私のおじさま(1)
1897(明治30)年10月5日火曜日、午後9時。
いつものように勉強を互いに教え合った兄が、御学問所に戻った後、私は医学雑誌に目を通していた。
(今日だっけ、フリードリヒ殿下のお葬式は……)
医学雑誌の文面に集中しようとするけれど、どうしても、フリードリヒ殿下のことを思い出してしまう。
亡くなったことを聞いてから、月が替わるまでは気分がひどく滅入って、華族女学校に登校するのもやっとで、剣道の稽古もサボってしまった。そんな状態だったから、フリードリヒ殿下との文通のことを隠していた兄にも、事情を説明せざるを得なくなってしまった。けれど、フリードリヒ殿下のことを嫌っていた兄は、私がフリードリヒ殿下に恋していたことを聞いても怒りもせず、ただ黙って私の話を聞き、
――気が済むまで泣け。
と、私を抱き締めてくれた。それが数回繰り返されて、何とか、日常の生活には戻れてきたのだけれど、ふとした拍子に、フリードリヒ殿下のことが頭をよぎってしまうのだ。
(ご遺体が見つかって、よかったけれど……)
フリードリヒ殿下のご遺体は、海底に沈んでいた水雷艇の中で発見され、先月末に引き上げられた。遺体は故郷に送られ、そこで葬儀が行われるとのことだったので、ドイツ公使を通じて、葬儀に花を贈ってもらうことにした。
(苦しかったろうな、殿下……)
ぼーっと考えていると、
「梨花さま」
大山さんが障子の向こうから私を呼んだ。
「いいよ、入っても」
返事をすると、障子が静かに開いて、軍服を着た大山さんが入ってきた。
「ああ、今日は当直なんだね。お疲れ様」
微笑むと、大山さんは、
「少し、お話をよろしいですか?」
と私に尋ねた。
(う……お説教かな……)
そう思っていると、
「ご安心下さい。説教は致しませぬ。梨花さまがご自身を大切に扱うならば」
と、大山さんは微笑する。どうやら、私の考えは、完全に顔に出てしまったらしい。
「敵わないな、大山さんには。お茶を淹れてくるから、椅子に掛けて待っていて」
私は苦笑いを顔に浮かべると、立ち上がった。台所で熱いお湯を貰い、二人分の緑茶を淹れて居間に戻る。
「話って、何かな?」
大山さんにお茶を出して、椅子に座ると、
「花松どのの……実のお母様のことです」
大山さんが言った。
「ああ、母上の……」
「何故、俺に話していただけませんでしたか」
「……私事に、あなたを使う訳にはいかないと思った」
私はいつになく真剣な表情をした大山さんに答えた。「朝鮮とロシアの動向には、まだまだ注意を払っていかないといけない。そんな時に、あなたの大事な仕事を邪魔するわけにはいかない。だから、節子さまに、節子さまのお父様に聞いてくれるように頼んだの」
すると、大山さんはため息をついた。
「……おっしゃっていただけるものだとばかり、思っておりました」
「え……?」
私が首を傾げると、大山さんは、目に少し悲しそうな色を浮かべた。
「皇太子殿下から、梨花さまが、皇太子殿下と早蕨どのの御対面を優先しろとおっしゃったと聞きましたから、御対面が終わった後に、お母様のことについて、俺に話してくださるのだろうと思っておりました。ところが、皇太子殿下の御対面が終わった後も、一向に話がありませんでしたので、まさか両陛下は、花松どののことをお話になっていないのか、とまで疑ってしまいました。そのようなことをお思いになって、ご自身で探されていたとは……」
大山さんは一度言葉を置き、
「ご下問いただければ、お答えするつもりでした。千種任子とは、花松どののことなのだ、と」
と言った。
「そっか……あなたは知ってたんだね」
私はため息をついた。「もしかしたら、梨花会の皆も知ってたのかな?母上のことは」
「はい」
大山さんは頷いた。「皇太子殿下がご成人された日に、梨花さまにも真実をお話しすると……両陛下の思し召しで、そう決まっておりました」
「私がこの時代に転生したと分かってすぐに、伝えてくれてよかったのに」
「伝えて、あの時の梨花さまが耐えられましたか?」
大山さんに指摘され、我が身を振り返り、彼の言葉が正しいことを実感した。確かに……転生したと分かったばかりの私には、実の母がお母様ではないという事実に、耐えられなかったかもしれない。
「ごめん、思い上がってた……」
私は、有能な臣下に頭を下げた。「兄上がいて、節子さまもいたから、耐えられたのに」
「俺もおります」
大山さんは寂しげに微笑した。「俺の身をお気遣いいただいたのは、誠にありがたいことなのですが、俺にとっては、国と同様、ご主君も大切でございます。ですからどうか、何か思い悩むことがございましたら、この大山にご遠慮なく話してください。何があっても悪いようには致さないと、お誓い申し上げます。俺は、梨花さまの臣下でありますゆえ」
大山さんはじっと私の目を見つめた。暖かくて優しい瞳の光が、私の心をそっと包み込む。
「言われたね、小さい頃に。確か、北里先生の歓迎会の時かな」
私は苦笑した。「分かった、なるべく、あなたには話すようにする。でも、国の仕事に邪魔になると思ったら、ちゃんと“やめてくれ”って言うのよ?こんなバカな主君にかまけて、国の仕事が疎かになるなんてこと、私は絶対に許さな……」
すると、大山さんの視線が、急に鋭くなった。
「こんなバカな?」
「え?」
突然の臣下の態度の変化に戸惑っていると、
「“主君にかまけて国の仕事を疎かにするな”というのは、ご聡明な方しか思い付かぬ言葉ですが……梨花さま、何故、必要以上にご自身を卑下して、ご自身を傷つけられますか?」
大山さんは硬い視線を、私の喉元に突きつける。
「いや、今のって、必要な卑下だと……」
「いいえ、ご聡明なご主君には不必要です。……どうやら、ご教育が必要なようですね」
大山さんは硬い視線を私に向けたまま、ニヤリと笑った。
「あ、あの、大山さん……」
「罰として、フリードリヒ殿下との思い出と、お心の痛みと悲しみを、全部吐き出していただきましょうか」
そう言った彼の目からは、硬さが消えていた。代わりに瞳に満ちていたのは、いつもの優しく、暖かい光だった。
「梨花さまは、心の内に思いを秘められると、こじらせてしまいますから」
「そうだね……」
大山さんの気持ちが、痛いほど伝わってきた。実母の存在が隠されていたことに衝撃を受け、それとほぼ同時に、初恋の人を喪ってしまった私の心を、何としてでも癒したいという彼の想いが。
「……では、愚かな主君は、臣下の罰を受けさせていただきます」
「“愚かな”は余計ですよ、梨花さま」
「亡くなるまで、自分が殿下に恋してる自覚が無かったんだもの。それは“愚か”としか形容出来ないと思うけれど……」
……こうして、たっぷりと罰を受けた私は、母が入浴の時間だと告げに来た時には、すっかり真っ赤になった頬と泣きはらした両眼を、有能な臣下に見られないよう、彼の胸に顔をうずめて隠していたのだった。
1897(明治30)年10月16日土曜日、午後3時。
「すごいなぁ、志賀先生は……」
いつもの医科分科会の席で、北里先生からドイツ語の論文を渡された私は、全文に目を通し終わってようやく頭を上げた。
「私の知識はほとんどなかったのに、赤痢菌をちゃんと見つけちゃうなんて……」
「患者の糞便を培養して、ヴィダール反応を使って赤痢菌を検出するということまで分かったので、検出はとても楽だった、と志賀先生は言っていましたよ」
北里先生がニコニコしながら私に頷いた。
医科学研究所に勤め始めた志賀潔先生は、北里先生に命じられて、梅雨のころから東京で流行し始めた赤痢について研究を始めた。伊藤さんと原さんによると、東京の上下水道は、“史実”より早いペースで仕上がりつつあり、今年の春に淀橋浄水場が完成して、ろ過処理された上水が供給されるようになった。けれど、まだ古くからの上水を使っている地域もあるので、そこで赤痢が流行してしまったのだ。志賀先生は患者の糞便を培養して、培養された細菌のコロニーを、赤痢が完治した患者さんの血清と混ぜて、反応があるかどうかを確認した。結果、赤痢患者から検出された菌が血清と反応することが確かめられ、赤痢菌を同定したのだ。
「赤痢菌の検査って、前世ではやったことがなかったんです。そもそも、赤痢患者の数が、私の時代は今よりもっと少なかったから……だから、“ヴィダール反応”っていう言葉だけしか覚えてなくて。赤痢菌の検出にどう使うかまで、覚えていればよかったですけれど」
「なるほど、おっしゃっておられましたね。今の時代と、増宮殿下の時代とは、問題になる病気の種類も異なっている、と……」
ベルツ先生が言う。
「そうなんです。だから、私の知識が通用しないところもあります。本当は、もっともっと、私の知識を今の医療に役立てたいですけれど、適合するところから、少しずつ使っていくしかないですね」
私が答えていると、「失礼いたします。お茶のお代わりをお持ちしました」と、廊下から母の声がした。
「あ、ちょっと待ってて下さい」
椅子を立って障子を開けると、廊下には急須をお盆に載せた母がいた。
「ありがとう。お茶は私が淹れる」
「いいえ、わたくしが致しますわ。どうぞ、お話をお続けになっていて」
母はそう言ってほほ笑んでいる。こういう時の母は、結構強情だ。お茶を淹れる、淹れないで、2人で争い続ける未来が見えたので、私は素直に母の言葉に従うことにした。
「そう言えば、孫文先生の論文が、イギリスの医学雑誌に載りましたね」
三浦先生が私に声を掛ける。
「ああ、そうか、孫文先生、ドイツ語は出来ないから、英語で先に論文を書くって話でしたね」
「ええ。日本語訳とドイツ語訳は、内務省の職員の方がなさるそうですが……」
(あの、私を称える会の人たちかな……)
7月に孫文さんに会った時、孫文さんに付き添っていた内務省の職員さんたちは、山縣さんにこっぴどく叱られて、山梨に戻っていったそうだ。ちなみに、彼らの他の“称える会”に所属していた人たちも、スパイとしてのイロハを叩き込まれ、世界各国に留学生として潜り込んで、諜報活動に従事しているそうだから、もう訳が分からない。
「三浦先生、今度、その英語の論文、持ってきてもらってもいいですか?ああ、でも、日本語の論文も、そのうち出るんですよね……余り手を広げ過ぎると、他の論文が読めなくなりそうだしなぁ……」
「そうそう、ビタミンBの方も、論文が出せそうでして……」
「ええ、本当ですか、森先生?うわー……本当、読まないといけない論文が増えてきましたね。それだけ、医学が発展してきている、ということですけれど……」
母は、森先生の言葉に頭を抱える私を見てクスッと笑うと、先生方のお茶を湯呑に継ぎ足していく。
(そう言えば、……母上は、ベルツ先生たちとマニアな会話を交わしている私を見てきたんだよなぁ……)
私はふと思った。医科分科会の面々とは、お食事時には勧められない話や、真っ昼間からはとても聞けないような話……まぁ、要するに、聞きようによっては、グロい話や、いわゆる18禁に分類されてしまうような話をしてしまうこともある。母は、私に医者としての前世があることは知っているけれど、それを差し引いても、耐えられないような話に出くわしてしまうこともあっただろう。
「あのー、母上?」
ベルツ先生たちが退出した直後、テーブルの上を布巾で拭く母に、私は呼びかけた。
「なんでしょうか、章子さん?」
最近、母は、私のことを“章子さん”と呼んでくれるようになった。もっとも、大山さんと兄以外の人がいる時は、“増宮さま”と呼ぶことがほとんどだけれど。
「今まで、配慮が足りなかったなと思うんだけれど、ベルツ先生たちと話している時、普通の人なら逃げ出したくなるような話をしていることもあったから、母上に申し訳なかったな、って思って……」
母にこう言うと
「ああ、気にしておりませんよ」
と母は微笑した。
「だって、章子さんは医師だったのですから、そういう話をしなければいけないこともあるでしょう?」
「それはそうだけど、……母上が耐えられるかどうかは、別問題だと思うよ?」
すると、
「意外と大丈夫ですよ」
と母は答えた。
「血筋のおかげでしょうか」
「血筋?母上のご先祖さま、医者なの?」
尋ねると、「違いますよ」と言って、母は少し笑った。
「わたくしの弟です」
「は?」
「わたくしの弟……有梁と言いますが、医師の免許を持っておりますのよ」
(え……ええーっ?!)
眼を丸くした私を見ながら、母はテーブルを拭く手を止めてクスクス笑った。




