師弟の形
※セリフを一部修正しました。(2019年10月16日)
※呼び方ミスを修正しました。(2019年10月17日)
1896(明治29)年9月12日土曜日、正午。
華族女学校の授業が終わり、私は帰り支度を始めていた。この9月から、初等中等科第2級……前世流で言うと、中学2年生に進級したばかりの私だけど、今日は午後に、梨花会で皇居に参内しなければならない。いつもは花御殿から徒歩で通学しているけれど、梨花会のある第2土曜日だけは、時間が押してしまうので、馬車で帰宅することにしていた。
使い始めて8年目になる年季の入ったランドセルに、使った教科書や筆記用具を収め、手提げ袋にピアノの楽譜を入れた時、ふと、隣の席の徳川糸子さまの様子が目に入った。彼女は、小学科に入学した時からの同級生だ。今朝、あいさつを交わした時から、彼女は嬉しそうにしていたのだけれど、今は更に、幸せそうな雰囲気が増している。
「徳川さま、どうなさったの?なんだか、嬉しそうですけれど」
良家のお嬢様らしく、猫を被りながら尋ねてみると、
「ああ、黒姫さま」
徳川さまはニッコリ笑った。
「あのね、父上が東京にいらっしゃることになったの」
徳川さまにそう言われて、私はキョトンとした。
徳川さまは、もちろん、あの徳川家康の子孫である。私が前世の身分のままでここにいたら、恐らく近づけないであろう高貴なご身分の、生粋のお嬢様だ。でも、確か彼女は、千駄ヶ谷に家があると言っていたから、徳川宗家16代目の徳川家達さんが父親のはずなのだけれど……。
(父親がずっと東京にいるのに、その父親が上京するって、おかしくないか?)
首を傾げた私に、
「お姉さまが、華頂宮さまとご結婚なさるから……」
と徳川さまは更に言った。
「そうなんですね!それはおめでとうございます」
その話は初耳だ。私はペコリと徳川さまに頭を下げた。
(あれ?でも、徳川さまのお姉さまの結婚と、東京にいるはずの父親の上京って、どう結び付くんだ?)
ますます訳が分からなくなった私の表情を見たのだろう。徳川さまは「どうなさったの、黒姫さま?」と心配そうな顔で私に尋ねた。
「あ、あのですね、徳川さまのお父様って、家達さま……ですよね?」
緊張した声で質問すると、
「違いますわ、家達はお兄様の名前ですわ」
徳川さまは微笑を崩さずに答えた。
「おにい……さま?」
家達さんはもともと、御三卿の田安徳川家の出身だと、勝先生に昔、ちらっと聞いたことがある。でも、30歳をとっくに過ぎている家達さんと、私と同い年の徳川さまが兄妹というのは、余りにも年齢が離れている気がする。
(も、もしかして、家達さんのお父さんが、伊藤さんか松方さん並みにお盛んで、若い側室に徳川さんを産ませたってことなのかな……?)
大混乱した私の耳に、
「私の父上は、静岡に住んでおりますの」
という徳川さまの声が届いた。
ん?
「静岡……?」
「はい、ずっと静岡に住んでおりましたけれど、お姉さまの結婚を機に、これから東京で暮らして下さるそうですわ」
徳川さまはとても嬉しそうに私に答えると、ニッコリほほ笑んだ。
静岡にずっと住んでいる徳川さんって……。
(まさか、……慶喜さんのことかぁ?!)
呆気に取られた私は、しばらく言葉を失った。
「そうなんだよ……!」
1896(明治29年)9月11日、午後3時。
皇居での梨花会が終わった後、側に寄って質問した私に、勝先生は小さな、けれど、とても嬉しそうな声で答えた。
「結婚式は15日だ。前々から話は進んでてよ。昨日の日付で正式に勅許が下りたんだ。今日の官報には載るはずだぜ。それで、東京に住むって、慶喜公が言ってくれたんだ」
「そうなんですか……!」
私もつられて小声で答えてしまったけれど、勝先生の左手をぱっと掴んだ。
「おめでとうございます、勝先生。本当に良かったです」
去年、鳥羽・伏見の戦いの戦跡を回り、戦没者に祈りを捧げた時に、伊藤さんから、徳川慶喜さんは、“史実”では明治30年ごろに東京に移住した、と聞いた。この時の流れでは、それより少し早く、東京への移住を決めたわけだ。
(これで……旧幕府軍と新政府軍に分かれて争った人たちの溝が、少しは埋まるといいな……)
そう思っていると、
「ま、まぁ、陛下のご命令もあったしな。“慶喜の娘を華頂宮に娶わせろ”って」
勝先生がぷいっと横を向きながら答えた。なんだか少し、頬が赤い。
「そろそろ東京においでなさいって、慶喜公にはずっと言ってたんだよ。経子さまも華頂宮さまと結婚されるんだし、って焚きつけて、ようやく、重い腰を上げてくれた。……まぁ、おれも慶喜公とは、旧幕時代色々あったけどさ、もうそんなことを言ってる時じゃねぇからな」
「ですね……」
私が頷くと、勝先生は、首を180度回転させて、今度は上座の方を見やった。視線の先に、主のいない椅子が2脚ある。お父様とお母様が、先ほどまで座っていた椅子だ。
「次は、慶喜公を両陛下に会わせなきゃなんねぇ」
勝先生の声は、やはり小さかった。けれど、並々ならぬ決意が込められていることは、嫌というほど感じられた。
「そしたら、このジジイも安心して死ねるや」
「あの、勝先生。……それ、医者の前で言っていいセリフだと思ってるんですか?」
私はそう言いながら、思いっきり眉をしかめた。
「勝先生は御学問所の総裁でしょう?それに、お父様も補佐しているんだし、この未熟な私も導いていただかないといけません。……無事にお父様と慶喜さんの面会が終わっても、まだまだ死なせませんよ、勝先生」
すると、
「おっと、忘れてたや。ここに手のかかるヒヨコが一匹いた。確かに、こいつをどうにかしなきゃ死ねねぇな」
勝先生が私を見て、ニヤリと笑った。
「わたしも忘れてもらっては困ります、勝先生」
いつの間にか、兄が私の隣に立っていて、私たちの会話に横から入ってきた。「いつか、言ったではないですか。わたしを鍛える前に死んでもらっては困る、と」
「いや、皇太子殿下はもう、ヒヨコよりは成長……」
「先生方と比べれば、政治はまだまだ素人同然です。武官長に問われて、梨花と話し合って出した政治の問題に対する答えは、武官長に粉々に打ち砕かれますので」
兄はそう言って、勝先生に微笑みを向ける。すると、勝先生は軽くため息をついて、顔に苦笑いを浮かべた。
「しょうがねぇ。んじゃ、ヒヨコを成長させるために、このジジイも老骨に鞭打って頑張りましょうか」
勝先生の言葉に、私と兄は「はい」と同時に返事して、顔を見合わせて微笑した。
「ですから、まだ時期尚早ですよ!」
「ほう、どこが?」
1896(明治29年)9月11日、午後4時30分。
花御殿の私の居間では、2人の男性が激論を繰り広げていた。
一人は、内務次官の原さん。
もう一人は、外務次官の陸奥さんである。
「いいですか、確かに、この時の流れでは、1894年末に改正条約が施行され、治外法権は撤廃されました」
原さんは目を怒らせながら、“史実”での上司に食ってかかる。「“史実”で改正条約が施行されたのは1899年、確かにこの点では、我々は“史実”より、優位に立っていると言えます」
「殿下の前世の知識のおかげだね」
対する陸奥さんは、椅子にゆったりと背を預け、両腕を組みながら、原さんを楽しそうに見ている。
「ですが先生、条約の有効期間は施行から12年間です。交渉を開始するにしても、廃棄通告を行ってよいと定められた、条約施行から11年経過した1905年……それを待たなければならない。現に、“史実”で小村が関税自主権の回復の仕事をした時は、1899年の11年後の1910年に、条約の廃棄通告を諸外国に行ってから仕事に取りかかったはずです。それなのに、今から条約改正のことを考えるとは……」
「考えてはいけないのかい?」
自分のことを“先生”と呼ぶ原さんに、陸奥さんは余裕の感じられる笑みを向ける。「状況など、どうとでも変わる。万が一、日露間で戦争が起こって、我が国がそれに勝てば、条約改正を講和の条件の一つに持ち出してもいいんだ。もしくは、その他の国から“廃棄通告の条項などどうでもよいから、対等条約を結びたい”と早く言って来させるように動かしてもいい」
「先生、流石にそれは無理です。“史実”では、ちょうど、日露戦争で我が国がロシアに勝利したという事実もありましたから、交渉が有利に進んだ面もありますのに!」
「君はまだ、“史実”に縛られ過ぎているよ、原君。あくまでも、“史実”は一つの実戦例でしかないんだ。その点では、君は殿下に負けている」
「お言葉ですが、それは主治医どのを買いかぶり過ぎです!そもそも、誰がこんな小娘に後れを取るか……!」
「それはそうなんですけど……原さん、将棋、指しませんか?」
私は、深い深いため息をつきながら、原さんに声を掛けた。
「ん、あ、ああ……」
眉間にしわを寄せていた原さんは、私の声に我に返ったように振り向いた。
「すまない。先生と全力で討論できるのが、楽しくて楽しくてしょうがなくてな。もう少し落ち着いてからにさせてくれないか、主治医どの」
「いや、あなた、先週も、夕食の時間まで陸奥さんとやり合って、将棋を指してくれなかったじゃないですか……」
私は力のない声で原さんに指摘した。
先週の土曜日、陸奥さんが久しぶりに私の居間を訪ねてきたのだけれど、そこにちょうど、兄との将棋の対局を終えた原さんがやって来た。
すると、
――待っていたよ、原君。思う存分、力の限り、議論をしようじゃないか。
陸奥さんが悪魔のような笑みを浮かべ、
――わたしもですよ、先生。これほど嬉しいことはない。
原さんも、鬼気迫る微笑を陸奥さんに向けた。
――あ、あの、対局は……。
私が質問を最後まで言い終わらないうちに、原さんと陸奥さんはハワイのことについて大激論を始め、私はそれを側で聞いているしかなかったのだけれど……。
「よろしいではありませんか」
私の隣に座った大山さんが言った。「梨花さまも、議題について勉強になるのではないですか?」
「い、いや、まぁ、それはそうかもしれないけれど……」
私は眉をしかめた。確かに、大山さんの言う通りなのだけれど、そもそも、私は政治が苦手なのだ。最近は、大山さんが容赦なくいろいろと聞いてくるから、少しずつ政治のことが分かって来たけれど、それでも、こんな風に物凄い議論を目の前で展開されてしまうと、双方の主張を整理するのに頭がついていかないし、何より、うるさくてしょうがない。
「大山さんは、こういう議論を聞くのは平気なの?」
尋ねると、
「ああ、参謀本部にいたころは、児玉さんと桂さんと川上さんが議論を戦わせるのを、よく聞いておりましたね。それに比べれば……」
我が有能な臣下は、こう答えて微笑した。
「児玉殿に、桂殿に、川上殿ですか……」
「確かにそうでした。よくもあの理屈屋連中の仲裁が出来たものだと、話を聞いて半信半疑でしたが……」
陸奥さんと原さんが、同時にニヤリと笑う。
「……殿下、大山殿に相応しい主君におなりになりたいのでしょう?」
突然、陸奥さんがこんなことを言い始めた。
「そ、それはそうなんですけれど、……陸奥さん、何でそれを知ってるんですか?」
そのことは、少なくとも、大山さんにしか言ったことがないはずだ。情報源を確かめなければいけないと思ったけれど、
「そんな些細なことよりも、これからの殿下のご成長の方が大事ですよ」
陸奥さんにはぐらかされてしまった。
「先生のおっしゃる通りだな」
腕組みした原さんが深く頷く。「将来、このお転婆を、廟堂で皇太子殿下の側に立っていても恥ずかしくないようにしなければならない。医学だけでは困るのだよ、主治医どの」
「あのね、医学も発展させないと、兄上は助けられない訳で……」
反論を試みたけれど、
「ある程度、医学の世界に種を蒔かれたのですから、それが芽吹くのを待つ間に、殿下も成長しなければなりませんね」
陸奥さんに鮮やかに封じられてしまった。
(うぐぅ……)
二の矢を継ごうと必死に考える私の前で、
「では、原君、議論の続きを始めようか」
陸奥さんが静かに言った。その顔に浮かんだ微笑みは、本当に悪魔のそれにしか見えなかった。
「確か、さっきの梨花会で、青木さんが辞職を申し出てるって言ってたわよね……」
再び始まった陸奥さんと原さんの討論を横目で見ながら、私は大山さんに小声で尋ねた。外務大臣の青木周蔵さんは、結核の治療が順調に進んで元気になっていく陸奥さんとは対照的に、最近体調を崩してきており、療養のために辞職を申し出ているそうだ。陸奥さんをそのまま外務大臣に繰り上げると、この冬にハワイに派遣する人間を誰にするかを考えないといけない、ということで、辞職は一旦保留になったそうだけれど……。
「どういう症状が起こっているかとお聞きになりたいのですか、梨花さま?」
「そうね」
先回りして私に確認した大山さんに、私は頷いた。
けれど、
「お聞きにならない方がいいかもしれませんよ」
大山さんは苦笑しながら私に答えた。
「何で?もしかして、不治の病みたいなものにかかってるの?それなら、私の目で診察し直したら、別の病気って診断がついて、治療の突破口が開けるかも……」
私がそう言うと、
「原因は恐らく僕ですよ」
議論をしていた陸奥さんが、急に私に笑顔を向けた。「僕と一緒に仕事をする時、大臣が胃の辺りを手で押さえていることが増えてきました。林君が大臣と仕事をする時には、そのようなことは無いようですが」
「は、はぁ……?」
(それ……どう見ても、ストレス性の胃炎だよね……?)
私はため息をついた。確かに、陸奥さんを直属の部下として使うのは、相当修業を積んだ人でないとできないだろう。なんせ相手は、この世のものではない妖刀なのだから。
「坂本さんのような上司には、なかなか巡り会えませんねぇ。まぁ、坂本さんが何人もいても困りますが」
陸奥さんが微笑する。
「坂本さん……?」
「坂本龍馬。殿下はご存知ないですか」
(はい?)
「ま、まさか、海援隊を作った坂本龍馬……?」
私がこう言うと、
「そう、そこに僕もいたのですよ。色々なことを坂本さんに叩き込まれましたねぇ」
陸奥さんはしきりに頷き、嬉しそうに笑った。
「殿下の時代では、坂本さんの名が残っていませんか?」
「いや、めちゃくちゃ有名ですし、人気もありますよ?」
ただ、陸奥さんが海援隊にいたことは知らなかった。
「坂本さんが生きていたら、どんなに面白い世になっただろうと思いますが、それを考えても仕方がありません」
陸奥さんは腕を組み、懐かしそうに遠くに視線を投げた。「ですから、今ある駒で、やるべきことを考えなければ」
「確かに、先生のおっしゃる通りです」
原さんが陸奥さんに向かって、恭しく頭を下げる。陸奥さんに“史実”の記憶を持っていることがバレてしまった原さんだけど、7月に私に見せていた苛立った表情はすっかり消えてなくなり、非常に生き生きとしている。
「それには、手持ちの駒を成らせることも必要さ。大臣をいじめるのも、それなりに暇潰しにはなるけれど……」
(やっぱり、上司をいじめてたのかよ!)
部下から上司への逆パワハラという奴だ。思わず頭を抱えた私に、
「でも、いじめるなら、いじめ甲斐のある駒を相手にしないとね」
陸奥さんの視線が突き刺さった。
「陸奥さん……私の胃に潰瘍を作りたいんですか?」
「とんでもありません。ただ僕は、大山殿や原君と同じく、殿下のご成長を願っているだけですよ」
陸奥さんが静かに微笑する。
「木を美しい姿に成長させようとして剪定し過ぎて、その木が枯れてしまうってこともありますよね?」
私が言い返すと、
「麦は芽が出たら踏まないと、きちんと根が張らずに倒れやすくなるな」
原さんが間髪入れずにツッコミを入れた。
「大丈夫ですよ、梨花さま」
大山さんの暖かい手が、私の両肩に掛かる。「このお二人なら、加減は知ってらっしゃいますから」
「いや、大山さん、あなたなら耐えられるんだろうけど、未熟な私に耐えられるの……?」
大山さんの囁きにこう返すと、
「ほう、臣下のお許しが出ましたね」
陸奥さんがニヤリと笑った。
「ですね、先生」
そう言った原さんの笑顔は、まるで獅子か豹が獲物を見つけたかのような喜びに溢れていた。
「では、再開しますかね」
「はい、先生!」
「ちょっ……待っ……!」
私の叫びも空しく、陸奥さんと原さんは、条約改正について再び大激論を展開し始め、それを側で聞かされる羽目になった私は、余りの情報量と音量に、思考を止めてしまったのだった。
※華頂宮博恭王の結婚は実際には1897(明治30)年1月なのですが、少し早めています。まぁ、早く章子さんから逃れさせてあげないと、ね?(苦笑)




