輔導主任の出発前夜
※後書きを付け加えました。(2019年9月26日)
1896(明治29)年3月14日土曜日、午後2時。
「壮行の昼食会を先日催したのに、また伊藤に会うとはな」
皇居で定例の梨花会が始まるや否や、私の向かいに座った伊藤さんを見て、お父様が苦笑した。
「されど明日には、新橋から出立致します」
伊藤さんも顔に苦笑を浮かべた。「モスクワに到着するのに、間に合いませんからな」
5月の末に、モスクワでニコライ陛下の戴冠式が行われる。お父様の代理としては伏見宮貞愛親王殿下が出席するけれど、それに随行する全権大使として、伊藤さんが戴冠式に出席することが先月の梨花会で決まった。実は、“史実”では、この時に戴冠式に出席したのは山縣さんで、伊藤さんは出席を希望したけれど、反対意見が多くて断念したのだそうだ。
――“史実”では、その時には、わしにも松方どのにも“元総理大臣”という箔が付いていたというが、この時の流れでは、その箔が付いているのは俊輔しかおらん。どう見ても、全権大使は俊輔が妥当だろうよ。
山縣さんの賛成意見に、梨花会の全員が頷いた。もちろん、外務大臣の青木さんも賛成で、伊藤さんの全権大使就任はすんなり決定したのだった。
「露館播遷も起こっておりませんから、“史実”での狂介のように、難しい仕事をするわけではありません。しかし、やることはしっかりやって帰って参ります」
「頼むぞ、伊藤」
お父様の声に、伊藤さんは最敬礼した。
「そもそも、ヴェーバー公使が朝鮮に着任しておらんから、露館播遷など起こりようもない。李鴻章どのと袁世凱も監視していたようだし……残る問題はアレクセーエフか」
「奴さえ何とかなれば、プレーヴェもポベドノスツェフも失脚させたし、あとはヴィッテ殿が押さえてくれるという訳ですな」
山縣さんの独り言に、大隈さんがニヤリと笑って答える。
「その通りじゃ、大隈さん。しかし、アレクセーエフを御するのは、なかなか難しいかもしれん。李鴻章どのと一緒に、ヴィッテどのに釘は刺しておくがな」
「己の強さを誇示したいがゆえ、拳を振り下ろす格好の相手を探しているという訳か。迷惑な奴じゃのう」
珍しくため息をついた伊藤さんに、西郷さんが顎を片手で撫でながら応じた。
アレクセーエフ、というのは、ウラジオストックに本拠地を置く、ロシアの太平洋艦隊の司令官だ。“史実”では日露戦争開戦前夜、対日強硬論を主張していた人物らしい。今は“史実”とは状況が大分異なっているけれど、万が一、彼が暴走して朝鮮に手を出してしまえば大変なことになる。そこで、彼が暴走しないように何とか食い止めたい、というのが、日本と清、両国の思惑で、伊藤さんは李鴻章さんとともに、ロシアの外務大臣のロバノフ=ロストフスキーさんと、大蔵大臣のヴィッテさんと会談して、そのことも協議するそうだ。このほか、戴冠式に列席する各国の閣僚や元首とも、様々なことを話し合うので、今回の伊藤さんの外遊はかなり重要なものである。
(戴冠式に伴う外交ってやつか……)
ぼんやり思っていると、
「いずれは梨花さまも、このような場に出なければいけませんよ」
隣に座った大山さんが私に囁き掛けた。
「私が外国に出向くことはないだろうけど……」
「とんでもない。今回、ハワイからは、カイウラニ王女殿下が、女王陛下の名代としてニコライ陛下の戴冠式に出席されます」
「それは、カイウラニ殿下が、王位継承者だからでしょ。日本とハワイは違う。この国には兄上だって輝仁さまだっているし、宮家のご当主もたくさんいる。私が宮家のご当主に嫁げば、夫に付いて外国に訪問する可能性はあるけれど……」
そもそも、宮家のご当主に嫁ぐなんて未来は無い、と大山さんに言おうとした瞬間、私に多数の視線が突き刺さった。梨花会の面々はもちろんだし、お父様もお母様も兄も、“お前は何を言っているんだ”と目で語っていた。
(うーん、やっぱりこの時代、女なら絶対結婚しろ、という価値観が強いなぁ……)
ため息をつくと、
「申し上げましたでしょう、梨花さま」
大山さんが優しい声で囁いた。
「今から、ご結婚の可能性を全て否定しなくてもよいのですよ」
「た、確かに、そうだけどさ……」
「国内の方にしろ、海外の方にしろ、梨花さまに見合うお年頃の殿方は、まだ皆様、梨花さまと同じく、ご成長の途上でございます。将来、梨花さまがお心を預けたいと思われる方が育たれるかも……」
「こ、心を、あず……」
全ての言葉を言おうとしたけれど、一気に身体が熱くなってしまって、私は口が動かせなくなってしまった。そんな私を見て、列席している面々が、「愛らしい」だの「美しい」だの「女神のようだ」などと囁き合っている。
「だめ……もう無理……恥ずかしくて死にそう……」
真っ赤になっているであろう顔をうつむかせると、
「死なせませぬよ。梨花さまには、たくさんの幸せを、きちんと味わっていただかなくてはなりませんから」
と大山さんは更に囁いた。
(今でも十分に幸せですが……)
熱さでほとんど回転しなくなった私の頭は、こう思うのがやっとだった。
「前回もそうだったが、伊藤が不在中は、東宮大夫と輔導主任は威仁に任せる」
「よろしくお願いします、義兄上」
お父様の言葉に、兄が微笑みながら親王殿下に一礼する。私も慌てて姿勢を正して、兄に続いて頭を下げた。
「前回のように、増宮さまに“こすぷれ”とやらの衣装を作らないようにお願い致したいですな、殿下」
伊藤さんが、苦々しい表情を顔に浮かべながら言う。
すると、
「あれはあれで良かったけどな」
勝先生が何故かそんなことを言い、それに何人かが同調する言葉を発する。
「いや、やっぱり、娘らしい衣装の方がええと思いますなぁ……」
ため息をつく三条さんの言葉にも、何人かがうんうん、と頷いた。
すると、
「どちらの衣装にしろ、梨花が美しいのに変わりはない」
などと兄が言い始め、一同が「さよう」「殿下のおっしゃる通り」と深く頷いた。
「やめてよ、兄上、恥ずかしいから……」
また、身体が熱い。私を見つめる兄の視線から顔を逸らすと、
「美しいものを美しいと言って何が悪いのだ?」
兄は不思議そうな声でこう言った。
「あ、兄上の馬鹿……っ」
小さく言った刹那、私の口元に視線が集中した。ハッとして見渡すと、大山さん以外の全員が、私をじっと見つめている。
「あ、ご、ごめんなさい、私、汚い言葉を使っちゃって……」
慌てて兄に頭を下げると、
「俺は別に気にしていないが」
と兄は微笑んだ。「ただ、“たーけ”と言ってくれないのだな、と思ってな」
「急に、名古屋弁を喋れと言われても無理よ。前世でも、ほとんど標準語しか使ってなかったから……」
馬鹿の他に、使っていたのは自転車くらいだ。
「ふふ、では、その機会を焦らず待つか」
兄はニヤニヤしながら言った。
(よくわかんないなあ……)
とりあえず、兄のことは放っておくことに決め、私は議題に集中した。
「……とはいえ、頭が破裂しそうで、私、今回の梨花会の後半、ちょっとよく分からなかったんですよね」
午後5時。花御殿に戻っていた私は、兄との将棋の対局を終えて私の居間にやってきた原さんにお茶を出していた。居間には既に大山さんと、明日から外遊に出発する伊藤さんがいて、仲良くお茶を飲んでいる。
「本格的に二大政党制を日本に根付かせる、という話か」
原さんが右の口角を上げた。「確かに、今なら出来るかもしれん」
「さよう。立憲改進党を与党とした黒田さんの政権が長期にわたって続き、立憲自由党に集約された野党も、与党と建設的な議論を行い、政党間の抗争がほとんど起こっていない、今の時の流れならな」
伊藤さんがそう言って、お茶を一口すすった。気が付けば、黒田さんの政権は、この4月から8年目に突入しようとしている。“史実”ではその間に、三条さんの臨時兼任、山縣さん、松方さん、伊藤さんと総理大臣が交代しているのだ。
「いずれは増宮さまの時代の内閣のように、本格的な政党内閣が出来上がる。しかし、そうなるにしても、その内閣の役職が、単なる恩賞として陛下と総理大臣から与えられるものであってはならない。しかるべき実力がある者が役職に就くべきだ。でなければ、国の方向を誤りかねない」
「確かに、大隈の第一次内閣の猟官運動はひどかった。しかし伊藤さん、立憲政友会を“史実”で作った時も、組閣の際の猟官運動は、政友会内でも酷かったではないですか。私など、結局入閣見送りにされましたしね」
「あれは本当に済まなかったな」
「いえ……」
原さんが伊藤さんに、軽く頭を下げ、
「で、主治医どのは、先ほどの話はきちんと理解できたのか?」
と偉そうな態度で言った。
「理解できたというか、無理やり理解させられたというか……」
「流石にご聡明です。梨花さまの時代の医者の世界では、権力争いがあったのですか、と伺いましたら、話の要点を掴まれました」
私のため息に、大山さんが言葉をかぶせた。
「そう、医局ね」
私が前世で医者になった時はそうでもなかったけれど、父や祖父が医師として修業していた時代は、大学の教授を頂点とした医局という組織が幅を利かせていた。父も祖父も、最初は医局に入っていたけれど、医局の中での権力争いに嫌気がさして、さっさと実家の診療所を手伝うことにしたそうだ。
「医局が教授派と准教授派に分かれていて、准教授が教授の追い落としに成功しても、他の重要なポストを担える実力がある医者が、自分の子飼いにいなければ、医局内を完全に掌握することは難しい。いくら自分の子飼いだからと言って、実力のない医者を重要なポストに付けてしまったら、その医者が失敗した時に、自分も致命的なダメージを負うことになる。だから、教授派も准教授派も、実力のある医者をしっかり育てないといけない。それと同じようなことを、これから政党もしていかなければならない、か……」
確かにそれなら、私が生きていた時代のように、国会議員からほとんどすべての大臣が選ばれるようになって、与党が交代したとしても、ちゃんと大臣を務められる実力のある人が大臣になることができる。
「問題は、それを運用する党総裁の心だな。不勉強なくせに大臣の位を求める馬鹿は、いつの世でも必ず出てくる。そして、大臣や党内の役職をエサにして党員を操る総裁もな……それは、わたしもそうだったかもしれぬが」
原さんが苦笑する。
「結局のところは、上に立つ者が、真に国家と国益のためを思って動かなければならぬ、ということですよ、梨花さま」
「なるほどねぇ……」
非常に有能な臣下の言葉に、私は頷いたけれど、
(もしそうなったとして、私はどこでどうやって、上医として、兄上を助ければいいんだろう?)
とふと思った。
(そもそも、上医になるというのも大変だけれど……)
考えを進めた時、
「そう言えば、伊藤さんは、太平洋経由でモスクワに行かれるのでしたか」
と原さんが伊藤さんに尋ね、私は現実の世界に引き戻された。
「さよう。恐らくハワイで、帰国直前の陸奥君に会うだろうな」
伊藤さんはこう答えると、またお茶を啜った。
「森先生から昨日手紙が届いたけど、陸奥さんの治療も順調に経過しているみたいで、本当に良かったです」
私はニッコリ笑った。「陸奥さんが帰国したら、森先生にも色々報告しないといけないんですけどね」
「ああ、壊血病モデルの件ですか。物質の混入が起こっていたとは、まさかの展開でしたね」
「本当にね」
クスクス笑う大山さんに、私は苦笑いを返した。
昨年末、壊血病にしたモルモットに、私の時代でいうビタミンCの含まれない玄米を与えたところ、モルモットの壊血病が治るというあり得ない結果が出てしまった。そこで、秦先生に原因を調査してもらったところ、実験を行っていた東京帝大の学生さんたちのミスと勘違いが重なった結果、餌の玄米に、誤って別の物質が混入したのが原因だというのが判明した。その物質とは、大阪の高峰先生が、ウシの副腎から抽出した、還元力が強い、正体不明の物質だった。
「だけどこれ、どうやって論文にまとめればいいんだろう。壊血病モデルの確立報告は、この間のドイツ医事週報に載ったけれど、いきなりビタミンC、じゃない、ビタミンBが降って湧いて出て来ちゃったからなぁ……あと、学生さんをいきなり実戦投入するのも、少し考えなきゃ。みんながみんな、志賀さん並みに凄く優秀って訳じゃない。ある程度実験に慣れてもらってから、医科研の実験を手伝ってもらう方がいいかもしれない」
学生が全員、志賀さん並みにとても優秀ならば、“史実”でも、放っておいても日本から医学上の優秀な発見が相次いで、日本の医学は長足の進歩を遂げていただろう。だけれど、そうではないから、全体のレベルの底上げも考えていかなければならないのだ。
「それから、ミスを起こした時に、叱って罰を与えるんじゃなくて、ミスを冷静に分析して、起こった原因と、それに対する対応策を考えないと。1件の重大事故の背景には、29の軽微な事故があって、その背景に300の異常が存在する……ハインリッヒの法則って言ったっけ」
「ほう、その話は初めて聞いたな」
原さんが感心したように頷いた。「主治医どのの考え付いたことではなさそうだが」
「当たり前ですよ、原さん。前世で就職した時の研修で、話を聞いただけです。就職してから死ぬまでの3か月、2、3通インシデントレポートを提出しましたね。それを病院の上層部が集めて、事故を起こさないようにするにはどうしたらいいかを検討するんです」
すると、
「なるほど……」
大山さんの眼が、一瞬光った気がした。
(あ……これ、後で、“詳しくお話を”って言われる……)
とりあえず、そう言われてもいいように、一度、頭の中で話を整理した方がよさそうだ。私はそう思いながら、自分のために淹れたお茶を飲んだ。
「ところで、博邦……ではない、勇吉さんは、今回は置いていくのですか?前回は、伏見宮殿下に随行したように記憶していますが」
原さんが伊藤さんに尋ねた。
「ああ、父上を看取ってもらわなければならないからな」
伊藤さんのお父さんは、肺結核から喉頭結核を併発して、大磯で療養している。結核の2剤併用療法をすることも、ベルツ先生と三浦先生から彼に勧めてみたのだけれど、“もう十分生きたし、注射もされたくない”と言われて断られてしまったのだ。
「本人が治療を受けたくないというなら、どうしようもない。恐らく、“史実”通りに父上は亡くなるだろう。ただ、わしも、実の父の死に目に、2回も遭いたくはないから、な……」
伊藤さんは寂しげに微笑した。
「確かにそうですよね……」
私はため息をついた。伊藤さんの記憶は、磐梯山の噴火以降から、“史実”の記憶と、今の時の流れでの記憶とが分岐している。“史実”と今とで、変わったことはたくさんあるけれど、“史実”の通りに発生することもある。例えば、地震や火山の噴火などは、“史実”での通りに起きるし、伊藤さんの交通事故のような突発的な事故は、その対象を取り巻く状況が多少変わっていても発生する。
「あの、伊藤さん、一つ確認しておきたいんですけど」
ふと思い付いたことがあって、私は口を開いた。
「何でしょうか、増宮さま?」
「伊藤さん、爺の病状をベルツ先生と三浦先生が説明してくれた時に、“逃れられぬと?”と言っていたけれど……爺も、“史実”では、やっぱり、今回と同じように亡くなったの?」
「はい」
伊藤さんは頷いた。「確か、クリスマスの頃に体調を悪くされて、三が日のうちに亡くなられたはずです。しかし、どのような症状が生じて、どのような経過をたどったかまでは、わしも記憶がありません」
「念のために言っておくが、わたしに質問をしても無駄だぞ。わたしは前回、亡くなられたということを聞いたぐらいの記憶しかない」
原さんもそう言って、お茶を一口飲んだ。
「そうでしたか……」
ため息をつくと、伊藤さんが「増宮さま」と私を呼んだ。
「予め、教えておいた方が良かったですか?」
「そうですねぇ……」
私は両腕を組んだ。
「もし、間質性肺炎だと分かっていても、爺は助けられなかったと思うんです。可能な限り速く技術を発展させても、時間も労力も資金も、何もかもが足りなかった」
私が、自分が転生したと分かった時点から準備をしていたとしても、爺を助けるのに必要な医療機器や薬剤を準備するのは無理だった。磐梯山が噴火してから、前世の私が死ぬまでの約130年の時間、そして、その間に投入された、たくさんの優秀な頭脳と他分野の技術……その差は、僅か数年、資金や技術や優秀な研究者を全力で投入したとしても、埋まるものではない。
頭脳の粋を集め、試行錯誤しながら発展してきた医療技術、そしてそれを使いこなせる多数の人材。それらがこの時代に全ていっぺんに現れるなら、どんなに楽だろうかと思う。しかし、現実はそうではないから、私は、自分が出来ることを一つずつやっていくしかないのだ。
「……それに、“史実”での今の時期の診断技術は、今の時の流れ以上に進んでいないから、“史実”で“この病気だ”と診断がついていても、実際には別の病気だった、という可能性は十分にあります。だから、“史実”の診断名に頼って、その病気に対してだけ限られた資金と人的資源を投入するよりは、医学の発展を全体的に促して、私の知識を還元できるところはする、という方が、最終的にはいい結果を生むと思うんです」
「なるほどな、それは道理だ」
原さんが頷いた。「しかし、主治医どの自身にも、あらゆる面で頑張ってもらわないといけないのだぞ。皇太子殿下のために」
「わかっていますよ、原さん。まずは、兄上の基礎体力を向上させること。それと、兄上の心労を取り除けるように、私自身も、将来兄上を政治的に助けられるように修業すること……」
渋い顔をして答えると、
「ああ、分かっているようだな。伊藤さんが不在だからと言って気を抜かずに、しっかり修業に励め。このわたしが直々に鍛えてやるつもりだから、ありがたく思え」
原さんがそう言ってふんぞり返った。
「はいはい」
「“はい”が多い。返事は1回でよろしい」
不機嫌そうに注意する原さんに、私は「はい」と小さく返事した。
「とは言うが、原君。君は、増宮さまの臣下の存在を忘れているようだ。心してかからねば、君がしっぺ返しを食らうぞ」
伊藤さんが苦笑しながら指摘する。その言葉を聞いた大山さんも、原さんに向かって笑みを向ける。
「……確かにそうだった。今の大山閣下は非常に手強い。それは、“史実”と大いに異なる点だ」
原さんが軽いため息をつくと、
「ですが、今回は協力させていただきますよ、原どの」
大山さんが微笑みを崩さずに言う。
「梨花さまがご修業を積まれることは、将来にとって、非常によいことですから」
「……だそうだ、主治医どの」
「覚悟してますよ」
ニンマリする原さんに、私はため息をつきながら答える。大体、この非常に有能で経験豊富な臣下が、“修業をしなくていい”だのと、そんな甘い言葉を私に掛ける訳がない。今でも、梨花会の直後などに、「梨花さまなら、これをどうお考えになりますか?」と、政治や外交についての事項を私に聞いてくるのだ。そのたびに、兄にも協力してもらって答えを返している。
「楽しみにしておりますよ、増宮さま。わしが帰国した時には、ご成長されたところを、是非見せていただきたいものです」
微笑する伊藤さんに、私は黙って頷いた。
※一身上の都合により、投稿日時点で、感想・レビューは受付を停止しております。ご了承いただければ幸いです。
※伊藤さん、原さんのセリフの一部は「伊藤博文」(瀧井一博著)を参考にしています。すみません、本当は原敬日記も確認するべきだったのですが、余力がありませんでした……。
※伊藤さんの養嗣子・勇吉さんは、実際には1907(明治40)年に博邦に改名しています。また、伊藤さんのお父さん・十蔵さんの死因は、「国民過去帳」(大植四郎編)によれば喉頭結核のみの記載ですが、明治時代でも、現代と同じく、喉頭結核は肺結核に併発することが多いという知見が得られていたようです。(「内科完璧」(ユリウス・シュワルベ)、「喉頭結核及其療法」(細谷雄太編)を参照しました)従って、肺結核と喉頭結核が併発していたという設定にしました。ご了承ください。




