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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第19章 1896(明治29)年白露~1897(明治30)年小寒
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花御殿の手強い面々

※セリフミスを修正しました。(2019年10月22日)

 1896(明治29)年11月7日土曜日、午後3時。

「まさか、老公のご葬儀に、勅使にご参列いただけるとはな……」

 私の居間にやって来た原さんは、私が出したお茶を一口飲むと、大きく息を吐いた。

 本来なら、土曜日のこの時間には、医科分科会がある。だけど、今日は陸奥さんの胸部エックス線写真の撮影があり、ベルツ先生と三浦先生が来られなくなったので、医科分科会が中止になった。陸奥さんの結核の治療が始まって、この11月初めで満1年。陸奥さんの体調は明らかに良くなったけれど、治療効果をきちんと確かめるため、治療開始直前に撮影したエックス線写真と、今日撮った写真を比較するのだ。だから、陸奥さんも今日は花御殿に来られなくなり、久々にのんびりした土曜日が過ごせる、と思ったら、

――今日は、原がうるさそうですな。

と、華族女学校(がっこう)から帰った時、大山さんに言われた。

――南部さんのおじい様のことね。

 私も大山さんに頷き返した。

 兄のご学友の南部利祥(としなが)さんの祖父・南部利剛(としひさ)さん……原さんの言う“老公”が亡くなったことが、11月2日に公にされた。利剛さんは、戊辰戦争の時の盛岡藩の藩主だ。南部藩は戊辰戦争で「反乱を企てた」とされ、利剛さんは、息子の利恭(としゆき)さんに藩主の座を譲って隠居した上、謹慎を命じられた。謹慎は1年ほどで解かれたそうだけれど、南部藩をはじめとする東北諸藩に理不尽に着せられた逆賊の汚名は、未だに根強く、今の世に残っている。

「確認しておくが……あなたが勅使の件を、陛下に申し上げてくれたのか?」

 原さんは湯呑を置くと、強い視線で私を見た。大山さんは、原さんに気を遣ってか、席を外している。

「ええと、私と兄上がお願いした時には、派遣は既に決まっていたみたいです」

 私は、原さんの視線に引きずられないように気を付けながら、なるべく静かな声で説明し始めた。

 兄とご学友さんたちは、平日は御学問所で合宿生活を送っている。そして、土曜日の午後に各々の実家に戻り、自由な時間を過ごした後、日曜日の夜に御学問所に戻って来るのだ。ところが、11月1日の日曜日の夜、利祥さんは、“祖父が危篤なので、しばらく学問所を休む”と連絡し、御学問所に戻らなかった。

――利剛(としひさ)侯が亡くなったら、容保侯の時と同じく勅使を出すよう、お父様(おもうさま)にお願いするぞ。だめでも、南部の祖父だから、俺は葬儀に使いを出すつもりだ。

 2日の剣道の稽古が終わった後、兄が私の側に寄ってこう耳打ちし、私もそれに頷いた。

 そして、翌日の3日朝、お父様(おもうさま)に誕生日のお祝いを申し上げるのに参内した時に、

――お父様(おもうさま)、お願いしたいことが……。

と兄が切り出したところ、

――利剛のことであろう。

と、お父様(おもうさま)に先に言われてしまった。

――昨日亡くなったそうだが、朕も美子も、使いを出す。嘉仁も使いを出すのか。

――はい、南部の祖父ですから。

 兄はお父様(おもうさま)に深く頭を下げたまま答え、私も兄に倣って最敬礼し続けた。

――そうか。それなら、お前も出せ。

 お父様(おもうさま)がそう答えたので、今日の南部利剛さんの葬儀には、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)だけではなく、兄も侍従さんを派遣したのだけれど……。

 すると、

「何と……」

原さんの目から、涙が溢れ出した。「ありがたい……非常にありがたいことだ……。しかも、皇太子殿下は、最初から、勅使が派遣されなくても、使いを出されるおつもりで……“史実”では、そんなことはなかったのに、この時の流れでは、我が藩の逆賊の汚名が……」

「は、原さん……」

 何も泣かなくても、と言いそうになった口を、私は慌てて閉じた。原さんにとっては……盛岡藩の家老の家に生まれた原さんにとっては、逆賊の烙印を押されてしまった主家の元ご当主の葬儀に、皇室から使者が来て参列した、というのは、とても重要なことなのだ。多分それは、他の盛岡藩旧藩士にとっても、だ。

(良かった……)

 私は、涙を流し続ける原さんを見やった。これで、彼の積年の思いも氷解して、心の傷も癒えるのだろうか。

(いや、まだだな……)

 田中舘先生の話を思い出した私は、軽く首を横に振った。

 原さんの中には、父とも叔父とも慕った楢山佐渡さんが、無実の罪を着せられて処刑された、という記憶がある。

 田中舘先生から話を聞いたあと、私も自分で少し調べてみたけれど、楢山さんの家名再興が許されたのは、今から7年前、1889(明治22)年のことだったそうだ。戊辰の戦いから20年経って、というタイミングが、早いのか遅いのか、私には分からない。ただ……。

(“史実”の原さんは、楢山さんが、盛岡藩が、“逆賊”の汚名を理不尽に着せられてしまったこと、ずっと忘れなかったんだろうな……)

――戊辰戦争で、東北諸藩が理不尽に逆賊扱いされた恨み、わたしが総理大臣になることで晴らそう。

 初めて原さんと会った時、彼はこう言った。多分それは、彼が“史実”でも抱いていた思いだ。“史実”でも、楢山さんの汚名は、この時の流れと同じタイミングで取り除かれたのだろうけれど、原さんの思いは変わらず、心も傷付いたままだったのだろう。そして、総理大臣になり、暗殺された。

(何か、方法はないのかな……)

 目を伏せて考え込んでいると、

「どうした、主治医どの」

いつもの、ちょっと偉そうな声が聞こえた。

「わたしが泣くのが、そんなにおかしいのか」

「そうじゃないです」

 私は首を横に振った。「ただ、私の時代は、武家の社会が無くなって100年以上経っていたから、ちょっと戸惑っているだけです」

「なるほどな」

 原さんは、少し背筋を伸ばした。「戊辰の戦いから、もうすぐ30年が経とうとしている。色々な考え方をする者がいるだろうが、わたしにとっては、主家は、いつまでも大事なものだ」

「そうですか……」

「ああ、だから、利祥(としなが)さまのことも心配だし、英磨(ひでまろ)さまのことも心配だ。お2人とも、この時の流れでは、よい人生を送ってくださるとよいのだが……」

「あの、原さん?“英磨さま”って、どなたですか?」

 私が尋ねた時、

「大隈さんのご養子ですよ」

廊下から声が掛かった。

「もう……大山さん、驚かさないで」

 私がため息をつきながら言うと、障子が開いて、大山さんが姿を現した。立ち上がった彼は、両手でお茶の載ったお盆を支えている。

(おい)の気配には、気づかれませんでしたか」

「原さんと真剣に話をしてたから、気配を読む余力がなかったわ」

「それは、まだまだご修業が必要ですね」

 大山さんは微笑しながら、お盆をテーブルに置いた。

「それより、英磨さま……って、南部家のご出身なの?」

 椅子に掛けた大山さんに尋ねると、

「今のご当主の利恭(としゆき)さまの弟君だ」

原さんが大山さんの答えを奪った。「大隈の娘と結婚して、今は早稲田尋常中学校の校長をしているが……人が良すぎてな。“史実”では、多額の借金の保証人になってしまわれて、大隈家を離縁されたのだ」

(うわぁ……)

 大名家の出身だから、金銭感覚が普通の人とは違うのだろうか。まぁ、私もこの時代の金銭感覚にまだまだ慣れていないから、人のことは言えないのだけれど。

「この度の老公のご葬儀の時にも、口を酸っぱくして、“性質(タチ)の悪い連中とはお付き合いなさいますな”と、英磨さまにご忠告申し上げたが……金を目当てにやって来る奴はいくらでもいるだろうし、どうなることやら」

「大隈さんの家、お客さんが多いですもんね……」

 大隈さんなら、いや、大隈さんの奥さんの綾子さんなら、その辺の見分けはきっちりやるだろうな、と思う。けれど、“人が良すぎる”と原さんが言う、おぼっちゃま育ちの英磨さんには、人物の鑑定眼が余りないのかもしれない。

「あれ?ちょっと待って?南部さん、じゃない、利祥さんに“よい人生を送ってほしい”って……利祥(としなが)さん、“史実”でどうなったんですか?」

 ふと気が付いて、原さんに尋ねると、彼の表情が曇った。

「……日露戦争で、戦死なさった」

(あ……)

「もしかして、“南部中尉”って、利祥さんのこと……?」

「知っているのか!」

「前世で盛岡城の跡に行った時、南部中尉の銅像があって……」

 正確に言うと、銅像の台座が、だ。銅像そのものは、戦時中の金属供出で無くなったと聞いたけれど……その“南部中尉”が利祥さんだったのか。

「でも、利祥さん、御学問所が解散したら、騎兵士官学校を受験するって聞いたことがあります。このままだと、戦争に出征する運命は避けられないんじゃ……」

「しかし主治医どの、日露戦争が、“史実”と同じように起こるとは限らないだろう?」

「確かにそうです」

 大山さんが、原さんの言葉を、私の代わりに引き取った。「我が国を取り巻く状況は、“史実”と大きく異なっています。ですから、“史実”の通りに日露戦争が起こるかどうか……」

(日露戦争か……)

 “史実”通り、1904(明治37)年に開戦したとすると、その時私は21歳になっている。希望通り一高に進んだとすると、まだ在学中だろう。

(医者になっていれば、後方の病院で働くこともできるだろうけれど……)

 私は首を横に大きく振った。大山さんの言う通り、実際に日露間で戦争が起こるかどうかは分からない。それに、開戦したとしても、“史実”と同じタイミングで開戦しない可能性だってあるのだ。

(どうなったとしても、私は私の居るところで、出来ることをやるしかないか)

 私はお茶を一口飲んで、自分の中でこう結論を出した。


「ところで……」

 原さんと久々に将棋を指した後、原さんが大山さんに話しかけた。

「朝鮮については、新しい情報は入っておりませんか?」

「動きはないですね」

 大山さんは原さんに静かに答えた。

「なるほど、つかの間の平和、という訳か」

 原さんはこう言って、ぬるくなったお茶を飲んだ。

「前国王の軟禁が、続いているんでしたっけ……」

 私は、以前聞いたことを思い出しながら確認した。

 昨年の10月に閔妃は死亡し、その1か月後に彼女の“病死”が公にされた。ただ、清の公使の袁世凱が隠蔽工作をしたとはいえ、閔妃が毒殺されたという噂は朝鮮国内で絶えなかった。

 ところが、袁世凱は、その噂を巧みに活用した。軟禁している前国王には、“今の国王が閔妃を毒殺した”と吹き込み、今の国王には“前国王が閔妃を殺した”と囁いたのだ。典型的な離間の計で、少し考えたら嘘だと分かりそうなものだけれど……両者とも、嘘を信じてしまった。前国王と今の国王の関係は完全に修復不可能になり、今の国王は、実父である前国王を殺してしまおう、とすら考えているそうだ。

「今の国王は、“袁世凱を実の父とも思う”と、公の場で嬉しそうに発言したらしい。完全に、朝鮮は実質、清の属国になった」

 原さんは薄く笑った。

「そうですか……このままだと、袁世凱、朝鮮の王位を簒奪しちゃうんじゃないですか?」

「それも有り得る。だが、そうなると、ロシアが黙っていないだろう」

「流石に、袁世凱にそこまではさせません」

 凄みの漂う微笑を見せる大山さんに、

「ロシアが、朝鮮か清に攻め込む口実は与えないって訳か……」

私は必死に脳みそを動かしながら答えた。袁世凱が朝鮮の王位を簒奪したら、“朝鮮の独立を清から守る”などと言いながら、ロシアが朝鮮か清に攻め込んでくる可能性もある。朝鮮は今のところ、一応、独立国としての体裁は保っている状態なのだ。

「ええ、それに、ロシアの目も、外国ではなく国内に向けるように画策しておりますからね」

 大山さんが言う。ロシアの大蔵大臣のヴィッテさんは、今現在、ロシアの政府の中でほぼ実権を握っているけれど、彼の考えは、対外政策よりは国内の整備に力を入れたい、というものだ。ニコライ陛下の戴冠式の際に、伊藤さんは、李鴻章さんと一緒にヴィッテさんと会談し、その方針を確認した。

 唯一の不安材料は、ウラジオストックにいるロシアの太平洋艦隊の司令官・アレクセーエフさんだ。この人がどうも、好戦的な性格らしい。そして、「朝鮮を攻めとれ」などと言っているらしいのだ。

「問題は、アレクセーエフさんかな。何とかして押さえないと」

 私が言うと、

「その通りだ。急所が見えるようになったようだな、主治医どの」

原さんがニヤリと笑った。「で、主治医どのならこの局面、どうする?」

(どうするって言われても……)

 腕を組んで考え込むと、

「梨花さま、戦国の世なら、どうなさいますか?」

と、大山さんの声が飛んできた。

「戦国の世なら、かぁ……日本と清の強さでもアピールするのかな。“俺たちの縄張りを荒らしたら、痛い目に遭うぞ”みたいな?」

 すると、

「それも一つの手でございます」

大山さんは頷いた。「実は来月、我が国軍と清の海軍が、黄海で合同演習をする予定です。先方は、丁汝昌提督が自ら艦隊を率いるということです」

「凄い話だな。“史実”の黄海海戦で破れて自害した清の提督が、この時の流れでは生きていて、清の海軍の指揮を執っているのだから」

 原さんは軽いため息をついた。「清の海軍も再編されて、指揮系統も整えられた。あとはその訓練と、日清両軍ともに艦艇の整備だな」

「原どのの知識も、大分役立っておりますな」

「わたしなど、日清戦争と日露戦争、それと第1次世界大戦の経過ぐらいしか知らぬ。あの程度の知識を役立てるとは、流石山本閣下と児玉閣下だと感服致しております」

 原さんが大山さんに恭しく頭を下げた。原さんはいつも、大山さんに対してはへりくだっている。彼の中では私など、内親王ではなく、一人の小娘でしかないのだろう。

「それから、あとは……」

 私は言葉を続けてはみたけど、考えが浮かばず、口を閉じた。

 と、原さんが突然、盤面に散らかったままの将棋の駒を、手でテーブルの上に全部落とした。一体何をしたいのか、不審に思いながら見ていると、

「これが、日本と清だとしようか」

原さんは、将棋盤の、所定の位置に王将を置いた。そして、

「で、アレクセーエフがこれだとしよう」

盤面の真ん中、王将と対するように金将を置く。

「アレクセーエフがこのまま進んできたら、日本と清は王手を掛けられてしまうな。さて、主治医どのならこの局面、どう指す?」

「うーん……将棋なら、ですか……」

 私は盤面をじっと見た。この状態は、王将が余りにも危険すぎる。防御する駒すらいない。

「王将は囲いたいなぁ……」

「まぁ、そうなるな」

 原さんはそう言うと、テーブルの上の駒の中から、金将と銀将を2枚ずつ選び出し、王将を囲った。滅茶苦茶な囲いだけど、言いたいことは分かる。

「日本と清は軍備を整えてるから、簡単に攻められないぞ、とロシアに宣伝するんですね」

「その通り。来月の合同演習でも、それを内外に示すわけだ。では、他には策はあるか?」

「あと、この金、どこかよそにいかないかな、と思うんですけど……」

 そう言ってから、私は自分の言葉に、実現性が余りにも伴っていないことに気が付いた。金をどこかに……つまり、現実世界で言えば、アレクセーエフさんを、太平洋艦隊の司令官から配置換えする、ということになると思うけれど、そんなことが簡単にできるものだろうか?

「どうした、主治医どの」

 原さんが怪訝そうに私を見やった。

「あ、あのですね、余りにも実現不可能な話だと思ったんです、金を……アレクセーエフさんをどこかに動かす……つまり、配置換えさせるなんて……」

 すると、

「やろうと思えばできると思うが?」

呆れたような声で原さんが答えた。「そうでしょう、大山閣下?」

「ええ」

 私の隣に座る、我が有能な臣下が頷いて微笑する。「ロシアには、腕利きを配備しておりますから。しかし、アレクセーエフは、それなりにニコライ陛下に気に入られているようですから、なかなか難しいかもしれません」

(そうでした……)

 そういえば、この臣下は、中央情報院のトップなのだった。先日も、“ロシアの有力者を何人か失脚させた”と言う話題が梨花会で出たけれど、その裏には間違いなく、彼の手が伸びているに違いない。

(こ、怖い……この臣下、怖い……)

 微笑を崩さない大山さんに、ひきつった笑いを向けていると、居間の障子がすっと開いた。

「おや、殿下、どうなさいましたか」

(げっ、陸奥さん!)

 私はひきつった笑いのまま、フロックコート姿の陸奥さんに視線を投げた。

「あ、あの、陸奥さん?エックス線の撮影は?」

「無事に終わりましたよ。結核も完治したというお墨付きを、ベルツ先生と三浦先生にもいただきました」

 そう言いながら、陸奥さんは勝手に居間に入ってきて、原さんの隣の椅子に腰かけた。

「それはよかったんですけれど……それなら、なぜ私の所に来たんですか?もう経過観察は必要ないのに」

「それはもちろん、原君と議論をするためですよ。これからも、毎週お邪魔させていただきます」

「望むところです、先生!」

 先ほどまで私に向けていた渋い表情はどこへやら、原さんは陸奥さんに、はしゃぐ子犬のように何度も頷いた。

「ちょっと待った!人の部屋を、勝手に議論の場にしないでください!」

 私は立ち上がった。何としてでも、この2人は排除しなければならない。

「と言っても……原君と安全に議論が出来るのは、ここしかないのですよ、殿下」

 陸奥さんが微笑しながら私を見る。「どちらかの家で議論するにしても、僕の妻も、原君の奥さんも、原君の身の上に起こったことを知りませんから、原君の秘密が漏れれば、大騒ぎになるでしょう。それに花御殿なら、大山殿もおられますから、秘密も厳重に守れる、という訳です。それに……」

 陸奥さんは、机の上の将棋盤をちらりと見た。

「?」

「殿下も、複雑な局面を指しこなせるようにして差し上げなければいけませんからね」

「……はい?」

 首を傾げた私を無視して、

「何のことかはわからないが、初歩の初歩を教えて差し上げるとは、……小娘と罵っておきながら、君も殿下のことを気に掛けているようだね?」

陸奥さんは“弟子”に柔らかい視線を向けた。

「先生、勘違いしないでいただきたい。わたしはあくまで、将来わたしが困らないように、最善の策を施しているだけです」

 原さんがムスッとしながら陸奥さんに答える。

「そういうことにしておこうか」

「いや、どういうことかわからないけど、大山さん、この2人を……」

 止めて欲しい、と言おうとしたら、横から「梨花さま」と大山さんの声が掛かった。

「何事も修業でございます。この大山も助力しますゆえ」

「いや、それは分かるけど、修業で死んじゃったら意味がないってば!」

「大丈夫ですよ。お2人とも、加減は御存じです」

「私には、そうとは思えないのだけれど……」

 私が言い終わらないうちに、陸奥さんと原さんは、朝鮮を巡る諸外国の情勢について議論を始め、私はいつもの通り、情報の洪水に襲われた。……まぁ、確かに手加減はしてくれたようで、思考は何とか止まらなかったけれど、

(手強い……本当、この人たち、手強い……)

夕食の時間が来て、議論が終わったころには、私はへとへとになってしまっていたのだった。

※実際には、南部利祥さんの銅像は1908(明治41)年に建立され、原さんや田中館先生も建設委員になっています。ちなみに、1944(昭和19)年に金属回収により撤去されてしまいました。

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