昼食会
※地の文のミスを修正しました。(2020年11月9日)
1898(明治31)年11月13日日曜日、午後1時半。
「あっ……」
皇居の奥御殿の一室。お母様と兄、それと異母妹の昌子さま、房子さま、允子さまと昼食を取っていた私は、テーブルの上の小さな砂糖壷を取ろうと手を伸ばして、腕の鈍い痛みに顔をしかめた。
「章子お姉さま、大丈夫?」
すぐ下の妹の昌子さまが、私のことを心配そうに見つめる。
「章子お姉さま?」
「どうなさったの?」
昌子さまの声が耳に入った房子さまも允子さまも、同時に私をすがるように見た。
「ああ、……大丈夫だよ、みんな」
私は笑顔を作って、周りを見回した。「昨日の筋肉痛だから」
「ふふ、昨日の戦い、激しかったですからね」
笑うお母様に、
「ええ」
とだけ頷いた私は、角砂糖を一欠片取って、砂糖壷を戻す。また腕に鈍い痛みが走ったけれど、これはしょうがない。
昨日は、華族女学校の運動会だった。私は、午後に行われたテニスの試合に出場した。事前に中等科全体で予選をやり、準々決勝まで終わらせていて、私も節子さまも準決勝に出場を決めていた。
そして、昨日行われた準決勝で、私は上級生相手に勝利した。さて、決勝の相手は誰だろうと、隣のコートを見たら、ちょうど節子さまが勝利を収めたところだったのだ。まぁ、私も節子さまも、身体を動かすのは好きだし、テニスも好きだから、当然の結果かもしれない。
「しかし、昨日は本当に大熱戦だったな」
制服姿の兄が、そう言ってにっこり笑った。
「当然よ。私も節子さまも、“お互いに手加減無しで戦いましょう”って約束して、試合をしたんだから」
華族女学校でも花御殿でも、天気が良ければ節子さまとテニスをすることが多い。お互いの手の内を知り尽くしているだけに、頭も身体も目一杯使って戦った。その結果、節子さまに僅差で負けてしまったけれど、全く後悔はしていない。
「全力で節子さまと戦えて楽しかったよ。でもさぁ……何で皆、運動会を見に来たの?」
軽く兄を睨むと、
「お前と節子が出るなら、俺は見に行くしかないではないか。学問所の授業が終わった後、慌てて自転車を走らせたぞ」
兄はニヤリと笑った。
お母様は、今日この場には来ていない異母弟妹の、輝仁さまと聡子さまと多喜子さまと一緒に、午前中から運動会に来てくれた。そこまではいい。問題は、テニスの決勝が終わった時、お母様の隣で、兄が拍手していたことである。まさかと思って周りを見回すと、観客席に、国内にいる梨花会の面々が全員顔を揃え、私と節子さまを熱心に見つめていた。これが私の時代なら、手にスマホやデジタルカメラを持って、写真や動画を撮影していたのだろう。現に、後藤さんは大きなカメラを準備して、コートに立つ私と節子さまにレンズを向けていた。
「まさか、お父様まで試合を見に来てた、なんてことがあったら、私、ちょっとやだなぁ」
先月、私とトリノ伯の剣道の試合を変装して見に来た前科があるから、観客席にお父様が紛れ込んでいた可能性もゼロではない。けれど、残念ながら、今それを本人に確かめることが出来ない。お父様が、国軍の大演習を親閲するため、今朝、大阪に出発したからである。私も兄と一緒に、新橋停車場にお父様のお見送りに行った。
「格好とか、全然気に掛けてなかったから、最後、髪のリボンがほどけたの、直す余裕が無かったし……」
おまけに、試合が終了した直後に、リボンだけではなく、ヘアゴムが切れてしまったのだ。秋風で長い黒髪が広がった瞬間、会場全体がどよめいたのは、私が本当は恐ろしい顔かたちをしていることを、観客たちが認識したからだろう。
と、
「あの時の章子お姉さま、とても綺麗でした」
昌子さまが目をキラキラさせながら言った。「平安の昔の、お姫様みたいでした」
無邪気な笑顔の昌子さまが、私を褒めてくれているのか、それとも慰めてくれているのか、私には判断が付かなかった。
「でもね、平安のお姫様の髪型じゃ、医者の仕事が出来ないからねぇ……」
「そうなの?」
首を可愛らしく傾げる房子さまに、
「清潔にしなきゃいけないところに、髪の毛が付いちゃう危険があるから、なるべくなら、髪の毛はまとめないとね」
私は穏やかに言った。本当は、髪を切って、ショートカットにしたいけれど、大山さんに切るなと言われているから出来ない。その大山さんは、観戦武官としてお父様に供奉して大阪入りする予定だったのだけれど、欧州の情勢が騒がしいとかで、山本さんと一緒に東京に残って情報分析をしている。
「でも、髪をまとめるって言っても、日本髪や束髪は、頭が大きく見え過ぎるし、好みじゃないんだよなぁ……」
ブツブツ呟いていると、
「それを考えるのは、少し早いのではないか?」
兄が苦笑した。「一高に合格してから考えてもよいではないか」
「まぁ、そうなんだけどね」
既に3年後の受験までの学習計画を立てているから、つい、その先のことも考えたくなってしまうのだ。
「明宮さんの言う通りですよ、増宮さん」
お母様もクスリと笑う。「逸る気持ちは分かりますけれど」
「はぁ……」
何とか頷いた私を見て、「では、私が考えておきましょうか」とお母様が言った。
「え……?」
「増宮さんが、高等学校に進学した時にする髪型ですよ」
お母様は、眉を軽くしかめた私に微笑みを向ける。「増宮さんに全部任せてしまうと、髪を全部切ると主張して、大山どのと伊藤どのを困らせてしまいそうですから」
(よくお分かりで)
私はお母様に頭を下げた。
「確かに、議長と武官長を、相当手こずらせそうだ。化粧を初めてさせる時も大変だったからな」
兄はそう言って、首を何度も縦に振る。
「では、少し私の方で考えておきますね。捨松どのを宮中に呼んで、お茶をいただきながら一緒に考えてみようかしら」
「分かりました……」
こうなってしまっては、逃げることは出来ない。観念した私は、お母様に再び一礼した。
食後のデザートをいただいて、昌子さま、房子さま、允子さまが帰った後、私と兄は別室に移り、お母様と話を続けていた。
「ところで、お2人とも、松方どのはいかがですか?」
長椅子の真ん中に座ったお母様が、私たちに優しく尋ねる。オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世の在位50周年記念式典に出席するため、輔導主任の伊藤さんは、先月の半ばにウィーンに向けて出発していた。彼の不在中、東宮大夫と私の輔導主任の業務は、大蔵大臣の松方さんが代行している。
「業務は、滞りなくされていると思います」
「ええ、私もそう思います」
お母様を挟んで長椅子に座った私たちは、当たり障りの無い答えを返した。
「あらあら、正直におっしゃっても大丈夫ですのに」
私たちの様子に、不自然さを感じたのだろう。お母様はそう言って苦笑した。「人払いもしていますよ」
「そうなんですけど……」
お母様の言葉に、私はうつむいた。
「お父様の思し召しや、伊藤議長の思いに、その……反してしまうようなことを、言ってしまいかねないので……」
兄も、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「大丈夫ですよ。私の胸にしまっておきますから」
お母様の声に、私と兄は顔を見合わせた。
「言っちゃう?」
「言って……しまうか」
お母様越しに、兄と小声で言い交わすと、すぐ横でお母様が微笑する気配が感じられた。
「そのご様子ですと、松方どのは、なかなかに手厳しいようですね」
お母様の言葉に、
「ええ、とっても!」
「はい、かなり……」
私と兄は同時に反応した。
「財政と経済は国の要というのは、わかるんです、すごくよくわかるんです!だけど、あんなにたくさん話されると、頭が破裂しそうになるんです!」
私が半ば泣きそうになりながら、お母様に訴えると、
「俺も……一応、学問所で、経済学の話を聞いたから、辛うじて松方大臣の話についていけるようなもので……」
兄もこう言いながらため息をついた。
伊藤さんがウィーンに旅立ってから、松方さんは毎週日曜日の午前中、花御殿にやってくるようになった。そして、私と兄に、経済や財政のことを、眼を輝かせながら、とても嬉しそうに講義するのだ。確かに、松方さんは、私が小さい頃から、「いずれ殿下に、経済のことをお教えせねば」と言っていたし、今回、彼が輔導主任代理になったのも、「良い機会だから、経済と財政のことを教えてやれ」という、お父様の鶴の一声があったからだ。だから、その期待には応えなければならない、そう思うのだけれど……。
「児玉さんに、孫子の話を聞いてたから、戦争をするにも、経済と財政に対する影響を考えないといけないし、経済や財政が戦争を支配することもある、というのは分かるんですけれど……」
「そう、戦争には金がかかる。敵国に、資本を使わせて消耗させるのも、また戦争の策の一つ。それに限らず、自国の民を富ませる手段として、経済と財政のことは学ばねばならない。それは重々承知しているのです。しかし……」
「やっぱ、理解するのはすごく大変だよ、ねぇ、兄上……」
「梨花の言う通りだな……」
2人一緒に肩を落とすと、
「あらあら」
とお母様が苦笑した。
「でも、兄上は、後で御学問所の皆と一緒に、分からないところを高橋さんに聞いてるんでしょ?それで大分わかるようになった、って言ってたじゃない」
私は少し頬を膨らました。御学問所で、兄とご学友さんたちに経済学を講義しているのは、農商務次官の高橋是清さんである。週に1、2回、御学問所に彼が現れるので、兄はその時に高橋さんを質問攻めにして、松方さんの話の疑問点を解消しているそうだ。
「お前も、武官長に説明を受けて、何とか疑問点を解決しているそうではないか」
「うん、そうなんだけど、……何で医療のことが絡むと、経済や財政のことがある程度わかるようになるのか、自分でも不思議なんだよね……」
私の時代では、医療費が国家予算の中でかなりの割合を占めている。それはどうしてなのか、そして、医療費はどうやって決まっているのかなどなど……問われるままに大山さんに答え、「では、それを踏まえて考えるといかがですか?」と、彼に財政や経済の質問を投げかけられると、不思議と松方さんの講義の内容とつながって、松方さんの講義の内容が理解できてしまうのだ。
すると、お母様がニッコリ笑った。
「なるほど、明宮さんも増宮さんも、それぞれのやり方で、苦手なものと取り組んでいらっしゃるのですね。とても素晴らしいことです」
私も兄もハッとして、自然にお母様に頭を垂れる。
「その御経験はきっと、今後も明宮さんと増宮さんを助けてくれますよ。財政や経済の知識を得られる、ということだけではありません。困難な物事に立ち向かうことは、人をより成長させるものです」
微笑みを、私と兄に交互に向けるお母様に、
(敵わないなぁ……)
と私は思った。お母様は、他人のことを悪く言ったり、他人に怒ったりすることは絶対にない。そして、どんな物事でも、良い面を見逃さないので、真正面からはもちろんだけれど、思わぬ方向から人を褒める。今まで、その視点に、その言葉に、何度も救われているのだ。
「ふう、では、頑張らなければなりませんね」
兄がそう言って苦笑した。「立派な皇太子に、立派な帝になるために」
「そうだね、兄上。私も、立派な上医になるために、松方さんの話、頑張って理解しないとね」
兄と視線を交わすと、
「それがよろしゅうございますね」
お母様が微笑した。何もかもを包み込む、とても暖かい微笑みだった。
※実際には、この年の華族女学校の運動会は11月19日に行われました。




