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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第23章 1898(明治31)年立春~1898(明治31)年寒露
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“SekuharaーYarou”

 1898(明治31)年10月9日日曜日、午前10時。

(何で私は、イタリアの王族と戦わないといけないんだろう……)

 花御殿にある武道場。稽古着を着た上から、剣道の防具を付けた私は、盛大にため息をついた。

 3日前の6日、イタリアの国王・ウンベルト一世の甥であるトリノ伯が東京にやって来た。彼は、3年前に来日した、アブルッツィ公のお兄さんである。今年の4月から世界一周旅行に出ており、その途中で日本に立ち寄ったのだそうだ。

 一昨日の7日、トリノ伯は参内し、彼を歓迎する午餐会が、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)、そして、兄や伏見宮(ふしみのみや)貞愛(さだなる)親王殿下をはじめとする在京の皇族、総理大臣の山縣さんや外務大臣の林さんなどが出席して催された。

 私はその午餐会には呼ばれなかった。私はまだ、成人していない。それに、7月に来日したロシアのキリル・ウラジーミロヴィチ大公もそうだったけれど、トリノ伯も私に会いたいとは言ってこなかったのだ。ただ、キリル・ウラジーミロヴィチ大公は、“ニコライ陛下に献上する”と言って私の写真を所望したので、後で写真を撮って渡した。

(トリノ伯も、写真を寄越せって言ってきたら、めんどくさいなあ……)

 そう思いながら、いつも通りに華族女学校(がっこう)に登校して帰ったのだけれど……。

――妙なことになった。

 兄にこう言われたのは、一昨日、華族女学校(がっこう)から帰り、剣道の師匠である東宮武官の橘周太大尉と、この武道場で手合わせした直後だった。

――はい?

 面を取り、首を傾げた私に、

――トリノ伯が、お前と手合わせしたいと言っている。

稽古着を着て武道場に入ってきた兄は、渋い表情で言った。

――あの、手合わせって、何の?

――剣道だ。

 思わず目を丸くした私に、兄は事情を説明し始めた。

 午餐会の席上、トリノ伯が突然、「増宮と剣道で戦いたい」と言い始めた。彼は相当お酒が入っていたので、酔っぱらって冗談を言っているのだろうと、日本側の出席者は全く相手にしなかった。ところが、午餐会が終わった直後、イタリア公使がまた参内してきて、

――増宮殿下とトリノ伯との剣道の試合の日程を、調整しに参りました。

と宮内大臣の土方さんに告げたのだそうだ。

――なんでも、お前が剣を学んでいるという話を聞いて、イタリアを出発したときから、是非とも勝負したいと思っていたそうだ。アメリカから日本に向かう船の中でも、お前と勝負できないなら自殺すると言っていたとか。

 ため息をついた兄に、

――会いたいって言ってこないから助かったと思ったのに、“戦いたい”ってどういうことなのよ……。

私もため息をついて返した。“勝負できないなら死ぬ”というのは、一体どういう心理状態から生まれた発想なのか、私には理解できなかった。

――で、どうする?

――勝手に絶望されて自殺されちゃ困るから、戦うけどさぁ……。

 私の意向を確認する兄に、私は答えると、口をへの字にした。

――だけど兄上、トリノ伯、剣道はできるの?

――腕は立つらしいぞ。昨年、イタリアを新聞紙上で侮辱したフランスの旧王族と、剣で決闘して勝ったということだ。

 兄の答えに、私は思わず倒れそうになった。確か日本では、決闘が禁止されているはずだけれど、なぜヨーロッパで、決闘がいまだに残っているのだろうか。

(何て野蛮なのよ……。アブルッツィ公は、面白い登山マニアだったのに、そのお兄さんがバトルジャンキーだなんて……)

――西洋の剣術となりますと、突きが主体となりましょう。攻撃が有効になる場所も、剣道とは違うはずです。

 橘大尉が、横から教えてくれる。

――相手がこちらの土俵にわざわざ乗ってくれるから、そこを突く戦い方はあるかなぁ……。

 私が両腕を組むと、

――とはいえ、お前との戦いを熱望していたのならば、剣道の作法も知っている可能性はある。油断は禁物だ。

兄が厳しい表情で言い、

――勝負をするからには、勝つつもりでやれ。

と付け加えた。

 それからの稽古は、トリノ伯との戦いを想定したものになった。橘大尉が、フランス式の剣術もある程度知っていたので、彼に相手になってもらって、立ち合いを繰り返した。トリノ伯と昼食を共にした兄に、トリノ伯の背格好を確認し、花御殿にいた大山さんに事情を説明して、トリノ伯がいつごろから私と剣道で戦うことを考え始めたのかや、昨年の決闘のことなど、彼の剣に関することを何でも調べてくるように、とお願いした。孫子曰く、“()れを知りて(おの)れを知れば、百戦して(あや)うからず”という奴である。すると、トリノ伯は、剣道の心得のある日本人を雇って、移動中の船の中で、剣道の稽古に励んでいたことが分かった。

――相当強敵と見て、こちらも気合と術を練らなければなりませんね。

 昨日の早朝、私に報告した後にこう言った我が臣下に、

――分かってる。付け焼刃かもしれないけれど、勝つ確率は、少しでも上げないと。

私は答えた。そして、昨日華族女学校(がっこう)から帰ると、橘大尉と更に稽古に励み、今日を迎えた訳だ。

(それにしても……)

 武道場に面した板張りの廊下に、椅子を並べて座っている面々を見た私は、再びため息をついた。向こう側には、イタリア公使や、トリノ伯に随行してきた武官などが座っている。そして、こちら側には、ウィーンに向かっている児玉さん、そしてお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)以外の梨花会全員が、ずらっと顔を揃えているのだけれど……。

(殺気が酷すぎる……)

 こちら側の立会人の、である。殺気を発していないのは、末席の方で、呆れたように私を見ている原さんと、この事態を完全に楽しんでいる、勝先生と三条さんと陸奥さんと西園寺さんだけで、後は全員、トリノ伯に鋭い視線を投げている。一番中央に近い席に、制服を着た兄が座っているのだけれど、明らかにトリノ伯に殺気を向けていた。普通の人がこの空間にいたら、気分が悪くなって倒れてしまうかもしれない。

(あれ……?あの人、誰だ……?)

 西園寺さんの隣に、黒いフロックコートを着て、立派な口ひげとあごひげを生やし、銀縁の眼鏡を掛けた人がいる。あごひげの量を減らして、眼鏡を取ったら、お父様(おもうさま)に似ていそうな……と思った瞬間、一番末席の椅子から大山さんが立ち上がって、私に近づいた。

「梨花さま」

「大山さん」

 振り向くと、私の側に立った大山さんは微笑していた。席を立つまでフルパワーに近い殺気を発していたのが、ウソのように穏やかだ。

「皆に、殺気を出さないように言ってくれる?なんか、トリノ伯が、ちょっとビビってるし……」

「そうですか。ならば、(おい)も、トリノ伯に本気を出さなければなりませんね」

「知らないわよ。トリノ伯が倒れても」

 クスリと笑う大山さんに、私は呆れながら答えた。

「皆さま、梨花さまが心配なのですよ」

「それは分かるけれど」

 私はため息をついた。「……あの、大山さん、本気で勝負していいんだよね?私の勝ち負けが、日本とイタリアの関係に影響する、なんていうことはないよね?」

「もちろんです」

 大山さんは、私を真正面から見つめた。優しくて暖かい眼差しが、面の向こうから私を包み込む。

「ありがと、大山さん。……やるだけやってみるよ」

 頷くと、

「その意気でございます」

大山さんも私の目を見つめ返して、頷いた。


 私の剣の師匠である橘大尉が審判をすると、私に有利な判定を下すかもしれない……ということで、公平を期すため、審判は警視庁の剣道師範がすることになった。3本勝負で、2本先に取った方が勝者となる。

(さて……)

 試合が始まり、竹刀を構えた私は、トリノ伯を観察していた。橘大尉によると、フランス式の剣術は、身体のどこに剣が当たっても有効になったり、胴体全体に剣が当たれば有効になったり……とにかく、剣道とは、攻撃が有効になる場所が違うらしい。どこに攻撃を加えればよいかは、剣道の練習をしていたとは言え、トリノ伯は慣れていない可能性が高い。橘大尉と私の事前の見解は一致していた。

 一方、トリノ伯は、私より20cm以上背が高い。もちろん、私よりもがっしりした身体つきだし、本物の剣を使った決闘に臨んだという経験も持っている。だから最初は、わざと上段に剣を構えて、私を体格差で圧倒しようとするのではないだろうか……。

――そうなれば、返し技で一本取ります。私、その練習ばかりしているようなものですから。

 昨日稽古した時、私は橘大尉にこう言った。小さいころから、橘大尉や兄、兄のご学友さんなど、私より身体が大きな人ばかりと稽古をしてきた。稽古の相手が、私を体格差で圧倒しようとして攻めてくるのが日常茶飯事だったので、自然、その攻撃をいなして反撃するというスタイルが得意になったのだ。

 けれど、中段に竹刀を構えた私に、トリノ伯は全く攻撃してこない。それどころか、何となく私に押されているような感じがある。

(みんな、心配してくれるのはありがたいけれど、これじゃ、1人対10数人だよ……)

 トリノ伯が動かないのは、間違いなく、この武道場全体を覆いつくしている殺気のせいだろう。梨花会には、維新の動乱を潜り抜けた人間も、現役や予備役の軍人も、たくさんいるのだ。その殺気の総量たるや……慣れていないトリノ伯が立っていられるのが不思議なくらいである。

 これなら、トリノ伯を動かす方がよさそうだ。私は大きな声を上げながら、トリノ伯に打ちかかった。何回か打ち合うと、隙を大げさに作る。トリノ伯が吸い込まれるように、私の面を狙いに来たので、狙いを外しながら左胴を打った。

「胴あり!」

 審判が私の側の手を上げる。普通なら、ここで歓声の一つでも上がると思うけれど、私の側の立会人からも、トリノ伯の側の立会人からも、声は全く出ない。向こう側が声を出さないのは、まぁ分かるけれど、こちら側から声が全くないというのは……。

(油断するな、ってことだな)

 私は竹刀を構え直し、更にトリノ伯に打ちかかった。今度は、隙は全く作らず、全力の気合を込めて竹刀を打ち込む。トリノ伯は明らかに私に押されていた。

 呆気なく、トリノ伯は私に面を打たれてしまい、勝負がついた。

 礼を交わすと、竹刀を置いたトリノ伯が、両手を広げながら私に歩み寄ってきた。

素晴らしい(ブラービィ)!』

 ……そう叫んでいたらしいのだけれど、イタリア語だったので、私には全く分からなかった。

『剣の形は違うとはいえ、剣を修業したこの私に打ち勝てる貴女こそ、我が愛を捧げる相手に相応しい!やはり、夫婦は武芸を互いに切磋琢磨せねばな!』

「はぁ……?」

 本当に、防具が触れ合うような至近距離に歩み寄ってきたトリノ伯を、私は眉をしかめながら見た。

「誰か、通訳できる人はいませんか?」

 呼んでもいない観客たちに呼びかけると、イタリア公使のすぐ隣に座っていたイタリア人の男性が席を立った。

『増宮殿下よ!一緒にイタリアに行こう。そして結婚式を挙げるのだ!』

 “増宮”と“イタリア”と言ったのは分かるなぁ、と思った次の瞬間、……トリノ伯が私の身体を強く抱き締めた。

「?!」

 腕を振りほどこうとするけれど、流石、実戦の経験者だけあって、なかなか振りほどけない。医科研の野口さん(セクハラ野郎)とは、力の強さが全然違う。私はとっさにトリノ伯の脛を蹴り飛ばした。締め付ける力が緩んだ一瞬の隙を利用して、必死に腕から逃れ出る。

「この、セクハラ野郎がぁっ!」

 トリノ伯の胴に、私の回し蹴りが決まったのと、

「貴様っ!朕の娘に何をする……っ!」

……お父様(おもうさま)の声が、武道場に響いたのとは、ほぼ同時だった。

「は?!」

 立会人の席の中、1人だけ立ち上がり、こちらを物凄い目つきで睨んでいる男性がいる。西園寺さんの隣、立派な口ひげとあごひげを生やした彼は、震える手で眼鏡を顔から取り去った。……間違いない、お父様(おもうさま)だ。

「ちょっと、お父様(おもうさま)が何でいるんですか?!」

 床にうずくまるトリノ伯を放置して、私は日本一とんでもない立会人の元に駆けた。

「決まっているだろう。章子が心配だったのだ。勝と公望にも、見に行けと勧められたし」

 お父様(おもうさま)はそう言いながら、立派なあごひげの端に手を掛けた。顎から付け髭が離れると、見慣れたお父様(おもうさま)のあごひげが現れる。

「それはありがたいんですけど!」

 私は叫ぶように言った。「何で変装してるんですか!」

「そなたもしたであろうが」

 私のツッコミに、お父様(おもうさま)は得意げに答えた。

「そうですけど、……イタリア側、完全にパニックになってるじゃないですか!」

 イタリア公使は、顔を真っ青にしている。通訳の男性は、やはり青ざめながら、虚空に向かって祈りの言葉らしきものを唱えている。トリノ伯のお付きの武官さんは、椅子からピクリとも動かない。どうやら、座ったまま気絶しているようだ。それはそうだろう。トリノ伯はセクハラをして私に返り討ちに遭うし、日本側の立会人たちは、「イタリアに宣戦布告するか……?」「どの国と手を組みますかな」と言いながら、自分たちを冷たい目線で見据えているし、おまけに、その立会人の中に天皇が混じっているし、……恐慌状態に陥らない方がどうかしている。

「梨花さま」

 いつの間にか、大山さんが私の隣に立っていた。その顔に、肉食獣めいた微笑みが張り付いている。

「お許しをいただければ、あの不届き者を始末致しますが」

「あ、あの、大山さん、始末ってまさか……命を取るってことじゃないよね?」

 恐る恐る尋ねると、

「いえ、波の下の都に行っていただくだけでございますよ」

……非常に有能で、経験豊富な我が臣下は、殺気を隠そうともせずこう言った。

「それ、平家物語じゃないの!やめて、大山さん!確かに、向こうは無礼な振舞いをしたけれど、私が一発お見舞いしたからそれでいいじゃない!変な外交問題になったらどうするのよ!」

「外交問題になどさせませぬ」

 山縣さんが、椅子からゆらりと立ち上がった。「この山縣、一介の武弁として、我が国をかけて、増宮さまをお守りしなければなりません」

「さよう、たとえイタリアと干戈(かんか)を交える事態になろうとも、吾輩の立憲改進党も、もちろん山縣総理大臣と運命を共にするんである!決戦も辞さず、なんである!」

 大隈さんが血相を変えて叫べば、

「もちろん、非常事態ですから、立憲自由党も政府に全面的に協力します」

陸奥さんもニヤニヤ笑いながら提案する。

「なれば、愛しい妹を守るために、俺もイタリアまで出征しなければなるまいなぁ……」

 兄までこんなことを言いながら、トリノ伯を鬼のような形相で睨み付けている。

「だから、皆落ち着いて!落ち着きなさーいっ!!!」

 私の心からの叫びが、武道場に響いて、消えた。


 3日後、私とお父様(おもうさま)の手元に、イタリア国王・ウンベルト一世からの電報が届いた。イタリア公使が急報した結果、国王陛下が直ちに電報を発したらしい。内容は、“甥が不適当な行動を取り、増宮殿下の名誉を傷つけて本当に申し訳ない”という……まぁ、要するに詫び状だった。

「このぐらいで勘弁してやるか」

 お父様(おもうさま)はそう嘯いていたけれど……いやいや、今の日本の国力で、イタリアと本当に戦争して勝つとは思えない。確かに、無礼を働いたのはイタリア側だけれど、その張本人のトリノ伯からも、日本を出発する前に詫び状が届いたから、私はそれで矛を収めることにした。ただ、トリノ伯の詫び状に、「これからも立派な“Sekuhara―Yarou”になれるように頑張ります」と書いてあったのは、私の罵倒を誉め言葉と勘違いしたのか、それとも罵られるのが趣味なのか、どちらなのか私には分からなかった。

「イタリアに赴任した牧野さん、大丈夫かな……?」

 イタリアには、牧野伸顕さんが公使として赴任している。異国の地にいながら、今回の騒動に巻き込まれた形の牧野さんは、元外務大臣の青木さんのように、胃を痛めていないだろうか。心配になって、夕方に、紅茶を飲みにやって来た大山さんに聞くと、

「報告の電報に、“むしろ楽しかった”と書いてありましたよ」

彼はそう答えた。「大分、色々な経験を積んで、物事に柔軟に対応できるようになってきたようです」

「それは良かったけれど……」

 私はほっと息をついて、「今、イタリアってどんな情勢なんだっけ?」と、非常に有能な我が臣下に尋ねた。

「昨年のイタリアの小麦の収穫高は、前年の7割程度に落ち込みました。アメリカからの輸入小麦が確保できましたが、多少小麦の値段は上がっており、デモが数件発生したようです」

「……それ、米西戦争が、もし“史実”のように起こっていたら、アメリカからの小麦の値段も上がって、イタリアの小麦価格が暴騰したでしょうね。デモも、もっと大規模になってたかも」

「おっしゃる通り。伊藤さんと原によれば、“史実”ではその通りに推移し、ウンベルト一世は、ミラノで起こったデモを武力で鎮圧したとか」

 私の指摘に、大山さんはこう答えた。「それが無かったがゆえに、“史実”ではこの9月にあったという、オーストリアのエリーザベト皇后の暗殺も起こりませんでした。“史実”での犯人は、そのミラノのデモ鎮圧で武力が投入されたことに怒りを覚え、ウンベルト一世を殺害しようとし、結局“王侯ならだれでもよい”と、エリーザベト皇后に標的を変えたそうですから」

「なるほど、そういう風につながるんだ……」

 私はため息をついた。色々な事象と人物が絡み合う……。私が前世で日本史に夢中になった時、私はそれに魅せられていた。今もそれは変わらないけれど、その絡み合いの中に、様々な人の思いと何種類もの解釈が複雑に紛れ込み、そして歴史を紡いでいく……。歴史も、そして軍事も政治も、前世で私が考えていたほど単純なものではないということが、だんだん実感できるようになってきた。

「梨花さま?」

 大山さんが私を呼んだ。「いかがなさいましたか?」

「色々難しくて、私はまだ修業が足りないって思ったの」

 私は正直に答えた。「でも、医学でも政治でも、少しでも世の中をよくするために、私はもっと頑張らないといけないなって」

「その通りですね」

 私の手強すぎる臣下は微笑んだ。「少しずつ、お分かりになって来られているとはいえ、まだまだご修業が必要です」

「分かってる」

 私が頷くと、大山さんは、私の頭をそっと撫でてくれたのだった。

※日本では、明治22年に決闘が禁止されました。拙作の世界線でもこれは有効ということで……。


※剣道の審判作法は、後年のものになりますが、「剣道要覧」(大日本武徳会山形県支部、明治43年)を参考にしました。作者は剣道経験がないので、迫力ある描写が出来ませんでしたが、お許しを。


※エリーザベト暗殺の実行犯、ルイジ・ルケーニについては、ドイツ語のwikiも参考にしました。

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