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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第19章 1896(明治29)年白露~1897(明治30)年小寒
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皇太后陛下の崩御(1)

 1897(明治30年)1月1日金曜日、午後2時45分。

「いかがなさいましたか、梨花さま」

 誰もいない花御殿の応接間、椅子に座ったまま、大きく伸びをしたとたんに、大山さんが現れてしまった。

「ああ、大山さん……」

 私は慌てて伸びを止め、椅子にきちんと座り直す。

「誰か来たの?」

「いえ、大丈夫です。(おい)しかおりませんから、存分におくつろぎを」

「ありがとう」

 微笑む大山さんにお礼を返すと、私は少し姿勢を楽にして、手元の“ドイツ医事週報”に視線を落とした。

 元日は毎年、それなりに忙しい。朝に兄と一緒に皇居に参内して、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に新年の挨拶を申し上げたあと、青山御所の皇太后陛下の所に行き、同じように新年の挨拶を申し上げる。帰宅すれば、今度は私と兄が、各宮家の代理の者や各大臣などから、代わる代わる新年の挨拶を受けるのだ。

 帰宅してからの過程は、去年は爺のことがあったから、私も兄も殆ど遠慮させてもらったのだけれど、今年はそういう訳にはいかない。そして、皇太子である兄が受ける挨拶の件数は、私のそれよりも多い。応接間だけでお客様を捌いていたら、お客様の待ち時間が相当発生してしまうだろう。そこで今年は、兄は食堂に、私は応接間に分かれ、それぞれへの挨拶を受けることにした。私の方に挨拶に来る人数は少ないと思っていたけれど、既に伊藤さんや威仁(たけひと)親王殿下など、梨花会の面々が何人か来ている。それから、野口英世さんの後見人である、高山歯科医学院の血脇守之助先生もやって来た。

――野口のためにお骨折りいただいて、本当にありがとうございます。

 血脇先生には、何度も頭を下げられてしまったのだけれど、私が彼に関して負担している金額は、北里先生や後藤さんの留学費を負担した時に比べれば少ない。今まで私が支払ったのは、ドイツ語の家庭教師への謝礼と、医術開業試験の予備校である済生学舎の学費と、東京帝大でベルツ先生と三浦先生、それから外科の助教授の近藤先生に、左手の診察を受けてもらった時の診察料。先月分の出費は、合計で10円にも満たない。野口さんが左手の手術が受けられることになったら、その手術費は私が負担するつもりでいるから、それで100円前後はかかるかもしれないけれど、今年1年で彼に出すお金は、250円ぐらいで済むだろうと思う。

 だけど、既に決めていることが一つだけある。それは、野口さんには絶対に金銭を渡さない、ということだ。先日、花街で話し合った時、彼の性格上、金銭を渡すと一気に使ってしまうだろう、というのが、出席者の間の共通認識になった。なので、野口さんにかかる費用は、彼を経由させずに支払っている。野口さんには、何とか、将来につながるお金の使い方を覚えて欲しいけれど、……無理かもしれない。まぁ、花街で会った後、遊び惚けていたのがウソのように、勉学に没頭していると血脇先生が言っていたから、それでよしとしよう。医術開業試験に合格してくれたら、この年明けから医科研に勤めてくれている秦先生と志賀先生と一緒に、医科研の戦力の一員になってほしいものだ。

(血脇先生のご挨拶は予想外だったけれど、梨花会の皆もバラバラにやって来て、すぐ帰っていくから、昔より、お正月は静かに過ごせそうだなぁ……。あ、そうだ、花街にも行ったことだし、性病のことも考えていかないといけないな。今度の医科分科会の時に、ベルツ先生たちに話さないと)

 “ドイツ医事週報”を読みながら、ぼんやり考えていると、廊下から花松さんが顔をのぞかせ、私に新たな年始客の来訪を告げた。

北白川宮(きたしらかわのみや)の……成久(なるひさ)王殿下たちがあいさつに来た?」

 成久王殿下は、北白川宮家の跡継ぎで、学習院初等科の3年生だ。彼の上に、私と同じ学年の恒久(つねひさ)王殿下がいるけれど、恒久王殿下のお母様は側室、成久王殿下のお母様は正室の富子(とみこ)妃殿下なので、成久王殿下が北白川宮家を継ぐのだそうだ。だけど、北白川宮家からは、先ほど、家令さんが新年のあいさつにやって来たのだけれど……。

「一体どういうことですか?また、北白川宮家の家令さんがいらっしゃったの?」

 花松さんに尋ねた瞬間、廊下にとたとたと可愛らしい足音が響いて、

姉宮(あねみや)さま!」

学習院の制服を着た6、7歳の男の子が、花松さんの後ろから顔を出した。

「よ、芳之(よしゆき)殿下?」

 嬉しそうな笑顔を見せる北白川宮(きたしらかわのみや)芳之王殿下を、呆気に取られながら眺めていると、複数の人間が廊下を走る音が近づき、

「こら、芳之!」

芳之王殿下の後ろから、彼の1年上の兄・北白川宮輝久(てるひさ)王殿下が姿を現す。更に、輝久王殿下と同学年の、有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁(たねひと)王殿下、久邇宮(くにのみや)鳩彦(やすひこ)王殿下、久邇宮稔彦(なるひこ)王殿下がいて、

「ずるいよ!」

「そうだよ、ぼくが姉宮さまに、先にあいさつするんだ!」

「違うよ、ぼくだよ!」

などと口々に言う。応接間前の廊下は、一気に大騒ぎになった。

「ほら、静かにしろ!」

 彼らの後ろから、成久(なるひさ)王殿下がやってきて、一同に号令を下すと、ちびっ子たちは全員、すぐさま姿勢を正して、私の方に向き直った。全員が全員、成長したら美少年になるのだろうな、と思うような凛々しい顔立ちをしている。そんな彼らが、揃いの制服で整列する姿は、とても微笑ましいのだけれど……。

「え……?あなたたち、まさか、私に新年のあいさつに来たの?」

 戸惑いながらも尋ねると、

「その通りです!」

成久(なるひさ)王殿下が、ちびっ子たちを代表して答えた。

(はい?)

 首を傾げる私の前で、

「あけましておめでとうございます、姉宮さま!」

成久王殿下が私に頭を下げ、

「「「「「あけましておめでとうございます!」」」」」

と、残りの王殿下たちも一斉にお辞儀をした。

「あ、あけましておめでとうございます」

 私も姿勢を正して、小さな王殿下たちに丁寧にお辞儀をした。一番上の成久(なるひさ)王殿下ですら、まだ10歳にもなっていないけれど、きちんと挨拶をしてくれたのだから、こちらも失礼のないようにしなければならない。頭を上げて、ちびっ子たちに微笑を向けると、

「やった、今年はごあいさつできたぞ!」

稔彦(なるひこ)王殿下が嬉しそうに言った。

「本当は、去年もするつもりだったんだけど、できなかったんだ、姉宮さま」

「そう、父上が、“姉宮さまは、大事な人にお別れしている最中だから、邪魔をしてはいけないよ”っておっしゃったから、我慢したんだ」

輝久(てるひと)王殿下と栽仁(たねひと)王殿下が教えてくれたのだけれど……。

「あの……“姉宮さま”って、私のこと?」

 私は自分を指さした。確かに、私は彼らより年上だ。けれど、同じ皇族で、血がつながっていると言っても、かなり遠い親戚になる。

「そうだよ!」

 私の問いに、鳩彦(やすひこ)王殿下が笑顔で頷いた。

「いや、“そうだよ”って……あなたたち、私のことが怖くはないの?学校で、色々噂が流れているでしょう?“増宮は怖い”って」

 学習院の生徒たちは、私に怯えてしまっている。現に、皇居の表御座所でお父様(おもうさま)の側近くに仕える侍従職出仕の学習院の生徒たちは、私が表御座所に入ると、コソコソと逃げ出すのだ。兄のご学友さんたちだって、私に怯えているのに……。

 すると、

「怖くありません!」

と、成久(なるひさ)王殿下が元気よく答えた。

「皆、馬鹿だよなぁ。姉宮さまは優しいのに」

「じゃあ、(てる)兄上、父上も(つね)兄上も馬鹿ってことになっちゃうよ?」

 芳之(よしゆき)王殿下が可愛らしい声ですぐ上の兄に指摘すると、

「馬鹿だよ。姉宮さまのことを知らないんだから」

成久(なるひさ)王殿下が断言した。

「うちの兄上達も馬鹿だよ。姉宮さまが怖いって言うんだもん」

 鳩彦(やすひこ)王殿下もこう言う。

「いや、君たちのお兄さまとお父さまの反応は、非常に正しいと思うよ?」

 私は呆れながら突っ込みを入れた。恒久(つねひさ)王殿下にも、その父親の北白川宮(きたしらかわのみや)能久(よしひさ)親王殿下にも、私はトラウマを植え付けてしまっているのだ。トラウマの発生源から逃れたいと思うのは当然だろう。

 と、

「そろそろおやつの時間!」

芳之(よしゆき)王殿下が大きな声で言った。その声で応接間の置時計を見ると、確かに針が3時を指そうとしている。

「増宮さま」

 大山さんが微笑みながら、私に声を掛けた。「何か、お茶菓子を出して差し上げたらいかがですか?」

「そりゃ、出せればそうしたいけど……私に挨拶に来る人がいるんじゃない?」

「御来客は一段落付きました。しばらくは大丈夫だと思います」

 花松さんがニッコリ笑って答える。

「でも、花松さん。お茶菓子はあります?」

「ビスケットがありますよ」

「……ビスケットなら、コーヒーか紅茶かなぁ。君たち、コーヒーは飲める?」

 尋ねると、ちびっ子たちは全員「はいっ」と元気良く答えた。

「あれ?鳩彦(やすひこ)、飲んだことないだろ?」

「飲んだことないけど、試してみるんだよ」

 稔彦(なるひこ)王殿下に、鳩彦王殿下が返す。2人とも、6年前に亡くなった久邇宮(くにのみや)朝彦(あさひこ)親王殿下の子供で同い年だけど、彼らの母親は別々の人なのだそうだ。ちなみに、北白川宮(きたしらかわのみや)家の恒久(つねひさ)王殿下、成久(なるひさ)王殿下、輝久(てるひさ)王殿下、芳之(よしゆき)王殿下も、同じ北白川宮能久(よしひさ)親王殿下の子供だけれど、全員母親が違う。しかも、芳之王殿下に関しては、能久親王殿下が隠し子として、民間で育てていたのだけれど、“史実”の記憶を得て、隠し子の存在を思い出した伊藤さんが、能久親王殿下を説得し、きちっと北白川宮家の籍に入れさせた、ということだ。北白川宮家のご兄弟は全員、富子妃殿下が育てているということだけど……前世の感覚で考えていると、頭が混乱してしょうがない。

「じゃあ、牛乳と砂糖も持ってくるね。牛乳をたっぷり入れて、お砂糖も入れたら、コーヒーの苦味も和らぐから、鳩彦(やすひこ)殿下も飲めると思うよ」

 私は微笑しながら言った。以前、皇太后陛下に、“牛乳の匂いを和らげるにはどうしたらいいか”と聞かれたとき、“コーヒーと合わせるのがいい”と答えた。今回は逆だけれど、コーヒーの苦みを和らげるには、牛乳とお砂糖を合わせるのが一番だと個人的には思う。

「少し、待っててもらっていいかな?」

 小さな王殿下たちに問いかけると、彼らは嬉しそうな声で「わかりました」と一斉に返事した。花松さんにも手伝ってもらい、温めた牛乳とコーヒーをそれぞれ大きなポットに入れ、小さな砂糖壺と人数分のコーヒーカップ、ビスケットを載せた大皿を持って戻ってくると、可愛らしい王殿下たちは、私が置いて行った“ドイツ医事週報”を覗き込んでいた。

「姉宮さま、これ、何語?」

 輝久(てるひさ)王殿下が誌面から顔を上げた。

「ドイツ語だよ」

「何が書いてあるの?」

 稔彦(なるひこ)王殿下の問いに、

「僕、知ってるよ。これ、医学のことが書いてあるんだよ」

と、栽仁(たねひと)王殿下が答えた。彼は、威仁(たけひと)親王殿下と慰子(やすこ)妃殿下の長男である。

 すると、

「ああ、姉宮さまは医者になるんだもんな。桂閣下がそうおっしゃっていた」

成久(なるひさ)王殿下がこう言い、

「すげー!」

「姉宮さま、かっこいい!」

稔彦(なるひこ)王殿下と鳩彦(やすひこ)王殿下が、目をキラキラさせた。

「いや、カッコいいって……君たち……」

 職業を持つ女性を“カッコいい”と思うのは、この時代の一般的な価値観と、少し異なるのではないだろうか、と突っ込もうとしたけれど、口が動かなくなってしまった。小さな可愛い王殿下たちが、一斉に憧れの目を私に向けたからである。

「あ、あの、コーヒーが冷めちゃうから、注いでもいいかな?」

 戸惑いながら提案すると、

「わーい!」

「姉宮さまのコーヒー!」

芳之(よしゆき)王殿下と輝久(てるひさ)王殿下が歓声をあげた。

(なんかよく分からないなぁ、この子ら……)

 コーヒーと牛乳をカップに合わせて注ぎ、ビスケットも勧めると、ちびっ子王殿下たちは更に騒がしくなって、自分たちの近況やら興味のあることやら、私に次々に報告してくれた。……一人ずつならともかく、6人分のおしゃべりなんて聞き分けられない。私は聖徳太子ではないのだ。

(し、静かなお正月が欲しい……)

 1時間ほど、可愛い王殿下たちがたっぷり喋って帰った後、疲れ果てた私は、応接間のテーブルに突っ伏したのだった。


 1897(明治30)年1月9日、土曜日。

「とうとう、陸奥さんが外務大臣ですか……」

 梨花会が終わった後、いつものように私の居間にやって来た陸奥さんに、私はお茶を出しながら言った。

「よろしくお願いしますよ、殿下」

 黒いフロックコートを着た陸奥さんは、ニコニコしながら私に言う。昨年末で、外務大臣だった青木周蔵さんは、療養に専念するために退任し、外務次官だった陸奥さんが、外務大臣にそのまま就任したのだ。ちなみに、外務次官には林董さんがなっている。陸奥さんが毎年行っていたハワイには、この冬は全権大使として、法典調査会にいた金子堅太郎さんが派遣されていた。

「青木さんの胃は大丈夫なんでしょうね?私、それが心配でならないんですけど」

「大丈夫でしょう。血を吐いたという話は聞かないですし」

「……いや、血を吐いたら、今の時代なら、それなりの確率で死んじゃうと思いますよ?」

 私の時代なら、胃潰瘍の出血も、内視鏡を使って止められるだろうけれど、この時代、もちろん、内視鏡なんて代物はない。潰瘍の出血を止めるとしたら、緊急手術で胃を切除するほかないだろう。

(京都帝大が消化管造影の技術を確立したら、青木さんに検査を受けてもらう方がいいかなぁ……)

 そんなことを思っていると、

「誰かいますね」

と、私の隣に座った大山さんが言った。

「あれ?原さん、もう兄上との対局が終わったのかな?」

「いえ、原ではないようです」

 大山さんと言い合っていると、私にも気配が感じられるようになった。庭に誰かいる。私は部屋の隅に立て掛けてあった竹刀を掴んだ。大山さんも、軍刀の柄に右手を掛ける。

(いい、開けるよ?)

 障子の引手に手を掛けて、大山さんを見つめた時、

「殿下!いらっしゃいますか!」

庭から、今いるはずのない人の声がした。……ベルツ先生だ。微かに大山さんが頷いたのを確認するや否や、私は勢いよく障子を開けた。

「殿下……」

 庭には、診察かばんを手に提げたベルツ先生が立っていた。先週の土曜日は医科分科会が無かったから、今年初めて会ったことになる。

「不審な気配はありませんね」

 大山さんが小声で言ったのを確認してから、

「ベルツ先生、あけましておめでとうございます。庭から新年のご挨拶なんて、どうしたんですか?」

私は警戒を解いて、ベルツ先生にニッコリ笑った。けれど、ベルツ先生は硬い表情を崩さない。

「ああ……竹刀、持ったままでしたね」

 所定の位置に竹刀を戻そうと、ベルツ先生に背を向けると、

「殿下、緊急のお話をさせていただいてもよろしいですか?」

ベルツ先生が真剣な調子で言った。

「込み入った話になりますか?」

「恐らくは」

「わかりました。とにかく上がってください。カバン、お預かりします」

 ベルツ先生は私に診察かばんを渡すと、靴を脱いで庭から廊下に上がった。

「大山さんと陸奥さんがいるけれど、席を外してもらいますか?」

「いえ、いていただく方がよいかもしれません」

 ベルツ先生はこう言った。居間に入ったベルツ先生に陸奥さんの隣の椅子を勧め、お茶を淹れに行こうとしたら、

「大山殿が淹れに行かれましたよ」

陸奥さんが私に言った。その言葉に相違なく、間もなく、大山さんがお茶を載せたお盆を持って居間に戻ってきた。

「さて、全員揃いましたけれど、ベルツ先生、話してもらっていいですか?」

 私が声を掛けると、お茶を一口飲んだベルツ先生は、

「殿下、ご助力いただきたいことがあります」

と、私に真剣な眼差しを向けた。

「何でしょうか、ベルツ先生?」

「皇太后陛下のことです」

「……!」

 私だけではなく、大山さんの表情にも、陸奥さんの顔にも、緊張が走った。

※「あけましておめでとうございます」……いつ頃から新年のご挨拶として使われていたのか、調べ切ることができませんでした。ただ、1910(明治43)年発行の「家庭十二ケ月. 1月の巻」という本に、「あけましておめでとう」が明らかに新年のご挨拶として使われていたので、とりあえず採用しました。ご了承ください。


※芳之王殿下……実際には二荒(ふたら)芳之伯爵として、能久親王死去後に認知されて伯爵位を授けられていますが、拙作では伊藤さんの剛腕(?)で皇族となりました。恐らく弟君も、拙作の世界線では皇族になっているでしょう。

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