持ってきてもらっていいかな?」
「かしこまりました、そのように」
大山さんが一礼すると、私は少年たちに椅子を勧めた。
「鳩彦殿下と稔彦殿下は幼年学校狙いと言うことは、栽仁殿下と輝久殿下は士官学校からの入学を狙っているのかな?」
一同にカステラとコーヒーが行き渡り、カステラを堪能した後、私は少年たちに尋ねた。
「はい、俺と栽仁は、海兵士官学校を目指してるんです」
輝久殿下が言うと、栽仁殿下も首を縦に振る。
「もちろん、僕だって、鳩彦と稔彦には負けたくないし、姉宮さまを守りたいから、頑張ろうと思うんです」
栽仁殿下のセリフに、私は手にしたコーヒーカップを落とし掛けた。
「姉宮さま?!」
「大丈夫ですか?!」
慌てて立ち上がった芳之殿下と成久殿下に、
「だ、大丈夫、大丈夫だから……」
私は作り笑いをしながら答えた。カップの中身は、何とかこぼれずに済んだ。けれど、心が異様に飛び跳ねてしまった。
(お、落ち着け、落ち着けっ、私……!年下だぞ?まだ中等科の1年だぞ?こ、子供の戯れ言に、こんなに動揺するなんて、情けないとは思わないか?)
心を落ち着けようと、必死に息をゆっくり吸って、細く長く吐いた。何度か続けていると、何とか、心があるべき場所に戻っていく。
「姉宮さま、どうしたんですか?」
心配そうに尋ねる栽仁殿下に、
「何でもないよ。……それにしても、感心だね。私を守ってくれるなんて」
私は余裕があるように装いながら答えた。
すると、
「おい、待てよ、栽仁。俺だって、姉宮さまを守りたいのは一緒だ」
1歳年上の成久殿下が、軽く栽仁殿下を睨み付ける。
「成兄上、それは俺もだ」
「僕だって」
「俺だって」
成久殿下の弟の輝久殿下も、鳩彦殿下も稔彦殿下も、口々にこんなことを言う。芳之殿下と正雄殿下も、訴えるような目で私を見るのは、もしかしたら、言いたいことは兄たちと同じなのかもしれない。
「あ、あははは……そりゃ、ありがたいなぁ」
私は、無理やり微笑を作った。
(落ち着きなさい、私!相手は子供!子供なんだから、言ってることを本気にしちゃダメ!)
「も、もしもの時は、お願いしようかな……、私も剣道をやってるから、それなりに腕に覚えはあるけど、ね」
動揺を無理やり押さえつけながら言うと、
「腕に覚えがあるって、軍人になれるくらい?」
正雄殿下がこう尋ねたので、私は姿勢を崩しかけた。
「いや、そもそも無理でしょ。私、男じゃないんだから」
私の時代なら、女性でも軍人にはなれるけどね、と心の中で付け加えて正雄殿下に答えると、
「でも、僕、仮定の話として、ちょっと聞いてみたいです。もし、姉宮さまが軍人になったら、どの兵科を選ぶのかって」
横から芳之殿下が、少し真剣な表情で言った。
「私が軍人だったら、どの兵科を選ぶか、ねぇ……」
考えたことはないけれど、まぁ、直感的には……。
「やっぱり軍医かなぁ」
そう答えると、
「なぜですか?」
と稔彦殿下が尋ねた。「姉宮さまなら、絶対前線で活躍出来るのに。児玉閣下に、姉宮さまは小さい頃から軍略を発揮されていたと聞きました。軍医になったら、もったいない気がします」
「児玉さん、余計なことを……」
私は軽く舌打ちすると、「まぁ、児玉さんが評価してくれるのはありがたいけど」と言って、更に言葉を続けた。
「もちろん、前線で活躍するのが華々しくてカッコよく見えるだろうけど、戦争は歩兵や騎兵や砲兵や海兵だけでするものじゃない。昔はともかく、今は戦場で略奪して食料調達なんてできないから、食料をどうやって前線まで安全に運ぶか考えないといけない。もちろん、運搬に関しては、兵器や兵士もだね。それに、兵士がより安全に使える兵器も開発しないといけない。通信網をしっかり構築することも重要な戦術の一つだし、もちろん諜報活動も重要だね。それから、兵士の消耗をより押さえるために、医療技術の発展も大事。あと、経理だって大切よ。軍隊を動かすのには大金がかかる……これは“孫子”にもあったっけ」
そう言うと、
「すげー……」
「姉宮さま、“孫子”を読んだことあるんだ……」
輝久殿下と鳩彦殿下が軽く目を見張った。
「ああ、児玉さんに読まされた。……話が逸れたけど、そういう、いわゆる“裏方”に分類されてしまう仕事には、皇族は誰も関わっていない。もし、皇族が誰も裏方にいないことで、大事な仕事が軽んじられるのだとしたら、私は進んでその仕事をやろうと思うよ」
もしかしたら、小学校高学年には難しい話だったかもしれないと思ったけれど、芳之殿下も、他の一同も、黙って私の話を聞いていた。
「それを聞いて、少し安心しました」
話を聞き終わると、芳之殿下はこう答えた。「僕、技術将校になりたいんです。図面を描いたり、計算したりするのが好きなので……桂閣下は賛成してくれているんですけれど、父上や恒兄上は反対するので、どうしようか迷っていたんです」
「いいじゃない。やってごらんよ。もしあなたの父上が反対するなら私が……出ていったら向こうが気絶するか」
「大丈夫です。姉宮さまがそう言ったと聞いただけで、うちのバカな父上と兄上は、首を縦に振ると思います」
成久殿下がクスリと笑う。「だから安心して勉学に励め、芳之。俺と輝久も応援してやる」
「分かった。僕の設計した大砲を、成兄上に思いっきりぶっ放してもらう!」
芳之殿下が明るい声で言うと、一座に明るい笑顔が広がったのだった。
こうして、20世紀最初の日は、穏やかに、賑やかに過ぎていき、7人の王殿下たちが青山御殿を去る時には、3本あったカステラは、1本半がなくなってしまっていた。残りの1本半を、青山御殿の職員さんたちに分けてもらうように大山さんにお願いすると、
「やはり、本日御殿に詰めている人数から考えると、カステラを3本用意して正解だったようです」
と微笑された。
「確かに、大山さんの読み通りだったね。私はまだ、修業が足りないな」
私が苦笑しながら呟くと、
「しかし、今日は梨花さまのご修業にもなりましたから、非常によろしかったと思います」
と大山さんが返した。
「え?」
(今日、大山さんに何か仕掛けられたっけ?)
一瞬、眉をひそめると、大山さんがすっと私に身体を近づけ、
「“姉宮さまを守りたいから”ですか……頼もしいことです」
と優しい声で囁いた。
「?!」
せっかく、平常運転に戻っていた心が、激しくかき乱され、私は思わずよろめきかけた。
「おっと」
ふらついた身体を、大山さんが横からしっかり支えてくれる。
「いかがなさいましたか、梨花さま」
「こ、子供の戯れ言よ、戯れ言!相手、中学生だし!」
「今は中学生でも、成長すれば大人になりましょう。梨花さまが心を預けるのにふさわしい男性に……」
「た、馬鹿!まだ子供よ、子供!本気じゃないに決まってるでしょ!」
顔を真っ赤にしながら抗議すると、我が臣下は、私の頭をそっと撫でた。
「申し訳ありませんでした、梨花さま。確かに、王殿下がたは、まだまだ修行の途中。梨花さまのおっしゃる通り、単に子供らしい憧れで、梨花さまを守りたいとおっしゃったのでしょう」
「そうだよ。もう、大山さんったら、20世紀の最初の日から、からかわないで……」
ため息をついた私の頭を、
「ふふ……世紀が変わっても、梨花さまのご性質は変わりませんね」
大山さんはまた、あやすように優しく撫でたのだった。
※明示しておりませんでしたが、黒田さんは実際には1900(明治33)年8月に亡くなっております。
※そして、幼年学校の位置づけは一応こんな感じにしました。ご了承ください。




