鬼の居ぬ間に……?
1896(明治29)年10月21日水曜日、午後7時半。
「だから、本当に困るのよ、陸奥さんと原さん……」
皇居の奥御殿の一室で夕食をいただきながら、私は愚痴をこぼしていた。
「そんなにすごいのか」
隣に座った紺の無地の着物姿の兄が、苦笑しながら言う。
「そうよ、兄上。あの2人、意気投合しちゃって、私の前でずーっと難しい議論をしてて……、話について行けやしない。おまけに……」
「武官長は、“勉強になるから聞いていろ”と言うのだろう?」
兄は私の言いたかったことを先回りして言葉にした。
「そうなの。もう、頭がいっぱいで……。青木さんが、“陸奥さんが手に負えないから療養したい”って言う気持ち、すごくよく分かる」
「“外務省の妖刀”と、“内務省の異才”の本気は、梨花にも手に負えぬ、という訳か」
激しく頷く私と、クスクス笑う兄のやり取りを、お母様が微笑みながら聞いている。
いつもなら、お母様の隣にはお父様がいて、私がこんな愚痴などこぼそうものなら、「章子、そなたは上医になる修業を積まねばならないのだぞ」とお小言を投げてくる。ところが、そのお父様は、昨日から国軍の大演習のため行幸していて不在だ。大山さんも観戦武官として大演習に出張しているから、愚痴を聞かれて困る人は私の側にいない。だからこうして、お母様と兄に、この1か月半でたまったストレスを吐き出させてもらっているのだ。
と、
「章子お姉さま……」
私の向かいに座った、茜色の着物を着た異母妹の房子さまが、心配そうな表情で私を見つめているのに気が付いた。彼女は、この9月に華族女学校の初等小学科に入学したばかりだ。
「章子お姉さま、お辛そう……大丈夫?」
「房子さま、心配いらないわ」
彼女の横から、藤色の着物をまとった昌子さまが、ニッコリ笑いながら言った。「だって、章子お姉さまは、とてもお強いもの。お兄さまのお友達を、剣道でなぎ倒してしまわれるんですから」
「……相手が、勝手に私を恐れてるだけだよ」
私は苦笑しながら昌子さまに答えた。事実その通りで、毛利さん以外の兄のご学友さんは、剣道で私と立ち会う時、未だに私を恐れて、実力が出し切れていない。
「それでも、この間、毛利に初めて勝ったな」
「勝ったけど……その1回だけだよ、兄上。それから、ずっと負けっぱなしだもん」
そう、今月の初めに、剣道の稽古で、初めて毛利さんに勝つことができた。去年の春ごろから続けていたイメージトレーニングもどきが、漸く実を結んだ……と思いきや、その後、毛利さんから更に隙が無くなってしまい、いつもの連戦連敗に逆戻りした。
まだまだ、私は剣の修業が足りないんだよ、と異母妹たちに言おうとしたところ、キラキラ輝く異母妹たちの瞳が、私を捉えた。
「それに、章子お姉さまは、算術がとてもお得意ですし!」
「体操も満点だし、テニスも上手だし!」
「章子お姉さまみたいになりたいなって、組の皆で言ってるのよ、ねぇ、昌子お姉さま」
「ええ、私の組でもそう言ってるわ」
(佐々木伯爵が聞いたら、“房子さまと昌子さまには、まず家政のことを一通り身につけていただきたく”って嘆きそうだけど……)
妹2人が次々発する言葉に、私は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。確かに、算術はクラスで1位だ。それに、クラスメートの殆どは運動が苦手なので、体操の時間は私の独擅場になってしまっている。苦手なフランス語が足を引っ張って、入学以来守り続けた主席の座からは陥落したけれど、これは仕方がないことだし、身分にかかわらず成績を公平に付けてくれる華族女学校の先生方に、むしろ感謝していた。
「そうか。しかしお前たち、章子のようになりたいのなら、医者を目指さなければならないぞ」
隣に座った兄が、異母妹たちにニッコリ笑いながら言う。
「え!」
「お医者さま!?」
昌子さまと房子さまは目を丸くすると、
「「すてき!」」
と2人同時に言った。
「章子お姉さまがお医者さまになったところ、昌子は見てみたいです!」
「房子も!」
「ねぇ章子お姉さま、お医者さまにいつなるの?」
「お医者さまになったらどうするの?」
「お父様にお仕置きするの?」
異母妹たちの矢継ぎ早の質問に、私は答えるタイミングを見失った。
「西園寺さんの説得が成功したら……私が華族女学校を卒業した年に、高等学校に女子も入れるようになるんだっけ?」
隣の兄に小声で確認すると、
「確か、そのはずだな」
兄は頷きながら答えてくれた。
今年の9月から、義務教育、つまり、尋常小学校の授業料が無償になり、教育改革が徐々に始まっているのだけれど、次の目標として、“高等学校の共学化”が挙げられていた。
――教育勅語にも、女子教育を充実させ、社会、そして世界に通用する女子を育てるという文言が入っておりますから、このお言葉通りに、女子教育は充実させなければいけません。
西園寺さんは今月の梨花会でこう言っていた。
実は、女子教育の充実云々については、“史実”の教育勅語には入ってない文言だ。1890(明治23)年秋の教育勅語制定の際、ほぼ“史実”の教育勅語の内容の通りだった草案に、“梨花会”の手で、女子教育関係のことが付け加えられたのだそうだ。
――増宮さまが医師になられると御決心されたゆえ、援護射撃をしなければと思いましてね。その意味でも、増宮さまには上医を目指していただかなければなりません。
いつもとは違う真面目な表情の伊藤さんに、私も背筋を伸ばして頷いたのだけれど……。
「でも、西園寺さんの説得がダメだったら、医術開業試験よね……」
私は両腕を組んで考え込んだ。高等学校の入学試験と医術開業試験、私が医者になるために受ける試験はどちらなのだろうか?
「章子……章子?」
兄に肩を軽くゆすられて、私はようやく自分が呼ばれているのに気が付いた。
「どうした?真剣に考え込んでいたが」
「ああ、兄上……」
私は兄の方を振り向いた。兄に“章子”と呼ばれるのは久しぶりだから、とっさに反応できなかった。
「ごめんね。私が受けるのは、高等学校の入学試験か、医術開業試験か、どっちだろう……って考えてて」
「ほう?」
「試験に使う科目も違うと思うし、問題の難易度も違うと思うから、ちゃんと確認しておく方がいいかなぁ、と思って……」
「流石に気が早くないか?」
「入学試験に使う外国語が何か、そのぐらいは確認しておきたいな。そうしたら、外国語は、試験に使う物を集中して勉強したいから……」
すると、
「指定された外国語が英語かドイツ語でも、フランス語の勉強は続けなければな」
兄が私の逃げ道を塞いでしまった。
「あ……やっぱ、だめ?」
「当たり前だろう。フランス語は、西欧の上流階級の共通語だ。身につけておかねばなるまい」
呆れたような表情をする兄に、私は「はぁい」と小さく返事して、唇を尖らせた。仕方がない。フランス語は苦手だけれど、兄にも教わりながら、コツコツ勉強するしかないようだ。
「しかし、入学試験に必要な外国語の確認も必要だが、もし高等学校に進学出来たとしても、色々問題があるぞ?」
「どういうこと?」
首を傾げた私に、兄は珍しく、難しい顔をした。
「お前、高等学校に進学するとしたら、一高に入るつもりだろう」
一高。第一高等学校の略称である。本郷区の向ヶ丘弥生町に本校があるけれど、医学部だけは千葉県の県庁所在地・千葉町に校舎がある。
「そうだよ」
軽く頷くと、
「花御殿から千葉町まで、どうやって通うつもりだ?」
兄は眉間にしわを寄せた。
「どうって、もちろん……」
列車で、と言おうとした私の口の動きが止まった。
(そう言えば、千葉まで、列車は通ってたっけ……?)
この春に、習志野まで行った時には、確か列車を使ったけれど……。必死に記憶を探っていると、
「花御殿から行くとしたら、人力車か馬車で総武鉄道の本所停車場まで出て、そこから総武鉄道で千葉まで行けばいいのだと思うが……」
と兄が言った。
「しかし、本所から千葉まで、1時間以上かかるらしいぞ」
「あ……」
兄の言葉に、私は開いた口を右手で押さえた。本所というなら、停車場があるのは隅田川の東側だ。この春に、花御殿から本所停車場まで馬車に乗ったけれど、30分ぐらいはかかったような気がする。しかも、内親王という身分だから、通学にも侍従さんが付いてくるだろうし、その他、色々と面倒なことが発生しそうだ。自分が実際に一高の医学部に通学したらどうなるか、ということを、頭の中で全くシミュレーションしていなかった。
「そうなると、千葉町に引っ越すしかないかな?」
まぁ、前世でも、大学に入学した時から東京で一人暮らしをしていた。別にどうということはないだろう。
と、
「章子お姉さま、花御殿から引っ越しちゃうの……?」
「そんなの、やだぁ……」
昌子さまと房子さまが、私を悲しそうな眼でじっと見つめた。
(うっ……)
愛らしい子犬を連想させる妹たちに、私はたじろいでしまった。この2人もそうだけれど、母親が違うとはいえ、……今生の妹も弟も可愛いのだ。
(だっ、だけど、私は兄上を守るために、医者にならないといけない訳で……)
両手で頭を抱えていると、
「増宮さん」
上座に座ったお母様から声がかかった。
「流石に、まだ早すぎますよ、進学のことを考えるのは」
緑色の洋服を着たお母様は、そう言ってクスリと笑う。「もう少し、話が具体的になってからでもよいのでは?伊藤どのも大山どのもいるのですから、進学に差し障るような事項は、何とでもなりましょう」
「はぁ……」
私が渋々頷くと、
「それに、明宮さんも、増宮さんが引っ越すと聞いた途端に、お辛そうになりましたし」
とお母様は微笑した。
「な、お、お母様、俺は、章子が悪い学生にいじめられはしないかと心配で……」
「大丈夫だって、兄上。なんせ私は“女牛若”なんだから、毛利さん並みに強い人じゃなかったら、返り討ちにできるって」
なぜか慌てる兄に、私はこう言ってニヤッと笑ってみせた。「でもありがとう、兄上、心配してくれて」
「当たり前だ!」
兄はムスッとした。「俺も軍人の端くれなのだから、守ると決めた者は守る」
「はい、承知しました」
私は素直に頷いた。
(でも、守るのは、私も同じだよ、兄上)
声には出さなかったけれど、私は兄のまっすぐな目を見て、軽く頷いた。
食後のお喋りを終えて、兄妹4人、一緒に食堂の敷居を跨いだ瞬間、お母様に私だけ呼び止められた。「先に玄関まで行って」と兄妹たちにはお願いして、お母様に近寄った。まさか……いや、少し早い気もするけれど……。
1mくらい離れたところで立ち止まると、お母様は黙ったまま私を手招きした。何だか少し、ワクワクしているようにも見える。私はお母様のすぐそばに歩を進めた。
「お手紙が届きましたよ」
お母様は小さな、けれど、少し嬉しそうな声で言いながら、小ぶりのバッグの中から、封筒を取り出した。封筒の下の方に署名がしてある。……間違いない、フリードリヒ殿下のものだ。
「今回は早かったですね、増宮さん」
「そ、そうですね」
お母様の手から、半分ひったくるようにして手紙を受けとる。
「ここで封を開けてご覧になったら?」
「お、お母様?!」
私は思わず目を見開いた。そんな私に向かって、
「私も、お手紙の内容が知りたいのです」
と、お母様は微笑を向ける。
「そ、そんなこと、ここで読まなくったって、どうせ大山さんに知られちゃうんですから……」
「でも、増宮さん。私はあなたの口から、お手紙の内容を聞きたいのです」
お母様は、優しい微笑を私に向け続けている。観念して、私は封筒の端を破った。
文面に目を走らせる。7月末に私が出した手紙へのお礼から始まって、今は本国で訓練を続けていることが書かれていた。
「“訓練は辛いですが、医師になろうとされている貴女も、努力を続けられていることに思いを馳せると、厳しい訓練に立ち向かう勇気が湧いてきます”……はぁ、そういうものなのでしょうか?」
文面を訳しながら首を傾げると、「そうですよ」とお母様が頷いた。
「職務に真面目に取り組まれる方なのですね、メクレンブルク公は」
「そう、みたい、ですね……」
私は俯いた。秋の夜だと言うのに、何故か身体が熱い。
「どうですか、増宮さん?」
「ど、どうって?」
「公の人となりが、少しは分かってきたのではないですか?」
「た、確かに……」
でも、もどかしい。これが私の時代なら、手紙が届くのだってもっと早いだろうし、電子メールだって国際電話だってあるのだから、外国にいる人とのやり取りは、もっともっと簡単に出来るはずで……。
(もっと、殿下のことが分かるはずなのに……)
「どうなさったの、増宮さん?」
気が付くと、お母様が心配そうな目をして、私の顔を覗きこんでいた。
「あ、は、はい!だ、大丈夫です、大丈夫……」
「そうですか?なら、いいですけれど……」
お母様が、更に何か続けて言おうとしたその瞬間、
「梨花」
私を呼ぶ、硬い声がした。兄だ。
「遅いぞ、何をしている」
「ご、ごめんなさい、兄上」
私は大急ぎで、手紙を自分の手提げ袋にしまった。
「あらあら、怖い鬼が来てしまいましたね」
廊下に立って私を軽く睨んでいる兄を見て、お母様がクスリと笑う。
「では増宮さん、お返事を書いたらまた見せてくださいね」
微笑したお母様に、すっかり顔を赤くした私は、黙って一礼した。
「お母様に、何か言われたのか?」
兄の側まで小走りで駆け寄ると、兄に右手を掴まれた。
「あ、うん、勉強を頑張りなさいって……」
フリードリヒ殿下と文通をしているのは、兄には内緒だ。なので、私は咄嗟に嘘をついた。手提げ袋にフリードリヒ殿下の手紙が入っていることを知ったら、殿下が嫌いな兄は、いい顔をしないだろう。
「ほう……」
兄は私を一瞥すると、私と手を繋いだまま、廊下をスタスタ歩き始めた。私も必死に足を動かしてついていく。
「もう9時だ。これ以上遅くなってしまったら、体調を崩してしまうかもしれない」
「大丈夫だよ、兄上。帰ったらすぐにお風呂に入って寝るから」
私は苦笑した。兄の気持ちはありがたいけれど、流石に、少し寝る時間が遅くなったくらいで調子を崩すような、やわな身体はしていない。
すると、
「お前に風邪を引かれては、俺も困るのだ」
と兄がため息をついた。「あまり、勉強に夢中になり過ぎないようにな。それで体調を崩されたら、俺も心配だが、相手も心配になるだろう」
「はぁ……?」
私は首を傾げた。私の勉強相手は、兄以外にはいないのだけれど。
「袋をなくさないようにしろよ」
「はい?」
「落としたら、勉強が出来なくなるだろうからな」
「い、言われなくても!」
私は、左手で持った手提げ袋の取っ手を握りしめた。大事な手紙が入っているのだ。絶対に落としてなるものか。
と、
「かわいいな、お前は」
兄が私を見て、クスッと笑った。
「な、何よ、急に!一体どうしたのよ?!」
「お前こそどうしたのだ。顔が真っ赤だぞ」
兄に指摘されて、突然、身体も、頭も、かあっと熱くなってしまった。
「な、なんでもない」
「ふーん?」
「何でもないっ!だから、どうしてそう、手提げばっか見るのよ?!」
そう言っているのに、兄はニヤニヤ笑いながら、私と、フリードリヒ殿下の手紙が入っている手提げ袋を、交互に見つめる。そのせいで、車寄せに着いたときには、火照った私の頭は、回転を殆ど止めてしまったのだった。
※実際に、1894(明治27)年に、本所ー佐倉間に総武鉄道が開通していますので、拙作の世界線でも開通していることにしています。軌間は……どうでしょうねぇ。




