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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第21章 1897(明治30)年処暑~1897(明治30)年秋分
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告白

 1897(明治30)年8月31日火曜日、午後2時。

 朝から降っていた雨は上がったけれど、気温は上がらず、厚い雲が空一面を覆っていた。

「私までついて来いって、一体どういうことだろうね、兄上?」

 皇居に向かう馬車の中、私が兄に尋ねると、

「さぁ……」

昨日葉山御用邸から帰って来たばかりの兄は、両腕を組んで首を傾げた。

「黒田さんがイギリスから戻ってきたから、伊藤さんが東宮大夫に復帰する、っていう申し渡しかな?」

「だろうか。それに、俺が成年に達したから、という意味合いもあるかな?」

「そうかもしれないね」

 今日は、兄の満18歳の誕生日である。私の時代では、成年に達するのは満20歳だったと思うけれど、憲法発布と同時に作られた皇室典範では、“皇太子は満18歳で成年とする”、とあるらしい。だから、兄は今日で成年に達したことになる。

「兄上、成人したからと言っても、煙草は絶対ダメだし、お酒も御神事の時以外はダメだよ」

「分かっている。お前に心配を掛けたくはないし、怒られたくもないからな」

 などと言い合っていると、馬車は宮殿の車寄せに滑り込んだ。

 出迎えに出てきた侍従職出仕の学習院の生徒に案内されて、表御座所に入ると、黒のフロックコートをまとったお父様(おもうさま)だけではなく、裾が床まである鈍色のデイドレスを着たお母様(おたたさま)も、お父様(おもうさま)の少し後ろにで椅子に座っていた。やはり、今日は、いつもの誕生日の報告とは違って、特別なものであるらしい。私も自然と背筋が伸びた。

「まぁ、2人とも座れ」

 お父様(おもうさま)が椅子を指し示す。兄と私が椅子に座ったのを確認すると、お父様(おもうさま)は侍従職出仕の生徒に人払いを命じた。

「嘉仁、そなたも今日で、成年に達したな」

 人の気配が遠ざかると、お父様(おもうさま)が口を開いた。

「はい、……ここまで育てていただき、誠にありがとうございました」

 兄が椅子から立ち上がり、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に深々と頭を下げる。

「そなたは、幼き時分は病がちで、成人できるかどうか、本当に心配した。成年式は喪が明けてからになるが、この日を迎えられて良かった」

 お父様(おもうさま)の言葉に、

(成年式かぁ……)

私は、4年前の大磯での出来事を思い出した。

――“史実”での迪宮(みちのみや)殿下の時は、盛大に成年式をやったのだ!祝日に準じて、官公庁も休みにしたし……だから、皇太子殿下の御成年も、盛大に祝いたいのだ!

 伊藤さんが交通事故に遭って“史実”の記憶を手に入れ、私と大山さんと原さんが、伊藤さんの静養先の大磯で話し合った時……原さんが私たちに力説した。

――言われなくても原君、皇室令の制定は急務だよ。きちんと制定して、宮中の仕組みを整えなければな。

 うっすらと笑った伊藤さんの言葉通り、その後、勝先生と三条さんが中心となり、皇室典範を根拠とした“皇室令”……要するに、皇室に関する規則が、次々と制定された。皇族の成年式に関する規則である“皇室成年式令”が制定されたのは、1896(明治29)年。原さんによると、“史実”より13年早いのだそうだ。

――ああ、これで皇太子殿下の御成年を祝える!

 皇室成年式令が制定されたとき、原さんは私の居間で滅茶苦茶喜んでいたけれど……。

「ありがたき幸せでございます」

 椅子に座った兄は、お父様(おもうさま)に一礼した。成年した……そう言われると、兄の横顔が、ますます頼もしいものに見える。

「それにあたってな、お前たちに、話しておかなければならぬことがある」

(お前……()()?)

 お父様(おもうさま)の言葉に、私は少しだけ首を傾げた。兄だけではなく、私にも話しておかなければならない、というのは、一体どんなことなのだろうか。全く見当がつかない。

 と、

「明宮さん……増宮さん……」

お母様(おたたさま)が口を開いた。ドレスの色のせいなのだろうか。いつもより、顔色が悪いような気がする。大丈夫ですか、と声を掛けようとしたら、お母様(おたたさま)が更に言葉を紡いだ。

「私……あなた方と、血が繋がっていないのです」

(え……?)

 青天の霹靂。

 月並みな表現だけれど、その言葉が一番しっくりときた。


 午後3時。

「にわかには、信じがたいな……」

 皇居の廊下を車寄せに向かって歩きながら、ポツリと呟いた兄に、

「私もだよ……」

隣を歩く私は、やっとの思いでこう返した。

「俺たちが……お母様(おたたさま)とは、血が繋がっていないと……」

――私には、どうしても、子が授かりませんでした。

 私は、先ほどの表御座所での、お母様(おたたさま)の本当に辛そうな表情を思い出した。

――幸いなことなのかもしれません。あなたたちも、常宮さんたちも、平等に愛することができますから。

 寂しげに微笑するお母様(おたたさま)に、

――美子(はるこ)……。

お父様(おもうさま)は目を伏せながら声を掛けていた。お母様(おたたさま)に少し身体を近づけてもいたから、執務机に隠れて見えなかったけれど、もしかしたら、お母様(おたたさま)の手を握っていたのかもしれない。

 兄が満8歳になった1887(明治20)年の誕生日……兄は、“儲君(ちょくん)”になった。儲君というのは、立太子をしていない皇位継承者、という意味だそうだ。そして、儲君は皇后の実子になる、というしきたりがあり、兄は、お母様(おたたさま)の養子とされ、お母様(おたたさま)の実子としての扱いを受けた。

 そして、私は、あの磐梯山の噴火の直後、花御殿に引っ越す前に、お母様(おたたさま)の養子とされたのだそうだ。

――未来で生きたそなたの生き方を、この時代で通そうとすれば、きっとそなたは、普通の人間以上に周りとぶつかって苦しむだろう。更に“側室の子”と蔑まれれば、余計にそなたは傷ついてしまう。そう思って、堀河と美子と、そなたの実母と話し合って決めた。

 お父様(おもうさま)にはそう言われた。

 皇室典範には、“皇族は養子を為すことを得ず”、つまり、養子を取ることはできないと書いてある。だけど、皇室典範が出来たのは、憲法が発布されたのと同日、1889(明治22)年の2月11日だ。その直前だったから、私をお母様(おたたさま)の養子にすることも可能だった。

(なんでだろう……)

 お母様(おたたさま)は、私に母親として、愛情を注いでくれている。

 それは、とてもよく分かるのだ。

 前世の失恋のことを初めて告白した時も、“自分を傷つけてはなりませんよ”と折に触れて言われる時も、お母様(おたたさま)が、母親として、愛情を私に向けないなんていうことはなかった。前世の母親は、彼女と同じ医者を目指すと私が思い始めたころから、母親というよりは、“先輩だ”という思いが強くなって、甘えることなんてできなかったけれど、お母様(おたたさま)なら全力で甘えられる。私に愛情を向けてくれているのだと、嫌というほど分かるから。

(なんで、お母様(おたたさま)と、血だけが繋がってないんだろう……)

 そう思った時、

「そして、俺とお前を産んだ母親も、違うのだな……」

兄が絞り出すように言った。

――明宮さんの母の名前は柳原(やなぎわら)愛子(なるこ)、増宮さんの母の名前は千種(ちくさ)任子(ことこ)と言います。

 先ほど、お母様(おたたさま)にはそう告げられた。つまり、私と兄も、異母兄妹であるということになる。

「でも、急に、そう言われてもさぁ……」

 ため息をつきながら吐き出すと、

「ああ……」

と言ったきり、兄も黙りこくって、2人で黙々と廊下を歩いた。

「いっそ……」

 兄が口を開いたのは、次の角を曲がると、皇居の玄関に着く、というところだった。

「え?」

 尋ね返すと、

「いや、何でもない」

兄はすぐに首を横に振って、微笑を私に向けた。

「たとえ、つながっている血が、普通の兄妹より薄くても、俺とお前は兄妹だよ、梨花」

「うん……」

 私は素直に頷いた。

 兄は私に左手を差し出し、私も自然にそれを握った。


 午後3時30分。

 馬車で花御殿に帰宅した私と兄は、一緒に私の居間に入った。

 ただ、一緒に居間に入ったと言っても、何を話せばいいかが分からない。兄は眉根に皺を寄せている。先ほど、お母様(おたたさま)から言われたことが、余程衝撃だったのだろう。兄には珍しいことだ。

(当たり前だよなぁ……)

 私は、前世の母のことを覚えている。それも含めると、私には、元から複数の母がいる、と解釈することも可能だ。今まで2人母がいたところ、3人に増えても、どうということはないのかもしれない。まして、愛人がいることも普通であるこの時代である。子供から言えば、母親という立場にいる人が、何人いてもおかしくないのだ。

(“しきたり”って言われたら、それまでかもしれないけれど……)

 でも、私の実の母……千種任子という人は、今どこにいるのだろうか。それから、兄の実の母である、柳原愛子さんも。

(私と兄上がお母様(おたたさま)の養子になること、実の母親はどう思ったんだろう……)

 と、

「章子お姉さま?」

閉めている障子の向こうから、かわいらしい声がした。節子さまだ。

「え……?」

「入ってもいいですか?」

 節子さまは、今度の9月から、華族女学校初等中等科の2年生に上がる。時々私の所にも遊びに来るけれど、今日はその約束はしていないはずだ。おかしいと思いつつも、華族女学校(がっこう)での大の仲良しだから、私は椅子から立って、障子を開けた。

「ああ、章子お姉さま!やっぱり、嘉仁さまもいらっしゃった。今日は、嘉仁さまのお誕生日だから、お祝いを……」

 水色の着物に青い女袴、髪型はポニーテールという、私と同じような女学生スタイルの節子さまが廊下に立っていた。初めて彼女に会ったのは、花御殿に越してから初めてのお正月、私が6歳の時だ。節子さまはその時5歳だったけれど、今は、剣士を思わせるような凛々しさと美しさを兼ね備えた少女に成長していた。

「節子」

 兄が顔を上げて、節子さまを見る。その表情を見て、節子さまは次いで、私の顔を見つめる。彼女の顔が、見る間に曇っていくのが分かった。

「あの……嘉仁さまも、章子お姉さまも、どうなさったの?」

 節子さまに、先ほど告げられたことを話していいものだろうか。

 私と兄は、目を見合わせた。

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