“あきらめないっ!”(2)
1899(明治32年)12月16日土曜日、午後2時。
「へー、これが宮さまのお部屋なんですね」
花御殿の私の居間に、初めて足を踏み入れた野口英世先生は、興味深そうに、私の部屋の中を見渡していた。
「流石ですね。聴診器も血圧計もある。これは“ドイツ医事週報”に……隣にあるのは、英語ですか?“ストランド・マガジン”……」
「ちょっと、野口先生、触らないでください。きちんと整理して置いているんだから」
本棚に置いてあるものを触ろうとする野口先生を、私は止めた。一昨年の秋に医師免許を取得した彼は、もちろん、医術開業試験の経験者である。
「そうです。野口先生。増宮殿下にご迷惑を掛けてはいけません」
椅子にきちんと腰かけた医科研の秦佐八郎先生が、眉をひそめる。国軍の近衛師団を退役して、医科研に就職した彼は、第三高等学校の医学部を卒業している。つまり、高等学校の入学試験の経験者だ。
「あの、殿下?」
大山さんの代わりに私の隣に座っている、母方の叔父の千種有梁さんが、怪訝な表情で私に尋ねた。「ええと、今日って、一体どういう集まりなんです?医科研のバリバリの若手とか、東京帝大の教授とかに、俺を会わせたいってことじゃないですよね?俺なんかとコネを作っても、しょうがないと思うんですが」
「ああ、違います、叔父さま」
私は首を横に振った。「叔父さまには、医術開業試験合格者の大先輩として来てもらったんです。それから、私が偽名を使って試験を受けたり、学生生活を送ったりするときに、叔父さまと私がどういう関係にある、という設定にするか、考えて欲しくて」
「そちらも、偽名で通されますか……。初めてお会いした時のことを思い出します」
東京帝大の外科学助教授、いや、第一外科学の教授になった近藤次繁先生が苦笑した。
「まぁ、それはそれとして、本題を検討しなければいけませんね。増宮さまが受けるべき試験は、高等学校の入学試験か、医術開業試験か」
三浦先生がにっこり笑って、
「高等学校の入学試験の過去問題集はお持ちでしたか?」
と私に尋ねた。
「はい。医術開業試験の過去問題集は、まだ手に入れてないんですけれど……」
「ふっふっふ。そうおっしゃると思って、僕、自分が学生時代に使ってたのを持ってきました!」
野口先生が、風呂敷包みを解いて、何冊かの本を取り出した。
「へぇ……こんな感じなんですね。これが前期で、こっちが後期ですか」
過去問に目を通していると、
「10冊まとめて、30円で譲ります、宮さま」
野口先生が鼻をうごめかせながら言った。
「こら、1冊1円もしないだろう。この間、本屋で同じ本を見たから知ってるぜ」
叔父が、野口先生を睨み付けた。「俺の可愛い姪から金をせびり取ろうとは、いい度胸だな」
「叔父さま、この人にお金を渡しちゃダメですよ。すぐ遊びに使っちゃうから。あ、野口先生、今日のお礼は、北里先生が帰ってきたら、北里先生に渡しておきます。いいですね?」
そう言うと、野口先生は「はぁい」と少し不満げに返事をした。
「……それで、どうでしょうか?」
医術開業試験、そして、高等学校の入学試験の過去問に目を通し終わると、三浦先生が私に聞いた。
「医術開業試験と高等学校の入試で共通している科目は、物理と化学ですけれど、それは医術開業試験の方が難しいような気がします」
私は、言葉を選んで慎重に話し始めた。「だけど、物理と化学は得意中の得意です。頑張れば何とかなります。解剖学と生理学も勉強すれば、すぐに覚えられそうです。後期試験の科目は……最近、医学上の発見が相次いでいるから、勉強範囲が広くなっているけれど、頑張るしかないですね」
まあ、“医学上の発見が相次いでいる”と言っても、その元は私が前世で得た知識である。だから、前世の記憶を総動員すれば、後期試験の筆記試験の問題は解けるだろう。ただ、私の前世のことを、叔父と野口先生は知らないので、こう言っておくにとどめて置いた。
「高等学校の入学試験の場合は、他の科目もやらないといけないです。特に、国語と漢文が足を引っ張ってしまいそうで……」
前世よりは、漢文も古文もできるようにはなって来たけれど、まだまだ高等学校の入学試験を乗り越えられるレベルではない。兄ならば簡単に解いてしまうだろう、とは思うけれど、兄の漢文の読解能力は、漢文の講師の三島先生も舌を巻くほど高いので、どのくらいの学力が入試問題を解くのに必要なのか、さっぱりわからない。
「医術開業試験を受けるとしたら、次はいつでしたっけ?」
「毎年、春と秋ですよ、宮さま」
私の質問に、野口先生が答えてくれた。
「ってなると、来年春は、4月に引っ越しがあるからちょっと厳しいなぁ……。出題形式に慣れる時間も欲しいし、狙うとしたら、来年秋の試験ですね。それで、もし前期試験に合格したら、済生学舎に通って、臨床の所見を一通り取れるようになって、1年半後の後期試験に備える、と……。そうだ、叔父さま。私が偽名を名乗るとき、叔父さまとは、どういう関係にある、という設定にしたらいいでしょうか?」
「早くもそっちですか。……けれど、俺の娘っていうのは、ちょっと無理がありますよ。結婚したのが遅かったんで」
叔父は苦笑を私に向けた。「そうだな……俺の死んだ父親の娘、俺と年が離れた腹違いの妹ってのがいいんじゃないですか?」
「つまり、母上がお姉さま、叔父さまがお兄さまになるわけですね。分かりました。それで行きましょう」
「本当に行きますか……」
呆然とする近藤先生に、
「当然でしょう。皇族だからと言って、特別扱いされたくはありませんから」
私はニッコリ笑った。
「皆さん、ありがとうございました。参考になりました。もう少し、自分で考えてから、結論を出します」
……とは言ったものの、どうするか、答えはほぼ出た。あとは、我が臣下にそれを告げて、兄とお父様とお母様に報告するだけだ。自分の出した結論に納得した私は、一同に満面の笑みを向けた。
午後3時30分。
「それで……どのような結論になりましたか?」
医者たちが帰っていった後、居間にやって来た大山さんは私に尋ねた。
「決めた。医術開業試験に挑戦してみる。女子の高等学校進学を実現させてくれた大隈さんと西園寺さんには、本当に申し訳ないけれど」
私は大山さんに微笑んだ。
「医術開業試験に、怯え過ぎていたのかもしれない。小さいころに、前期合格に3年、後期合格に7年掛かるって聞いたから。でも、これ以上、私に舞い込む海外からの縁談のせいで、梨花会の皆に迷惑を掛ける訳にはいかない。それなら、早く医師免許が取れる可能性に賭けてみる」
そうすれば、余計な縁談に、心を煩わされてしまうこともなくなる。皇族の中でも、私の結婚相手として年齢が釣り合う、伏見宮邦芳王殿下と、北白川宮恒久王殿下は、私に怯えているから求婚はしてこないはずだ。つまり、これで、私が結婚する可能性はゼロになり、私は、お父様と兄を助けることに集中できるだろう。
(こればかりは、“進歩している女は良くない”という風潮に感謝だな……)
「それでいいでしょ、大山さん?」
確認の言葉を投げると、
「いいえ」
私の臣下は、首を横に振った。
「え……?やっぱり、不合格になる可能性も高いから、あくまで、高等学校の医学部への進学だけを考える方がいい?」
「そうではありません」
大山さんは私に向き直って、
「おそれながら、梨花さまは逃げておられます」
そうキッパリと言った。
「逃げる?一体何から?私、試験から逃げるつもりなんかは……」
反論する私の右手を大山さんは素早く掴み、私に身体を近づけると、
「ご結婚のことでございます」
私の耳元で囁いた。
「……!」
「申し上げましたでしょう。数年前、梨花さまと俺が、わざと争った後……、“結婚の可能性をすべて否定することはしなくてよい”と」
「た、確かにそうだけど……」
私は、大山さんから顔を背けた。
「フリードリヒ殿下のことを、思い出されてしまうのでございますか」
「……」
大山さんの言葉に、私は返事を返さなかった。
「反論されないのであれば、肯定されたと理解致します」
頭の上から、大山さんの声が、淡々と降って来る。
「互いの想いを会って伝えあうこともなく、亡くなってしまわれた殿下のことを思い出されてしまう。婚約や結婚の話がある度に、殿下との恋で付いてしまった、未だ癒えぬお心の傷があることを意識させられてしまい、その傷を直視されるのに、耐えられないのではないのですか?」
「やめて!」
私は目を閉じて叫んだ。「もう、もうそれ以上は、やめて……」
「やめませぬ」
大山さんの声は、いつになく厳しかった。
「このまま、梨花さまがご自身の心の傷を直視されないのであれば、梨花さまは、ご自身の心を鎖で縛ってしまわれます。心を封じ込めて、凍らせてしまわれます。……梨花さま。梨花さまは上医におなりになるのです。そのお方が、ご自身の傷を癒せないでどうするのですか!」
(……っ!)
叱咤が耳朶を打ち、私はその衝撃で目を見開いた。目の前に、大山さんの顔がある。いつもと違って、瞳には哀しみが湛えられていた。
「梨花さま。いかに優れた医師であっても、傷を見なければ、その傷を癒すことはできませぬ」
「で、でも……」
私は目を閉じないように、精一杯努力しながら、心を言葉に変えようと口を動かした。
「辛くなるんだ。結婚とか、婚約とかって聞いて、殿下のことを思い出してしまうと、殿下は許してくれるのかな、って。殿下と、結婚出来たらよかったのに、って思って……」
身体が熱いけれど、大きく、ゆっくりと息を吸って、ヒリヒリと痛む心を何とかなだめながら、私は口を動かし続けた。
「いつかは……、いつかは立ち上がらなきゃいけないって、分かってる。でも、私には、まだその力がない。だから、陸奥さんが医術開業試験を受けろ、って言った時、これで逃げられるって思った。これで、恋愛や結婚から逃げられるんだって。立ち上がらなくても、いいんだって……」
「もちろん、今すぐに立ち上がることは、俺も求めておりません」
大山さんは、私の目を覗き込みながら言った。「ですが、立ち上がれないからと言って、恋愛や結婚の可能性を全て閉ざすのは、いかがなものかと思います。前にも申し上げたかと思いますが、恋愛に関わることは、なぜ起こったか分からぬことが、本当にたくさん起こります。梨花さまの過去2回の恋は、不幸な結末となってしまいましたが、3回目、4回目、5回目以降も、必ずそうなるという保証はどこにもありません」
「さ……3回目、4回目、ごっ……?!お、大山さん、あなた、私に何回恋をさせる気なの?!」
慌てて尋ねると、
「梨花さまが、恋愛と結婚で、たっぷりと幸福を味わわれるまでですが?」
大山さんは、さも当たり前のように答えた。
「い、いや、3回目で幸福を味わった後の4回目ってなったら、それってもしかすると、道義的にあまりよろしくない恋愛関係になっちゃうんじゃ……」
すると、
「ああ、なるほど、3回目の恋愛で結婚までこぎつけ、天寿を全うされるまで、幸せを心ゆくまで味わうということですね」
非常に有能で経験豊富な我が臣下は、冗談めかした口調でこう言った。
「し、幸せを、心ゆくまで、って、そ、そんな……そんなこと、私、して、いいの……?」
心が痛いやら、恥ずかしいやら、滅茶苦茶な精神状態の中でようやく質問する。それを聞いた大山さんは、顔に苦笑いを浮かべた。
「もちろんでございます。俺の大切な淑女が、両陛下と皇太子殿下の大事な内親王殿下が、幸せを味わってはいけないという法がどこにありましょうや」
「……フリードリヒ殿下も、許してくれるかな?」
私は、小さな声で、私の臣下に尋ねた。
「もちろん、お許しになりましょう」
大山さんは言った。「愛した人が、どんな形でもよいから幸せになること。それがメクレンブルク公の願いでありましょうから」
(そう、か……)
兄も、葉山で避暑をしていた時、そう言った。そして、大山さんもこう言った。私の大切な兄も、私の大切な臣下もそう言うのであれば、きっと、そうなのだろうし、……そう信じて、私は生きて行くしかないのだろう。
「大山さん……胸を貸して」
涙で震える声で問いかけると、「どうぞ」と私の臣下は答えてくれた。大山さんの左肩のあたりに顔を埋めると、彼の両腕が私の背中に回され、ポニーテールの根元のあたりを、彼の右手が優しく撫でる。
「本当にごめん、手間がかかる主君で……。はぁ、あなたには、絶対に敵わない。完全に、心の中を見透かされてしまって……」
「ふふ……それは、長年の経験ゆえ、でございます。かれこれ、もう8年も、梨花さまに仕えておりますから、梨花さまの心は、手に取るようにわかります」
大山さんは、私の頭を撫でながらこう答える。確かに、今この瞬間も心を預けているのだから、私が何を考えているのかなど、彼にはお見通しなのだろう。
「大山さん……本当にありがとう」
顔を上げて、精一杯の感謝を込めてお礼の言葉を口にすると、
「身に余るお言葉、光栄に存じます」
私の非常に有能で経験豊富な臣下は、いつもと変わらぬ優しく暖かい視線を私に向けた。
1899(明治32)年12月17日日曜日、午前10時。
「それで、章子、結論は出したのか?」
皇居の一室で、私と相対したお父様が、挨拶を交わすや否や、こう言った。
「はい」
兄と大山さんに挟まれるようにして椅子に腰かけた私は、お父様をしっかり見た。
「医術開業試験の受験に、挑戦したいと思います。ただ、次の試験は、私の引っ越しとぶつかりますから、その次の試験、来年の秋の前期試験合格を狙います。合格したら、済生学舎に通って、臨床所見を一通り学んで、後期試験にも一刻も早く合格するように励みます」
「そうか」
お父様は表情を変えずに頷く。隣に座っているお母様は、心配そうな表情で私をじっと見つめていた。
「でも、私、そ、その……」
続きを話そうとして、私の口の動きが止まってしまった。やっぱり、恥ずかしいし、頭と身体が熱い。
「おい、梨花、どうした。昨日も、今朝も、散々練習したではないか」
右隣に座った兄が、私の着物の袖を軽く引っ張った。
「そうですよ。馬車の中でも稽古しましたのに」
左隣の大山さんも、顔に微笑みを浮かべながら私を見ている。
「そ、そうだけど……」
私は恥ずかしさに耐えながら、必死に口を動かした。「母上の前でも練習したけど、練習と本番は別というか、その……」
(だけど……言わなきゃ)
私は息を大きく吸い込むと、閉じようとする口を、意志の力でこじ開けた。
「あ……あきらめない……」
ようやく声を出すと、
「梨花、主語が無いぞ」
兄の手厳しい言葉が飛んできた。「何をあきらめないのだ?そこをちゃんと言わねば、意味がないぞ」
「だから、その……恋と、けっ、こん、を……」
「まだ、足りません」
大山さんが、じっと私を見ている。「どんな恋と結婚なのですか?」
「あ、あの……、しあ、わせ、な……」
小さな声でこう言うと、
「では、最初からもう一度繰り返してみましょうか」
我が有能な臣下はニヤリと笑う。
「ええと……し、幸せな、恋と結婚を、あきらめないっ!」
言い終わった瞬間、
「も、もう、無理っ!」
身体の熱さが限界を迎え、私は頭を抱えた。
すると、
「まあ!」
お母様の嬉しそうな声が、部屋の中に響いた。
「増宮さん……良かった」
「お母様……」
顔を上げると、お母様の優しい微笑みが視界に入った。
「もし、陸奥どののご提案を口実にして、心を閉ざしてしまわれたらと、……それが心配でなりませんでした」
ああ、お母様には、あの時、私の心が、やはり見えてしまっていたらしい。このまま、恋愛や結婚のことなどに、煩わされなくなればいいのにと願ったことが。
「ご心配を掛けてしまい、本当に申し訳ありませんでした、お母様」
私は椅子から立ち上がって、前に向かって深々と頭を下げた。
「そうか。医師免許のみならず、幸せな恋と結婚も手に入れたいか。……よしよし、それでこそ朕の娘だ」
お父様が満足そうに頷いて、
「それで、婿の候補者はいるのか?」
私に尋ねた。
「こ、候補者?!」
私は目を丸くした。「お、お父様、まだ早いです。私、フリードリヒ殿下が亡くなった時のこと、やっぱり、まだ頭から離れなくて、思い出すと辛いし……」
と、
「ええ、陸奥どのが先頭に立って、候補者を探すとおっしゃっています」
左隣の大山さんが、こんなことを言った。
「……はい?」
「梨花さまが医師免許を取られた暁には、幸せな恋と結婚をしていただかなければと、陸奥どのは息巻いておられます。この俺もですが、他の梨花会の面々も、梨花さまが心を預けることができ、なおかつ、日本で梨花さまのお側にいることのできる男性を、本格的に探し始めましたし……」
「ちょ、ちょっと待って、大山さん。何で、陸奥さんが先頭に立つの?」
「そうするのが梨花さまに課せられた義務であると、おっしゃっておられましたが」
「そんな義務、陸奥さんに課した覚えはないわよ……」
私はため息をついた。一体、陸奥さんはどういうつもりなのだろうか。
(丁重にお断りさせていただきたい……)
そう思った瞬間、兄の硬い視線にぶつかった。
「梨花、今言ったばかりだろう?幸せな恋と結婚をあきらめない、と。たくさんの男と会って、そやつと恋が出来るか見極める目を養わなければな」
「その通りです」
大山さんも頷いた。「今は傷を少しずつ癒していただかなければなりませんが、傷が癒えた後のことも、考えなければいけません」
「そ、それは、分かってる……」
答えると、大山さんの手が、私の頭を撫でてくれる。私を見つめる大山さんの視線は、いつもの通り、優しくて暖かい。
と、
「章子」
突然、上座から、お父様の声が飛んだ。
「こちらへ来い」
「は、はぁ……」
やけに硬いお父様の声に不審を抱きながら、私は椅子から立って上座に歩み寄り、手を伸ばせばお父様の身体に触れられそうな位置に立った。
ところが、
「もっとだ!」
お父様はむすっとした。
「へ?」
「もう一歩、こちらに寄って屈め!」
戸惑いながら言われたようにすると、私の頭に何かが乗った。……お父様の手だ。
(え……?)
「ああ、もう!そなたはどうして、こんなに可愛くてしょうがないのだ!大山が羨ましいぞ!」
「あの、お上」
私の頭を滅茶苦茶に撫でまわすお父様の横から、お母様がおずおずと声を掛けた。
「私も、増宮さんを撫でてよろしいですか?」
「朕が撫で終わったらな」
お父様が撫でる手の動きを止めずに答えると、
「ずるいです!お父様もお母様も!」
何故か兄が叫んだ。
「俺も、梨花を撫でてやりたいのに!」
「たまには朕にも撫でさせろ。嘉仁は、しょっちゅう撫でているだろうが」
「そうですよ。たまにしか会えないからこそ、存分に可愛がりたいのですよ」
お父様だけでなく、何故かお母様までこんなことを言う。
(いや、だから、何で……、なんでそこで争うんだよっ!)
意味不明な争いを繰り広げる家族たちに、私は心の中で、おもいっきりツッコミを入れたのだった。
こうして、私は、来年秋の医術開業試験受験に向け、本格的に準備を始めた。
この決断が、私の人生に、予想以上の影響をもたらすとは……神ならぬ身の私には、知る術もなかったのである。
※医術開業試験に関しては、国立国会図書館のデジタルコレクションに過去問集がいくつかありますので、それを参考にしました。高等学校の入試の過去問は、年度が拙作の現時点より新し過ぎますが、「最も完全なる官立学校入学試験問題集. 明治38年度」を参考にしました(なお、第一高等学校医学部は、明治38年時点では千葉医学専門学校となっています)。難易度比較については、あくまで作者の主観なのでご了承ください。
しかし、今も昔も、受験は大変です……。




