詫び駆逐艦と世界の情勢
※艦隊名ミスを訂正しました。(2020年12月10日)
1899(明治32)年1月24日火曜日、イタリア王国の首都・ローマ。
『兄者、決闘を始める前に、もう一度聞く』
そう言って、手にしたスモールソードを構えたのは、イタリア国王・ウンベルト一世の甥である、ルイージ・アメデーオ・ジュゼッペ・マリーア・フェルディナンド・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=アオスタ……アブルッツィ公という儀礼称号を有する青年だった。
『なんだ、弟よ。臆したか?』
相対して立つ、アブルッツィ公の兄、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=アオスタ……トリノ伯という儀礼称号で呼ばれる青年は、スモールソードを鞘に納めたまま、余裕のある表情で弟を見やった。彼ら兄弟の回りには、数人の立会人と医者がおり、それを取り巻くように、多数の見物人と新聞記者からなる大きな人垣が形成されていた。
『違う。仮にも、王室の一員たるこの身、闘いを恐れることなどあるものか!』
アブルッツィ公は、兄に硬い視線を投げると、
『増宮殿下への求婚を諦める気は、本当に無いのか?』
冷たい声で問い掛けた。
『無いっ!』
トリノ伯は両腕を組んで断言した。『手合わせをして、ますますその思いを強くしたぞ。夫婦で武芸を切磋琢磨出来る……しかも、徒手空拳でも、この私を倒すことができ、おまけに美しい。これぞ、私が妻に求める理想像だ。誰に何と言われようとも、私の愛を捧げる相手は、増宮殿下しかおらん!』
頬を紅潮させる兄に、
『世迷い言を言うな、兄者!』
スモールソードを構えたアブルッツィ公は、ピシャリと言った。『その歪んだ愛情が、我らが祖国を、存亡の危機に追いやっているのが分からないのか!オーストリア・ドイツとの同盟の破棄は何とか免れたが、このままでは万が一、ロシアがオスマン帝国と結んで我が祖国を狙った時、勝目が無いぞ!』
『ふ、それこそ、我が武を増宮殿下に示す絶好の機会だ。貴様こそなんだ、あの増宮殿下を、ただ山に登らせたいだけだ、とは、貴様の愛こそが歪んでいるではないか』
『黙れ兄者!』
アブルッツィ公は、自分を侮辱した兄を睨み付けた。
『増宮殿下は、“Yamajiro”と呼ばれる、日本の古い城のある山に登るのが好きなのだ。それは増宮殿下と話した時、この耳ではっきりと聞いた。増宮殿下が真に望んでいるのは、兄者と武芸を磨くことではない。この俺とともに、Yamajiroのある山に登ることだ!』
『違うぞ弟よ!増宮殿下の望みは、この私のような立派なSekuhara-yarouと共に、武芸を磨くことだ!私は彼女と手合わせをした時に、“Sekuhara-yarou”と称えられたのだからな!』
『しかし、兄者は、日本の天皇陛下に、咎められたというではないか!日本を怒らせれば、イギリスがどう出るか分からないぞ!』
『ふっ、それはちょっとした勘違いだろう。私が立派なSekuhara-yarouであることを示せば、天皇陛下も、きっと誤解を解いてくださるはずだ!』
『ほざくな、兄者!俺が、俺こそが、兄者を超えるSekuhara-yarouなのだ!』
アブルッツィ公は、スモールソードを構え直した。
『お喋りは終わりだ、兄者。俺が真のSekuhara-yarouだということを、俺の剣で証明してやる』
『ふ、武芸を磨かず、山登りばかりしている軟弱者がよく言った。よろしい、私が立派なSekuhara-yarouであることを、貴様の身に刻み込んでやる』
『兄者こそ、登山で鍛えた体力と腕力をナメるなよ。どう言い訳しようとも、増宮殿下に負けた兄者が、俺に勝てる訳がない!』
弟の挑発に、
『よくもほざいた!』
とトリノ伯は鞘から剣を抜き、
『うおおおおおお!』
と雄たけびを上げながら突進した。
そして、
『兄者ぁぁぁぁぁ!』
『弟ぉぉぉぉぉ!』
両者の剣が激しくぶつかり合い、火花が散った――。
「……以上が、イタリアの牧野公使から打電された、先日行われた、トリノ伯とアブルッツィ公の決闘の詳しい経過になります」
1899(明治32)年2月4日土曜日、午後2時30分、皇居。来週の土曜日が紀元節なので、1週間早めに行われた梨花会の席上、淡々と読み上げられた山縣さんの報告を聞いた私は、開いてしまった口を閉じることが出来なかった。
「まさか、こんな結末になるとは」
ニヤニヤ笑う陸奥さんに、
「笑い事じゃないですよ……」
ため息を混じりに突っ込むと、私は頭を抱えた。
「何で、セクハラ野郎になりたいのよ……しかも、私と武芸をするか、登山をするかで決闘するって……トリノ伯もアブルッツィ公も、認識が凄く歪んでませんか?」
剣道以外の武芸には興味はない。そして、登山そのものも、余り好きではない。登山家は、「そこに山があるから」山に登るのだそうだけれど、城郭マニアの私は、「そこに城があるから」山に登るのだ。一緒にするのは、登山家に失礼だ。
「あ……、一応聞いておきますけれど、2人とも、死んでないですよね?」
頭を抱えたまま山縣さんに尋ねると、
「それはご安心を。相討ちになったとのことですが、お2人とも軽傷だそうです。ただし、国王陛下は、お2人ともに謹慎をお命じになったとか」
山縣さんが眉をしかめながら答えた。
(一生日本に来んな、勘違い野郎ども……)
私はため息をついた。
「しかし、山縣よ」
部屋の一番上座から、お父様の声がする。
「はっ」
最敬礼する山縣さんに、
「先月末に、イタリアの国王陛下から届いた電報にあった、“詫びの印として、駆逐艦を1隻譲渡する”というのは、本当のことなのか?」
お父様は、首を傾げながら尋ねた。
(単なるリップサービスだよね、それ……)
その電報は、先月の26日、私の16歳の誕生日に、私の手元にも届けられた。「甥たちが不適当なことを起こしてお騒がせし、本当に本当に申し訳ない。“Dogeza”させていただく」という詫び文句とともに、確かに「駆逐艦を譲る」とは書いてあった。だけど、駆逐艦なんて、戦艦ほどではないにしろ、それなりのお値段がするものを、本当に譲ってくれるものだろうか。
すると、
「はい、本当です」
山縣さんは頷いた。「イタリアの牧野公使から、“イタリアがドイツの造船所に発注する駆逐艦を1隻、日本に無償譲渡すると通告されたので、来年の5月ごろまでに、回航要員をドイツに派遣して欲しい”という要望がありました」
山縣さんの答えに、
「ほう……これで、国内の反イタリア論を落ち着かせる、よい理由が出来ましたな」
黒田さんはあごひげを撫で、
「武装は、我が国が使いやすいように換装しなければならないでしょうし、速力や航続距離などを見て、我が国の駆逐艦と隊が組めるかどうかも検討しなければなりませんが、駆逐艦や水雷艇1隻を新造するよりは、安上がりで済みますね」
山田さんはこう言って微笑する。
「実戦に使えそうになかったら、増宮さま専用の船にすりゃあいいさ」
勝先生もニヤリと笑った。
(マジかよ……)
脱力した私は思わず、机に突っ伏した。
「梨花さま、いかがなさいましたか?」
隣に座っている大山さんが、私に声を掛ける。
「いかがなさいましたかって、大山さん……」
私は首を回して、我が有能な臣下を軽く睨み付けた。
「前世で“詫び石”は聞いたことあったけど、“詫び駆逐艦”なんて、聞いたことないわよ!」
「流石に、“詫び戦艦”とまでは行かなかったか」
私の叫びを聞いたお父様が、そう言ってニヤリと笑う。
「イタリア国内では、“戦艦を日本に譲渡するべきだ”という論もありますが、それは封じ込めるよう、牧野には指示しました。戦艦1隻、日本の艦隊に加われば、ロシアのあの御仁を刺激しかねませんからな」
ウィーンで行われた、フランツ・ヨーゼフ一世の在位50周年記念式典から戻って来たばかりの伊藤さんが、微笑みながら言った。
「アレクセーエフですな。今回の件では、“世界に黒海艦隊の力を示せる”と張り切っていたようですから、その夢が破れた所を、下手に刺激しない方がよろしいでしょう」
同じく、ウィーンから戻って来た児玉さんが、澄ました表情で付け加える。
(その“今回の件”っていうのも、よく分からないんだよなぁ……)
私はまた、盛大にため息をついた。
何でも、オーストリアで、“イタリアとの同盟を破棄して、イタリアに攻め込むべきだ”という強硬論が出て来て、それにあのドイツの皇帝も乗っかってしまったそうなのだ。しかも、ロシアのニコライ陛下も、ヨーロッパで不凍港を手に入れるためか、“オスマン帝国と結んで、黒海艦隊でイタリアに攻め込む”と発言したらしい。流石に、オーストリア・ドイツ・ロシア・オスマン帝国がイタリアと戦争するような事態となれば、当事国でもそれ以外でも、不必要な物価高を招き、社会不安を背景として、共産主義者や無政府主義者などの跳梁跋扈を招きかねない。なので、ちょうどフランツ・ヨーゼフ陛下の在位50周年記念式典のため、ウィーンに集まった各国首脳や元首たちに、伊藤さんと児玉さんが自重を呼び掛けた。その結果、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟は崩壊することなく続き、ロシアがイタリアに攻め込むこともなかった。
しかし、私が一番納得できないのは、大元の強硬論を唱え出した、オーストリアのフランツ・フェルディナント殿下、その彼が強硬論を唱えた理由が、トリノ伯が私に無礼な振る舞いに及んだから、というものだったことだ。セクハラ野郎に抱き付かれたのは事実だけど、そいつは回し蹴りをお見舞いして沈めたのだから、それで済んだ話になるはずだ。それと、伊藤さんと児玉さんと話をした各国の首脳や元首が、「増宮殿下の意を奉じての呼びかけならば仕方ない」という理由で、イタリアへの攻撃を止めた、というのも、どうも納得がいかない。
(よくわかんない。こんな小娘が言うから戦争は止めました、って言って、各国の面子が立つのかなぁ……)
こう思っていると、
「それで、その駆逐艦の名前は、いかがしましょうか」
山本さんが一同に尋ねた。「譲渡される駆逐艦は、“Lampo”……日本語で、稲妻という意味の名前をつける予定だったそうです」
「ふむ」
お父様は少し考え込むと、「章子」と私を呼んだ。
「その駆逐艦の名前、そなたが付けろ」
「私がですか?!」
「言わば、そなたが勝ち取ったような駆逐艦なのだから、そなたが名付けるのが筋だろう」
「いや、勝ち取ったって、向こうが勝手に贈ってくるだけじゃ……」
お父様に反論しようとした声は、一同の「さよう」「陛下のおっしゃる通り」という声に掻き消された。これでは、もう逃げようがない。
「イタリアで稲妻って名付けるつもりだったんなら、そのまま“稲妻”にしていいんじゃ……」
観念した私が言うと、
「実は、電報の電と書いて“いなづま”という名前の駆逐艦が、既にありまして」
西郷さんが申し訳なさそうに答えた。
「あ、そうなんだ……じゃあ、同じような言葉で、“いかづち”はどうですか?」
こう提案してみると、
「大変申し訳ないのですが、既にそちらもありまして……“雷電”の“雷”の方、その一文字を“いかづち”と読ませます」
西郷さんがまた答えてくれた。
「えー……“かみなり”だと、雷と電と比べたら、何かインパクトに欠ける感じがするし、どうしたらいいかな……」
「まぁ、急いで決めなくてもよいではないか、梨花」
考え込んだ私に、兄が苦笑いを向けた。「稲妻に拘らないでもよいかもしれないし、花御殿に戻ってゆっくり考えれば、よい名が浮かぶかもしれない」
「そうだね。……あの、西郷さん、名前、いつ頃までに決めればいいですか?」
尋ねると、
「年末までに考えていただければ……」
西郷さんからは、こんな答えが返ってきた。
「分かりました。じゃあ、頑張ります」
私は答えて、こっそりため息をついた。
「それにしても、さっきの梨花会でも言っていたけれど、清も、大分変わって来たんですね」
午後4時。いつもの通り、花御殿の私の居間に“結核罹患後の経過観察”と称してやって来た陸奥さんに、私は紅茶を出しながら言った。もちろん、つい先日、フランツ殿下から頼みもしないのに誕生日プレゼントとして贈られて来た、バラの花の砂糖漬けを添えて、である。
「ほう……どのような点が変わったと感じておられますか?」
微笑む陸奥さんの瞳が、一瞬怪しく光り輝く。これは、私の答えが不十分だと、妖刀で容赦なく切り刻むパターンだ。大山さんの分の紅茶を出し、自分の分の紅茶を机に置いた私は、紅茶を一口飲んで態勢を整えると、慎重に口を開いた。
「まず、憲法が作られることですよね」
「その通り。原君と伊藤殿によれば、清で憲法制定が約束されたのは、西暦で1908年……。そこから9年後の制定を目指したそうですが、それは叶うことなく、清は滅びた訳です」
陸奥さんは、バラの花の砂糖漬けを紅茶に入れる。
この時の流れでは、清での憲法制定の準備は、西太后が李鴻章さんに暗殺された直後、1892年の春から始まっていて、1901年の憲法発布、1902年の国会開設を目指して作業が進められている。伊藤さんの懐刀的存在で、枢密院書記官長を務めている伊東巳代治さんが作業を指導していて、時折北京に出張している。清は、憲法が発布されると、大きな民族ごとに地方政府を置き、その上に置かれた中央政府が、全体の外交・軍事・財政を管轄する統治形態に移行するそうだ。
「それから、列強の勢力が、清に“史実”より入り込んでいないこと」
私が続いて指摘すると、
「それは何故でしょうか?」
すかさず陸奥さんの質問が飛んできた。
「ええと……、“史実”と違って、清が弱体化しているということが、世界にバレていないからです。“史実”では、日清戦争で、アジアの新興国と見られていた日本が清に勝利したことで、清は“眠れる獅子”ではなくて“張り子の虎”だったということが世界にバレて、列強の格好の狩り場になってしまいました」
必死に頭を働かせながら答えると、
「次第に、“張り子の虎”ではなく、本当の強国になりつつありますが……まぁ、よいでしょう」
と陸奥さんが薄く笑った。
“史実”では、ちょうど今頃、清では列強が租借地という名の領土を広げていた。けれど、この時の流れでは、中国大陸の列強の領土は、イギリスが領有する九龍と香港島、ポルトガルが領有する澳門だけだ。“史実”では、日清戦争の結果日本に割譲された台湾や澎湖諸島、遼東半島も清の領土だ。特に台湾は、清の海軍の一大拠点として発展しつつあり、農地の開墾に加え、サトウキビを使った製糖業も試みられている。更に、特産の樟脳も、外国商人から清に権益が移りつつあり、かなりの利益を清にもたらしているそうだ。権益が外国商人から清の手に移っている背景には、“台湾からの樟脳輸出は損を産むばかりだから、清にくれてやってしまえ”という論が、ヨーロッパ中で急速に広がっていることがある。……もちろん、中央情報院も協力して、大々的に流した偽情報なのだけれど、それにホイホイと乗ってしまう商人たちもどうかしている気がする。
「では、殿下、僕が、清が“張り子の虎”では無くなりつつある……と言ったのは、何故でしょうか」
何とか答えられたのでホッとしていたら、返す刀で質問がまた突き付けられる。油断は出来ない。もう一度頭をフル回転させながら、私は頭の中で答えを作り始めた。
「端的に言えば、お金が“史実”よりたくさんあるからです。日本に日清戦争の賠償金を取られてないし、西太后に無駄遣いされていません。そのお金を軍隊の増強と、産業の発展に使えます……あ、でも」
私が言葉を止めると、私を隣で見守っていた大山さんが、「何かご懸念がおありですか?」と尋ねた。
「いや、義和団みたいのが、清の民衆の中から出てきちゃったら、どうするんだろうって思って……」
清国内での外国人の排斥運動に端を発した義和団事件が発生したのは、1900年、つまり、来年だ。義和団事件の結果、清は列強に多額の賠償金を支払わされ、北京などに列強の兵力を置くことを認めさせられたのだ。
(義和団事件みたいなことが起こったら、清が多額の賠償金を払わされる可能性もある……。民衆の思想の流れまでは、流石に介入するのは難しいだろうし、回避するのって、一体どうしたら……)
私が両腕を組んで考え込もうとした時、
「今、清では、外国人を排斥する運動は殆ど起きておりません。これは、“史実”と違うところです」
大山さんがこう言い始めた。「清国内の産業が徐々に力を付け始めた結果、庶民の中での経済的な不安が無くなりつつあるのと……数年前から、清で大流行になっている芝居の影響がありまして」
「大流行の芝居?」
「ええ。漢民族の剣の達人と、外国人の科学者、そして満州族の美少女が、武術と科学の力を駆使しながら、妖怪変化と闘うという筋立ての続き物でして……特に、美少女が“我が国の民も外国の民も、皆仲良くしなくては!”と叫ぶ場面では、観客全員が涙を流しながら拍手喝采するとか。あれでかなり、外国人への敵対感情が薄らいでいるそうです」
「……はい?」
思考を止めた私に向かって、
「ああ、あれですか。小説になったものが日本に入って来ましたから目を通しましたが……挿し絵の美少女が、殿下そっくりでしたね」
陸奥さんがクスリと笑った。
「あ、あの、大山さん、まさか、そのお芝居、あなたたちが仕組んだんじゃ……」
嫌な予感がする。けれど、黄禍論や排日論など、思想的な潮流にも抗おうとしている梨花会の面々だから、もしかしたら……。
すると、
「いえ、筋立てを考えたのは李鴻章どのです」
大山さんの口から、とんでもない答えが飛び出した。
「は?」
「政務の傍ら、芝居の筋書きを考えるのが楽しみで仕方がないそうですよ。張之洞どのや康有為どの、梁啓超どのなどと一緒に、同じような筋書きの小説の本も作っているそうです。そうそう、“いつか増宮殿下に、この芝居に出てくる美少女の格好をしていただきたい”とおっしゃっていましたね」
大山さんの答えに、私は椅子からずり落ちそうになった。
(李鴻章、お前もか……)
戦争の種が無くなっていくのは、非常に結構なことだ。人も理不尽な理由で死なないし、貴重な城郭も破壊されることはない。けれど、なぜ、世界の権力者たちは、私を使って、訳のわからない欲望を満たそうとするのだろうか。
「ふふ、殿下も少しずつ、指せるようにはなってきたようですが、どうしても苦手なものもあるようですね」
陸奥さんがニヤリと笑う。それに言葉を返す気力は、私には全く残されていなかったのだった。
※という訳で、イタリアのランポ級駆逐艦一番艦、ランポが日本に来てしまうこととなりました。山田さんはこう言っていますが、雷型駆逐艦や東雲型駆逐艦と一緒に隊を組めるでしょうか……?なお、西郷さんが言っていた“雷”“電”は、雷型駆逐艦の一番艦と二番艦で、そちらは、実際の通りか、実際よりもう少し早く竣工していることを想定しています。
※清は、地方政府がそのうち外交・財政・軍事などの権限も中央政府から獲得して、独立していくのでしょうが、現時点ではロシアの脅威があるため、地方政府の権限は制限付きです。状況が安定すれば、チベット・ウイグル・モンゴルは独立するでしょう。満州族と漢族が、地方政府を別々に作るか一緒に作るかは決めていません。台湾についても、樟脳の権益がこんなに簡単に清に移る訳はないと思いますし、数十年したら、樟脳の価値は低くなってしまいますが、そこはご都合主義を発揮したということでご了承ください。
※ちなみに、前話の感想でもご指摘があった通り、勝先生は実際にはこの年の1月に亡くなっています。




