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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第18章 1896(明治29)年小寒~1896(明治29)年立秋
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招かれざる客たち

 1896(明治29)年4月25日土曜日、午後4時30分。

「何で、今週も来たんですか……」

 居間に入ってきた黒のフロックコート姿の人物を見て、私は思わずため息をついた。

『経過観察をしていただこうと思いまして』

 ハワイから4月16日に帰国した陸奥さんは、私に英語で話し掛けるとニヤリと笑った。

(日本語でいいでしょうに……)

 そう思うけれど、これでこちらが日本語で押し通すと、先週と同じように“英語でイングリッシュ・プリーズ”と言われるのが目に見えている。

『あなたが日本に帰ってきた直後に帝国大学で撮影した胸部のエックス線写真は、私も先週帝国大学で拝見しました。毎週ベルツ先生の診察を受けているのに、それでは不足ですか?』

 仕方なく、こちらも陸奥さんに英語で話し始めた。

『とんでもない。ですが、僕としては、殿下にも診察していただきたいのですよ』

『先週も言ったけど、セカンドオピニオンのつもりで診察してもらいたいのなら、意味がありませんよ。私とベルツ先生とで相談しながら、あなたの治療を進めているから、二人の間で方針の違いはありません』

『しかし、ベルツ先生は、イギリスに帰られたチェンバレン氏に送る、末の弟御の追悼の手紙を取りまとめるのでお忙しそうですし……殿下にも、僕の身体の状態を見ていただければ、ベルツ先生との相談もしやすくなるでしょう?』

『……わかりました。聴診しますから、シャツをまくっていただけますか?』

 微笑を浮かべてじっと私を見つめる陸奥さんに向かって、私は大きなため息をつきながら言った。どうあっても、陸奥さんは私の診察を受けたいらしい。私は陸奥さんの説得を諦めて、本棚に置いてある聴診器を持った。流石に診察は日本語でさせて貰い、胸部の聴診はもちろん、一通りの身体所見を取る。

 服装を整えた陸奥さんに、

「先週と……」

変わった所見は無いと言おうとしたら、

『殿下、英語で』

陸奥さんが英語で言った。

(くっ……)

『Letzte Wocheと変わりはないです』

 英語で話し始めると、

「殿下、ドイツ語が混じっています」

陸奥さんが即座に指摘した。

「もうっ……!」

 私は日本語で叫ぶと、唇を尖らせた。「……ったく、面倒な。何でこの時代の医学は、ドイツ語が主流なのよ!」

「おっしゃっておられましたね、殿下の時代の医学は英語が主流だと。しかし、ドイツ語が飛び出たところを見ると、大分、この時代の医学にもお慣れになったようです」

 陸奥さんも日本語を話し始めた。どうやら、英会話の臨時授業は終わらせてくれたようだ。

「そのせいで、混乱するんですよ……」

 私は肩を落とした。ドイツ語の医学論文を読むから、ドイツ語の読み書きは何とか出来るようになったのだけど、今度は、英語を喋る時にドイツ語が混じりそうになる。しかも、去年の9月からは、華族女学校(がっこう)でフランス語の授業が始まった。それで余計に頭が混乱するのだ。

「英語とドイツ語に加えてフランス語なんて……頭が破裂しそうです。フランス語はやったことがないから、苦手なんですよ……」

「ふふ……ご聡明な殿下にも、苦手がありますか。しかしそれでは将来、フランス語で愛を囁かれても、応えることができませんよ?」

「あ、愛?!」

 一瞬、目を丸くしたけれど、私はすぐに首を左右に振った。

「いいや、それは絶対にないです。大体ですね、お父様(おもうさま)と兄上を助ける上医になろうとしているこの私が、外国の人と結婚なんて出来る訳が無いんですから」

「確かに、ご結婚の相手として、外国の王族をわざわざ選ぶ必要はないと僕も思いますが……しかし、たとえお相手が日本人であっても、“Je t’aime.”などと囁かれる場合もあるでしょう。……ねぇ、原殿?」

(?!)

 私が居間の入り口の障子に目をやると、

「……急に呼ばないでいただけますか、陸奥どの」

静かに障子が開いて、困惑しきった表情の原さんが姿を見せた。「わたしは、殿下と陸奥どののお話が終わるまで、廊下で待っていただけですので」

「そうでしたか、これは失敬。……では殿下、僕はこれで失礼します。来週もまた、この時間に伺いますので」

 陸奥さんは私に恭しく一礼すると、原さんに視線を投げかけて、私の居間を去っていった。

「……どうして先生がここにいるのだ。先週もだっただろう」

 陸奥さんの姿が玄関の方角に消えたのを確認してから、原さんは私の方を振り返って小声で言った。

「知りませんよ、私だって。しかも、英語で話しかけてきて、こちらも英語で返すのを要求されるから、疲れること、この上ないんです」

 私はため息をついた。「ベルツ先生だって、ちゃんと経過観察しているのに、どうしてこっちにも来るかな……原さん、何とかして陸奥さんを止められませんか?」

「わたしを危険にさらす気か?」

 原さんが眉をしかめた。

「元気な先生を拝見するのは非常に嬉しいが、だからと言って、わたしの秘密を暴かれる危険は冒したくはない」

「私だって、余り陸奥さんに近づきたくないんですよ。あなたの秘密がバレそうですから」

「確かに、主治医どのから秘密が漏れる可能性が、一番高いが……」

 頷いた原さんは、居間を見渡して、「大山閣下は?」と尋ねた。

「ああ、昨日の夜が当直勤務だったから、今日はいません」

「ふむ、先週も用事があるとかで、わたしと主治医どのが将棋を指すときにはいなかったな」

「そうですね」

 そう言って、私はテーブルの上に置いてあった医学雑誌を手に取った。

「原さん、お願いがあります」

「高くつくぞ、主治医どの」

「そんなこと、言わないでくださいよ」

 相変わらず偉そうな原さんに、私は軽くため息をつきながら言った。「……もしかしたら、外貨獲得が大いに出来そうな話になるかもしれないんですけれど、それでも聞いてくれませんか?」

「……仕方がない、ならば聞いてやろう」

「まぁ、そんな難しいことではないと思います」

 私は、医学雑誌の、しおりを挟んであったページを開いた。

「私、これからお茶を淹れてきますから、その間、この医学論文に目を通して欲しいんです」

「おいおい、主治医どの。わたしは医学など門外漢だぞ?一応、日本語ではあるようだが……」

「だったら、目を通すぐらいはできますよね?それで、この論文を読んでの感想を私に教えて欲しいんです。これは、分かる可能性があるのが原さんしかいないと思うから。お願いします」

「そう言うなら、読んでやるか」

 原さんが雑誌のページに目を落としたのを確認して、私は居間を後にした。


「で、脾疳(ひかん)がどうかしたのか?」

 私がお茶をお盆に乗せて居間に戻ってくると、原さんが雑誌から目を上げて私に尋ねた。

「“史実”でいうビタミンAが、欠乏して起こる病気だろう。今更何を、と言いたいが……」

「ああ、やっぱりそれでよかったんですね!」

 私はそう言いながら、原さんにお茶を出した。

「知らなかったのか、主治医どの」

「ビタミンA欠乏症は知っていましたよ。けれど、それが、“脾疳”と呼ばれていたことを知らなかったんです」

 私は椅子に座ると、自分のために入れたお茶を一口飲んだ。

「夜盲とか眼球乾燥とか下痢とかが肝油で治るって、どうも私の時代のビタミンA欠乏症っぽいな、と思いながら読んでたんですけれど、本当にそうか、確証が持てなかったんです。だから、原さんなら“脾疳”が後年、何て呼ばれたか知ってるかな、と思って」

「なるほどな。それで、分かる可能性があるのがわたししかいないと言った訳か」

「そう、暗殺されるまでの“史実”の記憶を持っている原さんなら」

 ダメもとで原さんに聞いてみて、正解だった。“小さいころに、鳥目にならないように肝油のドロップをなめさせられた”と、前世の祖母に聞いたのは覚えていた。それが元々は、ビタミンAの欠乏症を予防するために投与されていたものだと知ったのは、大学に入って医学をちゃんと学んでからだ。けれど、私の時代で言うビタミンA欠乏症が、かつて“脾疳”と呼ばれていたのは知らなかった。原さんが“史実”で暗殺された1921年には知られていたことが、私が“史実”で死んだ2018年には失われていた訳だ。

「で、この脾疳、今、世界でどのくらい起こってますかね?」

「それなりに発生している病気だろう。……主治医どの、それはベルツ先生たちに聞く方がよくはないか?」

「そうなんでしょうけれど、もっと別のことも考えたくて……」

「別のこと?」

 首を傾げた原さんに、

「肝油を、夜盲症の特効薬として、世界に売り込めないかな、と思ったんです」

私はこの論文を読んでから考えていたことを話し始めた。「京都の内国博でも、肝油が出展されていましたし。輸出で儲かる成算って、どのくらいありますか?」

 私が尋ねると、

「なるほど……その手はあるな」

原さんは左手を右の拳で打った。

「肝油ならば輸出も可能だ。しかし、主治医どの。他の国でも肝油は作れるぞ。競争力のある肝油を作らねばならん」

「競争力のある肝油……」

 確かに、そうでなければ、せっかく肝油を輸出しても、他国の製品に競り負けて儲からないという結末になってしまう。

 すると、

「主治医どのは、“高橋氏改良肝油”というものを知っているか?」

と原さんが私に質問した。

「いいえ」

「高橋というのは、医科大学の薬物学講座の教授だ。“史実”でも肝油の精製の研究をしていて、彼が作ったのが“高橋氏改良肝油”というものだ。そう言えば、主治医どのは、肝油を飲んだことはあるか?」

「匂いを嗅いだことならありますけど……」

 内国博で見学した時に嗅いだ、あのなんとも言えない臭みを思い出した。

「あれよりは臭みがないものだ。それに、甘みも付けていたから、他の肝油より飲みやすかったのだよ」

「甘味、ですか」

 確かに、それがあれば、多少は飲みやすいのかもしれない。

「……もしかして原さん、それが発展して、肝油のドロップになりました?前世の祖母が、“小さいころに、鳥目にならないように肝油のドロップをなめさせられた”って言っていたんですけど」

「ああ、そうだ。わたしが“史実”で生きていたころには、既にドロップができていたぞ」

「へぇ……そういう風につながるんですね。前世の私が小さいころは、食生活が豊かになって、脾疳が起こりにくくなったからか、肝油ドロップを子供に投与することは少なくなっていましたけれど……」

 しみじみと呟く私に、

「それよりも、高橋教授に連絡を取らなければならないぞ、主治医どの。彼に“史実”の通り、肝油の改良を頼まねばならん」

原さんはずいっと顔を近づけて言った。

「そうですね。とりあえず、ベルツ先生と三浦先生に連絡をお願いしてみます。あと、この論文を書いた森正道(まさみち)先生にも、連絡を取らないといけないですね。脾疳がビタミンA、じゃなかった、この時の流れだとビタミンCになるのかな……その欠乏で起こるということを、もっと大規模に証明して、ドイツ医事週報に論文を載せてもらいましょう。ねぇ、大山さん……ってああ、いないんだった」

 いつも、原さんと将棋の対局をする時には、大山さんが私の側に控えているから、つい、彼がいるつもりでこう言ってしまった。この発想で間違っていないかどうか、確かめたかったのだけれど……。

「いなくてもよかろう」

 私の様子を見た原さんが苦笑した。「今の話は、発想としてはかなりよい。わたしからも井上さんに話しておこう。肝油の原料はタラやサメ……その漁の奨励も考えていかなければならないからな」

「乱獲しないようにはしないといけないですよ。タラを取り過ぎて絶滅しても意味がないし。それに、私の時代では、“史実”で言うビタミンAは、多分合成できたはずだから、数十年後には、肝油の輸出が出来なくなる可能性が高いです。何かあったら、最小限の被害で事業から撤退できるようにしておかないと」

「ほう、そこまで指摘できるか……」

 原さんが目を瞠る。「医学がらみだということはあるが……主治医どの、いつの間にそこまで考えられるようになった?」

「……あなたに将棋を教わっているからじゃないですか?」

 リップサービスも兼ねて、原さんにはこう言った。だけど本当は、大山さんが、何かきっかけがあれば、政治や外交に関しての質問を、私に投げかけるからだと思う。兄にも協力してもらって答えているうちに、物事を動かすのに何が必要で、どんな手順を踏まなければならないのか、少しずつだけれど、分かってきた気がする。ただ、私が頑張って導き出した答えは、大山さんの反問で、毎度あっさり崩されてしまうのだけれど。

(大体、大山さんがいないのに、一対一(サシ)で原さんに会いたくないんだよね。大山さんがいないと、この人、皮肉と悪口の塊なんだから)

 出来ればこのまま、さっさとお帰り願いたい。そんな私の思いを知ってか知らずか、

「なるほどな」

両腕を組んだ原さんは、ニヤリと笑って、

「では、対局してやるとするか。盤と駒を準備しろ、主治医どの」

と言った。どうやら今日も、三枚落ちで、私をじっくりいじめるつもりらしい。この分では当分、居座られてしまいそうだ。

「……はいはい、分かりました」

 そう言って椅子を立つと、

「だから、“はい”は一度でよい」

また原さんが不機嫌そうな声で言ったので、私は小さく「はい」と答えた。

※一身上の都合により、投稿日時点で、感想・レビューは受付を停止しております。ご了承いただければ幸いです。


※今回の後半部分の元ネタは『中外医事新報』1896年4月20日発行の号所収の「所謂脾疳原因ノ發見(第一報) 」(森正道)です。


※高橋教授……高橋順太郎先生は、実験を積み重ねて1907(明治40)年に改良肝油の販売にこぎつけました。そしてそれが1911(明治44)年にドロップになっています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私が小学生の頃には夏休み前に肝油の注文用紙が配布されていました。 今から四十数年前の話です。
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