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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第18章 1896(明治29)年小寒~1896(明治29)年立秋
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医者の本気(2)

※同日2話投稿の2話目になります。(2019年10月11日)

「原さん……?」

 障子を開けて入ってきた人物に目を動かして、私は眉をしかめた。

「診察中に、入ってこないでいただけますか?」

 今の陸奥さんと私の話を、立ち聞きしていたのだろうか。注意したのに、原さんはずんずんと私の方に歩み寄り、

「主治医どの……待ってくれ……」

と、今にも泣きだしそうな表情で、絞り出すように言った。

「出て行ってください、原さん。診察中なんです」

「出て行くものかっ……!」

 私の再びの注意を、原さんは睨み付けながらはねつけた。

「主治医どの、今言った言葉の意味が分かっているのか?!先生の、政治的な生命を壊すと言った意味の……!」

「その通りの意味ですよ。本当に命を取ると言わなかっただけ、私が医者であることに感謝してください」

 こう言って原さんを睨むと、

「分かっていない!」

原さんは私に向かって叫んだ。

「いいか主治医どの、政治は、先生にとって命そのものなのだ!臨終の床でも先生は……先生は、“死ぬことで、政治上の連鎖から脱することが悲しい”とまで人におっしゃっていた。……その政治を、先生から奪うということは、命そのものを奪うということだぞ?!それが分かっているのか、主治医どの!」

「本当の命を取らなければ、命の生かし方なんていくらでもあります」

 興奮する原さんに、私は冷たい声で答えた。「陸奥さんほどの才覚のある人が、政治を私に取られて生きていけないなんて訳がないですよ」

 すると、

「あはははは……!」

陸奥さんの笑い声が部屋の中に響いて、私はぎょっとした。

「確かにそれは、僕の一面だ」

 陸奥さんは、こみ上げる笑いを堪えながら、とても楽しそうに言った。

「“史実”の通りに僕が人生を送ったなら、僕は間違いなく、そう言って死んだだろうよ。だけどね、今の時の流れと“史実”とは違う。“史実”で僕に師事していたというのなら、そのぐらい分かってくれなければ困るよ、原君」

「!」

(しまった……!)

 完全に、陸奥さんに露見してしまった。原さんに、“史実”の記憶があることが。

(どうしたら……この場を打開できる?!)

 頭をフル回転させようとした私の耳に、

「そのくらいにしてくれないかね、陸奥君」

この場にいるはずのない人の声が聞こえた。

 ……伊藤さんだった。

「は?!」

 私は、約4か月ぶりに見る伊藤さんに、驚きの目を向けた。

「伊藤さん?!横浜に着くのは明日って聞きましたよ?!」

「昨日神戸で船を降りて、そこからすぐ汽車に乗ったのですよ」

 伊藤さんは、寝室と居間の境目の襖を開ききりながら私の質問に答えた。

「やはり汽車の方が速いですな。ちと疲れましたが、丸一日かからずに新橋に着けたのはありがたい」

「何ですと……船にそのまま乗っておらずに、汽車で移動した、と……」

 原さんも目を丸くした。

「まぁ、それは無理やり納得するとして……、何で伊藤さん、私の寝室にいるんですか?」

 返答によっては、伊藤さんをとっちめなければならない。私が眉をしかめながら質問すると、

「梨花さまのご成長を見守るためですよ」

伊藤さんの後ろから現れた大山さんが答えた。こちらも約1週間ぶりに見る。

「ええと……どういうことかな?」

 混乱した私に、

「僕が依頼したのですよ」

クスクス笑いながら教えてくれたのは陸奥さんだった。

「実は、原君に“史実”の記憶があることは、とっくに分かっておりましてね」

「は?!」

「そ、そんな……完璧に偽装していたはずなのに?!」

 私と原さんは、同時に驚きの声をあげた。

「そう、確かに完璧だった」

 陸奥さんは、ニコニコ笑いながら言った。

「けれど、一つだけ穴があってね。それをハワイで知ってしまったから、君に“史実”の記憶があることに気が付いた」

(何やってんだよ、原さん……)

 私はがっくりと頭を垂れた。

「それを3月にハワイで会った時に、陸奥君に指摘されましてな。いやぁ、流石ですな。陸奥君の慧眼は、“史実”でも今の時の流れでも変わらぬ」

「それ、早く伝えてくださいよ、伊藤さん……」

 伊藤さんがハワイからすぐ手紙を出してくれていたら、4月にはちゃんと私の手元に届くはずだ。

 すると、

「いや、わしが日本に帰るまで、このままの方が面白いだろうと陸奥君が言うので、増宮さまには連絡しませんでした」

伊藤さんが笑いながら答えた。

「はぁ?」

「いやあ、面白かった。圧を掛けるたびに、原君がどんどん余裕を失って」

 クスッと笑う陸奥さんに、

「人が悪いですぞ、先生……」

原さんが大きなため息をつきながら言った。

「本当ですよ。この3か月、私と原さんを散々悩ませて……」

 そう言って、私はふと気が付いた。この3か月、原さんと一緒にいる時、大山さんは私の側にほとんどいなかった。それどころか、私と原さんに、わざと陸奥さんを近づけるようなこともしていた気がする。

「あの、大山さん?」

 私は、我が臣下に疑いの目を向けた。

「何でしょうか、梨花さま?」

「あの……もしかして、大山さん、陸奥さんが原さんの秘密を知ってることを、把握してた?」

 すると、

「ええ、陸奥どのがハワイから帰国された時、伊藤さんの書簡を持参されて、(おい)に見せてくださいましたので」

大山さんはあっさり真実を白状した。

「じゃあ、何で私に教えてくれなかったのかな?」

「僕がそうするように頼んだのですよ」

 陸奥さんがそう言って、またクスッと笑った。「伊藤殿から話を聞いて、殿下が医師として本気を出されるところを、……真の力を発揮するところを、見たくてたまらなくなったのですよ。それに、頼みもしないのに僕の門人と自称する原君の力量も、試してみたくなりましてね。それで、大山殿と(はか)りました」

「ということは、大山さん、私が原さんと会う時、わざと用事を作って立ち会わないようにしてたのね?」

 私は眉を跳ね上げた。「信子さんの妊娠まで嘘だと言ったら、流石にそれは怒るわよ」

「ご安心ください。信子のことは本当です」

 大山さんがさっと頭を下げた。

「そう、ならいいけれど……どうせ、私の修業になるから、と思って、陸奥さんに協力したんでしょう?」

「さようでございます」

「つまり、この注射の拒否騒動も、兄上の避暑の日程やら、伊藤さんの帰国予定やら、諸々鑑みて、今日を狙ってわざと起こした、ということね、大山さん?」

「ご聡明で本当に助かります」

 大山さんの答えを聞いて、私は大きなため息をついた。

 つまり、全部仕組まれていた訳だ。陸奥さんが毎週花御殿に現れたこと。大山さんが、原さんと私が将棋を指す時に一緒にいなかったこと。私の馬車に、陸奥さんと原さんを乗せたこと……。原さんを試すために、そして、私に“医者としての本気”とやらを出させるために、大山さんと陸奥さんが謀ったという訳だ。こうなると、今、兄が花御殿を空けているのも、今回の(はかりごと)に兄が邪魔になるから、大山さんが追い払った、という可能性まで出てくる。

「大山さんがこの1週間、出張で花御殿を空けていたのも、事態を私と原さんだけで解決するように、わざとやったことかしら?」

「ええ、是非このお2人だけで、考えていただきたかったものですから。なかなか無い御経験だったでしょう?」

 大山さんがクスリと笑い、私と原さんは顔を見合わせた。原さんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。多分、私も同じような表情になっているのだろう。

(やっぱり私は、大山さんの掌から飛び出せない孫悟空だな……)

 少しだけ唇を尖らせてから、私は陸奥さんを見た。

「……それで、私は陸奥さんのご要望には応えられたんでしょうか?その、“医者としての本気”、でしたっけ?」

「ええ」

 陸奥さんは頷いた。「剣を抜かれた殿下のお姿……十分に、満足致しました。僕はあいにく、“史実”の記憶を持ち合わせていませんが、“梨花会”の中でもごく限られた人間しか見たことのない殿下のお姿を拝見して、原君を羨む気持ちも多少は落ち着きましたよ」

「そうですか……」

 私はまたため息をついた。やっぱり、陸奥さんの言うことはよく分からない。

「それから、確認しますけれど、陸奥さん、原さんの秘密を守ってくれる、ということは、約束してくれるんですよね?」

「もちろんです。内務省をガタガタにして、この国の国力を下げたくはありませんからね」

 陸奥さんはそう答えると、ニッコリと笑った。

「はぁ……報酬を寄越せ、と言ってしまったけれど、どうやら必要なかったみたいですね……」

 こう呟くと、

「ご安心ください。報酬は別のものでお支払いします。かなり時間はかかると思いますが」

陸奥さんがこんなことを言った。

「あの、治療費は要らないですからね?もし、治療費を払いたい、というのなら、医科研か産技研に寄付してください」

「寄付は難しいですね。金銭ではありませんので。ただ、それよりも、もっと大事なものですよ」

「はぁ……?」

 陸奥さんが何を言いたいのか、本当にさっぱり分からない。

(まぁ、いいか)

 とりあえず、それは考えないことにする。それよりも、私には、まずやらなければならないことがあるのだ。

「陸奥さん」

 私は真面目な表情を作った。

「これから、私と一緒に馬車に乗ってもらいます」

「は?」

 陸奥さんだけではなく、大山さんも、伊藤さんも、原さんも、不思議そうな眼で私を見た。

「増宮さま?一体どうなさいました?」

 伊藤さんが、恐る恐る私に尋ねる。「まさか、まさかとは思いますが、陸奥君に惚れて、馬車の中で逢引……」

「帰国早々何を言ってるんですか、このエロ輔導主任っ!」

 私は叫んだ。「行き先は帝大病院ですよ、帝大病院!シズオカマイシンの注射を、陸奥さんに受けてもらうんです!さっさと注射をしないと、薬剤耐性の結核菌が本当に発生しちゃいますから!」

「!」

 原さんの顔が青ざめた。

「それは主治医どの、急がねばならん!わたしも先生にお供する。とりあえず、花松どのに言って、早く馬車を準備してもらわねば!」

「いや、殿下も原君も、そんなに心配しなくても、ちゃんとこれから帝大病院に……」

 陸奥さんが何か言ったけれど、

「陸奥さんの治療に携わる医者の責任として、私の手で帝大病院に連行します」

「先生……先生が病魔に倒れる結末など、わたしは二度と繰り返したくないのです!」

私と原さんが同時に言って、口を封じた。

「原さん、花松さんか花御殿の職員さんに、大至急馬車を用意するように私が命令したって伝えてくれませんか?」

「仕方がない、他ならぬ先生の身がかかっている。伝えてこよう、主治医どの。帝大病院に電話で連絡もしておくぞ」

 原さんが素早い身のこなしで、居間から走り去っていく。

「逃げようったって、逃がさないですからね、陸奥さん」

 私は陸奥さんの横に回ると、左腕に両腕を回した。

「私と原さんを試したのは許しますけれど、それはそれとして、きちんと治療は受けてもらいます」

「これは……これも、殿下の医師としての本気ですか」

「何か言いました、陸奥さん?」

 両腕をしっかり陸奥さんの左腕に絡めた私は、彼を軽く睨んだ。

「いえ……」

 陸奥さんの返答に、

「やれやれ、やはり増宮さまは、医学が絡むと人が変わられますな」

「ですな」

伊藤さんと大山さんの声が重なった――。

※陸奥さんがハワイで何を知ってしまったか……その答えは続きの閑話で。

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