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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第19章 1896(明治29)年白露~1897(明治30)年小寒
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皇太后陛下の崩御(2)

※誤字を訂正しました。(2022年10月14日)

 皇太后陛下……お父様(おもうさま)の養母なのだけれど、この花御殿と同じ敷地内にある、青山御所にお住まいだ。もちろん、養母だから、お父様(おもうさま)と血のつながりはないけれど、お父様(おもうさま)は皇太后陛下のことを大切にしているし、お母様(おたたさま)も時折、青山御所に行き、皇太后陛下のお相手をしている。皇太后陛下には、私はたまにしか会わないけれど、可愛がってもらっていた。

 その皇太后陛下が、年明けから体調を崩していたのだけれど、昨日、肺炎と診断された。これは今日の梨花会でも、少し話題に上っていた。

――酸素を吸えるような準備を始める方がいいよな、増宮さま?

 勝先生にそう言われ、“それと、ペニシリンもある方がいいです”と答えた。

「もしかしたら、皇太后陛下の肺炎、かなり悪いんですか?」

 私がベルツ先生に聞くと、

「ええ。なので、殿下に相談したいと思い、青山御所から庭伝いにこちらに参りました」

ベルツ先生はそう答えて、皇太后陛下の容態を教えてくれたのだけど……。

「重篤な状態ですか」

 私の表情を見た陸奥さんがこう尋ねた。

「なるべく、隠していたつもりなんですけどね……」

 陸奥さんは医学の話を余り知らないから、ベルツ先生との医学用語だらけの会話はわからないだろうと思っていたけれど、誤魔化せなかったようだ。

「呼吸数が多いんです。1分間に30回以上って……。しかも、熱も高いし、収縮期(うえの)血圧も、80mmHgより低いし……」

 三条さんが肺炎になった時も、こんなに呼吸回数は多くなかったし、収縮期血圧も120mmHgぐらいあったと思う。この皇太后陛下の状態は、敗血症、しかも、ショック状態になっているのではないだろうか。私の時代なら、抗生物質を投与して、点滴で身体に水分や電解質を補うところだ。

「で、ペニシリンは、医科研から取り寄せてますよね?」

「はい、もちろん」

 ベルツ先生が答えた。

「ペニシリンが効く細菌が、肺炎の原因だったらいいけれど……」

 私は両腕を組んだ。抗生物質も、決して万能ではない。肺炎を起こす病原微生物は、種類が色々ある。ペニシリンが効く細菌が、皇太后陛下の肺炎の原因ならいいけれど、そうではない病原微生物が肺炎の原因だったら、ペニシリンは効かない。

「効いたとしても、皇太后陛下の体力がもつかどうか、それが問題ですよね……」

「はい、殿下のおっしゃる通りです」

 ベルツ先生は頷いた。例え、ペニシリンが効いたとしても、敗血症による身体のダメージが大きすぎれば、皇太后陛下は命を落としてしまうことになる。

「ペニシリンは6時間ごとに静脈から注射するにしても……針を血管に留置するのが難しいから、補液は経口補水液を使う方がいいですかね」

 私の時代なら、プラスチック製のカテーテルを静脈の中に入れて、点滴が出来るけれど、今の時代、プラスチックなどという素材は開発されていない。だから、もし、血管の中に点滴を入れるとすると、金属製の針をずっと入れておかなければならないのだけれど、とても外れやすいので、何時間も入れっぱなしにしておくことができない。かといって、体内に補充するべき水分量を、1、2時間で血管の中に入れてしまうのは、心臓の負担になるケースがある。経口補水液を少しずつ飲んでもらって、身体の中に水分を補充していく方が安全だろう。

「それで、酸素を一刻も早く、投与開始する、ということだけれど……」

 酸素吸入を、青山御所でできるよう準備をするのに、数日はかかってしまう。それまで皇太后陛下の体力がもつかどうか。三条さんが肺炎になった時より、取れる手段は増えているけれど、状況は遥かに厳しい。

「両陛下にも、青山御所に行幸啓していただく方がよろしいですか?」

 陸奥さんが、私の顔を覗き込みながら尋ねた。

「ペニシリンが効かなくて、酸素吸入が間に合わなかったら、……そうですね、最後の対面になってしまう可能性が高いから、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)には、青山御所に行っていただくのがいいと思います」

「ふむ、それは僕から、勝先生に話しておきましょうか。残念ですが、今日は原君との討論は無しですねぇ」

 色々な意味で、非常にありがたい申し出だ。この状況で、陸奥さんと原さんがやり合うのを聞いていたら、理解が追い付かなくて頭が破裂してしまうだろう。

 それから、兄にも状況を話しておかなければならない。私たちも、皇太后陛下が危篤ということになったら、最後の対面をしなければならないのだ。

「大山さん、伊藤さんとも相談して、兄上と私が青山御所に行けるように、手はずを整えてもらってもいい?」

「かしこまりました。……諸々の手配を大急ぎで済ませますが、早くても明後日の朝になるかと」

 私の言葉に、大山さんが一礼する。

「容態と状況に関しては、また報告します」

「わかりました。ベルツ先生、よろしくお願いします」

 その言葉を合図にするかのように、居間にいた一同は、一斉に動き始めた。


 私の願いを裏切るかのように、皇太后陛下の病状は、どんどん悪化していった。

「肺炎が両側に広がっておりまして……排痰も試みておりますが、解熱剤を使っても、すぐに熱が上がってしまいます。呼吸数は1分間に50回、収縮期血圧も相変わらず80mmHg台です。意識も遠のいているように思われます」

 1月10日の夜、私の居間に現れたベルツ先生の報告は、私が抱いていた希望を打ち砕くものだった。

「ペニシリンの投与もしているんですよね?」

「はい、昨夜から始めましたが……どうも、反応に乏しいように見受けられます」

 ベルツ先生の言葉を聞いて、私は天井を仰いだ。ペニシリンの効かない病原微生物による肺炎。それが皇太后陛下の身体を急速に蝕み、敗血症性のショックを引き起こし……。

(急性呼吸窮迫症候群……ARDSにもなっている可能性がある、か……)

 もし、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)なら、私の時代に最善の治療を施しても、致死率は50%に迫る。まして、治療に必要な機器や薬剤が揃っていないこの時代である。

「せめて、酸素は準備したいけれど、間に合わなさそうですかね……」

「明日の夜か明後日の朝には、準備が整えられそうだ、ということですが」

 ベルツ先生も肩を落とした。

(爺に続いて、か……私の時代だったら、助けられたのかもしれないけれど……)

 ポロっと涙がこぼれた。身近な人が病に苦しんでいるのに、私はまた、医者として何もできないのだ。

「殿下」

 ベルツ先生の言葉に、私は顔を上げた。

「殿下がいらっしゃらなければ、私が今回行った治療の殆どはできなかったのですよ」

「ベルツ先生……」

「殿下の知識から、北里先生がペニシリンを発見し、実用化した。血圧も測定できるようになり、効果のある解熱剤も開発されました。今回は間に合わない可能性もありますが、酸素吸入を行うことによって、帝大病院では、多くの肺炎患者が、全身状態を保つことが出来ています。殿下は、未来と比べて医療が進んでいないと、もどかしく思われるかもしれませんが、殿下の知識で、医療が“史実”より進んでいることは確かなのです」

 ベルツ先生は、穏やかな目で私を見ていた。

「そう、ですね……」

 私は大きく息を吐いた。確かに、ベルツ先生の言う通りではある。

「少しずつでも、進まないといけませんね。私が、こんな風に泣かないでいいような日が来るように……」

 私の言葉に、ベルツ先生は大きく頷いた。

「ありがとうございます。……明日の朝、兄上と一緒に、青山御所に行って、お見舞いをします。ベルツ先生、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)にも、少なくとも、明日の朝には青山御所に行かれるように、と伝えてもらっていいでしょうか。多分……明日がヤマ、でしょうか」

「私もそのように思います。皇居の方には連絡をしておきましょう。今後も、治療に、全力を尽くさせていただきます」

 ベルツ先生が一礼して居間から去ると、私は御学問所に戻った兄に宛てて、皇太后陛下の容態に関する手紙を書き、花松さんに頼んで届けてもらった。

 翌日、1897(明治30)年1月11日月曜日、午前8時。

 本当は、登校しなければならないけれど、今日は9時に、花御殿を兄とともに出て、皇太后陛下のお見舞いに行くことになっていた。服を着替え、ポニーテールにした髪の根元に、リボンを結んだところに、

「梨花っ!」

兄の叫び声が聞こえた。慌てて居間の障子を開けると、制服を着た兄が走って来て、私のすぐそばで息を切らしながら足を止めた。

「兄上?どうしたの?」

「おばば様が……危篤だ」

「?!」

 私は目を見開いた。

「たった今、青山御所から学問所に連絡が入った。花御殿には連絡がなかったか?」

「いや、私の所にはまだ……」

 来ていない、と答えようとした瞬間、兄が私の右手を掴んだ。

「行くぞ」

「へ?」

 首を傾げようとした私の右手が、ものすごい力で引っ張られる。右手を掴んだ兄が走り始めたのだ。

「わ、ちょっ、待って、滑るから!」

「待たぬ、ついてこい!」

 走る兄に手を掴まれたまま、転ばないように、私も必死に足を動かす。

「兄上、どういうつもり?」

「知れたこと。おばば様の見舞いにいくのだ」

 兄はそう言いながら、速度を緩めなかった。

「って、まだ馬車の準備だって出来てないんじゃ……」

「今日がヤマだと、お前も手紙で書いていたではないか!」

 兄は叫んだ。「馬車の準備など待っておれん。庭伝いにおばば様の所に行くぞ」

 確かに、兄の言う通りだ。危篤ということは、馬車の準備を待っている間に、本当にすぐ、心臓も止まってしまうかもしれない。

 玄関に着くと、ブーツを出して手早く履く。兄もあっという間に革靴を履いていた。馬車はまだ準備ができていないようだ。私たちに大山さんも供奉するはずだけれど、出勤していないのか、彼の姿はまだ姿は見えなかった。

「梨花、走るぞ!」

 兄はまた、私の右手を握った。私も首を縦に振ると、兄とともに、全速力で花御殿の庭を走り始めた。


 庭を突っ切り、皇太后陛下の居室近くの庭に面した廊下に、兄と同時に身体を上げると、誰何しようとした男性職員が、慌てて私たちに頭を下げた。

「おばば様の見舞いに来た。案内せよ」

 兄の命令に戸惑いながらも、職員さんは私と兄を、皇太后陛下の病室に案内してくれた。病室の中に入ると、

「皇太子殿下と、増宮殿下?!」

畳敷きの病室の中央の布団に寝かされ、苦しそうに呼吸している皇太后陛下の枕元に正座した、地味な袿袴(うちきばかま)姿の老女官が、私に鋭い視線を投げた。二位局(にいのつぼね)……お父様(おもうさま)の実母、要するに、私と兄の実の祖母である。今は、青山御所で皇太后陛下に仕える女官の筆頭格だった。

「一体、どうやって……9時に御殿を出ると聞いておりましたが」

「走ってきた」

 二位局に、兄は短く答えた。

「庭を突っ切って来たんです。危篤だとうかがったので、一刻の猶予もないと思って……」

 私がこう付け加えると、

「おお、相変わらずのお転婆ですなぁ……」

二位局は眉を顰めた。

「皇太子殿下も、増宮殿下の口車に乗っては困りますぞ。女子は男子より、一歩下がって控えるのが常道であるものを」

「違う、わたしが提案したのだ。庭を走って御所へ、と……」

 兄が二位局のセリフを訂正しようとした途端、

「皇太子殿下、庇わなくてもよろしい!」

二位局がピシャリと言い、兄は口を真一文字に引き結んだ。兄は生まれてから、花御殿で暮らし始めるまでの数年間、二位局に育てられている。二位局は、とても躾が厳しかった……兄は私にそう話してくれたことがあった。

「二位局さま」

 脇に正座していた橋本先生が、困ったように声を掛けた。「このような時に……。皇太后陛下に、御対面していただかなければなりませんのに」

「このような時だからこそ、申し上げるのじゃ」

 二位局は表情を硬くした。「世間では、増宮殿下を新しい女子の手本じゃとか、“天眼”の持ち主じゃ、“女牛若”じゃと持て囃しておるが、それは女子のあるべき姿ではありませぬ。男子に従うのが女子というもの。剣道で男子を叩きのめすなど、もってのほかじゃ」

 私はため息をついた。まさか、皇太后陛下との最後の対面の席で、実の祖母に説教をされるとは思ってもみなかった。

「それに、医者になるなどと戯言(ざれごと)をおっしゃっていると聞きますが、恐れ多くも内親王殿下であらせられながら、手に職を持つなどとは言語道断」

「……宮殿の奥深くで、人を助けることが出来ずに一生を過ごすなんて、私には耐えられません」

 私は、二位局に静かに言った。「男ならば軍人にもなって、お父様(おもうさま)を助けられますけれど、女は軍人にはなれません。だから、私は医師になって、お父様(おもうさま)を助けたいのです」

 ぎろりと光る二位局の眼を、私はひるむことなく見返した。

(これが、普通の反応なんだよね……)

 女は男より一歩下がった位置にいて、男に従え。手に職を持って、自立するなどありえない。これが、今の時代の普通の感覚だ。“史実”とは違って、教育勅語で、“女子教育を充実させ、社会、そして世界に通用する女子を育てる”という意味の文章があるから、世間では、勉学に励んで自立しようとする女子を称賛するような空気もだんだん広がっている。それに、両親や兄妹、それに“梨花会”の皆、花御殿や皇居の職員などは、“医師になりたい”と公言している私を応援してくれるけれど、……まだまだ、これが世間一般の反応なのだ。

(でも、だからと言って負けない)

 たとえ“狂っている”とか、“大悪人”とか“逆賊”とか言われたって、私は誠心誠意、お父様(おもうさま)と兄を守るために、できることをするだけだ。

「響きだけは綺麗なことをおっしゃるが……、それをお(かみ)がお許しになるとでも思っておられるのか?」

 二位局がそう言った瞬間、

「許しておりますが」

私の後ろで声がした。

お父様(おもうさま)……!」

 振り向いた私は、黒いフロックコートを着たお父様(おもうさま)に、深々と頭を下げた。お父様(おもうさま)の斜め後ろには、お母様(おたたさま)も立っている。2人とも、憔悴しているような印象だった。恐らく、私たちと同じように、皇太后陛下の危篤の報を聞いて、この御所に駆け付けたのだろう。

「章子には、医師になれと……そして、医師になるなら上医になれと命じました。お父様(おもうさま)が、“この動乱の世、今の日本の国には、上医はおらんのか”と嘆かれておられましたゆえ」

 お父様(おもうさま)は、丁寧な、けれどハッキリした口調で言った。お父様(おもうさま)の言う“お父様(おもうさま)”だから、これは、私の今生の祖父である、孝明天皇のことだ。

「お(かみ)、それならば、他に人がおりましょう。この、心弱き増宮殿下に、上医になれと?」

「章子は常の女子とは違います。そのように育ててきたつもりです」

 お父様(おもうさま)が二位局にこう言うと、

「おお……」

二位局は眉を顰めた。「お(かみ)ともあろうお方が、かように仰せられるか。わらわがお(かみ)に手を焼くように、花松どのも、増宮殿下のことでは、さぞご苦労されていることでございましょうなぁ」

「二位局さま!」

 橋本先生が、私の実の祖母をたしなめた。

「ご対面を!」

 その声で、二位局は渋々口を閉じ、私は、両親と兄とともに、皇太后陛下の布団の方に寄り、最後の対面をした。

「……礼を言う、章子」

 4人そろって、皇太后陛下の部屋から出ると、お父様(おもうさま)が小さな声で言った。「そなたが昨夜、今日がヤマだと知らせてくれたゆえ、心の準備ができた」

「いえ……こちらこそ、先ほどはありがとうございました」

 私は立ち止まってお父様(おもうさま)に頭を下げた。

「その、章子、二位局の言ったことだが……」

お父様(おもうさま)、私、気にしていません」

 私は軽く、首を左右に振った。「お父様(おもうさま)にも、お母様(おたたさま)にも、たくさん援護射撃をしていただいて、守っていただいています。二位局の反応が、医者になろうとする女性に対する、この時代の一般的な反応だと思います。何と罵られても、私は医者になります。そして、上医を目指します」

「増宮さん……」

 お母様(おたたさま)が、本当に辛そうに、哀しそうに私を見つめた。

「ありがとうございます、お母様(おたたさま)。私、頑張ります。色々と頑張らないといけないことはあるけれど、頑張ります」

 そう答えると、お父様(おもうさま)は黙って私の頭を撫でた。


 1897(明治30)年1月11日、午後7時30分。

 皇太后陛下は崩御され、1月30日に、“英照(えいしょう)皇太后”と(おくりな)された。


 けれど、この時、私はまだ知らなかったのだ。

 二位局の言葉の、本当の意味を。

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