閉ざされた門
1900(明治33)年10月7日日曜日、午前10時。
「本当にすまん、梨花」
人払いをした青山御殿の私の居間で、兄が私に向かって深々と頭を下げた。
「お前が大事な時なのに……」
「大丈夫だよ、兄上」
私は右の拳で、自分の左胸を軽く叩き、兄に笑顔を向けた。
来週の14日から、兄は中国・四国・九州地方に行啓に出かける。国軍関係・教育関係・産業関係……色々な施設を回り、民情を視察するのが目的だ。私の時代なら交通機関が発達しているから、1週間ぐらいで帰って来られそうな気がするけれど、この明治時代はそうはいかない。兄が全ての予定を消化して東京に戻ってくるのは、12月10日ごろの予定である。この長い行啓に、皇太子妃の節子さまもついて行くことになっていたのだけれど、9月の中旬に入ってから体調を崩したので、兄1人で行くことになったのだ。
そこで兄の留守中、節子さまに青山御殿で過ごしてもらうのはどうか、と兄と節子さまに提案してみた。体調の悪い中、一人ぼっちで過ごすのは、節子さまにとって辛いのではないかと思ったからだ。兄も節子さまももちろん賛成で、トントン拍子で話が進み、兄が行啓に出発すると同時に、節子さまは青山御殿の客殿に移ることになった。
「でも、私、18日の試験が終わるまでは、節子さまのこと、そんなにかまってあげられないよ。それが申し訳ないけれど」
「構わんよ。母上が節子についているから」
兄はそう言ってほほ笑む。節子さまには結婚と同時に、数人女官が付けられたのだけれど、その中の1人に兄の実母・早蕨典侍がいた。
「普通、姑に付き添われるって、節子さまにプレッシャーがかかりそうだけれど……大丈夫なの?」
「ああ、節子は、万里小路の方が苦手らしくてな。万里小路がガミガミ叱るのを、母上がそれとなく庇っているよ」
万里小路さんも、節子さまにつけられた女官の1人だ。この人はしきたりに非常に厳格で、私のことも余りよく思ってはいないらしい。母にちらっと聞いたことがある。
「今回は、節子に付き添うのは母上だけだが……それで大丈夫か、梨花?」
「任せて、兄上。母上も大山さんもいるからバッチリだよ。それに、千夏さんもいるからね」
千夏さんは、この7月の宮内省の採用試験に見事合格し、母付きの女官から、私付きの女官に正式に配置換えになった。採用試験では、得意の柔道で、相手を滅茶苦茶にやっつけたらしく、宮内省の中でちょっとした話題になったそうだ。
「だから兄上、節子さまは私がしっかり守るから、兄上はお役目を果たされるようにお願いします」
私が一礼すると、
「分かった。お前の気持ち、遠慮なく受け取ろう。お前も前期試験、頑張れよ」
兄は一つ頷いて、笑顔を見せた。
1900(明治33)年10月18日木曜日、午後4時。
医術開業試験の試験場である永楽病院から青山御殿に帰ってきた私が、身支度を整えてから、血圧計と聴診器を持って客殿の節子さまの部屋に向かっていると、
「梨花お姉さま!」
節子さまの部屋の障子が開いて、節子さまが廊下に顔をのぞかせた。
「ちょ……、妃殿下!」
私は慌てて節子さまの側に駆け寄った。
「まずいですよ、その呼び方は!早蕨さんに私のことがバレたら!」
「大丈夫ですよ、梨花お姉さま。早蕨さまは今、花松さまのお部屋にお茶を飲みに行っていますから、ここには私一人です」
節子さまはそう言うと、
「あと、今は妃殿下って言っちゃダメです!“節子さま”ですよ、梨花お姉さま!」
と、私に悪戯っぽく微笑んだ。
兄との結婚を機に私の前世のことを知った節子さまは、表向きは、私への態度を全く変えることは無かった。けれど、人払いがされて、親しい面々で話している時は、前よりも積極的に私にぶつかってくるようになった。どうやら、兄が以前に予測した通り、私の前世の話を聞きたくてしょうがないらしい。
「分かったよ、節子さま」
私は苦笑すると、節子さまの部屋に入った。
「で、節子さま、体調はどう?今日は、何か食べられたかな?」
障子を閉めると、私は節子さまにこう尋ねた。
「はい、汁物は少し食べられました。今日、お昼に出してもらったカボチャのスープ……、あれは、冷ましたら飲めたんです」
「おっ、そりゃあよかった」
私はニッコリ笑った。今日の昼食に出すようにお願いした、カボチャのポタージュスープは、前世の祖母から教わったレシピの一つである。前世では、電子レンジでカボチャを蒸して、コンソメの顆粒と牛乳と塩コショウを加えてミキサーに掛け、鍋に中身を空けて火にかけて完成だったのだけれど、電子レンジもミキサーもないこの時代だから、相当手間がかかるメニューになってしまった。青山御殿に勤務する料理人さんたちに負担にならないように再現できるかどうかが心配だったのだけれど、どうやら上手くいったようだ。
「でも、匂いの強いものは、やっぱり箸が進まなくて……経口補水液は飲めるんですけれど……」
「大丈夫、大丈夫。水分さえ取って、食べられるものを見つけられれば何とかなるって」
私はそう言いながら、聴診器の耳管を耳の穴に入れる。一通り節子さまの身体を診察すると、血圧計の空気袋を節子さまの腕に巻き付け、血圧の測定を始めた。
「上が108の、下が68か……。よし、血圧も正常だね。上がってない」
私は笑顔を節子さまに向けてから、空気袋を外し、血圧計を片付け始めた。
「私、大丈夫ですか、梨花お姉さま?何か、悪い病気じゃ……」
心配そうにつぶやく節子さまに、
「大丈夫。少しずつ収まっていくから、食べられるものを食べて、ゆっくり休むのが一番だ」
私は笑顔を崩さずに頷いた。
まぁ……多分、色々と話を聞くと、あれなのだろうとは思う。確か、前世の5歳下の妹が生まれる数か月前、前世の母が、今の節子さまと同じような体調の崩し方をしていた。前世の祖母が“休んだ方がいいんじゃ……”と心配する中、前世の母は“男どもにナメられたくありませんから、気合で行きます”と、通常の勤務も、夜間の緊急手術の麻酔もこなしていた。今から思えば、前世の妹が、よく無事に生まれてきたものだと思うけれど……。
(きっと、ママ、私や兄貴たちの時も、そうやって働きづめだったんだろうな……パパも、大学病院で働いていた頃、病院から1ヶ月間、一歩も外に出なかったことがあるって言ってたし……男にも女にも生きにくいよなぁ、未来の医者の世界って……)
前世のことに思いを馳せて、ぼーっとしていると、
「ところで、梨花お姉さま」
節子さまが凛々しい顔を私に向けた。
「医術開業試験はどうだったんですか?」
「余裕だよ。今日、永楽病院の前で、森先生が待っててくれたから、答え合わせをしたけれど、“実力だけで間違いなく受かってる”って言ってくれた」
昨日と今日で、私は医術開業試験の前期試験を受けた。もちろん、“千種薫”の偽名で受験願いを出して、役所にはちゃんと受理され、その名前で答案を書いて提出したのだ。我が臣下が、きちんと各所に手を回してくれたおかげである。ちなみに、厚生大臣の原さんにも、厚生次官の後藤さんにも、「東京府華族千種薫」の正体はバレていないようだ。
「試験の時に、束髪のカツラを被ってるのが辛かったな。一緒に受験した男たちが、ジロジロ私の方を見るから、ひょっとして、変装がバレたのかなってヒヤヒヤした。そもそも、私、束髪って、頭が大きく見えちゃうから嫌いなんだよね。だけど、千夏さんは、束髪もいいって言うんだ。あんなに写真を撮らせて……」
医術開業試験の受験願いに添付する写真を撮るため、避暑の終わった8月下旬に、千夏さんと一緒に町中の写真館に行った。もちろん、試験の時にも被った束髪のカツラを被ってである。正面からの写真が1枚あればよかったのだけれど、千夏さんは“5ポーズ撮って3円”のプランで撮影することを強く主張した。
――1ポーズだけでいいんですよ?!だから、1ポーズだけ撮って、定価の80銭を払えばいいじゃないですか!
千夏さんにはそう抗議したけれど、彼女は“せっかくですし、こちらの方が色々な意味でお得ですから”と頑として譲らず、結局、私は、正面からの写真だけではなく、撮影用の小道具の和傘を差したり、洋書を読む真似をさせられたり、様々なポーズの写真も撮る羽目になってしまった。
(そう言えば、正面からの写真は書類に添付したけど、残りのポーズの写真ってどうなったんだ?)
ふと疑問に思った瞬間、
「私、梨花お姉さまの束髪も、すごくよかったと思います」
節子さまが微笑んだ。
「そうかな?私、ポニーテールの方がまだいいよ。でも、本当は、髪が長いこと自体がイヤだ。ああ、髪の毛、バッサリ切りたい。ショートにしたい……」
私がため息をつくと、
「私は、梨花お姉さまは、髪の毛が長くてもいいと思いますけど」
と節子さまは言った。
「だって、梨花お姉さま、殿方が、梨花お姉さまの髪を褒めてくださるところを想像したら、どうですか?長い髪を手に取りながら、“この美しく輝く髪は素晴らしい、あなたも同じように……”なんて言われたら……」
「か、髪を、手に……?」
私は、節子さまに言われた通りの光景を、頭の中に描こうとした。私の髪の毛を手に取る男性。顔はよく分からないけれど、私が信頼できる人なのは間違いないと思う。その人が、優しく、囁きかける、よう、に……。
(も、もう、ダメ……)
身体がとても熱い。顔も赤くなっているだろう。頭が熱に耐えきれなくなって、私は想像を慌てて打ち消した。
「あ、あの、ましゃか、節子さま、そ、その……」
兄上はあなたにそんなことを……と言おうと思ったけれど、声帯が言うことを聞いてくれない。酸素不足の金魚のように、口をパクパクさせる私に向かって、節子さまは黙ってほほ笑むばかりだった。
(こ、これが、人妻の余裕、って奴か……?)
節子さまは私より年下のはずなのだし、前世も含めれば、私が生きた時間は節子さまの2倍以上になるはずだ。だけど、今、この瞬間だけは、その年齢差が逆転してしまったように思えた。
「さ、節子さま……」
ようやく声が出て、私は片手で軽く自分の頬を叩いた。
「医者の仕事をすると、髪が長いと、清潔にしなきゃいけないところに、髪の毛が付いちゃう危険があるから、やっぱり髪が長いのは、良くないと思うよ。あー、だけど、ショートにするって言ったら、伊藤さんと大山さんに怒られちゃうな……」
呼吸を整えながら言葉を口にすると、
「何とかなりますよ、梨花お姉さま」
節子さまが微笑を崩さずに答えた。
「皇后陛下も、色々と考えていらっしゃるようですし」
「だねぇ。皆にも私にも無難な髪型が出来上がることを、期待するしかないかなぁ」
私がそう言うと、節子さまは何度も嬉しそうに頷いたのだった。
そして、1900(明治33)年11月19日月曜日、午後3時半。
「やぁ、殿下」
華族女学校から帰ると、青山御殿の玄関で、母方の叔父の千種有梁さんが待っていた。
「合格の通知が、うちに届きましたので、役所に合格証書を取りに行っておきました」
黒いフロックコートを着た叔父は、そう言いながら、一枚の紙を広げて私に見せた。“医術開業前期試験及第之証”と題されたその紙には、“東京府華族千種薫”という私の偽名とともに、“右は明治三十三年十月東京に於いて施行せし医術開業前期試験に及第す”という文句と、試験委員の名前が書き連ねられていた。
「叔父さま、議会の会期中なのに、ありがとうございます……」
深々と叔父に頭を下げると、
「大丈夫です。今日は午前中で審議も終わったので」
と叔父は笑い、「じゃあ、早速、済生学舎に行きますか。入学手続きをしに行きましょう」と頷いた。
「了解です、叔父さま……じゃなかった、お兄さま!」
私は大山さんを呼んで事情を説明すると、叔父と2人、青山御殿の前の道路に出て、人力車を捕まえた。目指すのは、本郷区湯島4丁目にある済生学舎である。
30分ほど人力車を走らせて、済生学舎の校舎に着いた。このあたりは、高等師範学校やその付属中学校、女子高等師範学校やその付属女学校など、各種の学校が集まった、静かな文教地区である。ところが、済生学舎の門前だけ、何十人もの女子学生が屯しており、非常に騒がしかった。不審に思いながらも、叔父と一緒に人力車を降りて、門に近づくと、
「私たちだけを追い出すのですか!」
「学校は責任を放棄するのですか!」
などと、集まった女子学生たちが叫んでいた。
「おい、どうした、何があった」
叔父が人垣の後ろの方にいる、束髪の女子学生の肩を叩いて尋ねた。
すると、
「大変なんです。済生学舎が、もう女子学生を取らないと告示したんです」
と、学生が泣きそうな顔で答えた。
「しかも、今、在校している女子学生も、全員退学処分にすると!」
その横から、また別の女子学生が、怒りを隠すことなく叫ぶ。
「はぁ?!」
叔父は、私の右手を掴むと、人垣をかき分けて最前列に出た。確かに、閉じた門の横の壁には、文章が書きつけられた大きな紙が貼ってある。そこに書かれた文章は、女子学生たちが言った内容と全く同じだった。
「ウソでしょ……」
(入学、出来ないって……)
女子学生たちの怒号渦巻く中、私は済生学舎の閉ざされた門を見つめたまま、その場に呆然と立ち尽くしていた。
※医術開業試験合格証書の文言については、2018年10月に東京国立博物館で開催された「日本を変えた千の技術博」の図録を参照しました。




