医科研の求人(2)
1896(明治29)年12月4日金曜日、午後7時。
「ここが、花街ですか……」
新橋駅より少し北側にある町の一角。人力車から降りた私は、立ち並ぶ料理屋や待合――芸妓を呼んで、飲食をさせる所だそうだけれど――の灯りを見て、ため息をついた。東京には色々なところに花街があるけれど、ここ新橋は、明治時代になってから人気が出てきた花街だ……と、ここまでの道中に、人力車に相乗りした西園寺さんから聞いた。
「で、この待合なんだろ?野口がいるのは」
そう言いながら、私の隣に立った西園寺さんの後ろから、井上さんがひょいと顔を出す。井上さんの隣には、当然のように、我が輔導主任が立っていた。この2人は、私と西園寺さんの後ろを、やはり人力車でついてきたのである。
「ええ、確かそのはずです」
着物に羽織を合わせた西園寺さんは、私の右手を握り、落ち着き払って頷いた。
今日の私の同行者が、西園寺さん・伊藤さん・井上さんに落ち着くまでには、紆余曲折があったらしい。まず、伊藤さんが、“史実”の1901(明治34)年に、野口英世さんに会ったことがあり、「本人確認をするために同行する」と言い張った。それはすんなり認められたのだけれど、“伊藤だけついて行かせると、かえって増宮さまの身が危ない”という意見が、“梨花会”の中から多数出た。そこで、“新橋の花街に顔が利いて、伊藤を抑えられる人間をついていかせればいい”、ということになり、話し合いの結果、井上さんと西園寺さんが、私と伊藤さんについてくることになったそうだ。ちなみに、後から大山さんが合流する予定になっている。
「しかし、放蕩癖か……優秀なのは間違いないが、いささか困ったものだな」
西園寺さんと同じような和服姿の伊藤さんが、渋い顔で言うと、
「俊輔、他人のことを言えるか?」
やはり和服を着た井上さんが、伊藤さんを軽く小突いた。「お前だって、相当遊んでいるだろうが」
「わしは自分の金で遊んでいるだけだよ」
伊藤さんの言葉に、西園寺さんは黙って苦笑いを浮かべると、
「ところで増宮さま、ご気分はいかがですか?」
と私に尋ねた。
「……お化粧の匂いにやられていて、余り良くないです」
私はマスクの上を、左手で覆いながら答えた。マスクを付けた程度では、この花街に漂う化粧品の匂いは、シャットアウトできないようだ。
「そうですか。しかし、その格好もよろしいですな」
「西園寺さん。私、この髪型は嫌いなんです」
答えながら、首を大きく横に振ると、下ろした長い後ろ髪が広がった。
私が今日着ているのは、若草色の着物である。本当は、いつものように女袴を付けたかったのだけれど、今の時代、女袴を付けているのは、ほとんどが女学生だ。女袴を付けたままだと、“女学生が花街にいる”と、通行人に不審がられてしまうので、花御殿を出る時に外し、着物を着つけ直した。適当な帯が無かったので、伊藤さんにあらかじめ借りて置いた、紺地に白い糸で花の刺繍が入れてある帯を締めている。この帯は、以前、伊藤さんのお嬢さんが使っていたものだそうだ。
そして、髪型も普段と変えた。今の東京の女子学生の髪型は、私と同じようなポニーテールや束髪が圧倒的だ。伊藤さんによると、“史実”ではこの時期、ポニーテールはそんなに流行していなかったということだけれど、ポニーテールにしろ束髪にしろ、女学生のトレードマークみたいな髪型なので、これも不審に思われる要素になる。だけど、日本髪を結うと、頭が大きく見え過ぎてしまって、私の好みではない。そこで、何か良い案はないかと“梨花会”の面々に相談したところ、
――髪を結ばないで、そのまま下ろしてください。洗い髪のように見えますから、花街にはちょうどいいでしょう。
と、西園寺さんに力強く答えられた。洗い髪……その名の通り、洗い立ての髪のように、何もせずにただ垂らしただけの髪型だけれど、4、5年前にある芸妓がしたのを皮切りに、花街では流行しているのだそうだ。その助言に従い、髪は結ばなかったのだけれど……。
(なんで、市松人形ヘアが流行するんだろう?花街って、よく分からないなあ……)
そう思って、思わずため息をつくと、
「ま、マスクは外さない方がいいでしょうね」
西園寺さんが私の顔を見てほほ笑んだ。「マスクを外してしまったら、芸妓置屋の女将たちがすっ飛んでくるでしょうから」
「はぁ?」
芸妓置屋というのは、待合の客のリクエストに応じて、芸妓を派遣する商売だそうだ。だけど、その女将さんたちが、私がマスクを外したらすっ飛んでくると言うのは、一体どういうことだろうか。意味が分からずに、首を捻ると、
「おお、その通りだ、西園寺くん。“この上玉を、うちに預けてくれるのか”と、大騒ぎになってしまうだろう」
「確かになぁ。すごい争いになるぜ。見ものだな」
などと、伊藤さんと井上さんが頷きながら言った。
「……あの、とにかく、野口さんを捕まえませんか?」
意味不明なことを言いあう3人に、私は呆れながら提案した。
「そうですね。大山閣下に叱られてしまいます。では増宮さま、参りましょうか」
西園寺さんが私の手を引いて、待合に入っていく。玄関で草履を脱いでいると、
「まぁ、お寺さんじゃないですか」
待合の女将さんらしき人が、西園寺さんに声を掛けた。“お寺さん”というのは、多分、西園寺さんのあだ名だろう。
西園寺さんが女将さんらしき人と会話を交わしている間に、
「じゃ、行きましょうか」
既に建物に上がった井上さんが、自然な調子で私の右手を取った。
「あ、はい。部屋の場所は分かってるんですか?」
「大山さんの話によると、一番奥の部屋だということですが……」
そう言って、井上さんは心配そうな表情を作った。
「しかし増宮さま、大丈夫ですか?もしかしたら、しっぽりやってる所に出くわすことになるかもしれませんが……」
「むしろ最中ならいいです。問題は、キスしてる所だった場合ですね」
待合には、布団などを備えていることもあり、客と芸妓が一夜を過ごすこともあるそうだ。西園寺さんがそう教えてくれた。その場合、客と芸妓がやることは……まぁ、ほぼ一つしかない。それを見ること自体、別にどうということはないけれど、キスしているところを目撃した場合、またフラッシュバックが起こってしまう可能性はある。
(それで倒れたら、野口さんに説教するどころの騒ぎじゃなくなるからなぁ……どうしよう)
ため息をつくと、
「大丈夫です、増宮さま」
井上さんが右手で拳を作って、自分の胸を軽く叩いた。「俺が先に部屋の中を確認しますから、野口と芸妓が接吻し合っている場合は、増宮さまの目を隠します。それで、場が整ったら目隠しを外しますから」
「と言って、どさくさに紛れて、増宮さまを抱き締めるつもりだろう、聞多」
伊藤さんが刺のある声で指摘した。
「それは、この輔導主任が許さんぞ」
「何をぬかす、俊輔。お前も、俺が手を握っていなかったら、増宮さまに同じことを言うだろう」
「確かに、井上閣下のおっしゃる通りかもしれませんね」
井上さんの後ろから、女将さんと話し終えた西園寺さんが、くすくす笑いながら言った。
(このロリコンどもめ……)
盛大にため息をつきたかったけれど、私はわざと厳しい表情を作った。
「野口さんの所に行きましょうか。他のお客さんのご迷惑になっちゃうから、さっさと済ませましょう」
「了解しました」
西園寺さんがニッコリ笑って、廊下を歩き始め、私たちもそれに続いた。
廊下に並んだ襖の向こうからは、三味線や笛・太鼓の音、それと芸妓さんの歌声が、化粧の匂いとともに流れてくる。匂いを我慢しながら廊下を奥へと進んでいくと、突き当りの部屋の襖が、少し開いているのが見えた。そこからも、やはり、三味線の調子と歌声が漏れ聞こえる。
「よかった、事の最中じゃなさそうだ」
井上さんが小さく口笛を吹いて、西園寺さんを追い抜かした。井上さんと手をつないだ私も、井上さんに引きずられるようについていく。
「ちょっとごめんよ」
井上さんが一番奥の部屋の襖を完全に開くと、
「まぁ、御前さま」
2人いた芸妓さんのうち、三味線を弾いていた芸妓さんが驚きの声をあげた。
「どうなさったの?」
踊っていた芸妓さんが、井上さんに艶然と微笑む。芸妓さんと一緒に踊っていた坊主頭の男性も、酔眼を私に向けた。
「ちょいと、ここの客に用があるんだ」
「んー?」
坊主頭の男性が、よろよろした足取りで私に近付く。紺の絣の着物にこげ茶色の袴……どう見てもまだ学生だ。野口さんの連れだろうか。
「新しい子かなぁ?」
そう言いながら、坊主頭の男は私に接近し、
「顔を隠しちゃ、別嬪かどうかわかんねぇぞぉ?」
……突然、私に抱きついた。
「こ、このセクハラ野郎っっっ!」
渾身の力で腕の拘束を振りほどくと、私は男の顔を思いっきりひっぱたいた。本当は、回し蹴りもお見舞いしてやりたかったのだけど、やってしまうとショーツが見えてしまうかもしれない。仕方がないので、男の頭をもう一発殴った。
「品の無い遊び方だなぁ」
私の痛烈な攻撃を食らい、畳に倒れ込もうとしたセクハラ男の身体を、部屋に入った西園寺さんが、仕方なく、といった感じで後ろから支える。
「ま、お寺さんも、伊藤の御前さまもいらっしゃるの。一体どうしたんですか?」
踊っていた芸妓さんが、慌てて正座して、私たちに向かって頭を下げた。
「そこの、極めて無礼な男に用がある。お前たち、わしがここの支払いはするから、今日の所は帰ってくれないかな。あと、わしらがここに来たことは内密に頼む」
伊藤さんが顔をひきつらせながら言う。普段見せない鋭さが、彼の身体から放たれていた。おや、伊藤さんなら、こいつのセクハラに便乗して何かやってくるかと思ったけれど……意外な展開だ。
「承知しました。伊藤の御前さまの頼みですから」
微笑むと、三味線をしまった芸妓さんは、踊っていた芸妓さんを促して部屋から立ち去った。
「あれ?伊藤さん、野口さんはどこ?」
私は、芸妓さんたちが立ち去った室内を見渡した。私たち4人の他には、西園寺さんが後ろから羽交い締めにしている、先程のセクハラ野郎しかいない。野口さん、厠にでも行っているのだろうか。
と、
「こ奴ですよ」
伊藤さんが厳しい態度を解かないまま、セクハラ野郎を指差した。
「わしが“史実”で会った時の顔、そのままです。こ奴が、増宮さまのお探しの、野口英世、本人ですよ」
(う、うええええっ?!)
私は、酒に酔って幸せそうな表情を浮かべているセクハラ野郎の……“史実”で偉大な医学者として知られ、紙幣の肖像画にも選ばれた野口英世さんの顔を、文字通り、穴が開くほど見詰めた。
※野口英世のwikipediaを見ると、アメリカで伊藤さんと会ったのが1904(明治37)年になっているのですが、「伊藤博文公年譜」では、伊藤さんはその年にはアメリカに行っていませんでした。同年譜によると、1901(明治34)年10月に伊藤さんがアメリカを訪問、1900(明治33)年に野口さんがアメリカで生活を始めているので、拙作では1901(明治34)年に会ったということにしました。




