上野公園
※地の文の誤字を一部修正しました。(2020年3月3日)
1898(明治31)年12月18日日曜日、午前9時45分。
「まさか、こちらにもお参りいただけるとはねぇ……」
上野公園の一角。祈りを捧げた私と兄の前には、“戦死之墓”と彫られた大きな墓石がある。その墓石の台座に乗せられるように、小さな墓石が立っている。維新の時、この地で新政府軍と戦って亡くなった彰義隊の隊士の墓である。
「当然ですよ、勝先生」
感慨深そうに呟いた勝先生に、私は振り返った。「西郷隆盛さんの銅像が、このお墓の目と鼻の先に建つんですよ。西郷隆盛さんも、彰義隊の人たちも、お父様を大切に思ってくれた人たちなのに、お父様の子の私が、お礼を言わないで、ご冥福を祈らないでどうしますか」
西郷隆盛さんが、憲法の発布と同時に正三位の位を贈られ、逆賊の汚名が消えたのは、今から9年前だ。そこから、西郷隆盛さんの銅像を建立しようという運動が始まった。お父様も資金を援助したし、3年前に関西旅行から帰った後、私と兄も資金を援助した。像を建立する場所は上野公園……“史実”でも、西郷隆盛さんの銅像が建っていた位置に決まり、私と兄は、今日行われる銅像の除幕式に参列することになった。
除幕式への参列が決まった時、私が思い出したのは、私の時代、上野の西郷隆盛さんの銅像のすぐそばにあった、彰義隊の人たちのお墓のことだった。前世では、上野公園に何度か行ったので、彰義隊の人のお墓にも手を合わせたことがある。この時の流れでも、お墓はあるのだろうかと疑問に思い、勝先生に確かめたら、この時の流れでも、上野公園に彰義隊の人のお墓があることがわかった。そこで、除幕式直前に、兄と一緒にお参りしたのである。
「なるほどな。大西郷も彰義隊も、陛下を大切に思っていたのは同じ、か……」
黒いフロックコート姿の勝先生は頷いて、
「何とか、助けたかったけどねぇ……」
と呟いた。維新の際の徳川慶喜さんの処分に不満を持つ旧幕臣たちは、慶喜さんの復権と、薩摩・長州藩の勢力の排除を目的として彰義隊を結成し、慶喜さんが水戸に移った後も、上野に立て籠っていた。勝先生や西郷隆盛さんたちは、何とか彼らを懐柔して、戦争を起こさないようにしようと努力を続けたけれど、それを手緩いと見た新政府の首脳部は彰義隊の討伐を決め、1日の戦闘で彰義隊は敗走した。
「助けられたら、また違った未来があったんでしょうね……」
「だろうな。……けど、戦は起こっちまった」
勝先生がため息をつく。勝先生の隣に立っている、軍服姿の大山さんも、黙って勝先生の言葉を聞いている。
「わたしも、梨花と同じ気持ちです、勝先生」
制服姿の兄が、勝先生の方を見た。「戊辰の戦、そして西南の役に至るまでの数々の戦……かつての敵味方、かつての官軍賊軍の区別なく、犠牲者の冥福を祈ることは、わたしの義務だと思っています。今を築くために犠牲になってしまった人々のことは、忘れてはならない、と」
「そうかい……」
うつむいた勝先生の眦に、何か光ったのは気のせいだろうか。
「ああ、おれは、皇太子殿下と増宮さまに会えて、本当に幸せだよ。お2人とも、立派に育ってくれてよ。これでおれも、冥土の大西郷に土産話が出来……」
「だから勝先生、何で自分から死亡フラグを立てに行くの?!」
私は眉を跳ね上げた。「医者の前で、そんなことをやって許されると思ってるんですか?!まだ死なせませんよ!」
「ふらぐ……というのは、よく分からないが、確かに、まだまだ修行中のこのわたしには、勝先生が必要です」
兄も勝先生に苦笑した。
「あ、ごめん。未来の用法だった。……とにかく、私だって未熟だし、上医を目指さなきゃいけないし、勝先生に今死んでもらっちゃ困るんです!」
勝先生を軽く睨み付けると、
「おお、こわ。医者を怒らせちゃいけねぇな」
勝先生は大袈裟に肩をすくめた。
「確かに、陛下もお助けしなきゃいけねぇ。それに、まだまだ人を育てる楽しみがある。……ちっとばかし、死神にゃ待っててもらわねぇとな」
勝先生は彰義隊の隊士の墓を見上げると、後方、ほんの数10m先の所にある、白い布で覆われた西郷隆盛さんの銅像に目を向けた。
「さて、参りましょうか、殿下がた。もうすぐ、式典が始まっちまう」
勝先生は、もう一度隊士の墓に一礼すると、私たちを手招きして、西郷隆盛さんの銅像に向かって歩いて行った。
午前10時。
「えー、本日は皆さま、御参集いただきまして、誠にありがとうございます」
白い布が頭から掛けられた西郷隆盛さんの銅像の前には、政財界から招かれたお客様がひしめいていた。
「本日の除幕式に当たりまして、建設の経緯を述べさせていただきたいと思います」
銅像の前に設けられた台に上って、挨拶をしているのは、樺山資紀海兵中将だ。“史実”では、海軍大臣を務めていた時に、帝国議会で“蛮勇演説”を行い、民党の反発を引き起こしてしまい、衆議院解散の一因となってしまった。この時の流れでは、そんなことは起こっていない。
また、華族や官僚、軍人も多数集まっていた。もちろん、山縣さんをはじめとする内閣の構成員は、全員この場にいる。その他、“梨花会”のメンバーでは、立憲自由党総裁の陸奥さん、貴族院副議長の西園寺さん、国軍次官の山本さん、厚生次官の後藤さんの姿があった。宮内大臣の土方さんや、前文部大臣の榎本武揚さんも会場にいる。
――宮内省からも500円を、皇太子殿下と増宮殿下からも500円を御下賜いただき……。
「ねぇ、兄上、東郷さんが来てる」
樺山さんの挨拶が続く中、銅像の脇に設えられた席に座っている私は、隣の椅子に掛けている兄に、そっと囁いた。
「ほう……お前、東郷中将に会ったことがあるのか?」
小声で返す兄の目は、会場のほぼ真ん中に直立している、海兵中将の軍服を着た精悍な顔立ちの初老の男性に注がれる。
「前世の歴史の資料集で見たことがある。今より、もうちょっと老けてたけれど」
「そう言えば、言っていたな」
東郷平八郎さん。“史実”の日本海海戦で、連合艦隊指令長官として、艦隊を指揮した人だ。この時の流れでは、ハワイ王国でのクーデターを阻止するために、艦隊を率いて、陸奥さんと一緒にハワイ王国に向かってくれたことがある。
――すなわち、浴衣で山野に分け入り、ウサギ狩りをしている姿を模し、その超俗を表したのであります……。
「斎藤官房長は分かるか?」
兄の小声に、樺山さんの挨拶に聞き入る会場を、ざっと見渡したけれど、斎藤実さんらしき人は見つけられなかった。
「30年ぐらい後の写真しか知らないから、わかんない」
首を軽く横に振りながら兄に囁くと、「東郷中将の右隣にいる」と兄が教えてくれた。
「……本当にあの人?」
海兵の軍服を着た恰幅のよい中年男性を、私は訝しげに見やった。私が前世で見た斎藤さんの写真は、五・一五事件の後、総理大臣に就任した時のものだから、今から30年以上あとのものだけれど、頬の肉が落ちていたし、こんなに太っていなかったような気がする。
(ダイエットしてもらったら、記憶と一致するのかなぁ……)
そう思った時、銅像を挟んで私たちと反対側の位置にある親族席が、少し騒がしくなったような気がした。親族席には、西郷隆盛さんの奥さんの糸子さんや、西郷隆盛さんの息子さんたち、そして弟である国軍大臣の西郷さんが座っている。糸子さんが少し顔をひきつらせているのを、彼女の隣に座っている西郷さんが宥めているような雰囲気だ。
(どうしたんだろう?)
親族席を観察していると、樺山さんの挨拶が終わり、続いて総理大臣の山縣さんが台に上がって祝辞を読み始めた。
山縣さんが涙声で読む祝辞そっちのけで、西郷さんは、小声で抗議する糸子さんを宥め続けているようだ。
(大山さんに、様子を見てきてもらう方がいいかな……)
そんな考えも頭を掠めたけれど、私はすぐにそれを打ち消した。“史実”では、西南戦争の後、2度と故郷の鹿児島に帰らなかった大山さんだ。西郷隆盛さんの遺族と、打ち解けて話せる間柄ではないかもしれない。今日は、東宮武官長の職務を果たすために、私と兄の側についてくれているけれど……。
(職務じゃなければ、本当はこの場にいたくなかったのかもしれないし、西郷隆盛さんの遺族と顔を合わせるのも辛いのかも……)
そう思うと、行動が起こせず、私は糸子さんと西郷さんを、見守ることしか出来なかった。
「……殿下、増宮殿下」
ふと、私を呼ぶ声がして、私は我に返った。私の前に、海兵の軍服を着た男性が立っている。除幕委員長の川村純義さんだ。
「像の前に、御移動願えませんか」
糸子さんが気になるけれど、私は無言で頷き、銅像の前へと歩いた。
「遅いぞ」
微笑む兄の手には、紅白の糸で撚られたロープがある。ロープの先は白い布に繋がっていて、引けば布が下に落ちる仕組みだ。私も兄のそばに立ち、ロープを持った。
「それでは、皇太子殿下と増宮殿下に、除幕をしていただきます」
川村さんが会場内に呼び掛ける。兄と呼吸を合わせて、一緒にロープを引くと、像に掛かっていた白布が地面にハラリと落ち、西郷隆盛さんの銅像が姿を現す。犬を連れ、浴衣で狩をしている西郷隆盛さん。前世で見慣れた、“上野の西郷さん”の銅像である。待機していた楽隊がファンファーレを鳴らし、会場は拍手喝采に包まれた。
と、
「いやああ!」
女性の叫び声がした。
私は咄嗟に振り返って身構えた。仕込み傘を持っていたら、抜き放っていただろう。
「待て」
私の様子を察した兄が、片手で私を制した。「曲者ではないようだ」
「え、じゃあ、一体……」
兄に問い掛ける私の声と、
「宿んしは、こげなお人じゃなか!」
という女性の叫び声が重なった。
「義姉さんっ」
西郷さんの慌てる声が聞こえる。西郷さんの隣の糸子さんは、制止する西郷さんを睨み付けていた。どうやら、今の叫び声は、糸子さんのもののようだ。
(“宿んし”って……西郷隆盛さんのことかな?つまり、この銅像、西郷隆盛さんとは似てないってこと?)
「川村さん、川村さん」
私はすぐ近くにいた川村さんを呼んだ。
「はっ、何でございましょうか、増宮殿下?」
「川村さんって、西郷隆盛さんと会ったことはありますか?」
「はい、小さい頃から可愛がられました」
川村さんはそう言って私に一礼する。どうやら、彼も薩摩藩の出身者であるようだ。
「じゃ、川村さん、聞きたいんですけど、この銅像、西郷隆盛さんとは、全然似ても似つかないですか?」
すると、
「難しい質問でございますな」
川村さんは首をひねった。「確かに、顔の形や、部分の造作は、そっくりでございます。しかし、あの愛嬌と言いますか、温和さと言いますか、表情が十分には表現しきれていないように思うのです」
「ええと、つまり……西郷隆盛さんには間違いない、と」
「残念ながら、大西郷は写真を残していませんでしたが、あの像の下絵は、大西郷の親族や見知った人などに見てもらって、調整しております。もちろん、奥様にもです。ですから、あの像が本人ではない、ということは絶対にありません」
川村さんは断言した。
(じゃあ、奥さんが“こげなお人ではなか”、って言うのは、一体どういう意味なんだ??)
私の頭の中に、たくさんの疑問符が発生した。
「なるほど……そういう意味だったんですね」
除幕式が終わり、出席者たちが帝国博物館に設けられた宴会場に移動し始めた頃。花御殿に戻る予定だった私と兄は、無理を言って銅像の前に残り、西郷隆盛さんの奥さん・糸子さんと話をしていた。
「はい」
糸子さんが、本当に申し訳なさそうに頷いた。「主人は、このように大勢の人の前に出る時に、こんなくつろいだ格好をする人ではありませんでした。ましてや、宮さま方もいらっしゃる前で、正装をしないなんてことは……。だから、樺山さんが“浴衣で狩りをしている姿を模した”と言うのを聞いて、たまげてしまいまして、信吾さんに詰め寄ってしまって……像を見て、思わずお国言葉で叫んでしまいました」
「確かに、義姉さんの言う通りなんじゃが……」
糸子さんの隣に立つ、国軍大臣の西郷さんが、渋い表情をした。「そうもいかない事情もあって……なぁ?」
「はい」
「ええ」
樺山さんと川村さんが、同時に頷いた。
「最初は、軍服を着た像にしようという案だったのです。ところが、“一度朝敵とされた者の像に、軍服を着せるのはいかがなものか”などと、色々と横槍が入りまして……。西郷閣下と大山閣下と協議して、今の姿にしたのです」
樺山さんがこう言って肩を落とす。
「建設場所も、当初は皇居のそばの予定だったのです。ところが、それにも同じような横槍が入りまして、上野になりました」
川村さんも、眉をしかめながら言った。
「悲しいことですね」
私はため息をついた。「敵も味方も、心の底でお父様のことを思ってくれたのは一緒なのに……」
「その通りだな」
兄が私の頭を撫でる。「だからこそ、戊辰以来の犠牲者の冥福を、わたしはかつての敵味方、かつての官軍賊軍の区別なく祈りたいと思っている。彼らの犠牲の上に、今があるのだから」
兄の言葉に、糸子さんも西郷さんも、樺山さんも川村さんも、一斉に頭を下げた。
(時期を見て、正装をした西郷隆盛さんの銅像が、建てられるといいのかな……)
私がそう思った瞬間、川村さんの下げた頭の向こう、銅像の手前に、見慣れた後ろ姿が見えた。大山さんだ。
(おかしいな……侍従さんと戻るから、先に花御殿に戻って、って言ったのに)
不審に思った私は静かに兄のそばを離れ、大山さんの所に歩いていった。
「大山さん」
西郷隆盛さんの像と向かい合うように立ち尽くしている大山さんに声を掛けたけれど、答えは返ってこなかった。いつもなら、すぐに振り向いてくれるのに。私は、彼と袖が触れあう場所まで近づき、
「大山さん」
と、軍服の右の袖を軽く引っ張りながら、もう一度呼んだ。
「……梨花さま」
大山さんが、小さく私の名を呼んだ。
「昔のことを……思い出しておりました」
大丈夫か、と聞こうとした私の口の動きは、彼の答えで止められてしまった。
「幼い頃のこと、戊辰の役のこと、西南の役のこと……」
「大山さん」
私はとっさに、彼の右手を取った。
「目指しておりました。吉之助さぁのような、立派な人間になりたいと。超俗の境地にある、広大な海のような将器になりたいと。吉之助さぁを、この手で討って、陛下に、吉之助さぁの身代わりと思うと、お言葉をいただいてから、ずっと……」
「大山さんっ」
彼の手を、ぎゅっと握り締める。脳裏に、大津事件の時のことが呼び起こされた。あの時のように、大山さんに、「俺を斬ってください」と言われてしまったら……。
すると、私の手が、きつく握り返された。
「大丈夫です、梨花さま」
大山さんが微笑している。いつもの、優しくて暖かい瞳が、私に向けられていた。
「俺は、自分の心を、いつの間にか鎖で縛ってしまっておりました。それを断ち斬ったのは、梨花さまでございます」
「え……」
(私が、鎖を断ち斬った?)
心当たりがない。必死に記憶を探っていると、大山さんは私の目を正面から見詰め、更に言葉を続けた。
「あの時……“我が傍らで、そなたなりのやり方で、陛下と皇太子殿下に仕え、おのれの職責を全うせよ”と、俺に言っていただいたあの時、梨花さまは、俺の鎖を断ち切られました」
「!」
「ですから、俺は……梨花さまに、お仕えしようと決めました」
「そう、なんだ……」
私は、目を伏せた。
ずっと、分からなかった。なぜ、大山さんが、私と君臣の契りを結んでくれたのか。なぜ、未熟な私を主君と仰ぎ、大切に思ってくれるのか。なぜ、君臣の契りを結んでから、大山さんの雰囲気が変わったのか。……どうやらそれは、あの時、私が無我夢中で掴み取った選択肢ゆえ、であるらしい。
(てか、改めて考えると、責任重大過ぎる……。有能で経験豊富な、和製CIAだかKGBだかのトップが私の臣下って……しかも、あの西郷隆盛さんに、育てられたも同然という人を……)
私は、目の前に立つ、西郷隆盛さんの銅像を見上げた。
「お礼、言わなくちゃなぁ……」
呟くと、「は?」と大山さんが私に問うた。
「いや、西郷隆盛さんのお墓にお参りして、お礼をね。あなたを育ててくれてありがとう、って。それから、お父様のことを大切に思ってくれてありがとう、って」
大山さんを振り返らずに答えると、隣で、息を飲む気配がした。
「あのさ、大山さん、……私、機会があったら、西郷隆盛さんのお墓にお参りする。きっと、お墓は鹿児島にあるんだよね?」
「あ、はい……」
あの大山さんが、少し間の抜けた声で返事をする。
「そうか。それなら、その時には、他の西南戦争で亡くなった人にも、敵味方の区別なく、ご冥福をお祈りして、お礼を言わないとな。……あ、でも」
私が大山さんに向き直ると、彼は少し首を傾げて私を見た。
「大山さんは、私についてきてもこなくても、どっちでもいいよ」
「梨花さま……」
「だって、あなた、ニコライ陛下が鹿児島に行った時、接伴の副委員長だったのに、ついて行かなかったでしょ?だから、……鹿児島に行くのが辛いなら、あなたはお留守番していて。大切なあなたに、辛い思いはさせたくないから。その時は、あなたの分も、私がお参りする」
すると、
「いえ」
大山さんは、静かに頭を振った。
「お気遣いは、ありがたく受け取ります。ですが……俺は、梨花さまの臣下でありますゆえ、梨花さまの行かれるところであれば、どこへでもついて参ります」
「そう……」
私は、頷くしかなかった。多分、私がどう説得しても、この臣下は、主張を曲げることはないだろう。
「……じゃあ、この破天荒な主君についてきてもらうわよ。後悔しないでちょうだい」
わざと明るい調子で私が言うと、
「ふ、梨花さまのやんちゃなど、まだまだでございます。薩英戦争の時に、俺がスイカ売りに化けて、英国の軍艦に討ち入ろうとした話はしましたかな?」
大山さんがニヤリと笑って、こう言い返した。
「は?スイカ売りに化けて軍艦に討ち入り?何よ、その滅茶苦茶な作戦は!」
「ふふ、それでは、教えて差し上げましょう。あれは文久3年のことですから、西暦に直せば1863年、今から35年の昔になりますが……」
大山さんが語りだした、とんでもない昔話に、私はところどころツッコミを入れる。私と手をつないだままの我が臣下は、私の反応を楽しみながら、幕末の思い出を語る。
そんな私たちを、冬晴れの空の下、西郷隆盛さんの銅像が、ずっと見下ろしていたのだった。
※西郷隆盛さんの銅像除幕式については、「新聞集成明治編年史」所載の記事、読売新聞の記事、「敬天愛人フォーラム」の記事、Wikipedia等を参照しました。なお、鹿児島弁についてはこれで合っているか自信がありません。ご了承のほどお願いいたします。




