改名
※一部描写を変更しました。(2020年1月18日)
※さらに一部、描写を変更しました。(2021年3月8日)
1897(明治30)年11月27日土曜日、午後4時。
私と兄の学習状況を確認する、月一回の勝先生との面談を終えた後、私は大山さんと一緒に、麹町区富士見町にある、医科学研究所の視察に来ていた。医科学研究所が出来たばかりの頃に、一度視察に行ったことがあるけれど、
――設立から数年経ち、殿下のおかげをもちまして、様々な研究が進んで参りました。一度、御視察を。
と、北里先生にお願いされたのだ。月に2、3度は医科分科会のメンバーと会い、医学談義に花を咲かせているけれど、医科分科会発足から数年、それだけでは知識欲を満たせないことも少しずつ出てきた。また、医科研も、働いている研究者が増えてきているので、彼らとの顔合わせもしなければならない。そこで、スケジュールの調整をして、医科研を訪れることにしたのである。
馬車を降りると、医科研の玄関には、北里先生が出迎えてくれていた。新規抗生物質の拾い出しを担当してくれている浅川先生や、森先生とともにビタミン研究に従事している秦先生もいる。居並ぶ研究者さんたち、一人一人に声を掛けていく。その研究者さんたちの中に、穏やかな風貌の、理知的な目をした若者がいた。
(あ……)
「あの、志賀先生」
若者の前に歩み寄り、こう声を掛けると、
「はっ」
と志賀先生は頭を下げた。
「赤痢菌の論文、読ませていただきました。見事でした」
志賀先生に一礼すると、彼は黙ってまた頭を下げた。学生の頃から、アルコール消毒の研究をしてもらったり、ツツガムシ病の研究をしてもらったり、……彼には大変お世話になっている。本当は、もっとお礼を言いたいのだけれど、時間が無いので先に進むことにした。
建物の中に入ると、北里先生が研究室を一つずつ案内してくれる。ペニシリンやリファンピシンなどの製造所もあるのだけれど、中に入るのは遠慮した。私が中に入って、コロニーに雑菌が混入して製品がダメになってしまったら申し訳ないからだ。ただ、北里先生が担当している、ジフテリアと破傷風の血清の生産過程は、少しだけ見学させてもらった。
「ところで、野口さんはうまくやってますか?」
一通り説明を聞き終わった後、北里先生にそっと尋ねてみると、
「ああ、流石に優秀ですね」
と北里先生は頷いた。「たまに、ヘマをやらかすので怒りますが、一度失敗すれば要領は飲み込めるようです」
(ああ、ちょっと気の毒かな)
私は少しだけ、苦笑いを浮かべた。左手の手術を無事に終え、退院した野口さんは、医術開業試験の後期試験を受験した。近藤先生が手術した左手の経過も良好で、実技試験の打診も問題なく出来たそうだ。そして、試験の結果が出るまでの間、試用期間と言うことで、医科研で働くことになった。
ところが、北里先生は、怒るとかなり怖い。学術的な論争が高じて、医科研で働く人たちを叱り飛ばしてしまうこともあるそうで、森先生によると、医科研の中では“ドンネル先生”というあだ名を奉られているそうだ。ちなみに、“ドンネル”というのは、ドイツ語で“Donner”……つまり、“雷”のことである。
――野口くんも、大分ドンネルを落とされているようです。
先週、医科分科会で、北里先生が少し席を立った時に、森先生がこっそり教えてくれたけれど……。
と、
「実は、来月から、野口君は本採用なのですよ」
北里先生が嬉しそうに言った。
「ということは……!」
「ええ、昨日の官報に、開業試験の合格通知が載りましてね」
(よかった……)
つまり、野口さんは晴れて医師免許を得た訳だ。伊藤さんと原さんによると、“史実”でも、野口さんが医師免許を貰ったのはこのタイミングだそうだから、“史実”通りに事が運んだことになる。
「今は、役所に免許を取りに行っています。そろそろ帰ってくるかと思いますが」
「そうか、だから見掛けなかったんですね」
などと話していると、血清生産室の扉が開いて、野口さんの姿が見えた。
「ああ、野口先生、医術開業試験合格、おめでと……」
「宮さまぁーー!」
お祝いの言葉は、野口さんの喜びとも悲しみともつかぬ声にかき消されてしまい、次の瞬間、
「ご相談がぁーー!」
泣き顔の野口さんが、私の身体に抱きついた。
「こ、この、セクハラ野郎っっ!」
渾身の力で束縛を振りほどく。今日は女袴を付けていて身体の自由がきくから、必殺の回し蹴りを食らわせたかったのだけれど、周りの器具に被害が及ぶと大変なので、顔への平手打ちだけで勘弁してやった。野口さんがノックアウトされ、入り口の扉の前に倒れ込むと、「お見事」と大山さんが呟いた。
「いや、“お見事”って、助けてよ、大山さん……」
「ご修行になるかと思いまして」
「いや、修行にならないわよ、セクハラ野郎に襲われるなんて……」
「ほう、もう少し、手応えのある連中との闘いをご希望される、と……」
「希望しません、そんなの。私は平和に生きたいんです」
「では、橘中尉に言って、毛利くんとの手合わせを増やすよう、お願いしておきましょう」
「……私を女武芸者にでもしたいの?」
私と大山さんが話している横で、
「の、野口、貴様、何ということを増宮殿下に!」
北里先生が、床に倒れた野口先生の胸ぐらを掴み、雷を落としていた。まぁ、当然の反応である。
「ふぇぇ、申し訳ありません、北里先生ー。宮さまがいらっしゃると聞いて、どうしても相談したいことがあって……」
北里先生の手により、床から引っ張り上げられた野口さんは、弱々しく呟いた。
「……どうしますか、殿下、この不届き者を」
見たこともないくらい厳しい目つきをしている北里先生に、
「まぁ、北里先生、落ち着いてください」
大山さんがゆったりと声を掛けた。「今回は、合格祝いということで不問にしましょう。……いいですね、増宮さま?」
「……まぁ、歴史を変えたくないしね」
野口さんは、私の前世のことをまだ知らない。珍しく私のことを“増宮さま”と呼んだ大山さんに、私は小声で答えた。
「仕方がない、殿下と大山閣下がそうおっしゃるのであれば」
北里先生が野口さんから手を放す。バランスを崩し掛けたか、野口さんが2、3歩よろめいた。
「で、何ですか、相談って?」
呆れながら私が野口先生に尋ねると、
「はい、実は……」
床に正座した彼は、事情を説明し始めた。
「「名前を変えたい?」」
重なってしまった私と北里先生の声に、
「はい……」
床に正座した野口先生が、力なく頷いた。
「先日、国軍の森軍医大佐と、食事をする機会があったんですが……」
森先生は、医科研に移った秦先生と、ビタミンの研究をしている。なので、医科研にもかなり出入りしており、“医科研の期待の新人”ということで、野口先生に食事をご馳走したらしい。
その席で、
――しかし、君、増宮さまから名前を聞く前に、どこかで名前を聞いたことがあるのだが……。
と、森先生が言い始めたそうだ。
「あなた、私と会う前に、そんな有名になるほど花街で遊び呆けてたの?」
私が冷たい声で尋ねると、
「違いますよぉ!」
野口先生が涙目になった。
「確かに……あの程度、伊藤さんたちの遊びぶりに比べれば……」
「いや、伊藤さんを基準にしたらダメだと思うよ、大山さん?」
真顔で呟く大山さんに、私はツッコミを入れた。
「で、森先生は何と言ったのだね?」
冷静に話を進める北里先生に、
「“思い出した、小説で見たことがあったのだ”と……」
と野口先生は答えた。「坪内逍遙という人の書いた“当世書生気質”という小説に、似た名前の人物が出て来るのだ、と言われまして……」
「ああ、坪内先生の」
脚気討論会の時に、一度会ったことがある。今は文筆活動をしながら、東京専門学校で講師をしているはずだ。
「登場人物と似た名前になってるから改名したい、って……馬鹿馬鹿しい。そんなことを言っていたら、現実の世界でも、創作の世界でも、名前をつけるのが大変になりますよ」
私が肩をすくめると、
「違うんですよぉ、宮さま!」
野口さんが叫んだ。私の身体に縋りつこうとするようなそぶりを見せたので、私はとっさに一歩下がった。
「その登場人物……野々口精作って言うんですけど、田舎から上京した医学生で、遊び人なんですよぉ!しかも、その放蕩ぶりは、上手く学校や身内からは隠している、という設定らしくて……」
「田舎から出て来た医学生で、遊び人……放蕩ぶりを隠している……」
私は野口先生をジロリと見た。
「どう見てもあなたですね」
「だからぁ!」
野口先生は涙を流していた。「僕、今は全然遊んでないのに!」
「まぁ、それは認めてあげますけれど……」
私はため息をつくと、「もう少し、冷静に考えるほうがいいと思いますよ?」と野口先生に言った。
「だって、“当世書生気質”が最初に出版されたのって、確か、脚気討論会の前だったから……明治24年より前のはずだけれど、野口先生、明治24年って何をしてました?」
「……医師になることは、全く考えていない時期です」
野口先生はこう答えた。
「でしょう?もし、坪内先生があなたをモデルにして小説を書いたのなら、あなたが医者を目指し始めた後に、あなたのことを取材して、“当世書生気質”を出したはずです。だから、坪内先生はあなたをモデルにして野々口精作を作った訳じゃないことは、これで証明できたと思いますけれど」
まぁ、“坪内先生に予知能力がある”という斜め上の説も成り立つのだけど、流石に、私や伊藤さんや原さんのように不可思議な人が、これ以上登場するのは、ご勘弁願いたい。
と、
「確かにその通りなのですが、増宮さま」
大山さんが私を呼んだ。「他の要因も、考えなければなりません。……例えば、ここに10人の人間がいて、一冊の本があるとします。この本を読んで、奥付に目を通し、初版が出た日付を確認する人間は、10人のうち、何人いるでしょう?」
「……確かに、少ないかもしれない」
そう答えて、ちょっと考えた私は、「つまり、こういうことかな?」と、有能な臣下に確認を始めた。
「一度流されてしまった情報は、その出所や発信時期を、受け手が確認することは少ない。つまり、野口先生の年齢と、“当世書生気質”の初版が出た年月日を比較して、野々口精作は野口先生をモデルにして書かれたのではない、と考える人なんて少数だ、ってこと?」
「その通りです」
大山さんの眼が、一瞬鋭くなった。大山さんが持つ本当の顔……中央情報院総裁の顔を垣間見て、一瞬、背筋がゾクリとした。機密情報を探り、情報を操作するなどお手のものである彼。その彼の言葉は、非常な重みを持っていた。
「……ってことは、野口先生が野々口精作のモデルだという説、世間に広がってもおかしくないってことですねぇ」
我が臣下の凄みを感じたことは面に出さないように、わざと意地悪な調子で野口先生にこう言うと、
「そ、そんなぁー!」
床に正座した彼は項垂れた。
「いやですよぉ、そんなの……今は遊んでないのに……」
「でも、お金が手に入ったら、花街に行っちゃうんでしょ?」
「……そ、そんなことは!」
野口先生の顔がひきつる。今の一瞬の沈黙……恐らく、図星なのだろう。
(やっぱり、野口先生に現金を渡すのは危険ね。お給料の支払い方、北里先生と相談しなきゃなぁ……)
こう思っていると、
「しかし、野口君、改名すると言っても、一度役所に届け出た名前を変えるのは大変だろう」
腕組みをした北里先生が指摘した。
「ですよね。ペンネームや雅号なら、自分で勝手に変えられるでしょうけれど、役所に届け出てる名前でしょう?」
「改名は、相当の事情がなければ難しいかと」
私の質問に、大山さんがこう答えた。もちろん、“小説に同じ名前の登場人物がいる”では、“相当の事情”とは見なされないだろう。
すると、
「あ、それについては、策があるんですよぉ」
野口先生がこんなことを言い始めた。
「へぇ、どんな策ですか?」
「郷里に、清作っていう人がいるんです。名字は違うんですけど」
「はぁ」
「それで、“野口”という名字の家も、僕の実家の他にあるんです」
話か見えず、首を傾げた私に、
「そこでですね、その清作さんに、郷里にある別の野口家に養子に入ってもらって、同じ村にもう一人、野口清作を作り出すんです!」
野口先生はドヤ顔で言い放った。「そして、役所にこう訴えます。“同じ村に野口清作が2人いるのはややこしい。だから名前を変えたい”と……」
「確かに、それなら通るかもしれないけど……それ、思いっきり他人に迷惑が掛かるでしょう。もう一人の清作さんにも、その人が養子に入る野口家にも」
「なぁに、僕が頼めば何とかなりますよ、ハハハ」
「何とかなりますよ、って……」
私はため息をついた。確かに、一応内親王であるこの私に、何度もセクハラをやらかしても無事なのだから、彼なら何とかなってしまうのかもしれない。もしかしたら、“史実”では、今話したような手段で“英世”に名前を変えたのだろうか。
(でもさ、無関係の他人を巻き込んじゃいけないってば……)
「あの、大山さん」
私は大山さんの軍服の袖をそっと引っ張ると、彼の右耳に口を近付けた。
「私が令旨を出して野口先生に改名を命じる、というのは、改名が認められる“相当の事情”になるかな?」
そっと囁くと、大山さんは「なるほど」とニヤリと笑った。
「十分になり得ましょう。何という名を与えられるおつもりですか?」
「やっぱり、“史実”通り“英世”かな……ただ、どうせなら、物凄く恩を着せてやりたいし、今後の野口先生の行動をきちんと制御しないと、花街で遊んで一文無しになるのが目に見えるし……」
「ならば……」
大山さんと私は、野口先生と北里先生を無視して、手順の打ち合わせを始めた。
「なるほどな」
1897(明治30年)11月30日火曜日、午後8時。
花御殿の私の居間で、話を聞き終わった兄はクスリと笑った。
「それで、武官長や北里先生と、昨日も話し合っていた訳か」
「そういうこと」
私は紅茶を一口飲んだ。
大山さんと北里先生と話し合った結果、野口先生には改名を命じる令旨を出すことにした。もちろん、与える名前は、“史実”通りの“英世”である。
それと同時に、野口先生の雇用条件を細かく定めることにした。下宿代や、医科研の食堂で出される昼食のお金は、野口先生に渡されるべき給料から、医科研が直接下宿や食堂に払う。出張でどこかに行く場合は、事前に計画書を提出してもらい、それに応じた金額を、野口先生についていく助手さんに預ける。
「ただ、その“助手さん”は、中央情報院の職員にして、野口先生が出張の時、変に遊びすぎたら、即座に鉄拳制裁するの。本当は“増宮の半径100m以内に近づくな”って文言を雇用条件に入れようとしたんだけど、“野口先生が梨花さまに報告が出来なくなるから”って大山さんに止められた」
「なるほど。で、そこで乾かしているのが令旨か」
「うん」
テーブルの隅には、“福島県平民野口清作は、今後、野口英世と名乗るべし”と書いた令旨が置いてある。今日、兄と勉強を始める前に、私が毛筆で書いたものだ。
「字が上手くなったな」
「へへっ、ありがとう、兄上。前世に比べたら、書道に費やす時間が多いからね」
書道は華族女学校でも、週に2時間授業がある。それに、花御殿に越してきた当初から、習字は毎日やってきたのだ。これで上手くならなかったら、がっかりして泣いてしまう。
「最近はね、行書も、少しマシになってきた。お母様や節子さまの方が上手だけどね。そうだ、ついでだから、書くところ、ちょっと兄上に見てもらおうかな」
「いいだろう、と言いたいところだが……」
兄がギロリと私を睨んだ。
「その手には乗らないぞ、梨花。ほら、フランス語の復習だ」
「ちっ、バレたか」
舌打ちすると、
「当たり前だ。俺を誰だと思っている。お前の兄だぞ?」
兄は少し胸を張った。
「お前が何とかしてフランス語から逃れたいと考えていることなど、お見通しだ。観念して教科書を開け」
「うう……英語とドイツ語の方が楽なのに……。フランス語は、前世で全然やったことがないもん……」
ぼやいていると、
「ほう、となると、あとはフランス語さえ身に付ければ、武官長に追い付く訳だな」
兄がこう言った。
「え……?」
「英語、ドイツ語、フランス語。それを操る武官長にふさわしい主君になれるわけだ」
「……!」
そうか。兄の言う通りだ。英語は読み書きも会話も出来る。ドイツ語は、読み書きは出来るようになった。 あと、フランス語さえ身に付ければ……。
(大山さんに……どう逆立ちしたって敵わないと思っていた大山さんに、追い付ける?!)
「ふふ……」
兄が、微かに笑い声を立てた。「どうやら、気づいたようだな」
「私、なれるの?大山さんにふさわしい主君になれるの?」
思わず立ち上がると、
「なれるとも、努力を怠らなければな」
兄はニッコリ笑った。「では、フランス語も頑張るか、梨花?」
「うん、頑張ってみる!」
椅子に座り直し、フランス語の教科書を開いた私を見て、兄は満足げに頷くと、そっと私の頭を撫でて微笑したのだった。
こうして、医科研に正式採用された野口さんは、私の令旨を武器にして、役所で改名の手続きを行い、名を“英世”と改めた。
そして、北里先生に雷を落とされつつ、医学の研究に邁進するのだけれど……それはまた別の話である。




