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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第22章 1897(明治30)年秋分~1898(明治31)年立春
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私のおじさま(2)

 1897(明治30)年10月31日日曜日、午前10時。

 花御殿の応接間。私の前には、私の母方の叔父である、千種有梁(ありはる)さんがいた。華族の千種家のご当主で、今年で39歳だという。涼し気な目元をしていたけれど、どこかくたびれた印象で、黒いフロックコートを着て、窮屈そうに椅子に座っていた。

「え、ええと、はじめまして、でいいんですよね?」

 有梁叔父さんは、今は医者の仕事はしておらず、今年の貴族院議員選挙で、子爵議員に選ばれたそうだ。だから、もしかしたら皇居ですれ違ったことがあったかもしれない。そう思って尋ねると、

「あー、実は、俺は一度、殿下のお姿を見かけたことがありまして」

叔父は恐縮しながら、私に向かって頭を下げた。

「というと……」

「6年前でしたか。東京専門学校で脚気討論会がありましたね。あの時、俺も客席で討論を聞いていました」

(うわぁ……)

 頭を抱えたくなるのを、必死に我慢した。つまり、私は叔父の前で、青山と石黒に、中二病全開で怒りをぶつけていた訳だ。

「急に殿下が舞台に出てこられて、青山先生と石黒先生を叱り飛ばしたので、驚きました。こうしてお目にかかる日が来ようとは、思ってもみませんでしたが」

 叔父は、ため息に交じりにそう言うと、お茶を一息に飲もうとした。けれど、湯呑茶碗に唇が触れた瞬間、「熱っ……」と眉をしかめ、慌てて湯呑茶碗を茶托に置いた。

「そうみたいねぇ」

 母がそんな叔父を見て、クスリと笑った。

「あの、叔父さま?」

 私がこう呼ぶと、叔父は一瞬目を丸くして、

「ああそうか、ご存知だって言ってたよな、姉上が産みの親だってことは」

と呟いて、

「ああ、はい、何でしょう、殿下」

と姿勢を正した。

「千種家って、伝統的に医術をやる家なんですか?」

 尋ねると、

「全然違います」

と叔父は断言した。

「じゃあ、何故叔父さまは、医者になろうと思ったんですか?」

「……流れ流れて、っていう奴でしょうか」

 叔父は語り始めた。「元々、公家らしいことは好きじゃなかったんです。英語や数学を勉強してる方が好きだったので、“千種の家に合わぬ奴”と、父からはいつも小言を頂戴していました。そうしたら、他の家に養子に行く話が出た。次男坊で家は継げないと分かっていたから、嬉々としてその話に乗りました。それが16歳の時です」

 叔父はそこまで言うと、一瞬遠い目をした。

「ですがね、俺の養父には、俺が養子に入った時に、生まれたばかりの実子がいたんですよ。その実子が病弱だから、という理由で、俺は養子になったんですが、実子はだんだん健康になってきた。俺は養家に居場所が無くなったわけです。養父は、陸軍の理事……法を犯した兵隊を裁く仕事をしていたので、その伝手で学校にでも入ろうかと思いましたが、俺は法律にも、軍事にも興味がありませんでした。じゃあ、何で自活していくか……となった時に、医術、となったわけです」

「それは、何か理由があったんですか、叔父さま?」

「……あの頃は、なかなか物騒でした」

 叔父は苦笑した。「佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、それに西南の役……不平士族の反乱が次々に起こっていました。殿下は生まれる前ですから、想像が出来ないと思いますが、結構世の中が荒れていて、政府の中枢部が、不平士族に取って代わられるかもしれない、という雰囲気に満ちていました。普通に学問で身を立てようとすれば、自分の属する組織が、いつ何時崩れるか分からない。でも医者なら、味方だろうが敵だろうが商売することが出来るから、世の中がどうなろうと食っては行ける。そう思って、群馬の医学校に進学しました。すぐに廃校になってしまったんで、済生学舎に通い直して、医術開業試験に受かったんです。それが22の時でした」

 叔父はため息をついた。「養父も亡くなって、養家とも縁を切って、天涯孤独の医者として人生を終わるんだと思ってたら、連絡を取ってなかった実家から急に呼び出されました。兄の身体の具合が悪いから、千種の家を継いでくれないか、って。参りましたよ。こっちは、仕事が軌道に乗ってきたところだったのに。しょうがないから、医者の仕事を続けるという条件で、千種の家に戻りましたが、父が死んで家督を相続したら、公家仲間に、家格がどうの、しきたりがどうのって言われて、医者の仕事を続けられなくなって……。ふざけるな、と散々文句を言ったら、あいつら、頼みもしない選挙運動をやって、俺を貴族院議員にしやがった。“暇だろうから、議員の仕事もできるでしょう”とかぬかしやがって。俺が暇になったのは、お前らがグダグダ言うせいじゃねぇか!」

「有梁は、会うとその話ばかりですねぇ」

 いけ好かない連中の顔を思い出したのだろう。眼を怒らせて拳を握りしめた叔父に、母が苦笑した。

「父上から押し付けられた、その名前も気に入らないんですよ、姉上。昔の名前の茂樹(しげき)の方がしっくり来る」

「そうでしたか……」

 叔父の長い話を聞き終わった私は、ため息をついた。この叔父が医者の仕事をやめた背景には、色々と複雑な事情があったようだ。

「ところで、無礼を承知で一つ聞きたいんですが」

 頬を膨らましていた叔父は、急に真剣な表情になり、私に向き直った。「殿下が医師を目指しておられるのは、本当ですか?新聞で、そういう話を読んだことがあるのですが」

「はい、本当です」

 私は頷いた。「私が華族女学校を卒業する年に、女子の高等学校入学が許可されそうだっていうので、一高の医学部を狙ってるんです」

「言っておきますけど、有梁。章子さん、成績はご優秀なのよ。フランス語は苦手ですけれど、英語の医学論文もお読みになるし、ドイツ語の読み書きもなさいますし、ドイツ……医事週報、でしたっけ?あれもお読みになるの」

「……本当ですか」

 叔父は目を見張った。「驚きました。皇族で、しかも女子で医学ってなると……」

「何とでもおっしゃってください、叔父さま。私は出来ることをするだけです」

 こう言い切ると、

「あ、殿下を否定している訳じゃないんです」

叔父は慌てて両手を振った。

「俺としては、女子教育は大いに賛成です。女子が社会に進出するのも。教育勅語にも、社会と世界に通用する女子を育てるとありますからね。ただ、殿下」

 叔父は私の眼を、正面から見据えた。「殿下のご希望を阻むものは、俺のぶち当たった壁以上に、分厚いし、そして固い。俺はそう思います。しきたりを振りかざして、殿下を止める頭の固い連中もたくさんいるでしょう。それに、女子は手に職を付けるなとわめく連中もいる。その辺については、どうお考えですか?」

「うーん……でも、やるしかないと思うんです」

 私は微笑んだ。「お父様(おもうさま)に、医者になりたいと言った時、私、“害にしかならないしきたりはぶっ壊す”って言ったんです」

 叔父が目を丸くしたけれど、私は構わずに話し続けた。

「それに、私は母上の娘ではあるけれど、お父様(おもうさま)の実質的な長女でもあります。私が望もうと望むまいと、私の生き方は、周りに影響を及ぼしてしまいます。それなら、この内親王という立場、世の中にとってより良い方向になることに使いたい。私が、害にしかならないしきたりをぶっ壊して、教育勅語にあるように、社会と世界に通用する女子になることが、社会を変えることにつながると思うから……いくら壁が分厚くて固くても、飛び越えるか、ダイナマイトで爆破して、粉々に壊して通ります」

「とんでもないな……」

 叔父が呟くように言った。「壁が分厚くて固くても、飛び越えるか、ダイナマイトで爆破して粉々に壊して通る、か……俺の嫁さんより年下の殿下に教えられるとは、ご英明というのは、嘘じゃなかったわけですな」

「あ、ご、ごめんなさい、叔父さま。無礼なことを言ってしまって……」

「いいんですよ」

 頭を下げる私に、叔父は苦笑した。「少なくとも、俺にとってはダイナマイトになりましたから」

「あら、そう?」

 母が少しほほ笑んだ。「なら、よかったわ。あなた、家督を相続してから、ずっと不貞腐れてましたから」

「まぁ、姉上も、殿下に爆破されたクチだろうな」

 叔父がそう言うと、母は「ほほほ……」と笑った。

「ところで、叔父さま」

 叔父が何を言っているのかよく分からなかったけれど、私は本題を切り出すべく、口を開いた。


「それで、千種どのと、きちんとお話はされたのですか?」

 10月31日日曜日、正午。

 叔父が帰った後、私は兄と大山さんと一緒に、3人で昼食を取っていた。大山さんと一緒だと言っても、午餐会の形式を取っているわけではなく、3、4人が椅子に掛けたらいっぱいになってしまうぐらいの小さなテーブルを出して、3人で食卓を囲んでいた。メニューは和食、しかも主食はいつもの麦飯である。

「うん、入学試験の時に、“千種”の苗字を使わせてって頼んで、ちゃんと了承を取りました」

 私はいったん箸を置くと、大山さんに微笑みながら言った。

 皇族だと、様々な面で特別扱いされてしまうことが多い。学習院や華族女学校は、皇族だろうが華族だろうが士族だろうが平民だろうが、区別なく成績を付けるように通達されているので、テストのたびに、きちんとした実力を反映した成績が出るのだけれど、他の学校に進学する際は、“皇族だから”ということで、無試験で合格にされてしまうことがあるらしい。特に、軍隊関係の学校に関してはそうで、伏見宮邦芳王殿下は、国軍の幼年学校に無試験で入学したらしい。

「やっぱり、一高の入試の時、内親王だからって、特別扱いはされたくないもの。医者は命を預かる職業でもあるから、そこはきっちりしないといけない」

「だからと言って、偽名で入学試験を受けて、学校生活を送るとは……普通の人間が考え付くことではないぞ」

 お茶を一口飲んだ兄が、少し呆れたような調子で言ったので、私は兄にニヤリと笑ってみた。

 私が先ほど、叔父に頼んだのは、一高の医学部の入学試験や、一高で実際に学生生活を送るときに、叔父の苗字である“千種”を名乗らせて欲しい、ということだった。

――そりゃ、俺は構わないですが……殿下、それは、壁が一層厚くなることにもつながりますよ?女だから、ってだけで試験を落とすような教師もいるでしょうし。

 叔父はこう言って止めようとしたけれど、

――言ったでしょう。命を預かる職業だから、きっちりしないといけないって。壁が厚くなっても、実力で押し通ります。

と答えたら、

――壁が多少厚くなろうと、ダイナマイトの量を増やせばいい、ってことですね。わかりました、殿下。どうぞご存分にお使いください。

と妙な返事でOKをもらった。

「それに、偽名で入学試験を受けるのは、明らかに法を犯すことになると思うが、それは大丈夫なのか、梨花?」

 心配そうに聞く兄に、

「うん、だから大山さんに真っ先に相談したの。医者の叔父さまがいるってわかった時に」

私は答えた。

「“だから真っ先に”ではなく、いつも真っ先に相談していただきたいものですが……まだ時間はありますので、何とか致します」

 大山さんがそう言って、ニッコリ笑う。「法を犯す云々は脇に置けば、学業において、皇族だから特別扱いされたくないというお気持ちは、非常に立派だと思いますから」

「確かに、それは俺も思う。だからこそ、容赦のない学問所の成績の付け方は、気に入っているのだがな」

 兄もそう言って微笑した。

「……それにしても、叔父さまのお嫁さんって、叔父さまより18歳年下で、叔父さまの所に嫁いだのは14歳の時だったんですって」

 私は軽くため息をついた。「びっくりした。確かに、華族女学校(がっこう)でも、もう1、2年上の学年になると、“結婚する”って言って退学する生徒が増えるけれど、私の時代だと、女性が30歳台で初婚っていうのも普通だったから、実感が湧かないな……」

 一応私も、子供が産める身体にはなった。けれど、10代で結婚が当たり前のこの時代の感覚には、ついていけないこともある。

(うーん、結婚なぁ……一高の医学部を出て、どこかの病院か医科研に勤めると、この時代の男子はドン引きするだろうし、かといって、私が医師免許を取らないという選択肢はないし……)

 脳裏を黒雲がかすめ、それがどんどん広がっていこうとした矢先、頭が急に重くなった。

「こら、武官長、俺の方が先だ」

「いえ、皇太子殿下の方が、一瞬遅かったですが……」

 首を動かして確認すると、よく分からないことを言い合いながら、左から兄が、右から大山さんが、私の頭に手を当てていた。

「あ、あの、2人とも、どうしたの?私の頭の上に、虫でも止まってた?」

 兄と大山さんを交互に見ると、

「そうではない」

「はい、皇太子殿下の言う通りです」

2人は揃ってこう返事する。

「じゃあ、何、どうしたの?」

 頭に2人の手を乗せたまま、微かに首を傾げると、

「いや、お前、自分は結婚できないと思ったのではないかと感じてな」

兄が少し眉をしかめながら言った。

「……よく分かったわね」

「顔に書いてあります」

 大山さんが寂しげに微笑する。「こと、恋や結婚に関しては、梨花さまは隠すのが苦手なようですので」

「はぁ……」

 私はため息をついた。どうも、兄や大山さんの話を聞いていると、フリードリヒ殿下に私が恋していた時は、傍から見ていて、それが丸わかりだったようなのだ。気づかなかったのは、恋をしていた当人の私だけだったという訳で……今回も、その苦手な部分が出てしまったらしい。

「心配するな。俺が世界一の婿を探してやる。梨花は、大船に乗った気持ちで待っていろ」

「いや、ちょっと待って、兄上。世界一って、兄上、私は皇族としか結婚できないから……」

「お前が偽名で学生生活を送るのが問題ないように処理できるのだから、お前が世界一の婿と結婚しても皇族でいられるように、皇室典範を改正することぐらい造作ないだろう。なぁ、武官長?」

「その通りです」

 大山さんがニヤリと笑った。「ですから梨花様には、心置きなく世界一の婿殿と恋をしていただいて……」

「ちょ、ちょっと待ちなさい、大山さん!皇室典範の改正って、後世まですごく影響出るわよ!早まらないで!」

 慌てて臣下の方を向くと、

「そうと決まれば、俺は世界一周して、梨花の婿を探してこようか」

今度は兄が、冗談とも本気ともつかないことを言って、無言で笑う。

「よろしゅうございます。中央情報院も総力を挙げて、梨花さまの婿候補を探させていただきましょう」

「い、いや、だからっ……なんてこと言うのよ、2人とも!この馬鹿(たーけ)が!」

 大山さんのセリフに、思わず叫ぶと、

「ははは……冗談だよ、梨花」

「全く……本当に、お可愛らしいことで」

兄も大山さんも、私の頭を左右からそっと撫でたのだった。

※千種有梁さんの経歴は、「大日本医家実伝」「明治過去帳」や国立公文書館の文書なども参考にしました。なお、wikiでは養父の名前が「伏谷淳」となっていますが、拙作では「伏谷惇」(竹橋事件の際の裁判を行い、明治16年に亡くなっています)と解釈して話を作っています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言]  直接物語に関係しない人物でも調査する…  この物語、実は読んでいると裏取りの労力が推し図られて結構怖い。  でも歴史小説ってそういう努力無くして書けないものですよね、歴史フィクションでも。…
[一言] 兄上はともかく、大山さんは本気だと思う。 というか、既に着手しているのでは?
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